1859年は生物学の一大記念年
《普通》少女が通う学校には五つの専門棟があり、科学棟はそのひとつ。
科学棟は分野棟というものを持っており、第一分野棟を物理学棟、第二分野棟を生物学棟という具合に区分されている。
「1859年、生物学会では二つのセンセーショナルな出来事が重なった。ひとつはダーウィンが『種の起源』を発表したことで進化論(当時は適者生存論)が誕生したこと。ふたつはパスツールが白鳥の首フラスコを使い、生命は生命からしか生まれてはこない、腐った肉や土からは沸いてこないという生命自然発生説を否定する証拠を見つけたこと」
《普通》と同級生である《細菌学者》が課外授業でもしているかのようにひとり喋っている。
「アハハハハハハハ」
《普通》は草の上に寝っ転がっていた。
生物棟はとにかくどでかばい(鹿児島弁)。
植物を研究する植物園みたいなところもあり、今二人がいるのはそこだ。
「それまでの神話体系においては神が土をこねて人間を創り出した説が主流だった。この二説は両方とも正しかったがその根本においては矛盾していた。二人の言い分が正しければ進化する前の原始生命はどこからきたのかということになる、ということなのだ」
「アハハハ、カワイイー」
「ちなみに『種の起源』の初版は1250部。多すぎて売れ残ると心配されたが一日で完売したのだ。その希少価値は高く、幸運なことにこの学校の大図書館にも一冊所蔵されているのだ。その後1871年に『人間の由来』を発表。当時は原人の骨は見つかっていなかったので推測が多かったが証拠は後にたくさん出土したのだ。でも、先の二人の説が両方正しいと証明されるまで100年を待つ必要があった」
「イヤー、ハナをスンスン押しつけないでェー」
「ってキミ、さっきからボクの話を聞いているのかッ、ここをどこだと思っているのだ」
《細菌学者》は手を大仰に振った。
カピバラ達と遊んでいた《普通》はそちらに目を向ける。
生物棟で飼育されている動物達は並の動物園よりも種類が多い。野放しにされている動物達もいる、このカピバラ達もそうだ。
彼らは熱帯植物園にある温泉目当てでゆるゆると生活している。
憤る彼にくびをひねって答える。
「わくわく動物ランド?」
「違うッ。科学第二棟、通称箱船の研究室なのだ。ここでは日夜、生物の根源について研究中なのだ」
《普通》はのほほんとした天然ゆるキャラのカビバラをなでながら、上体を起こす、
「だってここ、オモシロイんだもの」
生物棟のガーデンは植物も珍しい、一般開放されていないが学生の立ち入りは許されている。
「まったく。動物たちにとってはイイ迷惑だと思うのだ」
彼はうんざりしたようにまた雑学を語りはじめた。
科学に国境はないが、科学者には祖国がある。by パスツール
『種の起源』の正式名称。
「自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利なレースを存続することによる、種の起源」
かなり長い。
紀元前5世紀ではパスツールが証明した「何もないところからは何ものも生まれない」という理論をギリシャのメリッソスがすでに述べている。
1953年。ワトソンとクリックによってDNAの二重らせん構造が解明、イギリス「ネイチャー」で発表。同年、ユーレーとミラーが無機質から生命の元であるアミノ酸を生成アメリカ「サイエンス」で発表。
この二つの発見が生物学の遺伝子工学を発展させ、生物誕生と進化の流れを説明可能とした。
100年かかってパスツールとダーウィンの理論は共に両立することが証明されたのだ。