理不尽と戦う上で出してしまった犠牲には、敬意を払うしかない
Black Out降臨から一時間。
首都機能の移転、要人の避難、周辺住民の大規模疎開の口実となる公報の作成。永田町でそれらが迅速に進められる中。
この事態における最重要事項である、『最強』、秦要護によるBlack Out保持者の討伐は、まるで何事も無かったかのように静かに終わった。
「先輩…?どう、したんッスか…?その子…」
本町紫野(当時17歳)と、問題の民家周辺で待機していた侍衛係職員たちは、一人の少女を抱っこして玄関から現れた秦に注目する。
「本町、確か本町家本家に、『神の力』でも弱体化させる儀式があったよな。費用は払う。これから毎日コイツをお前の家に通わせるから、数カ月かけて限界までコイツの力を封じろ」
本町は冷や汗をダラッとかいて尋ねる。
「えっと…、それはつまり、その子がBlack Outの保持者って、こと…?」
「あぁ」
「あぁって…」
「…今はとりあえず、家の鍵渡すから、コイツを俺の家に連れ帰って、風呂に入れてやってくれ。血の汚れが酷いからしっかりとな」
血まみれの少女と秦の家の鍵を預けられて困惑する本町。
「ちょっ、えっ!?先輩!?」
「じゃあ、頼んだぞ。俺はその間に局長に話をつけてくる」
「…いや、話というよりケジメか」
秦は、覚悟の伴った呟きだけを残して、本町の前から姿を消した。
本町は、腕の中の少女と顔を見合わせた後、首をひねりながらも、秦の言う通りにした。
…
「もとまち」
少女が、覚えたての名前で保護者を呼ぶ。
ここは秦の家のリビング、ソファの上。
男一人暮らしの家に女児服なんてあるはずがないので、湯上がりの少女はバスタオルで体をぐるぐる巻きにされ、顔だけを外に出している。
「ん、なんスか?遂に自分の名前を教える気になったっスか?」
『先輩』のパジャマをだぼったく替え着にした、まだ髪の毛を乾かす前の本町に、少女は尋ねる。
「もとまちも、ママを殺したから空を飛べるの?」
本町は苦しそうに黙る。
彼女もまた、聞いていた。風呂に入りながら、少女の過去を、全て。
…それに、異能を得る条件である『大切な人の死』の苦しさも、痛いほど知っている。
だから、先輩もこの子を殺せなかったのかな。そう思いながら、本町は口を開く。
「ここで頷くのは、傷の舐め合いになるんスかね…」
小首を傾げる少女の頭を、本町は優しく撫でる。
「…私も、もとまちみたいに空を飛べるように、なっちゃってるのかなぁ」
「ん…、どうなんスかね?Black Outの詳細を記した文献って、大体が閲覧禁止だから…」
「そっか…」
少女は少し落ち込む。
「せめて空でも飛べたら、嬉しくなれると思ったんだけどなぁ」
本町は、少女を憂うほどに現実の厳しさを想起していた。
Black Outの保持者に向けられる危険視は、凶悪殺人犯や過激派テロ組織のそれとは次元が違う。
Black Outの保持者は、吸血姫と変わりない。古今東西、世界中から敵視される。
こんなに小さい少女は、もう二度とマトモな生活を送れない。それを望んで戦ったというのに。
少女のことが、とても化物には見えない、もう被害者にしか見えない本町は、考えるほどに悲嘆に暮れた。
その時だった。玄関から物音がしたのは。
「…!先…」
秦は、本町が彼を呼ぶ間もなくキッチンに現れ、手を洗っていた。
まるで瞬間移動でもしたかのように。
「…おかえりなさい。先輩」
「あぁ」
そっけない返事。その様子だけでは局長との話の結果は何も分からない。
「あの…、それで、この子の処分はどうなりましたか…?」
「…別に。変わらず殺処分で決まりのままだ」
「…!!」
秦の言葉に本町は震える。彼女は少女を、自分の子を守るようにギュッと抱き寄せる。
「…もしかして、億が一でも、交渉如何でBlack Outが世に野放しにされるとでも思っていたのか?」
「Black Outは存在してはいけない力、その認識は、多くの人々を守るべき役職者こそ崩すべきじゃない。局長の判断は、何も間違っちゃいない」
「…だから、今まで世話になった人相手に心苦しいが、脅してきた。『あのガキに手を出したら、特別情報局を内閣府ごと吹き飛ばしてやる』ってな。おかげで俺は今日付けで侍衛係をクビになったが、少なくともソイツの命は保障された」
本町は顔を上げた。ぱあっと明るい顔になった。
彼女は、少女に頬ずりして喜ぶ。
「良かった…!良かったっスね…!」
感涙さえする。
しかし、秦の反応はそうではない。
仕事を失ったから?
