9.サファイア
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オニキスの去り際の忠告は、きっとエルミアの身を案じてのことでしょう。
けれど、当の本人はたいして大事には捉えていませんでした。
「『おかしな輩』って、魔物のことよね? 外へ出ずになるべく早く帰れって言われても、難しいわよ。それに、私だけじゃなくて、街の他の人たちも同じくらい魔物に遭遇する可能性はあるわけじゃない? だったら、お祭りくらい行ったって良いわよね」
いくら察しが良いと誉められても、彼が特別にエルミアにそう言った真意を、きちんと理解することはできなかったのです。オニキスは肝心なことを伝えていませんでした。
その日、とうとうユーシアの順番が巡ってきて、無事に治療を終えました。治療室から出てきた彼女はまだ目に包帯をぐるぐるに巻いていましたが、それはただ暫くの間目を保護する役割があるだけで、目自体は治っているそうです。
「眩しくなければ明日には包帯を取っても良いんだって」
「良かったね! じゃあ、お祭りに一緒に行けるね」
エルミアはユーシアの手を握り、嬉しさを伝えました。
「うん。……でもね、やっぱり、見えなくなっちゃった」
「そっか……それって、ユーシアは残念に思っている?」
エルミアの問いかけに、彼女はふるふると首を左右に振りました。
「見えなくなって、感じられなくなって、正直ほっとしてる。あんな恐ろしいものを見るのは、もう嫌だもの」
「うん。そうだよね、わかる」
「でも、ほんの少し残念に思う気持ちもある。だって、世界の謎を知ることが出来そうだったんだもの」
「……そっか」
もし、ユーシアがまだ魔界の気配が感じられていたら、どうなっただろう。この先ずっと魔物を見て、声を聞いて、やがて知らず知らずのうちに取り憑かれていたかもしれない。
エルミアはぞっとして身震いしました。
――こちらから見えているということは、あちらからも見られているのかもしれない――。
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大神殿で神官と巫女である王と妃、そして姫君方が儀式を行い、精霊たちに祈りを捧げて実りの感謝と、国の繁栄を祈願します。
王族の姿はめったにお目にかかれません。この日は遠くからちらりとでも見ることが出来たらラッキーでした。
それが恙無く終わると今度は下々の祭りが国中の各地で数日に渡り開催されます。
この時期には国中のいたる町や農村でそれぞれに特色のある祭りが催されるので、遠すぎたり時間が足りなかったりして全ての祭りを見物することは不可能でした。
自然を司る精霊たちに恵みを感謝し、平穏を祈る意味合いは何処でも変わらず、踊りや歌などを捧げます。それが、王都ではおかしな進化を遂げていました。
そこでも勿論華やかな踊りや歌や祈りの音楽などは普通にあり、催し物として魔法武術大会のような、魔法を使える国ならではの大会が闘技場で大々的に開かれます。その他に、民が各々で始めたごく小さな大会があちらこちらの路上で地味に開催されていました。一見、頭がおかしいのではないかと思われる奇妙なものも沢山ありました。
「わあ、綺麗ね。みんな着飾って頭に花を飾っているわ」
「エルミア、これをあげるわ」
広場で音楽に合わせて踊る人々に見とれていると、ユーシアがエルミアの頭に手を伸ばしました。何かが触れ、微かに花の良い香りがします。そっと耳の後ろを手探りすると、柔らかな花びらの感触がしました。
「ありがとう、ユーシア」
ユーシアの方を見ると、すでに彼女の頭には自分でどこからか摘んできたらしい野花が飾られていました。
「何年も、手触りと香りでしか感じられなかったから、見られるようになって嬉しい。こんなに綺麗で、鮮やかな世界があったんだって。ずっと忘れていたわ。魔物たちの住むところは、きっと年中日の差さない暗くて色の無い世界に違いないから、可哀想ね」
「あまり魔物に心を寄せてはだめよ、ユーシア。引き込まれてしまう」
「大丈夫よ。今は、そんなに興味はなくなったの。それよりも、見たり聞いたり、知りたい事が沢山あるから」
世界が鮮やかすぎて、目眩がしそうなほどに。
幾重にも重なったスカートや服の裾をひらめかせながら踊る人々を見つめ、彼女は目を細めました。
それから混雑する人波を避けながら歩き、小さな大会を見学したり、美味しそうな匂いに誘われて行った屋台で蜂蜜入りのお菓子を買って食べたりしながら楽しいひとときを過ごしました。
時折警備の兵士にすれ違い、どこかで騒ぎが起きる度に駆けつけていました。
こんな非日常の祭りでは、テンションが上がりすぎた人が葡萄酒を飲み過ぎて大騒ぎをしたり、混雑する通りでは隙を狙って財布を盗み取る人が出ると父に聞きました。
