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苦手な方はご注意ください。

【短編版】宵闇に蠢くもの_深夜の墓場で肝試し!?【ほのぼのホラー】

作者: ひかり

「今夜は肝試しに行くぜ!」


 裏口から飛び込んでくるなり、突然チルはそう宣言した。

 ここはアロイス雑貨店の小さなキッチン。今イーアは蒸していたカボチャを鍋から取り出しているところだ。


「突然なに?」

 今は手が離せないので、イーアは首だけで振り向く。

 イーアは光をはじく金の髪に、珍しい紫水晶の瞳を持つ十四歳の少年だ。同じ年頃の子供たちより大人びた雰囲気があるが、今は料理中なのでエプロンとミトンを装着したなかなか愉快な姿でいる。


 イーアが持ち込んだ魔導具の焜炉は、昨日の夜から仕込んでいる豚の煮込みと、もう一つでは玉ねぎを炒めている途中だ。突然キッチンに飛び込んだチルには、すぐには反応してあげられない。


「だから今夜、肝試しに行くって言ってんだよ!」

 相手にしないイーアに憤慨した様子で、チルがずかずかと大股でこちらに来た。相変わらず男らしい言動だが。


 乱雑にひとつに結えた蜂蜜色の金髪に、得意げに大きく見開いた瞳は澄んだ藍玉(アクアマリン)のよう。チルは一見するとやんちゃな少年のようだが、実は十六歳の女の子なのだ。

 イーアは去年から、夏の間だけこのアロイス雑貨店に居候をしている。その間、一緒に暮らしているチルが異性だということはできるだけ意識しないようにしているのだが。


(やっぱり、かわいいんだよな)


 ほんのり抱いている、初恋と呼んでもいい感情が表に出てしまわないように、イーアは目を細めてチルを見返す。


「チル、わかってると思うけど、僕は明日の朝には皇都に帰るんだよ」

「おう、知ってら」

「だから今夜はみんなでご飯を食べようって、話をしていたじゃないか」


 みんなとはこの雑貨店の主人のアロイス、チルとイーア、そしてイーアの護衛騎士のアルの四人だ。最近、店に出入りしているチルの兄貴分ルッソも加わるかもしれない。


「おう、だから肝試しに行くってんだよ」

 話がループした。


 イーアは首を傾げながら、玉ねぎを炒めた鍋に牛乳を加える。小麦粉で絡めた玉ねぎはしんなりとしていて、これだけでも十分美味しそうだ。そこに先程のかぼちゃをつぶしたものを投入する。本当はちゃんと裏ごしすればいいのだけど。

 あとは蓋をしてしばらく放置すれば、簡単かぼちゃスープの出来上がりだ。

 そこでようやく、イーアはチルに向き合った。


「だからが分からないけど。チルは肝試しがしたいのかな?」

 正面から向かい合うと、チルが少し悔しそうな顔をする。


 去年初めてこの店で会った時、二人の目線の高さはほとんど同じだったが、今はイーアの方がだいぶ高い。一年でこんなにデカくなったのかと怒られたが、この夏の間にも少し伸びたのは気のせい、ということにしておく。


「だって、お前が帰っちまうのに! 夏の思い出が全然ないじゃん!」

「思い出」

 思わずイーアはおうむ返しをする。


「お前、今年はずっとヴェル爺さんトコで働いてたじゃん! なんで!? 貴族なのにアルバイトする必要あんの?」

 チルはちょっとだけ涙目で、びっくりするくらい必死に訴える。

「社会勉強だって言ったよね。それにお爺さんは今年で廃業するから、最後だし」

「それは、わかってるけど!」


 チルが拗ねたような顔をした。

 つくづく思うのだが、チルは幼い。去年はだいぶ大人だと思ったが、今は年下のようだ。


「確かに今年は、遊びには行けなかったけど」

 フォローするように言うと、チルはイーアがぎょっとするほど大きく頷いた。

「……なんで肝試し?」

「だってお前、裏の墓場怖がってたじゃん。お前がひいひい言う顔見たいしな!」

 にやにやと意地が悪い顔でチルが笑う。

「……なるほど」


 このアロイス雑貨店は、実は墓場の隣にある。裏庭の奥にある裏門から向こうは、墓場なのだ。


(確かに去年、怯えていたけど)


