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第6話――わっかのまんなか―B面

挿絵(By みてみん)

……私の名前はソフィア。

……叡智って意味。

……古い言葉ではアイオーン。

……最後に教えてあげる。

……私がエインセルの子だって。



 ソフィアが〝世界の卵〟を割ったあと。

 翼をなくした悪魔のヨハンと、天使のミリアム。

 2人は飛竜の王〝ちびドラ〟こと、マイアと世界を巡った。


 3人はやがて世界の中心にたどり着いた。

 まる1日近くかけて、世界を13周し――今ここにいる。

 時刻は夕刻を過ぎていた。

〝真ん中の樹〟の前で、悪魔と天使は飛竜から飛び降りた。

 ソフィアの姿はない。

 代わりに見つけたのは、誰かに割られた〝世界の卵〟の殻。

 地面に染み込んだ卵の中身の痕跡。

 3人はここで、地獄と天国が終焉した原因を見つけた。

 打ち捨てられた、魔法の金槌からソフィアの魔力の残滓を感じる。

 どうやら〝世界の卵〟を割ったのは彼女で間違いない。

「いったい、なぜこんなことを……?」

 ミリアムの疑問は実に彼女らしい。

〝世界の卵〟はこの世の理――ルールを支える中心だ。

 天国も地獄も〝魂の浄化〟という、システムに必要な場だというのに。

 光の属性をもつ元天使のミリアムには、理解しがたいのだろう。

 これをなぜソフィアが壊したのかが。

〝ふむ――かの妖精の〝叡智〟が那辺に至ったか、妾にももはや見当がつかぬ〟

 ミリアムとマイアが困惑している一方で、

 破壊を喜びとする、元悪魔のヨハンは足もとを見た。

 無数に散らばっているのは、割れたガラスのような卵の殻。

 そこには様々な場面が切り取られている。

 既にあったこと――なかったこと。

 もしかしたら起きたかもしれない、可能性の断片も。

「酸っぱい葡萄だ――未来ってのはいっつもな」

 青年はそう呟いて、1枚の殻をブーツの底で踏みにじった。

 ヨハンとミリアムが、互いに銃を向けている――欠片を。

 彼らには知る由もないことだったが。

 その未来の断片こそ、妖精の女の子が避けたかったもの。

 どうしても。

 たとえ――世界の半分を壊してでも。

「……」

 ミリアムとマイアからは見えないよう、ヨハンの靴底がその殻を地面に埋めていく。

 それから彼はいつもの調子で言う。

「あーらら♪ こーらら♪」

 典型的なメロディを口ずさんで。

 不謹慎このうえない態度をあえて演じてみせた。

 とにかく。

 ソフィアが一体どこにいるのか、相変わらずわからない。

 ただ、世界のどこにもいないのは確かだ。

 おそらく、卵が壊れた際の混沌相克が何かを起こしたのだろう。

 3人の見解はそこで一致をみた。

「なあ、おババ」

〝なんじゃ、坊や〟

「あんたらのお家に、伝言があったって? 言ってたよな――鏡に鏡文字で」

〝さよう〟

 ミリアムが瞬いた。

 嫌な予感がしたのか、彼女は血の気の引いた顔で訊く。

「まさか、虚数空間の異次元だとでもっ!? そんなの、もはや私たちの手に負えません――女神様がおわすならば、話は別ですけれど。あっ」

 女神の話題を出すと、いつもヨハンは苦い顔をする。

 そのことを思い出したようだ。

「……」

 元天使の乙女はおそるおそる青年の顔色を窺った。

 しかし、ヨハンはいつもの調子で言う。

「あー、違う違う――そこまで大げさじゃない。まあ、思いつきっていうかさ」

 彼は手を振って、ミリアムの大げさな仮説を否定した。

 勇み足を恥じる前に――心の動揺を隠すために。

 彼女は悪魔に詰め寄った。

「心当たりがあるなら――茶化さずはっきり仰ったらどうですか」

「鏡ってさ、何かを映すもんだろ――でも、それに鏡文字で書くって変じゃね? なんだってそんなことしたんだよ? って話だ」

「……言われてみれば」

〝続けよ、坊や〟

 マイアに促されると、ヨハンは地面に転がった〝世界の卵〟の殻を拾った。

 それからポケットのナイフを出す。

 ハードアノダイズド仕上げに、溝を深く刻んだ滑り止めの施されたグリップ。

 悪魔らしく、野蛮で近代的なものを彼は愛用しているようだ。

 ボタンを押すと、鋭く尖った両刃のブレードが飛び出した。

 グリップを親指と中指でつまんで支点を作り、重力を利用して本体を素早く反転させる。

 ナイフの天地を入れ替えて、逆手に持ち変える。

 その切っ先で、彼は半透明の卵の殻に字を書いた。

〝うらがわ〟と。

 それをひっくり返して2人に見せる。

「わざわざ鏡文字で書いたってのが、この場合のミソで――つまり〝裏から書いた〟っていうことじゃねえの?」

 そこで区切って、ヨハンは再びナイフのボタンを押した。

 刃が収まると元のポケットへしまう。

「……」

「……」

 その推測に、仲間たちは揃って押し黙った。

 かつて、ヨハンはソフィアのために、地中深くまで続く落とし穴を掘った。

 そこで〝意地悪な〟脱出ゲームに付き合わせたことがあった。

 ミリアムも巻き込んで。

 そのときの記憶は既に曖昧になっていたものの、彼の悪知恵は変わらない。

 ミリアムを一瞥してから、マイアはヨハンの思いつきを補足する。

〝鏡は実像を映す暗喩であり、鏡文字は裏側から書いたと再現をする演出――こう、坊やは申すか〟

 現状を整理しながら、彼らはソフィアの意図を汲もうとする。

 考え込みながらミリアムが訊く。

「えーと――つまり、ソフィアはどこにいるんですか? 裏側? あの迷路のような、ガラスの建物とかでしょうか? でも、それなら竜の千里眼で見つかりますよね。たとえ地下にあっても」

