第三十三話 ウルフェムラ内紛、終結
キズナたちが泥の王を打倒した頃、秘水の洞窟の外。
彼らがダンジョンに入る前は入り口前が開けてさえいたものの、緑の豊かな森がそこにはあった筈だった。
しかし、今この場所は半径数キロに及び、その殆どの木々がなぎ倒され、あるいは燃え尽き形を失い、隕石でも衝突したかのような巨大な、広大とさえ言えるクレーターまで出来ていた。
そこに、岩石を背にもたれかかる、巨岩のような男が、息も絶え絶えで倒れていた。
「やはり……手も足も出ないか。今ならばもしや、指先ひとつ程度なら届くやも知れぬと思ったのだがな」
巨岩の男を、全身に傷を負ったダフを見下ろしているのは、自身も二メートル近い長身を持つ女だ。
煌々と光る白と金の髪は、彼女自身の放つ熱で揺蕩い、下着同然の肌には傷ひとつもなく、つまらなそうにダフを見下ろしている。
「お前が、こんなことする必要はなかったのによ」
「……こんなこととは、なんのことか。私はただ、己が利益のために────」
「ばーか、誰が信じるかっつってんだよ。つまらない嘘はやめろ」
長身の女は、ソニアは手持ち無沙汰に長い蓬髪を弄りながら、ダフの声を遮る。
「リィナはお前の計画の殆どを見越していた、だがそうするに至った理由が分からないってよ。あたしに言わせりゃ、お前の考えそうなことだって思うけどな」
ダフは黙して語らず、ソニアの言葉を俯いたまま聞いている。
「まずお前は、国内の不穏分子を洗い出して接触した、自分が帝国と通じていることを仄めかしてな。そして、帝国の連中にスラッシュの妹の居場所を教え、計画を持ち掛けたんだ」
ソニアはダフの計画のあらましを語り始める。
これらはリィナが情報を洗い出して突き止めたものであるが、ソニアにも共有されている。
「ダンジョンに手引きをして候補生たちを罠にはめ、自分とスラッシュが内紛を起こして混乱している隙に進軍して落とすようにでも唆したんだろ。まあ、スラッシュの方は今頃内紛を鎮める側に回ってるだろうけどな」
「なに……?」
だがソニアのその言葉には黙していたダフも反応する。
「スラッシュの馬鹿の妹についてはあいつが救出に向かってたからな、リィナは不問にするつもりだろうよ。むしろなんでお前はあの馬鹿を巻き込んだ?」
「……スラッシュは、あの男は未だどこか、故郷に心を置いてきている。国外に、それも帝国の侵略圏内に親族など、明らかな弱点を放置している甘さがその証拠だ。それはこの国にとってよくない未来を招く。私はそれを早めたのみだ」
ダフがここでようやく、本心を話し始める。
ソニアは仕方なげにため息をついてから、あからさまに肩をすくめて見せた。
「つまりお前の目的のひとつは、この国の不安因子を取り除くことだったわけだ。もうひとつは、帝国への牽制と、リィナの能力の誇示喧伝ってとこか。自分の計画なんて、あいつなら全て見越して対応すると信用してたんだろ?」
「ふん、あの娘の異常さはお前も知るところだろう。国外にも、国内にでさえも、未だそれを理解していないものが多すぎるのだ」
「まあ、末恐ろしい妹分だとは思ってるけどよ……そして最後が、勇者候補生たちに本当の意味で試練を課すことってとこか。リィナですらコントロール不能な状況にあいつらを追い込むことで、相応しいものがいるかを測るってな。全員死ぬならそれはそれでとよ」
ソニアは語るべき事は語り終えたと言わんばかりに、鼻を鳴らしてダフから顔を反らす。
しかし、ダフには未だ、語り尽くしてはいないという雰囲気が漂っていた。
「ひとつ、足りないな」
「あぁ? なにがだよ」
「そこまで分かっていて、何故気がつこうとしない。そのひとつこそが、私が今回のことを企てた真の目的であるのに」
ソニアは怪訝な顔で、しかしその意味するところを半ば理解していた。
