マクガフィン
スコットランドにこんな小話がある。
ふたりの男が汽車のなかでこんな対話をかわした。
「棚のうえの荷物はなんだね」きくと、もうひとりが答えるには、「ああ、あれか、あれはマクガフィンさ」「マクガフィンだって? そりゃ、なんだね」「高地地方でライオンをつかまえる道具だよ」「ライオンだって? 高地地方にはライオンなんていないぞ」
すると相手は「そうか、それじゃ、あれはマクガフィンじゃないな!」と言った。
ジャングルブックを書いたキップリングはインドやアフガニスタンの国境で原地人とたたかうイギリスの軍人の話ばかり書いていた。この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことが話のポイントになる。この砦の地図を盗むことを<マクガフィン>と言った。
つまり冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗みだすことを言う。それ以上の意味はない。
深読みしたがるものが<マクガフィン>の内容や真相を解明しようとしたところで、なにもありはしない。
砦の地図や密書類は物語の人物たちにはたしかに命と同じように貴重なものにちがいない。だが、ストーリーの語り手部達には中身などどうでもいいのだ。
それは物語の動機づけの道具であって、それの中身がなんであるかはさして重要ではない。
結局のところ<マクガフィン>というのはじつはなんでもないということになる。
「第一部なら石仮面」
「第二部は赤石」
「第三部ではエジプト」
「第四部からは弓と矢」
「第五部にしてはギャングスター」
「第六部に天国」
「第七部で遺体(ダイヤモンドに置き換え可)」
「第八部に至っては吉良吉影といった感じだ」
先輩はそれらを一息で告げた。
《普通》少女は一拍おいたあと、
「なんでわざわざジョジョで例えるんです?」
おそらく意味はないだろう。結局のところ例えもなんでもいいのかもしれない。