〝地上におらぬことは妾が保証しよう〟

 千里眼のみならず――慣れ親しんだソフィアの気配や、魔法の力の波紋。

 それから妖精の鱗粉の痕跡など、そうしたものは地上に見当たらなかった。

 ならば彼女はどこにいるのか。

 最初の疑問に戻ったところで、

「東を見ろよ」とヨハンは海の向こうを指さした。

 その先を、ミリアムとマイアの視線が追った。

 夜の帷が降りるのを合図に昇ってくる。

 太陽の光を反射して輝くもの。

 月。

 飛竜の王の瞳に月面が映る。

 その瞳孔が縦に伸びて、輝くまん丸の衛星を切り裂いた。

〝坊や――妾の千里眼の焦点を絞った。なれど、ソフィアの姿は映らじ〟

「当てずっぽうはやめてくださいよ」

 2人の落胆を受けたヨハンだが、彼はまったく反省せず。

 そんなものがはたしてあるのか疑わしいが。

 自信たっぷりに言い放つ。

「見えてるものが、いつも真実とは限らねえだろ――行こうぜ!」

 そして彼は地面を蹴るなり、高く跳んでマイアの背に飛び乗った。

「どちらへ?」

 世界の中心に残ったままのミリアムが訊いた。

〝いずかたへ?〟

 首を巡らせて、背中の悪魔にマイアも問いかけた。

「月の裏までさ! ヒャッハー!」

 そう言って、ヨハンは地面に立つ天使に手を差し伸べた。

「……あっ」

 反射的に手を伸ばしかけたミリアムだが、躊躇してしまった。

 清廉潔白の化身である天使の彼女が、果たして悪魔と手を結んでいいのか。

 彼女らしい生真面目な逡巡だ。

 しかし、ミリアムは自分で答えを出す。

「これはソフィアのため――ひいては世界の安寧を取り戻すためならば、情状の余地があります。それに、もはや私は天使ではありません。また、女神様からも直々に〝自由〟を賜りました。よって、私は潔白!」