「スラッシュを不問にするつもりと言えど、周囲にそれを納得させることは出来るだろうか。そして、私という人間も当然守護者ではいられなくなる。加えて、あの娘もこれから、国の外へ旅に出てしまうのだろう」
ダフは、傷だらけの身体でなおも眼光鋭く、ソニアのことを見据えて語る。
「貴様が暴れている様は帝国の空騎団が目撃している。五星魔女が一角、燬血の大魔女が健在であることは、世界中が知るところとなるだろう」
「健在って……ハッ、昔のあたしならお前を教育するのなんざ五分もかかってねえよ」
「であるならばこそ……それを取り戻せという」
ソニアは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをし、ダフから顔を背ける。
これではまるで、説教を受ける子供のようであり、どちらが師なのか知れたものではないと、ダフはわずかに苦笑してしまう。
「……これから先、世界は混沌へと向かっていく。先代魔王の死後より未だ百五十年ほどしか経っていないにも関わらず、次代の魔王が誕生しようとしているのもある、だがそれ以上に予感があるのだ、この先の時代に貴様が……あなたが再びこの国の守護者に戻る必要があると」
「だから……あたしはもう、後進に席を譲ったんだよ、お前だってその一人だろうが」
「これだけの力を見せていて尚、そんな世迷い言を宣うな。私がこの百年余り、あなたの猫なで声をどんな思いで聞いていたと思っている」
ソニアはがしがしと後ろ髪を搔き乱し、どこともなく地面を睨んだ。
「この国には、未だあなたの力が必要なのだ。そのためなら私は────この命さえ投げ出そう」
ダフは不意に、懐から小瓶を取り出し、蓋を割って中身を一息にあおる。
「お前……今何を口にした」
「なんの事はない、自決用の毒薬だ。リィナの差配で被害が少なかろうと、私は責任を取らなければならない────そして、私の席が空白にならない可能性を、あなたの中に残さないためにも」
ソニアは、思わず唖然としてしまう。
目の前の男の愚直さと決意の固さに。
そして、あろうことか吹き出して笑ってしまった。
「な、なにを笑っている」
「いやいや、悪い悪い。ほんっと、図体ばっかデカくなりやがって変わんねえよなお前は! そういうとこが気に入って鍛えたんだがよ」
「さしもの私も、まさか最期の瞬間が師からの嘲笑とは……」
「嘲笑だぁ? そんなんじゃねえよ、褒めてんだろうが──それはそうとさぁ……お前ってどんくらいまで保つんだっけな?」
ソニアの言葉の意味するところが分からず、ダフは思わず怪訝な顔を返してしまう。
だが、彼女がその右手に、揺らめく炎を現したことでその表情が変わった。
「し、師匠……まさか────」
「お前さ、確か前に血液が沸騰しても生きてたことあるよな」
「ば、馬鹿を言うな、あの時もどれほど苦しんだと────!」
「────毒なんてのはよ、煮沸すりゃいいだけだろ」
ソニアがその表情を艶然と、凶悪に歪める。
ダフは思い出した、自らの師が持つ暴力性というものを。
百年余りという時間があり、その最中を小さな身体で慣れもしない敬語を使って生きていようが、人の本性というものは中々変わるものではないと。
三つ子の魂は百を越えても、そんな思いを抱きながら、ダフの叫び声はしばらくの間響き渡った。
◇
「あらあら、相変わらずソニアちゃんって酷いねー……ダフくんこれまだ生きてるの?」
ソニアがダフを小一時間に渡って焼き上げた頃、彼女の後ろから、少女がけらけらと笑いながら声をかけた。
「……あぁ、なんだお前か」
「やっほーソニアちゃん、ご無沙汰だね」
雪の降り積もる夜を想起させる、水色の混じった淡い白の髪を持つ少女は、ソニアやダフをさえ気安く呼んでみせる。
