02・夢想→現実
おばさんに連れられ慣れない靴でよろよろと廊下を歩く。おばさんは淑女だからかそれとも俺に合わせてくれているのかゆっくり歩いていて、リーチが短いうえにふらついている俺でも十分に着いて行けた。
「ここでございます」
そうして歩いて三十分くらいか。爺さんの執務室から裸足で走れば十分もかからないだろう部屋に案内され、覗けば俺が目覚めたのとは違う部屋だった。――まあ、ベッドメイキングするとはいえ俺は泥と汗とノミシラミでかなり汚かったからな。あのベッドで俺を寝かせるわけにはいかなかったのかもしれん。貴族ってそういうことに煩そうだし。
「ここが、俺の部屋?」
「少し考えれば分る事かと」
このババア!――俺が後継者として指名された暁には改名させてやる。テレーゼなんて名前を名乗らせておくものか!
内心ぶち切れながら俺はおばさんを無視して上着を脱ぐ。パジャマがあるのかどうかは後で確かめるとしても、ずっとサイズの合ってない襤褸を着ていたからか、かっちりした上着がなんだか着心地が悪い。見まわせば学習机を二回り小さくした大きな机と背もたれつきの椅子が窓際にあった。見るからに金のかかっていそうな上着を投げ捨てるのは罰あたりな気がするから椅子に上着をかけてシャツも脱いだ。
「皺になります」
このおばさんはきっと、俺が爺さんの本当の孫じゃないとか、孫だとしても汚い血が混じっているとか考えているのだろう。俺からすれば爺さんの孫だろうが孫でなかろうがどうでも良いことだが、おばさんにとっては死活問題に違いない。爺さんが俺を孫として受け入れたのなら、下はそれに従うべきじゃないのだろうか? よく分らん。何を言っても無駄そうだから無視すれば、おばさんは小さく舌打ちした。あんたこそ品がない気がするのだが。
「これだから育ちの悪い者は……」
ぼそりとおばさんが呟いた言葉には呆れるしかない。今までスラムで生活していた俺に何を求めているのだろうか、この婆さん。
――と、こんなことを思ってはいるけど、面と向かってとなるとどうも尻ごみする。だって俺は責任を負うことが怖いのだ。自分の言動にはきっちり責任を持ちましょうなんて言われても逃げたくなるし、と言うか小学生の時の失敗をまだ引きずっているし、事あるごとに思い出して悶絶するからな。俺はチキンなの、自慢じゃないけど。繊細で傷つきやすい硝子の少年なの。
ズボンも脱いで椅子にかけて、俺はベッドにもぐりこんだ。パンツ一丁だが恥ずかしくはない。元々ストリートでは下着なんてものはないからな。逆にパンツが違和感ありまくりで、露出狂に目覚めたわけじゃないけどパンツも脱ぎたいくらいだ。寝る時は服を全部脱ぐ裸族の皆さんの気持ちが分ってしまった。明日から全裸で寝ようか。
「もう寝る」
そう言えば盛大なため息を吐かれた。おばさんからすれば俺はこれ以上なく無礼な餓鬼かもしれないが、この世界の礼儀作法なんて俺が知るわけないんだから。
ごく自然に眠りに落ちた俺は、気が付けば真っ白な空間にいた。重力も地面もなく、近いも遠いもないその空間はただひたすら白かった。
「――うっ」
俺は影さえないことに気色悪さを覚え、次いで三半規管が悲鳴を上げるのを聞いた。視覚的にも平行感覚の掴めないせいか吐き気が湧きあがる。体を鍛えているわけでもないただの一般人を無重力の空間に放り込めば、きっと俺と同じように感じるに違いない。
吐き気で顔から血の気が引いて行くのが分る。熱い胃の中身が食堂を逆流してくる。――吐く。そう思った瞬間、食堂を圧迫していた濁流が消滅した。何があった!?
「ああ、ごめんなさい」
そんな声が響いた瞬間、真っ白な空間は板張りの床に薄ピンク色の壁紙をした十畳ほどの部屋に変わった。部屋の中央には一枚板のテーブル二脚の椅子、ティーセット。そして、黒髪に赤い目をした少女が座っていた。
「黒の予言書……!?」
肩と鎖骨がむき出しの黒いワンピースドレスを着た少女はどう見ても黒の予言書だった。声も聞き覚えがあるし。
「いいえ。私は貴方の言うところによる『黒の予言書』ではないわ。でも全体的に根本的に潜在的に近似した存在ではあるわね」
なん……だと!?