「異議なし! お前さんの真っ白パンツとおんなじだ!」

 ヨハンの声が後押しとなったのか、やっとミリアムは彼の手を握った。

 彼の物言いは相変わらず不遜で、下品で粗野だが――無視しよう。

「……?」

 あれほど穢れを嫌がっていたというのに。

 なぜか悪魔の手をとった彼女に不快感はなかった。

 ミリアムと同じく、翼をなくしたヨハンも悪魔ではなくなったからか。

 いいや。

 きっと、ソフィアのために利害が一致したからだ。

 そのはずだ。

 ミリアムはそう結論した。

 そうしなければ――ならないような気がした。

 この場では心に嘘をついてもいいはずだ。

 おそらく。

〝やれやれ、天使のお嬢ちゃんは理屈の多いこと――悪魔の坊やはちいとも反省せぬ。小さき妖精は我らの誰よりもお転婆で。困ったものよのう〟

 悪魔だったヨハンと天使だったミリアムを背に、マイアは再び大きく翼を広げた。

 月の裏まで飛ぶために。

 ソフィアを見つけるために。

「こんどは本気を出していいからな! 頼むぞババア!」

 ヨハンはマイアの後頭部を平手打ちして、拍車をかけた。

〝よかろう――10時間で達するか否か、我が身の限界を試すのも一興ぞ〟

「それ、第2宇宙速度と変わらないんですが……」

 ミリアムは呆れた。


   もしダムが予定より早く決壊したら♪

   地上のどこにも居場所がなくなって♪

   ダウナーな悪寒に心が潰される前に♪

   月の裏にいる君を探しだしてみせる♪

   そして雲の間から雷が轟いたときに♪

   その悲鳴は誰にも届かないとしても♪

   もしも音楽の好みが違ったとしても♪

   月の裏にいる君を探しだしてみせる♪


 9時間半ほどして。

 ここは月の裏側。


 ソフィアを捜しに3人はここまでやってきた。

 ヨハンの推測は正しかったようだ。

 月にたどり着くと、そこにはソフィアの気配が実感できた。

〝いつ降りても月は小さいのう――ちとせまっ苦しいゆえ、人に化けんと〟

 マイアの呟きを背後に聞きながら、

「ほら――足を滑らせんなよ」と言って、先に降りたヨハンが手を伸ばした。

「ありがとうございます」

 こんどは素直に元天使はその手をとって、月面に立つことが出来た。

 やはり穢れは感じない。

「ちっちゃな一歩を踏み出したな」

 そう茶化した後ろで、マイアの変身が始まりつつある。

〝いざや氣の錬成――お気楽極楽ムーン・プリズム・パワー! ご都合よき哉スーパー・メイクアップ!〟

 マイアは魔法で巨体を圧縮し、人間の姿になる。

「まじかる美少女マイアちゃん! 推参じゃ!」

 あれほど圧倒的だった巨体の飛竜は、奇妙なことに小柄な女の子に。

 ご丁寧に、服装は万聖節で人間の女の子が着そうな服で。

 フリルとペチコートがふんだんに使われた、ヒラヒラしたフレアスカートまで履いている。

 気分が乗ったのか、片足を上げて両手は平和を訴えるシンボルを2本指で形作っている始末だ。

 案の定、ヨハンが茶々を入れる。

「変身バンクが長い! 端折れ! 服が悪趣味だ!」

 これに負けじと竜の王も反論するのだが。

 感性が少しズレている。

「よかろうが! これはあれじゃ〝ちびドラ〟のときのイデアに引っ張られたそれで――現身に影響を及ぼしたゆえの、いたしかたなきこれじゃ」

「あれとかそれとかこれとか――やっぱ中身はババアじゃねえか! 詐欺だ!」

「やっかましいわい! これぞナウでヤングなスーパーベリーキュートな、まこと妾に相応しき装いじゃ! のう? 天使のお嬢ちゃんや」

「私に振らないで下さい――」

「おっほん」

 マイアは大仰に咳払いして、両手を合わせて柏手を打った。

 さきほどまでの悪酔いしそうな服から、落ち着いた臙脂色のワンピースに着替えた。

 それからヨハンを一瞥して命じる。

「ちびっと草臥れたのう――坊や、そこにしゃがむがよい。妾に傅く栄誉に恐悦せよ」

「へいへい」

 ヨハンがその場で片膝をつくと、小さな女の子となったマイアが飛び乗ってくる。

「ひゃっほい!」

 もはや竜の王たる威厳もなく、無垢な幼女の奔放さ。

 または、それこそが真の〝力〟の体現者たる振る舞いか。

 他の矮小な存在がするような、己を取り繕う小細工はしないと言いたげに。

 この世に自分より弱い者しか存在しないと知っていれば。

 去勢を張る必要がないという道理――いや、おそらく違う。

 これは単なるマイアの座興で、悪ふざけだ。

「出発進行じゃい! ポッポー!」

「機関車シュッシュッポッポ!」

「まさか――」

 ミリアムの予感通り、ヨハンと背中のマイアは高らかに歌い出す。

 竜の王は青年の肩までよじ登って、手拍子までしている。


   これが踊り念仏の新しいブランドさ♪

   みんなでロコモーションに便乗じゃ♪

   流行りに乗らなきゃ損をするだけだ♪

   みんなでロコモーションに便乗じゃ♪

   背中のロリババアだってこの有様だ♪

   読み書き算盤なぞよりAじゃろうが♪

   さあ、さあ、ロコモーションを踊れ♪


 例によってというべきか、悪ふざけをやめられない2人に、

「遊びに来たんじゃないんですよ」とミリアムは冷静だった。

 3人はソフィアの気配を目指す。

 しばらく歩いたところで。

「お嬢さんがた――ちっと、お花を摘んできたらどうだ?」

 唐突にヨハンが言った。

「なんなんですか? 勝手がすぎます」

「いいからいいから」

 彼はしゃがんで――背中のマイアを月面に降ろした。

「すぐ戻る」

 そう言ってから、ヨハンは少し姿を消す。

「……?」

「ふむ」



 2人の乙女を残して、月面の起伏に身をかがめたヨハンは腰から銃を抜いた。

 愛用品の1911型の38口径。

 銃身の先端は僅かに飛び出し、逆回転のネジが切ってある。

 反対側の腰から抜いた、黒い筒を被せるように回して付ける。

