13.グラディエーター
※森の怪物の名前は『ディラスケストラスムス・ジュローディウス・デンドラゴニウス』から『モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエ』に変更してあります
水は流れ、地底を巡る
清らかな水は光を纒い、少女を包んだ
暖かな水と冷たい水が混じり会い、渦を巻く
急な流れに乗って岩に打ち当たりそうになる度、光が守った
どこまでも、どこまでも
やがて流れは地上へと姿を現した
森の小川の岸辺へと流れ着いたとき、不思議と少女は穏やかに息をしていた
一つの命を守りきった小さな光は、目蓋を閉じるように薄れて見えなくなった
◇………◇………◇
眩しさに目を開けると、木漏れ日の光がチラチラと踊っていました。
「ここは……?」
私は確か、洞窟にいたはず。
起き上がると、さらさらと流れる川の水に足が浸されているのに気がつきました。冷たさに足が痺れたようになっています。全身ずぶ濡れであることに気づいたとたんに襲ってきた寒さにガタガタと震えながら、どうにか足を引き上げました。
日溜まりを探して座り込み、状況を整理します。
そういえば、高いところから水の中に落ちたんだ。それから川に流されてここまで来たってことかな? そんなに流されて、よく無事だったものよね。
意識が無いうちに、夢をみたような気がします。小さな流れ星が光の帯を幾重にも伸ばして全身を包み込み、エルミアを危険から守ってくれる夢でした。
すぐ近くでキラキラと光る水面。
賑やかに囀ずる鳥たちの歌声。
暖かな日の光。
髪を梳き、頬を撫でるそよ風。
トゲ混じりの雑草の感触すら、懐かしい。
久しぶりの外の世界は、新しい発見に溢れていました。ユーシアの気持ちが少しわかったような気がします。
いつまで見ていても飽きないな……。でも、そろそろ帰らないと。
服が乾いてきて身体が暖まってくるとだんだんと目蓋が重くなり、いつしかうとうととし始めました。立ち上がって帰り道を探そうと思っていても、意識は夢の世界へ足を踏み入れ、無事に家に帰り着いた幸せな光景を見ているのでした。その家はエルミアの幼少期、父と母が病に罹るまえに暮らしていた小さな家でした。
◆◇◆◇◆◇
次に目を覚ました時、エルミアは腕や足を縄で縛られて転がされていました。
「どうなってるの!? せっかく逃げたのに、なんで、また捕まってるのよ!」
一難去ってまた一難。泣きっ面に蜂。
起き上がろうとしてもモゾモゾ芋虫みたいにしか動けず、仕方なく頭だけ起こして周囲を確認します。
辺りは大小の岩がゴロゴロしていて、積み上がったり崩れたりした様子から、どこかの廃墟のようです。
「煩いぞ。お前は今日から奴隷なんだから、大人しく言うことを聞け。さもないと、鞭で打つぞ」
影がかかり、見上げると大きなシルエットが見えました。あちこちの岩影からも、続々と人影が現れてきます。
「も、もしかして、奴隷商人?」
「当たりだ」
「違法な感じの?」
「よくご存知だ。服装からして、裕福な家の子供だとは思っていたが、知識もあるらしい。ただ、どうしても解せないのは、なぜ、あんな森の縁でたった一人で居眠りをしていたのかってことだ。よもや、捨てられたってわけでもあるまいに」
「そ、そうよ。実は、一人じゃなかったのよ。連れがいたの。さっきはちょっと用事があって離れていただけなんだから。とっても強い連れなのよ。私を拐ったりして、大変なことになるわよ! きっと、私の連れが探しにくるに違いないんだから」
「ほう。で、その連れの名前は?」
そこで、咄嗟に思い浮かんだ名を大きな声で呼びます。
「モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエ!」
「なんだそりゃ、随分と変わっていて、長い名前だな。口から出任せじゃないのか? まあいい。ここには誰も来やしねぇよ。こんな『魔の森』の隠れ家にはな。俺たちだけが、ここまで無事に来られる道を知っているんだ。これ以上森の奥へ立ち入れば、二度と生きては出られない。そんな森さ。俺たちに拾われたのが運のつきだ。悪あがきの減らず口はいい加減に止めて、潔く諦めるんだな」
そのとき、バキバキ……! と周りの森から木が折れるような音がして、それがどんどん大きくなってゆきます。なにかが木をなぎ倒しながらこちらへ向かって来るかの如くに。まさしく、その通りでした。
近くで一際大きな音がしました。まるで雷が目の前に落ちたようなバリバリ……! という轟音と共に木が倒れてきて、土煙を巻き起こし、その向こうからとんでもない大きさの怪物が姿を現したのです。
「ゲギャギャギャ……!!!」
そのドラゴンのような巨体を見て、泡を食って逃げ惑う盗賊たち。
エルミアは縛られて動けないまま放置されてしまい、真っ青になりながら拘束を解こうともがいていますと、
「おや、同士のお嬢ちゃん。また会ったな」
聞いたことのある筋肉質でどこか呑気な声が降ってきました。
怪物に追われるようにして駆けて来たのは、知り合いの剣闘士でした。
「あ、あなたまだこの国にいたの?」
「おうよ。モンストタロウを一目見たくてな」
剣で一閃したかと思うと、縄は呆気なく切れて解放されました。手や足は全く切れていません。
「すごい剣の腕ね」
「まあな。それはともかく、逃げな、お嬢ちゃん。ここにいると危ないぜ」
怪物がすぐそこまで迫って来ているのを見て、慌てて駆け出しました。
どこへ向かっているのかも分からず、あの怪物からも奴隷商人たちからもとにかく離れたくて走りました。
やがて息が切れて、心臓が過重労働を訴えてきてこれ以上走れなくなったとき、ようやく立ち止まりました。
辺りは薄暗く、太い幹が真っ直ぐだったりねじ曲がったりしながら上へと伸びていて、空は枝葉に覆われていました。木と木は重ならず、黒々とした影にひび割れた陶器のような線を浮かび上がらせていました。
「しまったわ、町の方じゃなくて、森の奥に来てしまったみたい」
ようやく息が整って来た頃、パニックに陥っていた頭も冷えてきて、逃げる方向を間違えたことに気づいて自己嫌悪に陥りました。
不気味な鳥が声を響かせる森の中を出口を求めて歩き出します。
私って、どうしてこうなんだろう。油断して捕まるし、迷子になるし。そうだ、あの剣闘士のおじさんに助けてもらったお礼もしていない。
「おじさん、大丈夫だったかな」
あの余裕綽々ぶりを思い出せば、きっと大丈夫という気にはなります。森の守護者に喧嘩を売った彼の自業自得とはいえ、そのおかげで助かったことも事実です。
無事に逃げてくれればいいけれど。そういえば、名前も知らなかったわ。今度会ったら聞いてみよう。