 最初にこの店に寝泊まりした時、窓がないことを不思議に思った。店には明りとりの窓が天井近くにあるが、視線の高さに窓はない。台所には換気のため小窓はあるが、寝室は気が滅入るような壁だけの部屋だ。


 チル曰く、店の窓は深夜覗く人影があるらしい。

 誰が。

 数百年前の服や髪型なので、歴史の勉強になるぜ! などとチルは得意げに言うが。

 そんな死装束に興味はない。


 今年はこの店の屋根裏に寝泊まりしているイーアだが、屋根にある出窓には厚手のカーテンをつけた。イーアは幽霊を見ることはできないが、保険は大切である。


「じゃあ、チルは僕を怖がらせたいだけなんだね」

 イーアがちょっとだけ青筋を立てながら言うと、チルは勝ち誇ったような顔で笑う。

「おう! ぜってー泣かせてやるからな!」


 少しだけいらっとしたイーアは、マッシャーを握りしめてチルの前に突き出す。


「いいよ。その勝負、受けてやる」 



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



 裏の墓場が使われていたのは旧体制時代、つまり四百年以上前だと言う。

 元々貴族の墓場だったので、無駄に建物が多い。遺体を安置する廟から、副葬品を保管する建物、故人を模った像や女神の像などがごたごた並び、さらに草は伸び放題、木は育ち放題、蔦は絡まり放題である。

 裏門から覗き見るだけで不気味だ。

 その墓場の一番奥には、名門貴族の墓だという大きな廟があり、そこに昼間のうちにアルが目印を置いてきたという。


「それを持ってきた方が勝者ってわけだ」

 イーアに言われるまま、マッシャーで鍋の中のかぼちゃをさらに潰しながら、楽しそうにチルが言う。

 いつの間にそんな準備をしていたのやら。イーアは椅子に座り芋の皮をむいているアルを睨め付ける。

 アルはイーアの護衛騎士で、褐色の肌を持つスーデン人だ。優男と言ってもいい外見の男だが、なんせ軽い。今もいかにも楽しげな様子で、イーアに片目を瞑ってみせている。


 ちょうど帰ってきたルッソが、手際良くテーブルの上に若鶏の串焼きを並べていた。イーアはその横に大皿に盛った豚肉の煮込みを置き、さらに炙ったベーコンやらチーズを並べる。これは酒飲みのアルとアロイスの好物だ。


 さらにルッソが自慢げに紙包を掲げた。

「珍しいものがあったよー」

 ルッソは20代後半の痩身で、びっくりするくらいの細目が特徴の青年だ。ちゃんとこちらが見えているのだろうか。

 そしてこうして向き合って話しても、別れてしばらくすると顔を思い出すことができない。そんな不思議な男だった。


「砂魚の燻製? 高かったよね」

 そう言いながらテーブルに酒瓶を置くのはこの店の主人、アロイスだ。アルと同じスーデン人で年齢は40代だと言う。いつも寝起きのような爆発した髪に無精髭ももしゃもしゃなので、未だにイーアは彼の素顔を知らない。


