第六話 死生に揺らぐ
キズナが見据える方向、百メートル程先の地点に、ゾンビの群れの先頭が迫ってきている。それらは明らかにキズナを目掛けており、先頭の中から何体かが飛び出してくる。
「やるしか、ねえか……」
キズナは、まず真っ先に突っ込んできている一体を目掛けて自身も走り出した。ゾンビはキズナが自身に向かっていることを認識すると、突っ込む勢いのまま片手を振り上げ爪で引き裂こうとする。
キズナはそれに合わせて身を屈めながら飛び込み、肩をぶつける体当たりの姿勢を取った。ゾンビはその体当たりに吹き飛び、もんどり打ちながら転がっていく。その先頭に続いて、二体のゾンビがキズナに襲いかかる。しかし、キズナの手には先ほどまではなかった剣が握られていた。
「悪いが借りるぞ、返せる保証はないが」
先ほどの体当たりはゾンビの腰に下がっているこの剣を簒奪するためのものであった。少し錆びはあるが、鈍く光る刀身がその切れ味がまだ残っていることを示している。
軽く振ってみせ、重さや握りの具合を確かめたのち、半身に剣を高く構える、雄牛の構えと呼ばれる姿勢をとったキズナ。だが、キズナに迫る二体の亡者はそんな様子を一顧だにすることもなく手足を振り乱して襲いかかる。一体は高く跳び上がり、もう一体はそのまま地面を走ってほとんど同時にキズナに飛び込んできた。
キズナはそれらをまず、地面を来る一体を逆袈裟に切り上げ、倒れ込むそれを躱しながら返す刀で空中から来る一体を横薙ぎに胴を切り払う。二体のゾンビは上半身と下半身が真っ二つに分かたれると、そのまま動かなくなった。
「頭を潰したりする必要はねえのか、ならマシだな」
キズナにとって人間の肉を切ったことなど初めての経験だ。だが、実体のあるか分からない怪物でなら経験があったため、さほど抵抗は感じていなかった。しかし、僅かに目を細めて顔が歪むのは当然のことだと言えるだろう。
「────!!」
だが、そんな感傷に耽ることを許すような気遣いは亡者の群れには存在しない。次に飛び込んできたのは、先ほどダインと共にいた際一番始めに見たような、後の事を考慮しない、身体を損壊しながらの超跳躍を見せる個体である。
凄まじい速度で飛び込んでくる生ける屍に、キズナは剣を前に突きだして首を貫いて見せ、串刺しになったゾンビの首をそのまま胴体と分かれさせる。次にもつれ合いながら地面を走ってくる二体の首を空中で身を捻りながら、軽業のごとき宙返りの姿勢で切り払い行動不能にした。
だが、キズナが一体二体を倒す間にも次々と後続のゾンビが追い付き始めてくる。キズナは負けじと応戦し、生ける屍をあるべき姿に戻していくが、到底追い付かず徐々に追い詰められていく。
「ぐあッ!?」
キズナの背中に倒し損じたゾンビの爪が立てられ、引き裂く形での傷が刻まれる、振り向き様に首を切り飛ばすが、動きが徐々に鈍くなっており、立て続けに狙ってくる別の個体に対処しきれない。
「ぐッ……クソ、この!!」
キズナは襲いかかるゾンビを次々切り伏せながらも徐々に生傷が増えていく。後ろに回っていた個体を遠くへ蹴り跳ばし、群がってきた数体の首を再度軽業の如く飛び上がってまとめて切り飛ばしたのち、そのまま立て直しに群れから離れるために、渾身の力を込めて跳躍する。その技術は熟練の武芸者もかくやと呼ぶべきもので、人体の持つ力を限界まで使い果たすものだ。
しかし、ここで彼は痛恨のミスを犯す。その跳躍した先には先ほど蹴り飛ばした個体がそのまま立ち上がっていたのだ。彼が思うより疲労が溜まっていたらしく、蹴り飛ばしの距離が短かったこと、そのためにゾンビの方もすぐに立て直していたことが理由である。だがそんな言い訳はこの場において全く意味をなさない。