ところで、その父はといえば、母と一緒に祭りを見て回っています。
大分長時間出歩けるようになった父は、魔法武術大会の開催される闘技場に向かう途中で偶然お城の図書室の司書であるという白ひげのお爺さんに出会い、他は目に入らない様子で話し込んでいました。
母はそんな父を他所に、楽器の演奏や、料理大会などに興味津々でした。
エルミアとユーシアはその後、食堂のおばさんの参加する料理大会を見に行き、片足立ち大会や寝癖大会にお腹を抱えて笑い、出会った綺麗な衣装を着た踊り子さんにうっとりして、美しくも軽快な音楽に思わずつられて踊り出したり、速く三つ編みする大会に飛び入り参加して残念賞の小さな甘い木の実を二粒もらいました。
「楽しいわね」
「ええ。でも、少し目が疲れてきたわ」
ユーシアは手のひらで目を覆いました。
「そうよね、まだ、見えるようになったばかりだもの。無理はいけないわ」
そろそろ帰ろうかと提案しますが、彼女はもう少し祭りを楽しみたいと言います。
そこでエルミアは考えて、肩に掛けていたスカーフを外して彼女の目を覆い、頭の後ろで結びました。
「きつくない?」
「ええ、大丈夫」
「これなら、光が入らなくて少しは楽だと思うんだけれど」
「そうね、眩しくて頭が痛かったのが収まってきたわ。でも慣れているとはいえ、これで歩くのは危ないわ。人も多いし、杖もないし」
「大丈夫! まかせなさい。私が手を引いてあげる。絶対、転ばせたりなんかしないから」
宣言通り、エルミアが手を引いて歩き、周囲の状況をとめどなく実況します。
そうして音だけでも楽しんでもらおうとしたのです。
エルミアが目につく物事を余さず伝えようとして、大会帰りらしいすれ違った人の寝癖の爆発度合いまでこと細かく説明するものですから、ユーシアは笑いが止まりませんでした。
そうしてゆっくりと歩いているときのこと。突然目の前に大人が踞ったので、驚いて立ち止まりました。
両手を差し上げるその仕草はまるで、身分の高い者にかしづく従者のよう。
いや、それはないだろうと首を振ります。単に、お腹でも痛くなって踞っただけかもしれません。両手は多分、しゃがんだ勢いについてこれなくて上の方に置いていかれてしまっただけなんじゃないかな。と、少々無理のある推理をして自らを納得させると、見て見ぬふりも出来ずに声をかけました。
「ど、どうしたの? あなた、具合でも悪いの?」
戸惑いがちに声をかけると、その人は健康そのものの動きでバッと顔を上げてこちらを見上げます。
「青の姫さま、またお忍びで来てくださったのですね。ああ、ありがたや、ありがたや――」
「え、あの、ちょっと」
その人は、恍惚とした表情でじっとこちらを見上げるものですから、エルミアはたじろいで、多分人違いであることを伝えようとしました。しかしその言葉を発する前に、どこからともなくわらわらと人が集まってきて、壁のように取り囲まれました。
そのどさくさにユーシアとは引き離されてしまいます。
「ユーシア!」
「エルミア、どこ?」
ユーシアが転ぶ姿が人垣の隙間から見えて、エルミアは、怒り心頭に達しました。
「道をあけて!」
「申し訳ございませぬ、姫君には暫しの間我々の所に匿われていただきます」
後ろからブツブツと呟く声が聞こえ、それがオニキスが魔物相手に使っていたのと似ている言葉だと思ったのを最後に、ふつりと意識が途絶えました。
ユーシアはエルミアの声が聞こえなくなって不安になり、目に巻いた布を取り去りました。しかし、エルミアの姿はどこにも見当たらず、ユーシアを突き飛ばした人達の姿も忽然と姿を消していました。
「エルミア……!? だ、だれか! 人攫いよ……!」
ありったけの声で叫びます。
それに気づいた見回りの兵士が駆けつけて事情を聞きます。青の姫と言っていたと聞き、兵士は蒼白になり、城の魔法使いに知らせに行きました。
息も切れ切れにたどり着いた神殿では、本物の青の姫は無事にいると聞きました。人違いかとひとまずほっとするも、誰かが拐われていることは確かなのです。過激な姫君のファンだと推測されますが、人違いだと分かればどんな目に遭わされるかわかったものではありません。
しかし、追えるような痕跡もなく、唯一の目撃者は目を治療したばかりで保護のため目隠しをしていたといいます。
その兵士は街で、祭りで起きるであろう喧嘩や泥棒を取り締まるために見回りをしていました。
事前に青の姫君派の者たちの過激派の動向には気を付けるようにとお達しは受けていましたが、まさか身代わりに市民が誘拐されるとは。
神殿にてその報告を漏れ聞いたオニキスは、拐われた人物に心当たりがありました。
ちくりと胸が痛み、自ら捜索に名乗りを上げます。
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