「すっかりおじさん達は酒盛りだね」

 イーアは呆れて嫌味っぽく言いながら、チルが格闘している鍋に塩をふりかける。

「おう、先に食ってるぜ」

 悪びれもなくアルが酒瓶を掲げた。


「しかしイーアの料理がこんなにうまいとは、意外だな」

 アルが煮込みを頬張りながら言った。

「本当だねー。大したものだねー」

 ルッソが特有の間伸びする喋り方で、同意している。彼は食事よりも延々と酒を飲むタイプなので、この二人がいると空き瓶がどんどん増えていく。


 アル達にはこのメニューで十分だが、もう一品。イーアは野菜とベーコンを炒める。アルが切ってくれたじゃがいもを千切りにして入れた。


「チルに食べさせるために始めたんだけどね。最近では家でも作るんだ。おかげようやく一番下の妹にも懐いてもらえた」

「妹を飯で釣るとか、とんでもねぇ兄貴だな」

 チルが呆れたように言う。

「本当にびっくりするくらい人見知りが激しいんだ。母が不在なのもあるけど」


 イーアが炒めた野菜に下味をつけ、溶いた卵を流し込む。これでチルの好物のオムレツもどきが出来上がり、料理は終了だ。


「よし食べよう!」

 チルは既に椅子に座り、かぼちゃのスープを啜っている。その緩んだだらしのない笑顔を見て、イーアは笑った。

「チルは黄色いものが好きだよね」

「そうそう、蜂蜜も好きだよねー。子供の頃よく舐めて、セリ婆さんに叱られてたー」

 ルッソが楽しそうに言う。

「うるさいなー。あの頃はろくな飯食ってなかったんだよ」

 チルはルッソを睨んでいるが、スープカップは手放さない。

 そのやりとりに妙な苛立ちを感じながら、イーアは串焼きを頬張った。


「で、本当に行くの? 肝試し」

「おう、行くぜ! 十一時(午後8時)になんねぇと面白くないからな。もう少し待機だ」

 それはちょうど、死者が活発になる時間だ。


「まぁいいけど。僕は幽霊見えないし。幽霊を見れる人のほうが、怖い思いするんじゃないかな?」

 イーアが言うと、死者の姿を見ることのできる体質のチルが固まった。

「どういうルール?」


「ああ、それぞれ目印を持ち帰れば良し。ビビって途中で帰ってきた方が負けになるかな」

 アルが説明する。

「目印はわかりやすい?」

「ああ、ランタン持っていけばすぐわかる」

 どうやら灯りの持ち込みは許可されるらしい。


「ま、まて! 別々に行ったらイーアの怯えた顔が見れねぇじゃん!」

「行く前と帰ってきた後に見ればいいだろう」

 チルが慌てて言うが、イーアは肉を齧りながら淡々と答えた。

「それじゃぁ面白くないじゃんかよ!」


 イーアはなぜかムキになるチルの顔を冷ややかに見返す。

「じゃあ、一緒に行く? 勝負の意味がないと思うけど」

 チルは一瞬迷うような顔をしたが、すぐににやりと笑いながら頷く。

 どうやら二人で夜中の墓場見学に行くことになったらしい。これに一体なんの意味があるのか、イーアは首をかしげるしかない。


「勝負なら賞品と罰が必要だな」

 はなっから行く気のないアルは呑気だ。納得のいかない顔をしているイーアの隣で、別の話題に夢中になっていたアロイスとルッソが反応する。


「おぅ? 罰ゲームならアレだね。1日女装!」

 アロイスが愉快そうに言う。それに笑って応える大人達を見て、イーアは彼らが普段どんな遊びをしているか察した。

「僕は明日の朝にはここを出なきゃだから、それは無理だね」

「俺は罰ゲームになんねぇじゃん」

 男装してはいるが、女の子のチルも不満そうだ。


「あ、いいものがあるよー」

 ルッソがそう言いながら、店から古びた鞄を持ってきた。その中から女物の衣装を取り出す。

「店で使っていたものだからー。好きに使っていいよー」


 取り出したのはメイド服。だがありえないほどスカートが短い。他にも色々な衣装があるが、どう見ても実用性とは程遠い。


「おま、これはっ、やばいんじゃ」

 アルが笑い出し、そのまま激しくむせた。チルも真っ赤な顔で呆然と取り出された服を見ている。首を傾げたのはイーアだけだった。

「こんな服では仕事にならないだろう」


「まぁねぇー。でもこれを着て、チルに『ご主人様』とか言ってほしいねぇー」

 にやにやと笑いながら言うルッソに、チルが無言でフォークを投げた。笑顔を崩さずにルッソはそれを素手で掴む。


「死にてぇのか!」

「僕を殺せるならどうぞー。チルには一生無理だから、大人しくこれを着るといいよー」