亡者の両手が彼の両肩を強く抑え込み、その腐臭を放つ口が、がぱりと開けられる。
「くそ、放せ─────があああああ!!」
首もとに、大口を開けたゾンビがかぶりつく。キズナは動脈ごと首の肉をえぐられるが、よろめきながらも必死の思いで意識を保つ。
振り返るとそのゾンビは、もごもごと口を動かしながら噛みちぎったキズナの肉を咀嚼していた。怖気が走るのを感じながらも、怒りを振り絞ってそいつの首をどうにか横薙ぎに切り跳ばすが、そのままキズナも膝を突いて倒れ込んでしまう。
常人なら数秒で死に至る苦痛の中、彼は抉られた首もとに必死で意識を集中する。彼には、自らの傷を治す手だてがあった。こうして傷口に意識を集中すると、その部分が修復されるのである。
緑色の柔らかな光が傷を包み込み、抉られた肉が補完されていく。そうして、致命傷となるはずの傷があった首はもとの形に修復される。しかし、この僅かな間に失った血液は相当の量に達しており、その上この修復は傷が深ければ深いほど使った後の反動が大きい。このような致命傷を治せばその後の動きは本来より何割も鈍くなってしまうのだ。
亡者たちは、勝利を確信したのか緩慢な動きで迫ってきている。キズナはどうにか立ち上がろうとするが、その思いは叶わず、両の爪先を立てたところでよろめき、突っ伏すような形で倒れ込んでしまう。
「…………死に方ぐらい……選ばせろよ……」
キズナを取り囲み、その肉を食らおうと群がる亡者たち。その数はキズナが倒した十数体など及びもつかない、数えることすら億劫になるほどのものだった。
取り囲んだうちの一体に、キズナは頭と背中を両手で抑え込まれる。そして、その亡者が彼の首に狙いを定め大口を開いた。しかし、次の瞬間────。
突如として、ミサイルでも落ちたような轟音が鳴り響き、それと共にキズナに群がっていたゾンビの群が吹き飛ばされた。
「ほう、生きていたか。やはり戦えるようだな」
キズナが虚ろな目で声のもとに視線を向けると、そこには巨大な岩が立ち塞がっていた。しかしそれは岩などではない、跳躍の後降り立ったガンズの姿だ。
「死にたがりと聞いていたが、生きる意思は持っていたらしい」
倒れ伏しながら自らを見上げるキズナを値踏みするように、ガンズが彼を見下ろす。だがキズナは、ガンズの言葉に顔を歪め疑問を表明した。
「リィナからここに来る直前の貴様の行いは聞いている。しかし貴様は今剣を取り戦った。それは生きるためであろう」
キズナはガンズの言葉の意味を計りかねたが、しかし、その言葉の内容には言い様のない抵抗を覚える。
「あんた、何か勘違いしてるんじゃないか」
朦朧としながらも言葉を振り絞るキズナに、ガンズは無言でその鋼のような顔を僅かにひそめることで返答した。キズナは、よろめきながらも剣を支えに立ち上がり、ガンズに向き直ることもなく言葉を続ける。
「…………死にたいと考えたやつで、生きたいと思わなかったやつなんていない。そんな単純に割り切れるもんじゃねえよ」
吐き捨てるように言葉を向けたキズナに、ガンズはあえて反論する様子はない。彼の言う言葉に思い当たる節があると、ガンズの面持ちが語っていた。
「……ふん、まあよい。要はあれが原因なのだろう? ならば、此度はその奮戦に免じこの騒動を納めてやろう」
ガンズの吐いた思わぬ言葉に、キズナは驚きの表情をガンズに向ける。しかしガンズは既にキズナから意識を外し亡者の群れに歩を進めていた。拳を握り歩む背を見て、キズナは放たれる覇気が実体を持って存在しているかのような錯覚を覚える。
