「sometimes is better than darn perfect
「sometimes is better than darn perfect
完璧よりも優れていることもあります
「“Done is better than perfect”
か 、、
完全なものなどないという前提のもと、完全に近づくために細かな継続的改善・反復が重要だという意味
、むぅ 、
完璧ってなんだろ
むずかし ね
私は 、息をするのが本当にしんどいけれど
それは 不完全だからなのかな
、難し」
、今日まで お仕事 おやすみ
、なんだか 、
世界は 、いくつも いくつも 分断 してるのかな 、って 感じることも 多くて 、
、なのに 、……永遠なんて 絶対に なくて
、限られたもの しかなくて
途切れたり なくなって いくものばかりで
それは 私 自分自身も 例外ではなくて
削れて 小さく なっていくものばかりで
使えば使うほど すり減っていくもの ばかり で 、
、でも さ
……小さい頃から 思ってた
ちまちま 削れていくもの を最小にしよう って 辛抱していたって
、その辛抱して守っているものに 守る程の価値が無いって気づいた時 、私は、 本当に 貧しい 惨めな 矮小な 気持ちになるんだろうな って
私は、私自身にそれほど 大きな価値を思えなかったから
だから 、自分を削ってもよいと思った
臓器提供もしたし 、自分で命を断とうと12歳で決めたりもした
、でも、結局 叶えなくて 自分はそんなことが出来る程 自分は 自分の決めたことを守れないと 理解して
なんだろ
結局 自分は 自分にとって
なんなんだろう って 思った
私は、私自身に夢も見せられていないし
自分に嘘を吐かない って そんな単純なことすら 上手く守れない 不誠実で 自身に責任も示せない 人で
自分は なんなんだろう って
思った
……自然は ただ 営みに まっさらに 澄んで 息をして
、例えば 魚は 両側に目があって
真上から降りてくる 攻撃には視界に入らなくて 無防備で気付けないように
澄むって ことは 空白で
同時に 無防備で
不完全で
それは ある意味 、
、ごめんね 見失った
難し いね
』
、同じ 言葉を 星の王子様のSN Sで 載せた ら、
「仏教哲学のようです
世の中はすべて「空」」
って、美しい お言葉を 頂けて 、
、本当に、 、はっ、 として 嬉しく なって 、
昔、 現代詩を 今よりずっと 一生懸命取り組んでいた頃 、仏教哲学の用語を 一生懸命 検索していた 時期があったのです 、
その頃 、『空』という お言葉も 無 という 概念で いっぱい 扱おう として こねくりまわして 詩を作ろうとしていた 当時を 思い出して
、
まるで 当時と今が交差して 、ぐるんって 目眩がしたかのような 気持ちに なっ て 、
『空』 という 概念は、仏教哲学に置いて とても 大切な概念なのです 、
無 と 有
自性がなく 夢のようなもの
、やっぱり 、……まだ 体感として 難し
、、
また、 見失って 、、
、ごめんなさい 、