「女の子の覗きは死刑だぜ――はい執行♪」

 彼は躊躇わずに引き金を絞る。

 サイレンサーを通した、空気を切り裂く甲高い銃声が3発連続した。

 丘の斜面に、渇いた枝を折ったような音がこだまして返ってきた。

 彼は倒した3つの人影に、

「ちゃんと死んだよな?」と言って、さらに2発ずつ撃ち込む。

 ちょうど弾薬が尽きて、スライドが後退して止まった。

 空弾倉を捨てて、新しいものと交換していると、

「こんなことだろうと思いました」とミリアムの声が背後でした。

「こやつらはなんじゃ?」

 マイアも訊いてきた。

 先程の不意打ちで倒した3つの死体は、迷彩の戦闘服を身に着けていた。

 見たことのない軍装。

 ヘルメットと一体化したゴーグルは、4つの筒が飛び出たような形だ。

 武装は自動小銃が2挺と狙撃銃が1挺。

 双眼鏡の他には格子状のヤギ・ウダ式長距離アンテナ。

 通信用の端末水晶は見たところ、リンク16に対応している。

 おそらくVMFプロトコルを利用する最新式のもの。

 いずれも洗練され、近代的な装備である。

「偵察だろ? 手っ取り早くしばいたが――どこかに本隊がいるかもしれん」

 マイアは正体不明の兵士の覆面を剥ぎ取った。

「顔が――のっぺらぼうじゃ」

 その言葉通り、敵兵たちには顔がない。

 目も鼻も口も――すべてない。

「外から来た異邦人ってことで――とりあえず、エイリアンって呼ぼうぜ」

 これにミリアムは露骨に嫌そうな顔をした。

 それでも彼女は天使らしい慈悲を漏らしてしまう。

「しかし、なにも殺さずとも――」

「は? なに言ってんだ――こんなのを生かしておいて、メスガキ妖精の居場所まで律儀に案内しろってのか?」

「一理あります――しかし正当な手続きに則るべきです」

 ミリアムは偵察兵の遺体を横たえ、両手を胸の前で組ませている。

「天国も地獄ももうないんだぜ? 俺がサイコ女神の手間を省いてるだけだろ? 何が悪い?」

「またそんなことを――女神様を悪しざまに申してはなりません。いずれ、あなたを悔い改めさせます」

「これ」

 マイアが声をかけて2人の口論を止めた。

 彼女は手を振って、その場で伏せるよう指示した。

 どうやら、近くにまだ〝敵〟がいるらしい。

「どこだ? ババア」

「向こうの岩陰じゃ」

 ヨハンは死体の狙撃銃を拾って、バイポッドを立てる。

「こちらに――身を隠しましょう」

 そう言いながら、ミリアムはごく薄い透明な絹の布を広げる。

 3人がそこに入ると――布の外側は月面の地面と同化していく。

 元は滑らかな布だというのに。

 地面の凹凸とガラス状の砂の粒を正確に描き、質感も再現した。

 おそらく、外からは地面や地形と見分けがつかない。

 一方で内側にいる3人からは周りの様子が透けて見える。

「ほら、これ使え」

 ヨハンはミリアムに自分の拳銃を差し出した。

 上に向いたグリップの底を一瞥して、

「わかりました」とミリアムは手を不自然な方向に曲げて受け取る。

 彼女もまた、いつもヨハンがやっていたように、慣れた仕草で弾倉を抜いて。

 弾倉の残弾を確認――元に戻してから、スライドをわずかに引いて装填も確かめる。

「後方の監視につきます」

 狙撃に対応する仲間の援護のため、ミリアムは反対側を見張る。

 狙撃銃を設置したヨハンは短く言う。

「諸元を寄越せ」

 そう頼まれたマイアの瞳――瞳孔が縦に細長くなる。

 おそらく千里眼を用いているのだろう。

「うむ――距離、893ヤード。仰角プラス1・16度。風なし。重力偏差は月面じゃから無視してよかろう」

「あいよ」

 ヨハンは狙撃銃の照準器のダイヤルを回し、狙点を上に調節する。

 仰角を考慮して895ヤードで合わせる。

 グリップから静かに右手の親指を離した。

 左手は銃床に添えて、構えをより安定させようとしている。

「……」

 彼は狙撃のときにはあえて口を開ける。

 個人差はあるが、顎の関節が開いて顔の筋肉を伸ばすと――頭蓋骨を引き締めるらしい。

「撃つがよい」

 息を吐いて心拍数を意図的にさげる。

 マイアの合図でヨハンは引き金を絞った。

 素早くボルトを動かして再装填し、立て続けにさらに2発撃つ。

「あっぱれ――見事ぞ」

 竜の王の言葉は敵の死を宣告した。

「ここを〝消毒〟したら、移動しようぜ」

「足跡や痕跡を隠蔽しろというんですね――わかりました」

「妾が周辺を見張っておる――手早く済ませよ」



 後始末をしてから探索を再開したところで。

 遠くから見ると、青い光体が縦横無尽に飛びまわる様子が見えた。

 間違いない。

 ソフィアだ。

「ほーら見っけ♪」

「無事だったんですね」

「手間をかけさせおって」

 3者3様に、友人を見つけたことを喜んだ。

「みんな来た――予定通り」

 妖精の少女が気付いた。

 彼女はヨハンの肩によじ登っている童女を一瞥した。

「ん――〝ちびドラ〟も元に戻ったの?」

「うむ――もはや自由に名を口にしてよいぞよ」

「マイア」

「その名も久しい響きじゃ――ところで、これはなんの騒ぎかや?」

 3人を出迎えたソフィアの背後を見てみると。

 月で暮らすウサギたちが忙しなく動き回っていた。

 その中央ではステージが組まれ観客席が並んでいる。

「これは――」

 ソフィアの答えが返ってくる前にヨハンが遮る。

「わかった! サバトだ! このウサギどもは生贄かなんかだろ? でも普通はヤギを使うけどな――ヤギはどこだっ!?」

 その無駄口にマイアも便乗する。

「妾はいずれも好物じゃ! 皮を剥いで、これへ並べるがよい! そうじゃ――リエーブル・ア・ラ・ロワイヤルを所望す。旬に外れておるゆえ、網脂で肉を包んで煮込むがよい。ウサギの血とワインの芳醇さが混じった濃厚なソース。香しさと芳醇さがたまらぬ。ウサギども自身に、同胞を調理させるがよい。罪悪感こそが真の隠し味よ」