「その容姿でネタに走られると物凄く違和感があるんだけど……」
それも『お願い!ぴこ魔神☆』のネタだとは。あまりに衝撃的すぎて、つい俺自身もネタに走ってしまった。まじまじと彼女を見つめていれば、その白い腕がふんわりと椅子を示した。
「長い話になるわ。座って」
俺はかき消えた嘔吐感を何故か引きずることなく――もしかするとこの空間が何かしらの作用をしているのかもしれない――テーブルに近寄り椅子に腰かけた。ニカ様にそっくりな彼女は手ずから紅茶を注いでくれる。どうぞと促され飲めば、転生してからさっぱりだった紅茶の味がした。香りが強めでクセも強い。
「先ず私は謝罪しなくちゃいけないわ。貴方の記憶をちゃんと消去することなく転生させてしまった」
なんだか読み覚えのある展開だと思いました。テンプレですね分ります。でも、転生してから六年も過ぎてからの事後報告は遅すぎる気がする。もっと早く来られたんじゃないだろうか?
「ちなみに、私のいる空間と貴方のいる空間は時の流れが千倍以上異なるの。だから私が貴方の転生の処理をしたのはつい一日半前で、貴方が記憶を持ったままだと分ったのはつい五時間前のことよ」
「はぁ」
気の抜けたような返事しかできない。つまり俺は『誤って殺しちゃった☆』でも『神様の暇つぶし要員にキミが選ばれました☆』でもなく、ただ記憶処理が半端なまま転生してしまっただけだと。
「他の神みたいに誤って殺してしまったわけじゃないけど、十分に申し訳ないことだわ。私からの謝罪の気持ちとして、貴方の容姿は将来メルヒェン・フォン・フレードホフそのものとまではいかないけど、そっくりになるようにしたわ」
「なん……だと!?」
メルメル恰好良いよメルメル。でも爺さんも母さんも父さんもさほどイケメンの部類に入らないはずだけど、鳶が鷹を産むなんてちょっとおかしくないか?――そう口にすれば、ニカ様(仮)は薄らと笑んだ。
「確かに私の仕事は魂に刻まれた記憶を初期化することよ。でも、能力はそれに則った物ではないの。私の能力は『可能性を選びとる程度の能力』よ」
東方ェ……。
「つまり、私は複数存在する選択肢や運命の中から一番最良だと思うものを選ぶことができるということよ。貴方の容姿もそう、私が彼らの遺伝子情報からメルヒェン・フォン・フレードホフに一番近くなる情報のみを選択したの」
その能力チート過ぎる。他人の運命さえ操れるじゃないか。
ニカ様(仮)は片ひじを突いて顎を預けた。視線が俺から外れテーブルの上を彷徨う。
「私がきちんと貴方の記憶処理さえしていれば、貴方の記憶は魂と分離して理想郷に入るはずだったわ。だから気持ちだけでも受け取って欲しいの」
ニカ様(仮)が沈んでいるのは見れば分る。心から申し訳なく思ってくれているんだろうことも。でも、さっきの口ぶりからするにニカ様(仮)とは違うサボリ魔や愉快犯がいるだろうことが窺えた。誤って殺された人、一体どれくらいいるのだろうか……。
「ニカ様(仮)、そんなに謝らないでください。俺はもう前とは別個の人間です。失敗なんて誰にでもありますよ。容姿をメルメルそっくりにしてくれただけで俺はもう満足です」
日本人であった俺はもう死んだのだ。死んだ時の記憶なんてないけど、きっと事故死か病死かだろう。名誉の死なんてことはないだろうから……あれ、目から汗が。
「ちなみに俺はいくつで死んだんですか? 記憶は二十四までしかないのですけど」
「二十七歳よ。急性盲腸炎で救急車に乗ったは良いけど、病院をたらい回しにされて死んだわ」
「何それ酷い」
未来ある若者――と自称するのは恥ずかしいが――がそんな悲しい原因で死ぬなんて酷すぎる。それも痛みで苦しみながら死ぬとか……ないわぁ。俺に記憶は残っていないが、担当してくれた救急隊員さんたちも、俺が苦しみながら死んでいく過程を見せられたと思うと可哀想だ。もちろん俺が一番可哀想だけど。
「貴方の寿命も死に方も初めから決まっていたことだわ。でも、貴方からすれば私も他の暇つぶし目的の神たちも同じようにしか思えないでしょうね」
「いや、手違いで殺されたり暇つぶしのために殺されたりするよりはだいぶマシです。こうしてこの場を設けてくれただけでも有難いですから」
まあ、手違いや故意で殺されたらチートな力をもらったりして『俺TUEEEE!』を出来たのかもしれない。でも俺チキンだし。いくら強大な力を得たとしても、その力で引き籠りになること間違いないし。今生でも引き籠りたいくらいだしね! でっかい親――というか祖父――のすねがあるからそれを齧って生きていきたい。
「――ふふ。もし、君にはどうにもできないことがあれば私を呼んで。三度だけなら手を貸してあげられるから」
ニカ様(仮)は口を綻ばせ、俺の目元を覆った。
「私の名前はクロ――」
あ、眠ったんだ、とどこかでそう思ったのを最後に視界は黒く染まった。