それまで覇気に当てられたかのように動かずにいたゾンビ達だが、今度は突然その本能を思いだしたかのように動き始める。先ほどキズナを囲んでいた数など比にならないほど夥しい亡者の群れが、ガンズに向かって殺到する。
しかしその次にキズナが見たのは、爆発音とともに唐突に目の前に現れた、そびえ立つ蒼き炎の壁であった。
それはその場にいたゾンビのほとんどを呑み込み、呑まれた端から糸が切れたようにゾンビが倒れていく。不思議なことにそれらは燃え盛る炎の中にも形を保ち、灰になることはなかったが、再び動き出すこともしない。気がつけばガンズの姿はなく、代わりにあちらこちらから激しい爆発音が鳴り始めた。
キズナが状況を飲み込めずに呆然としていると、炎の爆ぜる音に混じって後ろから声が聞こえてくる。
「あれが、破邪の蒼炎。お祖父様の代名詞でもある、正しきを癒し、邪悪を戒め浄化する聖なる炎よ」
声の主はリィナだ。キズナは気配で察知していたため驚くこともなく、彼女をちらと一瞥する。
「聖なる炎ね……また御大層なものを」
まるで条件反射のように皮肉を口にするキズナに、リィナは小さくため息をついて見せる。
「随分な言い種に聞こえるわね。お祖父様があの程度の相手に直々に手を下すだなんて相当の幸運なのよ。這いつくばって感謝しなさい。勿論亡者などにではなく、お祖父様相手にね」
「また見てたってか。どうやってなんだよ」
キズナは彼女の皮肉げな言い回しから、自身の先ほどまでの様子を見ていたのだと理解する。相変わらず、この暗闇で相当距離も離れていたというのにどういった理屈なのかは、彼には分からなかった。
キズナの言葉を聞いたリィナは彼の方に視線を向ける。しかしその視線はキズナの顔には向けられておらず、そのやや下辺りを見つめていた。
そのままゆっくりと歩み寄り、剣を支えにやっとの思いで立っているキズナの首筋に手を添えて観察する。
「驚いた……あなた、再生魔法持ちなのね。実際に見るのは初めて……。まだ魔法として完全ではないけど、食い千切られた箇所までしっかりと修復されてる」
美貌の少女に至近距離で首元を見つめられ、キズナは思わず少したじろいでしまうが、悟られまいと振り払うようにして顔を背けた。
「再生だ? 魔法なんかじゃねえよ、あれが現れてしばらくしてから使えるようになったんだ。地球にいた俺が魔法を使えるなんておかしいだろ」
無自覚に誤魔化そうと荒い口調になるキズナだが、その彼の言葉にリィナは僅かに考え込むような姿勢を見せ、頭を振った。
「……いえ、これは魔法よ、確かにね。それと推測だけれど、あの亡者の群れや、あなたの言う怪物も恐らくは……」
その言葉をキズナは聞き逃せなかった。自分を長年苦しめ続けた怪物の正体に、彼女は既に気が付いたとでも言うのかと。
しかし、その疑問を投げ掛ける前に、場の状況に動きがあった。
「リィナ様! 十二番隊のクルストであります、部隊のもの共々、遅ればせながら到着いたしました! これは一体何事でありましょうか!?」
飛び込んできたのはキズナの見知らぬ中年の男であった、この騒ぎを聞きつけた兵士なのだろうとキズナは理解する。
そして、彼の後ろには数十人はいるであろう軽く装備を整えた戦士の姿が見える。暗闇で視認できないが、それ以上の数も後ろに控えていることをキズナは察知した。
「あの炎はガンズ様のものではないでしょうか!? 十番隊以下を呼び出す符丁が聞こえたと思ったのですが、何故ガンズ様がいらっしゃるので!?」
「感嘆符の多い男だな……」
男の張りのある声が爆発音をものともせずに響き渡り、キズナは鬱陶しく思い耳を塞ぎたくなったが、その気力すらなく渋面を作るにとどめる。