 けらけら笑いながらルッソが放り投げたのは、レースがたくさん縫い付けられた下着だった。苛々(いらいら)とチルが払い除けたので、それが隣に座るイーアの頭に落下した。

 そのあまりにも下品なデザインに、イーアはようやく理解が追いつく。


「へぇ」


 笑い転げていたアルが、しまったという顔でイーアを見る。

 チルはまだ怒り狂っているが、アロイスは我関さずとばかりに酒瓶と砂魚の燻製を抱えて椅子ごと後退った。


「ルッソはチルのこういうの、見たいのかな?」

 頭から下ろすつもりで握ったレース部分が、ぶちりと千切れる。

 にやにやと笑うルッソが、

「そうそう、イーアだって興味あるだろー?」

 などと言うものだから、その場の空気がさらに凍った。


「じゃあこうしよう」

 満面の笑顔でイーアが言う。

「僕たちが無事に目印を持ち帰れたら、これを着るのはルッソというのはどうかな?」


 チルが「なんで!?」と言うが、これは無視する。


「構わないよー。でも、もし二人が持って帰れなかったら、二人ともこれを着てねー」


 そう言いながら掲げられた服は、先ほどのメイド服と、学生の制服を模した服だった。こちらの方はなぜか襟の下、胸元が大きく開いたデザインだ。そしてスカートもすこぶる短い。


「チルは胸が大きいから、こっちが似合うとーーごふ」

 話している途中のルッソの顔面に、取り分け用の皿がめり込む。隣のアルがぎょっとして身を引き、チルも驚いた顔でその様をまじまじと見た。投げた当人は涼しい顔で立ち上がる。


「了解した。では行くとしよう。準備して、チル」

 イーアがにっこりと笑顔でチルに笑いかけると、チルは怯えた顔のままこくこくと頷いた。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



 今日は夏らしく暑い一日だったが、日没と共に雲が出てきた。月の光のない真っ暗な中、イーアとチルは不気味な墓場の中を歩いている。


 墓場は静かだ。街中なので、耳をすませば生活音が聞こえてきそうなものだが。夜の鳥の気配もなければ、野良猫すらその姿を見せない。

(なにかの気配くらいあってもいいだろうに)


 静寂のなか、蔦に絡まった建築物や像が乱立している様は、なかなか不気味だ。

「本当に静かだね」

 言いながら、イーアはランタンを掲げて目の前の女神像を照らした。目印がある旧公爵家の墓は、確か女神像のある十字路の右側と聞いていたが。


「ぶっ」

 足を止めたイーアの背中に、後ろを歩いていたはずのチルがぶつかる。どうやら目を閉じていたらしい。


「チル、危ないよ? 目を開いて」


 イーアが振り向きながら、ランタンでチルの足元を照らす。

 肝試しを言い出した当人(チル)は、今にも倒れそうな青ざめた顔で立っていた。


「うん……」

 暗闇の中でチルの水色の瞳がおそるおそる開き、そしてすぐに大きく見開く。ひゅっと息を呑む音がした。


 どうやら女神像の後ろに何かいるらしい。イーアはチルの視線を遮るように移動した。

「何が見えるの?」

 イーアの問いかけに、チルは震える声で答える。

「く、首に剣が刺さった女……」

 それは怖い。


 怖がるイーアを見たいと言った本人が、可哀想なくらいに怯えている。イーアは困ってしまった。ここでチルのために帰るのは簡単だが、そうすると自分達はあの服を着なければならなくなる。

 自分はスカートくらい黒歴史の一つにできるが、チルがあの服を着るのは非常に不快だ。

 実のところ『チルは胸が大きいから』というルッソの言葉も頭から離れないでいる。できるだけチルを女の子として意識しないようにしているのに。


「イーア?」

 不安そうなチルの声にはっとした。彼女は首を傾げて、イーアの顔を見ている。思わず考え込んでしまったので、その沈黙が怖かったのかもしれない。


「大丈夫だよ。……目を開けて歩ける?」

 チルは落ち着かない様子であたりを見回す。下唇を噛んで、声を上げないようにしているようだ。


(これは、無理かな)

 イーアは諦めて、手を伸ばす。

「じゃあ、目を瞑ってもいいけど、僕の手に捕まって」


 そう言って手を伸ばすと、即座にチルは両手でしがみついた。流石にそれは予想していなかったので、イーアは一瞬硬直する。結構強く掴まれているので痛いが、おかげで思考を飛ばさずに済んだ。


(チルは親友だ親友!)