 竜の王が欲望と悪意に溢れた唾を隠さずにいる。

 周りのウサギたちが凍りついた。

 童女の姿をしていても、月の住人たちにマイアの正体は隠しきれない。

 たまらずミリアムが叱る。

「2人ともいいかげんになさい! そんな冒涜的な催しなど許しません!」

「ぴえん」

「右に同じじゃ――ぐぬぬ」

 ヨハンとマイアは揃ってうなだれた。

 ようやくミリアムが仕切り直す。

「邪魔をして申し訳ありません――どうぞ続けてください」

「ん」

 妖精の少女は頷いて、背後の状況を伝える。

「音楽祭のステージができるまで、もうちょっとかかる――3人とも私と出てもらうから用意して」

「……は?」

「……え?」

 ヨハンとミリアムは、揃って呆けた声を漏らした。

「くだんの後始末とはわかる――されど音曲の催しとはいかに? 事ここに至っては妾の理解を超えておる。他にやりようもあろうに。坊やのサバトも、よき案じゃが」

 マイアが涎を服の袖で拭う。

「駄目――ウサギには別の役がある。取引も成立した」

 ソフィアは首を振った。

 それから彼女は説明を試みる。

「光と闇の力の衝突が起きるほどインフレーションが加速する――その混沌相克を回避するために私は〝世界の卵〟を割った」

「……」

「……」

 ソフィアの〝短い〟説明はそれから10分ほど続く。



「したがって天国と地獄が崩壊し、結果として2つの世界の意味消失に伴う、膨大なエネルギーを相転移させる必要が――」

「通訳を呼べぇええ!」

 ヨハンにしてはかなり我慢したほうだろう。

 ソフィアとしては、珍しく人のために説明を尽くした。

 おそらく。

「天使と悪魔と竜の力を、私が統合して効率的に導き、時空の崩壊を防ぎながら再創生の――」

「よーし――悪魔を代表して、俺様がこのメスガキ妖精ちゃんのお口にチャックだ!」

 ヨハンが不用意に動いたところで、

「まずは坊やが手本を示すがよい」とマイアがその口を両手で塞いだ。

「もがもが――」

 悪魔の邪魔が入らなくなったところで。

 ミリアムが頷いた。

「たしかに、天国と地獄の崩壊時に発生したエネルギーは膨大です――それこそ、天使と悪魔の戦いによる混沌相克など、問題にならないほどの規模が危惧されます。このままでは何が起きるかわかりません。さきほども、正体不明の軍の偵察兵と遭遇をしました」

 ミリアムの補足にソフィアが頷いた。

「ん」

「最悪の場合、宇宙の中にもうひとつ――逆位相の宇宙が誕生してしまう可能性だって、あり得るかもしれません」

「あり得る、じゃなくて起きてる――すでに進行中」

 ソフィアは指を鳴らして、妖精の鱗粉から魔法の銀幕を宙空に浮かべた。

「ほう」

 ヨハンの口を小さな両手で塞いでいるマイアは瞳孔を細め、

「これは――っ」とミリアムが息を呑んだ。

 魔法のスクリーンに映し出されているのは――この宇宙の端から、別の宇宙が侵食し始めている映像だ。

「ダモクレスの剣と言ったらわかる? みんな当事者ってこと」

 宇宙規模の異変を告げているというのに。

 ソフィアはいつもと同じ口調だ。

「あなたたちが遭遇したのは、もうひとつの宇宙から来た敵――既存の宇宙を〝上書き〟してから月を征服、これを地上への橋頭堡にするのが狙い」

 彼女の態度は変わらない――それが終末と黙示録を告げる宣告でも。

「チャンネルを捻ってくれ――ストリッパーはどこだ? この際、エアロビでもいい」

 ソフィアとは別の悪い意味で、変わらないものがいた――ヨハンだ。

 道化師を無視してミリアムは訊く。

「残り時間はどれくらいですか?」

「観測可能な今の宇宙の広さから逆算して、全体が切り裂かれるまで1万年くらい」

 人間からすれば、遠い未来の出来事に感じられるだろう。

 しかしマイアは違うらしい。

「たったそれだけかや――あなおそろしや」

 さらにソフィアが追い打ちをかける。

「ここまで到達するまでは――あと6時間と52分」

〝叡智〟の妖精は冷酷に告げた。

 それにともなって、カウントダウンを宙空に描き出した。

「っ!?」

「ふむ」

 ミリアムとマイアが揃って瞠目した。

「それを先に言えってんだ! メスガキ妖精ちゃん! 助けて神様仏様叡智様ぁあ!」

 ヨハンは両手を組んで、ソフィアの前に両膝をついて拝み倒す。

「てい」

 ついでに彼は目をあげて、ソフィアのスカートを指で弾く。

 無垢な妖精の少女の下着を暴きながら彼は言う。

「そのピンクのバミューダトライアングルに似合う、セクシーな解決策を頼むぜ」

「……」

 例によって、妖精の少女はセクハラに無反応だ。

 ただしミリアムの平手打ちが鉄槌を下す。

「いってええ!」

 劣等生の悪魔を無視して、残りの面子は話を先へ進める。

「解決には第3の道が要る」

 第3の道――悪魔と天使、善悪や性別、ありとあらゆる2項対立を彼女は乗り越えろと言うのか。



 地上を旅して地獄を観光し。

 天国の欺瞞に背を向けて。

 夢の外では、戦争の最前線を目の当たりにしたソフィア。

 彼女は決まり切った運命を司る〝世界の卵〟を割った。

 こんどはその〝後始末〟として、宇宙の崩壊を防ぐと言い出した。

 それが〝第3の道〟だと。

 しかし、どうやって?

「具体的に、我らに何をせよと申すか」

「音楽祭ってまさか……?」

 マイアとミリアム口々に訊いた。

 この質問に、ソフィアは腕を組んで首を傾げる。

 先ほどの反省から、彼女は端的な言葉を紡ごうとしているのか。

 やがて妖精の少女は言う。

「ロックンロールのラブアンドピース抜き?」

 この言葉に真っ先に飛びついたのは――言うまでもなくヨハンだ。

「ラブアンドピースなんて心の壊疽だ! ヒャッハー!」

 彼はマイアの軛から逃れながら、魂を響かせるように声を張った。

「え? それってつまり……?」

「ううむ?」

 ミリアムとマイアは呆気にとられている。

 無理もないだろう。

 この〝叡智〟の結晶を彫刻した妖精の少女が、

〝月の裏側でロックコンサートを開きたい〟と言い出したのだから当然だ。

 それが外宇宙の侵食と、そこからの侵略者を止める策だという。

 仲間たちの困惑をよそに、当の本人はこうだ。

「いえーい?」

 いつもの無表情のまま、ソフィアは両手で親指を立てた。

「ヒャッハー!」

「……」

「年寄にはこたえるのう」

 ヨハンの嬌声、ミリアムの無言、マイアの諦念と反応は様々だった。

 しかし誰も異議を唱えなかった。

 アイオーンの叡智には竜ですら逆らえない。

 こうしてソフィアを中心に〝世界の卵〟を割った後始末。

 そのために、彼らは月の裏側でコンサートを開くことになった。

 目的は2つ。

 宇宙の崩壊を防ぐこと。

 侵略者の阻止。

 世界でもっとも小さな少女が、宇宙を超越する力に立ち向かう。

 まるで、出来の悪いおとぎ話だ。



 即席の観客席で、無数のウサギたちが足を踏み鳴らしていた。

……ウサギのストンプは、モールス信号。

……前回の教訓は覚えてた?