ベッドにもぐりこんですぐ寝たせいか、ニカ様(仮)と話していたにもかかわらず普段に増して寝覚めが良かった。目を擦りながら起き上がれば窓の外は白んでいる。
「六時くらいかな?」
何時から朝食なのかは知らないが、まだだろうことは分る。ベッドから降りながらこれからのことを考える。
爺さんは――信じたくないが――国王の次に偉いのだとか言っていた。ということはたくさん勉強しなきゃならない。俺の頭がそれに付いていけるのか物凄く不安だが、まだ子供だしな……きっと脳みそが柔らかいのだと信じている。信じさせてくれ。
布団を出ると肌寒く、ブルリと体が震える。着替えを求めてクロゼットを開けて探してみた。一着や二着程度かと思っていたのに、これがどうして十着はあった。俺を見つけてから注文したのか、それとも伯父さんの子供時代の服か。後者だろうな。俺に似合いそうなのを選んで入れてくれたのだろう、昨日初めて見た俺の容姿なら似合うに違いない服ばかりだった。
適当に一着取って着ようとしたら、昨日着たのと構造が違ってさっぱり着方が分らなかった。もしや、服の型によって着方がそれぞれ違うのか……?
「貴族、面倒くさっ」
初っ端から出鼻を挫かれた。仕方がないから昨日着たのと同じ構造をしていた服を探してそれに着替える。昨日もそうだったが、身長的なサイズは合っていたが、体型は全く合っていない。腹周りも袖もブカブカだった。そして靴なんてものが存在していることを思い出す。――いや、思いだしたと言うよりベッドを振り返ったらベッドの下に靴が揃えて置かれているのを見た。
「靴下も履かないといけない、だろうな」
靴は後回しにして再びクロゼットを探る。靴下ならよほど変な柄でもない限り似合わないものはないと思う。靴下の入った引き出しを見つけて無難に真っ白な一足を選んだ。足に微妙な違和感。靴下は裸足に慣れた俺には気色が悪くてならない。それに加えて靴まで履くのだから背中までゾワゾワする。
とりあえず慣れれば違和感も減るだろうしと部屋の中を歩きまわればだいぶマシになってきた。前世では当然靴を履いた生活をしていたし、自分のしたいペースで歩けたのが良かったようだ。だがやっぱり裸足の方が好きだな……。何より足の裏は目よりもリアルに情報を伝えてくるから、それがなくなるのは物凄く心許ない。
貴族と言うものが何時に起き出すのか知らないし、呼びだされるまでここで待っていた方が良いだろう。――あのおばさんが俺の担当なのかなぁ……なるべくなら別の人が良いな。もっとこう、子供に対して大人げない行動を取らない人で。だってあの人ってば第一印象は最悪だわ見下しているのを隠そうともしないわ、本当に上流貴族のメイドですかと言いたくなる。まだ黒狐亭の女将の方が視覚的にはアレでも対応は良いだろうな。
「――ふう。これからは大変だろうなぁ」
ついため息を吐き肩をすくめた。今までが大変ではなかったというわけじゃない。それどころか今までの方が命の危険度は高かった。貴族による無礼討ちがまかり通っているし、加えて俺が最下層の人間だったからな。だが、前世でも今生でも縁のなかった上流階級の皆さまとの交流――と言う名の腹の探り合いを思うと泣きそうだ。ヤダヤダ、なんで爺さんの地位はこんなに高いんだ? 引き取られるなら地方の弱小豪族あたりが良かった。
のそのそと歩いて椅子を引く。学習机の三分の一程度の大きさの小机と背もたれのある椅子が部屋の窓際にあり、机に両肘を突いて再び長嘆息した。まだ六歳というよりも、もう六歳なのだ、俺は。貴族の教育なんてどうせ生まれた時からやっているに決まっている――物心付くのが四歳程度としてももう二年の遅れがあるのだ。小説とかssとかを読む限りそんなことが書いてあった。気がする。
それにたとえこれと言った教育をしていないとしても、親の背中を見て子供は育つのだ。俺のスタートラインは同年代の中でもかなり後ろの方だと思う。助けて母さん。俺、礼儀作法を身につけられる自信なんてないよ。
そんなことを悶々と考えている中、ノックの音が響いた。次いで聞き覚えのない女性の声。
「坊ちゃま、朝でございます」
そう言いつつ扉を開けたのは見覚えのない中年女性。――ここには中年のメイドしかいないのか。若くて可愛いメイドさんはどこにいるんだ? 萌えキャラじゃなくたって良い、とりあえず花も恥じらう年齢のお嬢さんはいないのか!? なんというか見ていて痛々しい。本場ではこれで正解なのかもしれないけど、オタク文化で育った俺には見るに堪えない光景だ。執事は老年でも中年でも構わないがメイドは若いお姉さんが良い。男として正しい感情だと思う。
「んん、おはよう――えーと」
「ミーシャと申します」
「よし、改名してくれ」
「はい?」
「いや、一人事だから気にしないで」
何で。どうして。こんな残酷な現実があろうか!? 俺の永遠の乙女ミーシャたんとこの中年メイドさんが同名なんて……! 神はいないのか、そうか!