いや、そうではない。
「お前、まさかソイツに同情してるんじゃねぇだろうな」
本町は、同胞だと思っていた秦から理外の一撃を食らう。
「えっ…、いや、その…」
「先輩こそ…、この子を理不尽から助けるために身を挺したんじゃないんスか…?」
「そんな訳あるか」
蛇口を締め、手を拭いた秦は、一歩一歩少女に迫る。
どこか殺気立っていた。
本町は咄嗟に少女を庇おうとしたが、強奪者のように伸びた秦の手はあっという間に少女の首根っこを掴み、彼女を全身ごとグイと持ち上げた。
「ちょっ…、先輩!?」
「黙ってろ」
秦が本町をギロリと睨む。
本町は萎縮する。
宙に浮いた少女の体からバスタオルがハラリと垂れた。首を絞められている訳ではないから息はできる。しかし、喉元を掴まれている以上、辛うじてでしか出来ない。
苦しそうな顔をする少女に、秦は詰めるように尋ねる。
「おいガキ、お前、もしかして自分が被害者だとか思ってないだろうな?」
その言葉は、刃物のように少女の胸に刺さる。
確実に、残酷に、物事の見たくなかった側面を見せる。
だけども、秦は続ける。
彼女に本気で向き合うからこそ、彼は告げる。
未来の話をしよう。
「いいか。お前は確かに可哀想だが、同情されて良い人間じゃない。お前は被害者じゃない。被害者とは、悲劇の上に演出されるものではなく、事実に基づいた被搾取者だ。お前は、たかが自分の尊厳のために実の母親を殺したクソ野郎、明らかに加害者だ。分かるか?お前は罪を背負ったんだ。それも大罪をだ」
「背負った罪は償わなきゃいけない。だがどうやって償う?テメェはどうやって過去と向き合い、犠牲に対する精算をしなければならない?牢に入る?拷問を受ける?吐き得る限りの反省を吐き尽くして、反省文で広辞苑でも作る?」
「そうじゃない。お前にできる償いはただ一つ。決して痛みを忘れないことだ」
「尊厳を踏みにじられた過去は、決して有耶無耶にしてはならない。不幸が消え、心が癒えたからといって、母を赦してはならない。もし、母恋しさあまりに『あぁ、やっぱりママを殺さなきゃ良かった』なんて思ってみろ。その瞬間、お前の母親の死は完全に無駄になって、お前が決死で挑んだ戦いは、ただの暴力に成り下がるんだ」
「だから、お前は決して痛みを忘れちゃならない。生んでしまった犠牲のためにも。戦って得た自由を決して手放しちゃならない。たとえどれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、抱いた殺意を貫いて、強く、強く生きていかなきゃいけない。それが、理不尽に怒り、尊厳のために戦った者の責任だ」
「いいか、お前はこれから違和感に逆らうように生きるんだ。犠牲を無駄にしないように。誰が何と言おうと、誰に何をされようとも我が道を往くんだ。正義を貫くように自分を貫いて生きるんだ。そのための手伝いなら、出会っちまった以上、俺がしてやる。お前を鍛えて、鍛えて、簡単には死なない超一流のビロンギングにしてやる。それでも殺されそうになった時は、俺が必ずお前を助けてやる。お前を絶対に生かしてやる。だからお前も絶対に生きろ。そして老衰で笑って死ね」
「それがお前の責任で、クソッタレな母親にしてやれる、唯一の親孝行だ」
秦の、その、楔のような言葉は、少女の心に深く突き刺さる。
彼女の運命を決定づけ、人生を完全に束縛する。
『自分らしく生きろ』
それだって立派に呪いの言葉だ。
少女は、突きつけられた厳しさに酷く打ちのめされて、ボロボロに泣いた。
同時に、彼女は、鋭い目に悔しさと見返してやるという決意をいっぱいにして叫んだ。
「生きる…、生きるよ…!生きるに決まってんだろ…!?大好きだった、あんなに大好きだったママをめった刺しにして殺したんだ!本当は誰かに慰めてほしいけど、もう後には引けねぇ!」
「私は私だ!誰が何と言おうと私だ!一流のびろんぎんぐとやらが何かは知らねぇけど、私に似合うなら成ってやる!言っとくけど、テメェこそ私に怖気づいて逃げんじゃねぇぞ!?地の果てまで私を助けに来いよ!?」
「…!」
秦は思わずほくそ笑む。
「…お前、そんなに語気が強い奴だったか?」
「うるせぇ!強く生きろって焚き付けたのはテメェだろ!?否定すんならテメェもぶっ殺すぞ!」
ギャンギャン喚く少女は、秦の手を振りほどき、ソファの上に降り立った後、そのままの勢いで秦の股間を蹴り上げた。
「…」
ノーダメージ。
暴れる少女を本町が慌てて羽交い締めにする。か弱い体は簡単に拘束される。
秦は、手も足も出なくなった少女に、嗤って言った。
「…可愛くねぇな、お前」
「褒め言葉!そうさ!可愛くも何ともない、この私こそが、新生・伊勢居地心愛様だ!」
「こあ…、えっ!?今名前言ったっスか!?名前言ったっスよね!聞き取れなかったからもう一回教えて?!」
「だから、私は伊勢居地こ…、コア子!心愛なんて甘ったるい名前じゃない、変な奴らしい、変な名前のコア子様だ!よく覚えとけクソアマァッ!」