 彼ら――ウサギの真っ赤な視線は正面のステージに集まる。

「ウィー・ウィル♪ ウィー・ウィル♪ ロック・ユー! 続け!」

 ヨハンがウサギのストンプに合わせて、手拍子をしている。

〝声〟というものを発声しないウサギに、なぜかスタンドマイクを向けたり。

 もはや皮肉なのか、無知が極まっているのかわからない。

 ステージの前は、物々しい完全武装を身にまとった軍人たちが不測の事態に対する〝警備員〟として、整列していた。

 万が一〝敵〟の妨害があったときの備えとして、ヨハンが呼んだ。


「場所がわかってんだから、こんなもんはこうして――」

 そう言ってヨハンはミリアムの手を強引にとった。

「ちょっと、もう! 馴れ馴れしいですよ」

 そのまま2人の指先が大きく円を描く。

 天使の光と悪魔の闇の力が混ざりながら。

 無理やり転移の〝門〟を彼は開いて、ここに部下を集めた。


 オリーブ色の野戦服。

 その上に、セラミックの抗弾プレートを仕込んだ防弾ベスト。

 さらに弾帯をまとめた個人装備。

 両手には支給品の自動小銃を携えている。

 頭はヘルメットとゴーグル、難燃繊維の目出し帽を被っている。

 このため、誰が誰かはほとんど判別できない。

 ハーレークイン小隊の面々だ。

 指揮権はヨハンから小隊軍曹――上級曹長のシニアに移譲されている。

 前座は例によってヨハンがつとめる。

 誰に頼まれるまでもなく、彼は前に出た。


   カモン、みなの衆とウサギも♪

   拍手をサボってたら、食うぞ♪

   俺の合図で、そろそろ開演だ♪

   鳴り物入りで、盛り上げろよ♪


 朗々と声を張って歌いながら、腰をくねらせて両手を振りはじめる。

 再会した部下たちの前だというのに。

 あいかわらず指揮官――将校の自覚がない。

 隊長が隊長なら、部下も部下だ。

 シニアを除いた全員が手拍子――指を鳴らしリズムに追従してきた。


   俺がお手本をみせてやるから♪

   カモン、ほらほらツイストだ♪

   毎年、夏にツイストが決まる♪

   そう、冬にもツイストがいい♪

   決して色あせない踊りだろう♪

   思い出がツイストで蘇るんだ♪

   さあ踊ろうぜ♪ ツイストを♪


 ヨハンは、悪魔の翼が縁取られた、真っ黒なエレキギターを抱えて。

 ステージの近くにいたウサギたちを煽ることに余念がない。

 前座だというのに。

 そのステージは勢いに任せて、2曲めに突入してしまう。


   ジェレマイアがへべれけだ♪

   野郎はダチの1人なんだが♪

   御託ばっかりほざいててさ♪

   黙らせるためワインを奢る♪

   最高の1樽を土産にくれた♪

   さあ諸人こぞりて歌おうぜ♪

   世界中に酔いのお裾分けだ♪

   子どもたちを寝かしつけて♪

   海で溺れる魚たちより先に♪

   この世で酔っ払って祝福を♪

   さあ諸人こぞりて歌おうぜ♪


 ヨハンの歌――前座がいち段落した。

「マイクもスピーカーも、いいヒャッハーだったぜ」

 ソフィアの氷でできたルビーの瞳が彼を見ている。

……お調子者。

……たまには役立つ。

 そこから対を成す場所で、ミリアムは目を閉じていた。

 天使の翼が装飾された純白のキーボードを前に、精神を集中しているようだ。

……生真面目。

……そこがいい。

 2人の少し奥で、中央に陣取ったマイア。

 竜の王は歓声がわりのストンプに合わせて。

 真っ赤な飛竜を象徴するロゴをあしらったドラムをリズミカルに叩く。

 全体の興奮を〝調教〟しているようだ。

……姿は違うのに。

……いつもと同じ。

 バンドメンバーたちを従えているのは、月にいる最も小さな少女。

 ボーカルを務めるソフィアだ。

……私は私。

……きっとできる。

……エインセルの子だもん。

 ソフィアが指を鳴らすと、魔法が発動した。

 ステージの背後から噴霧された霧のスクリーン。

 その1枚ごとに、それぞれの姿が大きく映し出される。

〝みんないい? ※ただしヨハンは除く〟

 ソフィアは心で仲間たちに問いかけた。

 彼らは短い一瞬だけ、互いに視線を交わした。

「いつでもいいです」

「待ちくたびれたぞい」

「ヒャッハー!」

 ステージの後ろから花火が上がった。

 合図に応じて背中の翅を振るわせて。

 妖精はステージを縦横無尽に翔び回り始める。

 青い髪をなびかせて、マイクを片手にソフィアはエネルギーの塊を受け止める。

「ワン、ツー ――ワンツースリーフォー♪」

 カウントに合わせて。

 マイアがドラムスティックをリズミカルに交差させて、合図をとる。

「――っ!」

 いきなりヨハンがエレキギターを暴力的にかき鳴らし。

 イントロに入った。

〝まったく――ギターでヒャッハーはやめてください〟

 ミリアムの小言は騒音に近い、ギターの悲鳴にかき消された。

 文句を言いながら、それでも彼女は指を鍵盤に滑らせていく。

 上下に分かれたキーボードが2つ配置されたブース。

 ミリアムはベースとピアノと管楽器と弦楽器の担当だ。

 それら全てを、キーボードを駆使して美しい旋律を奏でる。

 2人とも超人的な技巧を駆使して、対立からなる相克を表現している。

 しかし彼らは戦っているのではない。

 これはセッションだ。

……これが生の音楽?