「今日からエリク坊ちゃま付きとなりましたのでよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく、ミーシャおばさん」
おばさん、と付けるのは苦肉の策だ。分ってくれ。
「坊ちゃま、どうぞ私のことは呼び捨てにな――」
「絶対に嫌だ」
そんなことした日にはミーシャへの申し訳なさで割腹する。運命に翻弄される双子への愛が溢れるあまりミーシャ人形をチクチクと作ったことがある位ミーシャ(だけじゃないが)が好きなのに。他にはそうだな、シャイたんとかライラとか。ルキア、サヴァン、オルタンスにヴィオレッタ、エル、パパ、冥王様と愉快な仲間達に息仔、クッキーも作ったな。中でもクッキーが自信作だった。サンホラーの友人には制作を頼まれたくらいには上手い。制作時にはまだイドイドさえ発売されてなかったからメルメル達はいないが。
「分りました……ではお着替えを――あら、自分でお着替えになったのですか?」
「うん。昨日着た服と構造が同じだったから」
他の構造の服はさっぱり分りません。
沈んだ表情のミーシャおばさんに少し申し訳ない気持ちになるが、これは俺としても引き下がれないから諦めてもらう他ない。
「では、旦那様がお待ちです。着いていらしてくださいね」
ミーシャおばさんの後について部屋を出る。昨日は目覚めたのが日没後だったからか、屋敷の内装へ受ける印象が全く異なった。防犯上どうなのかと思わなくもない大きな窓が三メートルごとにあり、薄いレースのカーテンと厚手のそれが二重にかけられている。カーテンの模様が金色に輝いている気がするのだけど、もしかして金糸で刺繍とかしてないよね? そこまで無駄なお金を使っていたりしないよ……ね?
「エリク様をお連れしました」
階段を下りて数分、ミーシャおばさんがノックの後にそう言い扉を開ければ食堂だった。上座には爺さんがぽつんと座り、無駄に長いテーブルは目算で十五メートルはあった。それもコの字型のテーブルなものだから余計に『一人』というのが引き立つ。お客さんを呼んだ時用なのだろうけど、平時には寂しさが際立つばかりな気がする。
「おお! 早かったなエリク。良く眠れたか?」
「うん。寝が足りたからかスッキリ起きたよ」
そして朝食となったのだが、こっちのマナーなんて分るわけがない俺は皿とフォークやナイフでキシキシと耳障りな音を上げ、爺さんは最低の音で上品に皿を空にしていく。くそ、これはかなり恥ずかしい!
「エリク、お前には今日の昼から家庭教師が付く。なに。心配はいらんぞ? 儂の学園時代からの友人じゃからな」
お前の置かれていた環境に関して話はしてある、と爺さんは言った。俺はコクコクと頷く。洋食の店なんてさっぱり縁のなかった俺には分らないことだらけだ。和食のマナーならちょっとは分るんだけどなぁ……。
「どんな人なの?」
「どんな人――うむ、学生時代にはストーカー行為で頻繁に女性から訴えられていたな」
「え」
何その犯罪者。爺さん、そんな人を俺の家庭教師にするとかどういうつもりなの?
「悪い男ではないから安心しなさい」
物凄く不安だ。
ストーカーといえば彼しかいませんよね! ロリコンは三人いますがストーカーは一人しかいませんから。
現在、にじファンに移動した方が良いのかと悩んでいます。パロディ的要素を多分に含むので……。