 これが年頃の女の子だと思うと、さすがにいろいろと意識してしまう。必死になって自己暗示をくりかえすが、残念ながらイーアも思春期の少年である。


 浅い呼吸をしイーアは前を見据えた。とっとと終わらせてしまおう。

「イーア、大丈夫か?」

 チルが不安そうに言う。別な意味で大丈夫ではないとは流石に言えない。

「うん、進むよ」


 足元は砕けた石のかけらやら、崩壊した建築物があり歩きにくい。注意して進みながら、ずっと疑問に思っていたことをイーアは聞いてみた。


「チルはどうして肝試しなんて思い付いたの?」

「お前が、来年、叙爵されるって聞いたから」

 この静けさの中でなければ聞き逃してしまいそうな、小さな声だった。

「ああ、聞いたんだね」

 帝国では慣例として、叙爵は年始の祭典で行われる。イーアは成人前だが、あと半年後には爵位持ちになる予定だった。

「でもそれが?」

「……そしたら来年は、これねぇだろ? だからもっと……」

 拗ねたような小さな声でチルが言う。

「ああ、そうか」


 当然のように、爵位を持つ者の仕事は多い。

 イーアも年明けから領地運営が始まるが、さらに実家の手伝いもしなければならない。学生なので学業もあるし、その上生徒会もあるのでおそらく目が回るほど忙しくなることだろう。自分の時間は大幅に少なくなる。覚悟の上だ。夏休みもどれほど自由に使えるかもわからない。

 だが、それをチルが寂しく思ってくれているなら。

 イーアはなんだか、胸の辺りがほわりと温かくなるような気がした。


「来るよ。今年よりは短くなっちゃうと思うけど」

 そっと語りかけると、チルがぱちりと目を開けてイーアを見た。大きな瞳がランタンの灯りをうけてきらきらひかる。

「本当か?」


 イーアもチルの目をしっかり見て、微笑む。

「うん、ちゃんとチルのご飯作りに来るよ」

 とたん、チルの顔がふにゃっと緩み、可愛らしい笑顔になった。


「そっかぁ」


 またも、イーアは雷に打たれたように全身が硬直する。


 チルは普段つんつんしているくせに、妙なところ甘ったれだ。こんな笑顔を突然見せられては、どうしていいかわからなくなってしまう。

(せめて僕が男だってことも、意識してくれればいいのだけど)

 イーアは去年から拗らせている感情を、必死に隠しているというのに。


「よっし、じゃあさっさと目印持って帰ろーぜ! ルッソのやつをぎゃふんと言わせてやる!」

 突然元気になったチルにぐいぐい腕を引っ張られながら、イーアは遠い目をした。


 そういえばルッソは最近お店にいることが多い。チルのことを「女の子」として認識している彼が、彼女と同じ屋根の下に住むのは、どうあっても許し難い。

(なんとかしなくては……)