……面白くなってきた。

 その結果。

 ヨハンの騒音に近いギターの悲鳴。

 ミリアムの奏でる陶酔を呼ぶ美しき旋律。

 悪魔の叫び、天使の歌声――それぞれが奇妙な融合を果たす。

 マイアの小さな剛腕が叩くドラムがそれらを下支えさせる。

 全てのタイミングが揃ったとき。

「……」

 時間にしてみれば瞬きと同じくらいだろうか。

 一瞬の空白。

「っ――!」

 ソフィアの歌声が、仲間たちの演奏がコンサート会場を包みはじめた。

 彼女を知る者ならば全員が驚くだろう。

 あの、何事にも無関心を保つ妖精の少女が。

 いつも物静かで言葉足らずの〝叡智〟が。

 こんなに声を張って、明るい歌声で。

 真っ赤に燃えるウサギたちの目が、輝きを増して。

 ステージの縦横を飛びまわる青い光の玉を追う。

 ソフィアは歌い続ける。

 聞こえてくるのは歌声だけではない。

 正確には聞こえてくる〝音〟すら超越した詩だ。


……私の名前はソフィア。

……叡智って意味。

……古い言葉ではアイオーン。

……そんなのもう無意味。

……私はみんなのソフィア。


 自分を自分だと再定義した彼女は、もう〝叡智〟ではない。

 彼女はただのソフィア。

 自分のことがちょっとだけ好きになれた、妖精の女の子。

 歌とは別に、その場にいた誰もがその心を受け取ったはずだ。


……みんなといっしょ。

……いっしょだから、私は私でいられるの。

……あなたもそうだといいな。


 ステージの背後にある霧のスクリーン。

 そこにはこれまでの旅路――ソフィアの〝思い出〟が映る。

 夜明けと未明の間にある空を〝ちびドラ〟の背に乗って飛ぶところ。

 地獄のディスコで踊るピエロの人形たち。

 孤独で清浄な光に包まれた天国。

 ダムを壊して、高層ホテルが爆破されて。

 透明なガラスで出来た迷路をさまよって。

 最前線で戦略爆撃飛竜が爆弾の雨を降らせて。

 それから、戦争を再開しようとした軍の上層部と戦って。

 天国と地獄の戦いのせいで、ヨハンとミリアムが殺し合う未来を悟り。

 それが嫌でたまらないから〝世界の卵〟を割った。

 大きな出来事があるたびに、いつも音楽とともにあった気がする。

 ラストナンバーは新しい世界に向けて。

 最後を締めくくる、喜びを伝える歌が元だ。

 それをロックンロールにアレンジしたのが最後の曲となる。

……第9。

……ハーレークイン・ナイナー。

……外で、軍隊にいるとき。

……私のコールサインと同じ9番目の交響曲。


   喜びはいつも祝福の火花みたい

   私たちは火中の栗を拾いに行く

   星の外で胡座をかく女神と別れ

   あなたも覚悟できてるとみなす

   2元論にいつまで縛られたいの

   人間は人間のままでずっと歩く

   天使と悪魔の翼をもう休ませて

   敵の敵は味方って遠回りの自滅

   大穴を当てた人への皮肉はいい

   美女を娶った人への妬みはいい

   自分が選ばれし魂だって傲慢さ

   自分から言うのは人間だけだよ

   弱虫だって認められないのなら

   ここにいても幸せから遠くなる

   寂しく1人で泣いていればいい

   疲れたらここまで戻ってきてね

   誰もが豊かな恵みを享受すべき

   自然に感謝を捧げるだけでいい

   そこに善悪なんて存在しないの

   薔薇と茨の後追いをしたとして

   恵みは遠ざかるばかりだからね

   でも死地に赴く人たちがいるの

   犠牲を塵芥にすることはやめて

   天使も悪魔もどっちもお手上げ

   星々の巡りはいつでも楽しそう

   ただの法則がこんなに綺麗なの

   兄弟も姉妹も夜空の満天を見て

   第3の道の軌跡をたどってきて

   何百万人が手を繋いだ輪っかが

   世界にひとつの輪っかを咲かす

   兄弟も姉妹も夜空の満天を見て

   愛する人はいつもそばにいるの

   跪いてたら膝が痛くなっちゃう

   それは祝福じゃないと知ったら

   高く遠くもっと向こうへ届けて

   星の外の女神にお別れするとき

   名もなき女の子がここで歌うよ


 神と信仰への喜びを称えた元の詩から逸脱した歌。

 ソフィアの〝ロックンロールのラブアンドピース抜き〟への解答。

 コンサートのステージから黒、白、赤、青の光がエネルギーの奔流として現れた。

 それぞれの光がエネルギーの属性を象徴する。

 ほぼ同時に、会場にいたウサギたちから第5の光として緑が生まれた。

 黒は闇。

 白は光。

 赤は力。

 青が知。

 緑は生。

 5つの光の奔流が絡まりながら、虹色の大きな輪っかを形成して月を飛び出す。

 ヨハンとミリアムの闇と光が混沌相克を意図的に引き起こし。

 マイアの〝力〟がそれを増幅。

 そしてソフィアの〝歌〟が莫大なエネルギーを相転移させる。

 最後の欠片にして、最大の根源を担ったのは月の裏のウサギたち。

 地上から隠れて暮らしていた住人。


……みんなありがとう。

……卵を割っちゃって、ごめんね。


 最後にソフィアがちょっとだけ微笑んだ。

 自分が自分のためだけに存在しているのではないと、実感できた。

 みんなと虹の輪っかを作るのが、きっと嬉しかったのだろう。

 きっとそうだと信じたい。


……もういいから黙って。

……恥ずかしいの。

……わからない?


