04・旅先→魔法
だいぶお待たせしました。
先生と勉強を始めて一年が過ぎ、俺は七歳になった。俺の手にも顔にも子供らしいふくふくとした脂肪が付き、骸骨に布を張ったような顔も見られるものになっていた。
先生は見た目を裏切りアウトドア派で、文字とスペルの法則を俺が覚えたと分かると西へ東へ俺を連れまわした。観光名所であるドリット川を源流へ遡ったり穀倉地帯を回ってどこの麦が一番美味しいか食べ比べたり。いつも手から羊皮紙の束を手放さないのは天啓がいつ下っても良いようにだとかで、一時間に一度は何かを書き込んでいる。旅行記でも書くつもりなのかもしれない。元々この国の出身ではなく隣国の生まれらしいし。
シャルフト公の跡取り孫息子だというのにここまで自由で良いのだろうかと思ったこともある。けど爺さんは何も言わないうえ、先生も気にした様子がない。気にしたら負けなのかもしれない。何に負けるかはともかくとして。
「そろそろ屋敷に帰ろうかね」
旅先で、先生がそう言った。俺は一も二もなく頷く。
「はい! そうしましょう、先生!」
先生は宿がなければ女性をひっかけ、宿に泊まれば女将をひっかけ、木賃だけで泊まるという荒業を繰り返す猛者だ。その手腕は見事という他なく、コロコロ変わる恋の相手に顔と名前の一致が追い付かない。もしかしてこれがこの国の男の普通なのかと思ったけど違うらしい。爺さんはねじ切れんばかりに首を振って否定していたし。隣の国のお国柄だと聞いて生暖かい気持ちになった。
「路銀も帰りの途中で尽きるのじゃないでしょうか、これ」
先生が自由すぎるせいであっち行ったりこっち行ったり、日々路銀の残りとにらめっこする旅行だ。俺としてはもう少し計画性を持って欲しいのだが、先生は耳を貸さないし実際に寄り道しながらの旅行は面白いしで、予定通りに目的地に着いたことは一度もない。
先生がぼうぼうに生えた髭を掻いた。ない方向を見つめて唸り、眉間に皺を寄せている。何かあったのだろうか。
「エリク、そろそろ君は七歳だ、そうだったね?」
「もう七歳の誕生日は過ぎました、先生」
誕生日はとうに過ぎたはずだが、先生の記憶に留まることはなかったらしい。かわいそうな俺の誕生日――母さんも父さんも正確な日付なんて覚えてないから、俺がだいたいで決めた誕生日だけど。
「まあ、普通の貴族なら十歳から始めるのが普通だが、良いか。年齢など関係ない。路銀も危ないことだし」
先生は何か決め、一人でうんうんと頷いた。いったい何をするというのだろうか――それに、十歳から始めるとはどういうことだろう。
「エリクよ、君に魔法を見せてやろう」
先生はニカリと笑み、深呼吸を繰り返す。遠目に村が見え、空に突き出た煙突からもくもくと煙が上がっていた――
魔法とは『精霊をおびき寄せて、魔力と結果を交換させること』だ。精霊は大気中に拡散しているため何かで気を引かなければならないということで、遠くまで聞こえる音が良いらしい。その音が気に入らなければ精霊はやってこないし、下手であれば言わずもがなだ。だから楽器を練習したり歌を勉強したりするのが魔法使いには必須なのだとか。言われてみれば、先生との旅路は常に歌い続けていた。あれは先生なりの教育だったのか……。
音が大きければその分精霊の集まりも良く効果も大きいが、代わりに魔力の消費も激しくなる。なにせ供給する相手が多いんだから当然といえる。歌や演奏が上手いと精霊も値引きしてくれるらしいが。
「研磨」
さっきまで気持ち良さそうに歌っていた先生が、歯の欠けたのこぎりに杖を向けて唱える。するとのこぎりの表面を覆っていた錆が消え新品同様になった。つるつるとした表面は鏡のようで、やすりの跡も残っていない。
「固定」
そして先生は再びのこぎりに向かって唱えた。透明の黄色い膜がのこぎりを覆い、吸収されるように消える。
「――ほら、これで大丈夫だ」
「有難うございます!」
「新品みてぇだ」
村の人たちが歓声を上げる。俺は歓声を上げこそしなかったが、内心感動に震えていた。魔法! していることは地味だが、魔法だ!
