ミダス王
哲学者ニーチェはディオニュソス(バッカス)とアポロンを対称的な神だと勝手に定義つけた。
前者を情熱的芸術、後者を論理的芸術といった具合に、本能的な感覚をディオニュソス。理性的な思考をアポロンとした。
ところでこの両名から被害をこうむった王がいる。
それぞれが独立したふたつのエピソードだが、有名なので片方、あるいは両方知っている人間も多いかも知れない。だが、この二つが同一人物によるものだとあまり知られてはいない。
ミダス王の黄金の手。
古代ギリシャのプリュギアでは、その広場に縄でつながれた荷車が飾られてあった。
この縄をほどいたものが新たな国の王となるという言い伝えとともに。
世に語られた「ゴルディアスの結び目」である。
プリュギアに王はいなかったが、神託という予言によって神殿に初めて牛車で来た男を王にするとよいとでた。
それがゴルディアスである。
さて、この荷車というのは元々はゴルディアスが引いていたもので、そのゴルディアスから王位を継いだのが息子のミダス王だったといわれている。
ある日、ミダス王のところに酔いつぶれた老人が連れてこられた。酒の神ディオニソス(バッカス)の師シレノスである。ミダスはシレノスと気づき十日に渡って彼を歓待したという。
十一日目にディオニソスが迎えにきて「何かお礼はいるかね」とたずねた。
「ならば私に触れるもの全てを黄金にかえる能力を下さい」
こうして 彼は触れるもの全てを黄金にかえる手を得た。
飢えたのでパンを食べようとしたらパンが黄金となり、渇いたので水を飲もうとしたら水は金の塊へと姿を変えた。
どんどん衰弱していく父に心配した娘が近づき、ふいにミダス王は娘に触れてしまう。
娘は金の彫像に姿を変えてしまった。
それを嘆き悲しんだ王はディオニュソスに能力がなくなるようにと祈った。
ディオニュソスは答えて、
「トーロス川に手をひたし続ければやがては元に戻る」
いわれたとおりに手をつけると、川の水は黄金へと変わりながら下流へと流れていき。
だんだんと手は元の手へと戻っていったという。
王様の耳はロバの耳。
ミダス王は悔い改めて、富と裕福を忌避するようになった。
そこで熱狂的な音楽を奏でる、現代語ではロックなパーンの音楽を信奉した。
ある日、パーンと音楽の神アポロンの演奏会があった。
パーンは牧歌的な笛を吹き、アポロンは規律よく竪琴を弾いた。
審判の一人であったミダス王は野性的な音楽であるパーンを選んだ。
怒ったアポロンは「そんな耳はロバで十分だろ」とした。
こうして王様の耳はロバの耳となった。
それを恥じた王はターバンで耳を隠したが、理髪師だけが彼の耳を知ることとなった。
当然口止めをされたが耐えきれなくなって、穴を掘り「王様の耳はロバの耳」と叫んだあと、穴を埋めた。やがてそこには葦が生え、葦たちが同じ言葉をささやきだし、風に乗って街に流れた。
風に乗って囁かれる
「王様の耳はロバの耳、王様の耳はロバの耳」
こうして王の秘密は国民の知ることとなった。
王は理髪師を殺さず、無罪としたため、アポロンは彼を許し、元の耳へと戻したという。
「なんでその王様は神様からそんなに呪いを受けたんですかね」
「そういう星の下に生まれでもしたんだろ」
「ところで、最初に言っていたゴルディアスの結び目はどうなったんです」
「誰にもほどけなかった。いまではどんな結びかもわからない。ただ、アレキサンダー大王がその国を征服したときにはまだ残っていた。神殿のそれを見て、その伝説を聞いて即座に大王はそれを剣で斬り、結び目をといたという」
「え~、そんなときかたありなんですか」
「さあな。だが、彼は事実、王となった。考え方の角度というのは得てしてそういうものかもな」