 音楽祭という器。

 ロックンロールという指向性を与えられた、莫大なエネルギーの奔流。

 それはこの宇宙の端に発生した〝ダモクレスの剣〟を丸呑みに。

 エネルギーのメロディ――歌は音速をあっという間に越えた。

 それが光と同じ早さで月を包みこんでいく。

 加速は止まらず、地上の大地まで到達した頃、無限大の速さへ達する。

 言葉すら置き去りにして、瞬く間に宇宙の端から端へ。

 それを越えた先に、あるかどうかもわからない宇宙の外側にまで達するだろう。

 どこまで届くかは誰にもわからない。

 プツン。

「……」

 ソフィアがマイクを切ったところで――

 静謐な沈黙に会場が包まれた。

「っ――!」

 しかし、それを破るものがいた。

 言うまでもなくヨハンだ。

 彼は誰にも求められていないというのに、

「それじゃあ――アンコールにヒャッハーで応えてやるぜ!」と言った。

……セットリストが台無し。

 そしてリズミカルに、ギターを軽薄な音でかきならした。

 もっとも古典的なロックで、根底にあるのはブルースだ。

「ちょっ!?」

「なんじゃ?」

「……」

 誰もが呆気にとられている中、構わず彼は歌い出す。

 やむを得ず、マイアとミリアムはブルースのコードで追従した。


   短いリクエストをしてやるぜ♪

   地元のDJをたまげさせよう♪

   気の利いたロックンロールで♪

   やつもきっと気にいるはずだ♪

   ベートーベンを台無しにしろ♪

   聴きたくなくても届けてやる♪

   俺の勢いはまったく止まらん♪

   ジュークボックスがぶっ壊れ♪

   心臓がドラムを叩きまくって♪

   魂が奏でるブルースを聴けよ♪

   ベートーベンを台無しにしろ♪

   チャイコフスキーも道連れだ♪

   高貴な交響曲をちゃぶ台返し♪

   これがほんとのロックンロール♪


 完璧に整ったものから、あえて1歩はみ出すこと。

 ヨハンの諧謔でロックンロールがさらに上書きされてしまう。

 とにかくコンサートは無事に終わった。

……無事?

……まあ、いいか。

〝ロックンロールのラブアンドピース抜き〟がテーマだった。

 会場の裏で、ウサギたちは餅つきをはじめている。

 その横には屋台が並ぶ。

……ぺったん、ぺったん。

……いいにおい。

 雑煮に焼き餅、団子に煎餅とジャンルは多岐にわたる。

 ソフィアたちもそこに立ち寄っていた。

……お腹が鳴るの。

……お祭りはこうでなきゃ。

 世界を隅々まで巡った強行軍からのロックコンサート。

 いきなりのぶっつけ本番――無茶にもほどがある。

「クンカクンカ――はえー、坊やくっさ。ぐへへZzz」

 マイアは涎と寝言を漏らしつつ、ヨハンの膝に抱えられて高いびきだ。

「っざけんな、このババア――」

 文句を言いつつ、彼は童女を穏やかに揺らして寝かしつける。

 無理もない。

 ここまでの旅だけで、竜の王は少なくとも5×10の18乗――

 500京ジュールはエネルギーを消耗した計算となる。

 それにくわえて、コンサートの全エネルギーを増幅する役まで担ったのだから。

……宇宙相殺に要るエネルギーの量は10の69乗。

……ちょっと多かった?

 しばらく真の姿にはもどれないだろう。

 当分は、我儘で獰猛な童女として過ごすはずだ。

 ミリアムも大変だったのか、

「っ――!」と一瞬だけ舟を漕いだ。

 ヨハンにもたれかかって、彼女はすぐに取り繕う。

「! いえ、今のはちょっと気が抜けただけです! 勘違いしないように」

「へいへい」

 ヨハンは言った。

「俺が寝落ちしたら、そのスケベな乳袋を枕にさせてくれよな」

「絶対! おことわりです!」

「最後くらいデレろよ――まーた振られちった」

 彼の視線が本日の主役を追った。

 ソフィアは飽きることなく、月から星界の海を眺めている。

 その向こう側にどんな景色があるのか。

 彼女はどんな顔をしているのだろう。


……こっち見ないで。

……今、いいところなの。

……次の戦いまでの息抜き。


 月から遥か遠く離れた地上で。

 なんとなく慣れ親しんだ声だけが聞こえてくる。

 どんなに大きな望遠鏡でも彼らの姿は見えない。

 月の裏側にいるのだから。

 誰かが気の抜けたことを言い出す。

「明日の朝メシはベーコンエッグで頼むぜ――カプチーノもつけてくれ」

「では、明後日の朝食はエッグベネディクトにしましょう――女神様に教わった、とっておきのレシピがあるんです」

「その先はいかがするのじゃ?」

「決めちゃ駄目――それがいいの」


わっかのまんなか―B面


ソフィアのえにっき――完






 完じゃない。

〝環〟だもん。

「またね」って意味。

次回予告


はんせいかい

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