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



 目印の女神像から少し歩くと、他の建築物より一際大きな廟が姿を表した。

 かつては金色に塗られていたであろう建物は、今は灰色に煤けている。話に聞いていた通り扉は壊れ、中の様子が外からも伺えた。


「ここかな」

「お、おう……」

 初めは勢い良く歩き出したチルだが、すぐにイーアの背中にしがみつくようになった。今も背中に隠れたまま、おっかなびっくり廟を覗き込んでいる。

 イーアがそっと覗き込むと、中には石棺が二つ並んでいた。その真ん中の祭壇のような場所に、何か置いてある。


「入ってみよう」

 イーアが踏み出すと、チルもついてこようとするが、すぐに躊躇(ためら)い足を止めた。入口から怖々と覗いている。


 廟の内部はカビくさい。日が当たらないので植物の侵食も少ないが、ひどく陰鬱とした雰囲気だ。

「棺、あいているね」

 覗き込むと、中は空だった。どれくらい放置されていたのか、中には土が溜まっている。棺の表面の彫られた文字も、既に読みにくくなっていた。


「お前、度胸あんのな」

「うん、既に死んでいる人だからね」

 話しながら、祭壇を観察する。アル曰く、わかりやすい物が置いてあるそうだが。


「これかな?」

 祭壇だと思われる石の台の上には、人形が一体置いてあった。それをよく見ようと近付いたイーアの足元で、かしゃりと音がする。

 祭壇の下には空の酒瓶が2本転がっていた。イーアは呆れながらそれを拾う。


「アル、こんなところでもお酒飲んでいるよ」

「あいつアル中確定だな」

 苦笑いするチルの手元に、イーアは瓶を投げた。

「ごめん、持っていて」

「おう」

 器用に瓶を受け止めたチルを確認し、イーアはもう一度、人形を観察する。


 かなり年代の古い人形のようだ。本体は陶器でできているらしく、瞳には本物の宝石が()められている。着ている洋服は、紅のベルベットの生地に銀糸で細かく刺繍が施されていた。頭部にはお揃いの生地でできたヘッドドレスも付けられており、小さいながらも見事な人形だった。