「状況自体にそれほど高い緊急性はありません。ゲオルク様の実験が少し失敗したようでして、墓地の遺体がリビングデッドとして動き出してしまったのです。偶然近くに居たダインが符丁を放ちましたが、ことはゲオルク様に関わるものですから、仕方なくお祖父様が出られているのです」
リィナからの説明を受けた中年は「なるほど!」と少し甲高い声で返答をすると、「それで私たちは何をすればよろしいでしょうか!?」と前のめりに彼女に尋ねる。
「念のため、住民には家屋に入るよう伝え、周囲に異常がないかを調べてください。ですが、理由を訪ねられても返答を控えるように。お祖父様が出られていることも内密にお願いします。それと、お祖父様の戦闘が終わり次第遺体は回収するので、その準備もお願いします」
「承知しました!」と勢いよく返答したクルストが踵を返し、引き連れてきた部下に伝令を行う。
「……なんで本当の事言わないんだ?」
クルストとのやり取りを黙って見ていたキズナが、リィナに尋ねる。加えて言うなら、実験の失敗とやらで納得されるゲオルクという人物も気になっていた。
「これは召喚された勇者候補生が起こした騒ぎだ、なんて言えるわけないでしょう。あなたが針のむしろで過ごすことになるもの」
気を遣っているような言い回しをするリィナにキズナは微妙な面持ちになるが、「そりゃお優しい」と皮肉を返すのは忘れない。だが、ここでまたもや、キズナは知らない気配が近づくのを察知した。
「そうじゃのお、その優しさをちいとはワシに向けてもええんじゃないかと思うんじゃが。それとも実験を失敗したような師匠はいぢめてもオッケーなんかの?」
現れたのは、絵本に出てくる魔法使いそのもののような、帽子とローブを身にまとった、長髪とそれと同じほどに長い髭をたくわえた白髪の老人であった
「やっほ、キズナきゅん。ゲオルクじゃ、よろしこ」
そんな老人が語尾に星でも飛んでいそうな軽い口調で挨拶を飛ばす様子に、夢が壊されたような気がしてキズナは思わずげんなりとした顔をする。それを横目に頭を痛めるようなポーズでリィナはため息をついた。
「いらしたんですか、先生」
「そりゃあこんだけドンパチやっていれば気になるじゃろ。ま、大体の状況は推測できるがの」
事も無げに宣う老人にキズナは眉根を寄せるが、いい加減驚くのも飽いたのか興味もなさそうにゾンビの群れの方へ視線を戻す。
最早目に見える範囲に動いている屍はおらず、まさに死屍累々の様相で積み上がるそれらに若干の吐き気を催し、えずきかけるのをどうにか堪えた。
すると、それまであちこちから鳴り響いていた爆音が止み、あたりに静寂が訪れる。
「……終わった、のか?」
しかし、それを聞いたリィナは群れのいた方向へ目を細め、わずかに唇を噛んだ。キズナはその姿に、何か言い様のない感情の揺らぎを感じ取る。
「……いいえ、まだ。あと一体残っているみたい」
その言葉の直後、キズナ達のすぐ近くまでガンズが飛び退いてくる。その姿勢はまるで強力な打撃を受けて吹き飛ばされてきたかのようにも見えた。ガンズは受け身を取りながらも、すぐさま攻勢に転じることはなく様子を伺っている。
この巨人を相手にそうさせた個体がいることにキズナは驚きを隠せない。そして、その個体が暗闇の中から姿を表した。
そこにあったのは女性の姿だ。緑色の髪に、生気を失った金色の瞳。だが、その美しさはまるで生きている人間のようにも見える。乱入者があったのかと一瞬考えたキズナだが、そのぎこちない動作からそれがやはり亡者であることを悟らせる。
そしてキズナは、その姿を目にするリィナから、堪えようのない慟哭のようなものを感じ取る。
「…………お母さま」
現れたのはリィナの亡き母、その遺体を盗んだ亡者だった。




