しんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどいしんどい
あらゆる苦しみは脳の速度に対し現実の速度が速すぎることにあると僕は思う。
だってそうだろ?時間さえあれば猿だってシェイクスピアを書けるんだ。あらゆる物事は時間という物量さえあれば解決する。時間さえあれば、僕達は真理に辿り着くことができる。
だのに、世界はとにかく僕達に回答を急く。時間内にタスクをこなすため、生産性を上げるために。簡単には呑み込めないことだってあるというのに、『割り切れ』と、『そんなこと考えてもしょうがなくない?』と僕達に哲学をする余裕を与えない。
僕達に自分なりの考えを持つことを許さない。思考の深度が浅い、物事の表面だけをなぞっただけの、社会で浮いた存在にならないための、仕事上の利益を維持するための程度の低い発言を『大人の回答』として強要される。そうして世界に疑問を持たないことが立派な社会人になることだと僕達に言い聞かせる。
だから、僕は大人が嫌いだ。大人になることが嫌いだ。
だから、どうして。
混乱する大人を見ると、とても安心するんだ…。
話は輸送車内に戻る。
「なぁ…、今回の作戦って、結局何だったんだ?」
SAT隊員の一人が同僚に話しかける。
「…連続略取コスプレイヤー集団強撃作戦?」
「一言で言うとそうなっちゃうよなぁ…」
「何だ。不満か?」
「いや…、不満はねぇよ。寧ろ俺は、こういう凶悪事件から人々を救いたくて、今の仕事に就いたんだから。ただ…」
難しい顔をした隊員がチラッと僕の方を見る。
「事前に説明されてたとしてもな…。飲み込めねぇことが多過ぎるんだ…」
そして、彼らは話す。
異形のこと。
唯一の生存者である僕のこと。
また、彼らの強襲の後にやってきた、『駆除業者』を名乗る集団のこと(最後のヤツは僕知らない。見てない)。
全て、彼らをしても分からないようだった。
大人なのに、SATの人なのに。
話を横で聞いていた僕は、正直ちょっと安心した。
なんというか、免罪符を得た気分になった。
なんだ。
僕が巻き込まれていた問題って、こんなちゃんとした人間でも頭を抱える程、難しい問題だったんだ。
疲労で麻痺していた脳にはちょうどよかった。
状況に、思考を手放して良いと言われた気がした。
現実逃避を肯定されている気がした。
しんどかった。
だから、もう、そうすることにした。
輸送車が坂道で揺れる。
あの非現実から遠ざかっていく。
救出時に羽織らせてくれた毛布の端をキュッと抱きしめる。顔を埋める。ちょっとホコリ臭い。
でも落ち着く。
隊員のおじさんが「もう大丈夫だからな」と背中をポンポンしてくれる。僕は更に安心していく。体の震えが段々と収まり、まぶたがゆっくり落ちていく。
あぁ、全て終わったんだと納得した。
瞼をゆっくり落とした。
…心の変化の一方で、僕の見た目は何も変わっていないのに。
「…で、このお嬢ちゃんの身元は分かったか?」
「いや、それが、行方不明者のリストには載ってなくて…」
一瞬、そんな会話が飛び交った、次の瞬間、
輸送車が思いっきり縦回転した。
逆ウィリーというか。ちゃぶ台返されたというか。
車内が洗濯機の中みたいになりながら、僕たちは坂道を転がり落ちていった。
やがて、輸送車は円柱型の石碑にぶつかって停止した。
むちうちになった僕は、同じようにボコボコだろうに即座に最適な行動を取る隊員たちによって車内から出された。
僕を含めて4人が車内から出た。乗車時の人数は、僕と、ドライバーと、雑談していた隊員3人で合わせて5人。
…ちょうど、僕の背中をポンポンしてくれていた隊員の人が、運悪く輸送車と石碑の間に挟まって、ぐちゃぐちゃになって、殉職していた。
むごたらしさに吐こうとした、その直前、
「…ッ主様ァァッ!!!」
坂道の先。さっきまで輸送車が走っていた道路の方を見ると、頭がタコの怪人がこちらに向かって叫んでいた。
「助けに…、助けにきましたぞォォォ!!」
拡声器を使っても出ないような爆音で地表を揺らす。
怯えた僕は喉を引きつらせる。いやだ、いやだと後退りする。
が、訓練された隊員たちは違う。彼らは、先程までの雑談モードとは打って変わって、怪人を排除すべき脅威だと即座に理解し、展開した。
制圧すべく、躊躇なくサブマシンガンの引き金を引き始めた。
「おッ…、おォッ…!?」
銃弾に怯む怪人。しかし、彼の手、頭から生える八本の触手は、こちらに伸びていた。
こちらというか、明らかに僕の方に伸びていた。
求められていた。
それが、どれほどまでに不快か。
「うわっ…、あっ…」
「うわぁぁぁぁぁぁッ!!!」
足が、無意識に坂道を下る。
「おい待て!勝手に離れるな!」という隊員の声も無視して。
怪人の声も銃声も聞こえなくなるまで走る。
風を切る速さで走る。
闇雲に逃げても問題ない。
ここは地元。目をつぶっていても、家までの道のりは分かる。
そう、家。
家って、いいよね。
だって、本当に嫌なことがあった日でも、何も成し遂げていない罪悪感まみれの日でも、家に帰って自室のパソコンの前にいれば、何となく勝ったような気になれるから。
ベッドは、ダメだ。自堕落を演じるためにベッドがオアシスだとかのたまう奴はにわかだ。
だって、僕みたいな普段真っ当に頑張っていない人間は基本疲れていないから、ベッドに入っても寝れなくて、横になっていることへの罪悪感に苛まれるだけだから。
過ごすなら、座椅子とかゲーミングチェアの上が良い。現実を背にマウスカーソルを目で追っているのが一番健康に良い。だって、画面を見てる限りは見たくないものが見えないんだから。ついでにドーパミンのおかげで思い出したくないものが霞んで消えるのだから。
だから、ベッドなんてダメだ。そんなの、外でしっかり働いて、体力を使い切った、精一杯頑張ったから日常生活に後ろめたさなんてないマトモな人間の意見だ。存在することに罪意識を持たない人間の意見だ。
…でも、今日に限っては、僕もベッドがいい。座椅子じゃ疲れが取れない。ネットサーフィンもいらない。マイクラを起動して放置環境を用意する気力さえ湧かない。
本当に疲れたんだ。ゲロ吐きそうなんだ。頭なんてもう、回したくないんだ。
全部ほっぽりだして、ぐっすり寝たい。
背後から聞こえた隊員たちの悲鳴なんて、聞こえなかったことにする。
僕はポストの奥から非常用の家の鍵を取り出した後、乱雑に玄関ドアを開けた。そして、リビングに飛び込み、ダイニングテーブルに鍵をブン投げた後、ソファに体を放り出した。あれだけ願ったベッドまでたどり着く体力は、残念ながら無かった。
でも、そういう時の雑魚寝の方が何故か気持ちいいんだよな。
やがて、僕は気絶した。
気絶するように眠ったんじゃなくて、本当に気絶した。
静かに、時計の針の音だけが鳴った。