「髪、これ人毛だね。だいぶ高価なものだと思うけど」

「そんなもん店にあったかなぁ。アロイスの秘蔵品じゃねぇの? あいつ、勝手に触るとめっちゃ怒んぞ」

 チルは心の底から嫌そうに言った。


「僕達が怒られることじゃないから、大丈夫だよ」

 とりあえず、この人形さえ持って帰れば、それで罰ゲームは回避だ。

 イーアは少し緊張しながら、人形を持ち上げる。一瞬髪の毛が手に絡むような、妙な悪寒を感じた。

「うー……」

「イーア、どうした?」

「なんでもない。……早く帰ろう」


 イーアは廟から出て、新鮮な空気に一呼吸つく。

 チルがイーアの背後を引き攣った顔で見ているが、きっと気のせいだ。気のせいであってほしい。


 帰りはほとんど早足だった。

 真っ青なイーアとチルががキッチンに戻ると、アロイスとアルは床で折り重なって寝ていた。

 チルは無言でアルの背中を蹴飛ばす。


「いや、俺はそんなもの置いてないけど」


 寝ぼけ眼のアルに、人形を突きつけた後の第一声がそれだった。

 ちなみにざるなルッソは、顔色ひとつ変えずにまだ飲んでいる。興味なさそうに戻ってきた二人を眺めていた。

 アロイスも弾けるように起きて、イーアの手の中の人形を凝視する。


「え……? 廟の祭壇に、置いてあったけど……」

 イーアは自分が持っている人形を、まじまじと観察する。最初に見た時と何も変わっていないはずなのに、その唇が嬉しそうに歪んでいるのは気のせいだろうか。


「うげぇ……マジかよ……」

 チルも忌々(いまいま)しいものを見るように、人形を見下ろす。


 アルはチルが抱えている酒の空瓶を指差した。

「俺が置いたのはそれだぜ。祭壇の上にあったろう?」

「いや、これは下に落ちて……って事は誰かがこれを落として、代わりに人形を置いたのか」

「誰が行くんだよあんな場所」


 確かにその通りだ。そもそも墓場の入り口は軍によって閉鎖されているので、入るためには設置されている柵を越えるか、雑貨店の裏口を使うしかない。

 そんな面倒なことをしてまで、墓場に入るだろうか。 


「もしかして、その人形が自分で移動した?」

 チルがますます青ざめた顔で、そんな恐ろしいことを言った。イーアはぞっとして人形を見る。

「まさか。チル、僕を揶揄(からか)わないで」

 苦笑しながら言うと、それまで無言だったアロイスが身を乗り出す。ボサボサの前髪から覗く瞳は、好奇心にきらきら輝いていた。


「旧体制時代のトリシャ人形じゃないか! こんな貴重品、どこにあったのだ!」

「じゃあアロイスの物じゃないんだね」

 イーアが確認するように言うと、アロイスは大きく頷いた。

「いらないなら、ボク貰っちゃうよ? いらない?」


 ぐいぐいとアロイスが迫るので、イーアはその腕に人形を突きつける。その間も髪の毛が指に絡むような、奇妙な感覚が続く。


「うわぁ嬉しい! これ、旧体制時代のレア物で、現存している物は帝国博物館くらいにしかないんだよー。旧公爵家の誰かの、副葬品だったのかなぁ」

 嬉しそうに人形を受け取り、くるくる回しながら観察するアロイスを、みなは呆れた目で見守る。


「ボクの部屋に飾ろうかな! ね、かわいいしね!」

 無邪気にそう言うアロイスには申し訳ないが、もはやイーアには呪われた人形にしか見えない。

「副葬品なら、返してきた方が……」

 そう言いつつも、イーアはもう墓に行きたくない。提案も酷く弱々しい声になった。


 そのイーアの腕を、真後ろにいたはずのチルがぎゅっと掴む。驚いて振り向くと、顔面蒼白なチルが泣きそうな目でこちらを見上げていた。

「俺、あの人形と同じ屋根の下にいるの、ぜってぇいやだ……」


「とんだ肝試しになっちゃったねぇー」

 ちびちび酒を舐めながら、興味なさそうにルッソがそう言った。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



(まったく、酷い目にあった)


 日付が変わるころ、ようやくイーアは屋根裏の布団に横になる。

 この夏の間寝床にしていたマットレスは、古いタイプのもので綿やら布切やらを詰め込んだ硬いものだが、かなり厚いので寝心地は悪くない。大きめなので、大人が二人寝ても余裕だ。


 明日の朝には出発しなければ、学園の始業式に間に合わない。

 残念なことにイーアは生徒会に在籍しているので、始業式をサボるわけにはいかない。何がなんでも帰らなくてはいけないのだ。


「面倒だな」

 思わず呟き、イーアは苦笑いした。真面目なことだけが取り柄な自分らしくない。だがそれほどまでに、ここは居心地がいい。


 よほど疲れていたのか、墜落するように眠りにつきながら、イーアは考えようとする。どうして自分がここを好きなのか。


(そっか、チルがいっぱい笑ってくれるから……)


 そしてふと、目が覚めた。

 イーアは眠りが深いので、一度寝ると朝まで目が覚める事は滅多にない。なぜ今意識が浮上したのかがわからない。ぼおっとしながら身動きできずにいると、背中のほうでぱたりと音がした。


 この屋根裏に入るには、キッチンにある梯子を登り、扉を跳ね上げなければならない。今の音は、扉が閉まる音だ。

 誰かが入ってきたのかなと、覚醒しきっていないイーアは思う。多分扉が開いた時の音で、目が覚めたのだ。


 一瞬人形の存在を思い出しぞっとしたイーアだったが、すぐに緊張を解いた。この気配はチルだ。

(……何か、ここに用事あったのかな)

 イーアが寝ぐらにしているこの部屋は、元々は物置だ。こんな時間だが、何か必要なものがあったのかもしれない。霞ががかった思考のまま、再び眠りにつこうとしたのだが。


 そのチルがイーアの眠るマットレスに乗った気配を感じ、一気に覚醒した。と同時に、硬直する。


(嘘だろう!?)

 イーアが完全に寝ていると思っているのだろう。チルは持ち込んだ毛布ごと、イーアの背中にくっつくように丸くなった。

 背中に彼女の気配と息遣いを感じ、イーアはひどく落ち着かない気持ちになる。


 大方、人形の件で怖くなってここに来たのだろうが、それにしても警戒心が無さすぎやしないか。


(というか、僕のことを完全に男だと見ていないって言うことか!)