「ほら、まだあるだろう。持ってきたまえ」
先生は呼びつけるように手を振って言った。村の人たちは鋤や鍬を取り、先生の前へ持ってくる。――十や二十どころじゃない、四十や五十はある。これまた面倒そうなことだ、と他人事のように思っていた俺に、先生は指をクイクイと動かす。修理を頼む人でごった返した先生の近くから追い出されていた俺は慌てて先生の前へ潜る。人の波が重い。
「おまえの分だ」
「はい?」
先生は適当に鍬を十本ほど取ると、それを俺に渡した。
「やり方は見ていただろう?」
「見たことと出来るかは別問題だと思います、先生」
「案ずるより産むがやすし、してみたまえ」
村の人たちの視線が俺に集まる。この一年で成長したとはいえ、俺は一般的な七歳児よりも華奢だし背も低い。多めに見ても六歳かそこらにしか見えないのだ。そんな餓鬼が魔法を使えるの――彼らの目はそう言わんばかりだった。
「失敗しても怒らないで下さいよ」
「大丈夫だ、これくらいの魔法の失敗では何も起きん」
「あ、そうなんですか」
つまり大掛かりな魔法では失敗すると怖い目に遭うこともあるということか、と俺は納得した。今回は単に表面を研磨するだけの魔法だから失敗してもどうということはないのだろうが、例えば火を灯す魔法を失敗すると火事になったりするということだろう。しかし、表面を削りすぎて脆くするということはないのだろうか。まあ、してみないうちから失敗を恐れても無駄に緊張するだけだ。俺は先生の近くに座り込み、先生を見上げた。
「まずは歌いなさい。今私の近くに来ているのは『私の歌』を好む精霊だから、君が呪文を唱えたとしても成功することはない。まずは歌って、自分に合った精霊を呼びなさい」
「なるほど、分かりました」
精霊にも嗜好があるんだな、と少し面白くなってきた。アリプロとか好きな精霊がいたりするのか気になる。
歌うのはぴこまりんご飴☆。ノリが良いしアカペラで歌うのにちょうど良いだろう。
「ぴこまりから始めて――」
日本語だから歌の意味が通じるわけがないんだが、精霊なら分かりそうな気がして少し怖い。
大人になると周囲の目が気になり人目のある場所で歌うのが恥ずかしくなってくるが、今の俺は子供である。底辺の生活で何かしら辛いことがあるたび歌って紛らわせてきたことと先生と旅の間よく歌っていたのもあって、俺の声の伸びはかなり良い。
歌っているうちにだんだんノってきて大声で歌っていると、先生が俺の目の前で手を振って歌を止めた。
「君はどれだけ強力な魔法を使うつもりだね? 長く歌えばその分精霊の集まりも良い。そんなに集めて、君は巨大彫刻でも始める気かな」
しかし、俺には精霊など見えないのだ。集まっていると言われても全く実感がなく、どのくらい集まっているのか訊いてみた。
「私が呼んだのが十とすると、君は四十は呼んでいるね」
まだ初心者だから精霊が見えないが、練習すれば見えるようになるのだとか。
「研磨!」
――何も起きなかった。もう一度唱えてみる。
「研磨!」
やはり何も起きなかった。
「研磨ぁ!」
鍬には何も起きなかった。代わりに憐れむような視線と声が俺に集中した。泣きそうだ。
「エリク、私は言っただろう。魔力と効果を交換するのだ」
「魔力が分かりません、先生!」
なにせ前世ではとんと無縁な力なのだ。フィーリングでなんとかできるものでもないし、頑張れだのお前ならできるだのと言われても俺の精神を追い詰める以外の効果は全くない。ええいままよと何度も唱えるも失敗は続き、憐れみは度を増して憐憫にまでなってきた。憐れに思うなら見るな、放っておいてくれ! その視線が一番心に刺さるんだ。
「魔力とは感覚で掴むものだからね。頑張りたまえ、エリク」
「……はい、先生」
そして俺はこの日、魔力を掴むことはできなかった。泣きたい。
先生のおかげでタダで泊めてもらった宿の固い布団の上で、俺は顔を覆って昼間の失敗を恥じる。みっともない、格好悪い。お願いっ! ぴこ魔神!――神頼みしても無意味とは分かってはいるのだが、あれはかなり残念すぎる結果だった。
「明日こそは」
明日こそは掴まないと。先生は屋敷までの帰り道、俺に魔法の修行をつけると言っていた。つまり、さっさと魔力を掴まないと今日のようなことが毎度続くということだ。そんな羞恥プレイには耐えられない。
俺は布団の下で拳を握った。