 泣きたいような大声で叫びたいような、そんな衝動に耐えながらイーアは目を瞑る。どんなに意識しないようにと思っても、そううまくいく筈もなく。

 チルの安らかな寝息や、微かに香る彼女の匂い。少し身動ぎする度に反応してしまいそうになる自分を制しながら、イーアは一睡もできずに夜明けを迎えた。



 ✖︎ ✖︎ ✖︎



 船はまっすぐに、大河の流れに逆らって走る。

 イーアは船縁にひっついたまま、流れる景色を放心状態で見ていた。


 この船は大陸最速の技術を持つ船乗りのものだ。水面を滑るように移動しながら、真っ直ぐに皇都へと向かっている。流れる景色をぼんやりと眺めていたイーアだったが、再び込み上げるものがあり身を乗り出した。もはや吐けるものは全部吐いてしまっているので、にがい胃液だけを苦しみながら吐き出す。


「大丈夫か? イーアは船には強かったのになぁ」

 背中をさするアルも心配そうにしているが、イーアはただひたすらえずいた。


 なんとか落ち着いて、差し出された水を口に含む。苦しい呼吸をくりかえし、ため息を吐いた。

「昨日、全然眠れなかったから」

 なんとか絞り出すように言うと、アルが口角を跳ね上げた。その深緑の瞳に好奇心を滲ませて、にやにやと笑う。

「やっぱりそうかー。いやー、男になったなイーア」

「違うそうじゃない!!」


 慌てて声を上げると、アルはとたんにつまらなそうな顔をした。


「なんだ。まだかよ」

「アル、昨日チルが僕の部屋に来たのに気がついていたね?」

「まぁ俺が寝てる横、登ってったからなぁ」


 イーアは再び込み上げるものを堪えながら、思いっきりアルを睨む。

「どうして止めてくれなかったんだ」

 アルは困ったように眉を下げる。

「悪い、俺もすっかり寝入っちまって」

 嘘だ。

 イーアは悪びれた様子もない顔をまじまじと見て、それから深くため息をつく。


 チルは夜明けまでイーアの後ろで眠り、明け方のまだ暗い時間に来た時と同じようにそっと帰った。今朝の見送りの時も普段通りだったし、それがイーアには面白くない。


 まぁ、それよりもとんでもない事があったのだが。

 今朝、ルッソが例のメイド服を着て見送りに出てきた。その姿が、なかなか衝撃だった。

 一瞬、誰かわからなかった。

 腰の辺りまで伸びた黒髪に、しっかりと化粧したその顔。ぱっちりと開いた目は黒い睫毛で縁取られて、その瞳は綺麗な蒼玉(サファイア)。この色はルッソのものだが、理解が追いつかずイーアはただひたすら混乱した。


 ルッソは若い女性が接待するような店の経営を手伝っているそうで、いかにもそう言う店の服、と言ったメイド服を見事に着こなしていた。長い手足を惜しみなく晒し、短いスカートの下には太ももの半ばまでの靴下を履いてる。

 細いウエストに、控えめだが女性らしい胸元。そこにいたのは、いつも細目でへらへらと笑っている男ではなく、ひと目見ただけで強く印象に残るスレンダーな美女だった。


 その姿でいつもと違う声で、艶っぽく流し目で。

『いってらっしゃいませ。ご主人様』などと言うのだから。


 思い出すだけで、イーアは再び吐き気を催す。

 見慣れているののかチルたちは大笑いしていた。よほどイーアの驚いた顔が面白かったのだろう。


「変装の天才とは聞いてたけど、いったい彼は何者なんだ…」

 イーアが苦しげに言うと、隣のアルはからからと笑う。

「まぁ、イーアじゃしばらくはあいつにはかなわんだろうさ」


 無責任なアルの顔を睨みながら、イーアはため息をつく。

 そして心からの底からの本音を呟いた。


「……もう。絶対に大人たちのお遊びに付き合わない。絶対に」

お読みいただき、ありがとうございます!

こちらファントム・ミラーの【異想譚】を夏なのでホラー短編としたものです。

ホラー要素少なめでほのぼのコメディっぽくなればいいなぁと思ったのですが…いかがでしょうか。

イーアは動じない子なので、幽霊の見えるチル目線だったらもっとホラーっぽくなったかもしれません。


稚拙な…改めて読み直すとあまりにも拙い作品で自分でもびっくりするのですが、とても楽しく書いております。気に入っていただけましたら、僥倖でございます。


ファントム・ミラーの他に、恋愛のお話も書いております。

こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

もしもおもしろいと思っていただけましたら、りあくしょんいただけると書いている人が泣いて喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。


最後に、本当にご覧いただき、ありがとうございました! いっぱいの感謝を込めて!

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