「道理で森に火の手が広がらねーと思ったよ。リィナのお使いは終わったのか?」
「うん、無事に済んだよ。スラッシュくんの妹ちゃんはちゃんとお兄ちゃんと再会させました」
ちゃんちゃん、などとおどけながら、少女は小さな両手の指先を合わせて、どこか芝居がかった様子で返答する。
「わたしも久々にこことブランの町以外に足を運んだからね、旅行気分でちょっと楽しかったな」
「あっそ、戦後処理でばたついてる帝国の領土によくもまあ、そんな気分でいけるもんだ」
「まあ確かに、物見遊山にしては血生臭かったけどね、だからこそハンゾーくんと旅してた頃を思い出したというかさ」
少女は戦闘の痕跡で荒れ果てた大地を、まるで子供が石飛びをするかのように跳んで回って遊んでいる。
「帝国の連中はどうなった?」
「戦闘は大方止んだよ、内も外もね。姫が初っ端から殆ど瓦解させてたし、わたしもちょっと参加して二、三百人くらい氷漬けにしといたから」
「ふーん、前より力は戻ってるんだな」
「……うん、まあね。もう少し早ければ、エレナちゃんだって助けられたかもなのにさ」
彼女が語るエレナという名前は、リィナの母である女性を指している。
「なんだそれ、嫌みかよ」
「ええ? だってソニアちゃんあの時いなかったじゃん。珍しくひくつだね、ダフくんに何か言われた?」
「……別に」
少女は人差し指を唇に当て、「うーん」と少し考える素振りを見せた後、一瞬だけ冷たい微笑を浮かべて、嘘のように子供じみた笑顔をソニアに向ける。
「いい加減ソニアちゃんも、不貞腐れてないでちゃんとしないとね。男の子たちはこんなだし、姫も旅に出ちゃうし、わたしもついていくつもりだし」
「はぁ? お前、なんでお前まで行くんだよ」
「だって心配じゃん、あの子まだまだ弱っちいし、わたしは別にこの国の人間じゃないし」
ソニアは「ケッ」と吐き捨てるようにして、少女に背を向け、意識を失っているダフの巨体を担ぎ上げる。
「あれ、行っちゃうの?」
「お前と話してると頭痛がすんだよ、これから候補生の連中が中から出てくる筈だから、お前は人を呼んでこい」
「救助に向かうんじゃなくて?」
少女はきょとん、とでも擬音のつきそうな仕草でソニアに疑問を提示する。
ソニアは彼女のこうしたわざとらしい振る舞いが昔から苦手だった。
「リィナのやつなら二時間程度で踏破するだろうがな、方向音痴のお前を向かわせてもどのみち間に合わねえだろ、あいつらが自力で何とかするつもりで出口を整えとけ、あたしはしばらくしたら動けなくなっから」
「はいはい、例の反動ってやつだね。なんだか今回は小間使いが多いなー」
「お前が本格的に暴れたら味方まで氷の柱になんだろうが、雪女が」
「ソニアちゃんに言われたくありませーん」
けらけらと笑いながら答える少女に、ソニアはこれ見よがしにため息をついてみせる。
「……まあ、行くってんならあいつを頼む。エレナの忘れ形見なんだ、お前にとっても大事なやつだろ、サヨ」
「うん、もちろん。ソニアちゃんもしっかりね」
ソニアは少女に、サヨに背を向けて空いた片手をひらひらと振ると、そのまま跳躍して見る間に遠くへ消えていった。
サヨはそれを見送ったあと、秘水の洞窟の入り口へ視線を向け、小さくため息をつく。
「姫、ちゃんと無事だといいな。あの子、けっこー無理しがちだし」
彼女はそんな風にひとりごち、自らもその場を離れた。
◇
「あら、起きた?」
「ん、ああ…………なんか固いと思ったら」
ずべし、とでも擬音の付きそうな勢いでキズナが膝枕から叩き落とされる。
転がされ顔から床に這いつくばったキズナを見下ろして、リィナはふんと形のいい鼻を鳴らす。
「いや、床のこと言ったつもりなんだが」
「だとしても、美少女の膝枕で目覚めて第一声がそれは男として終わってるわ」
「毎度思うけどお前のその底なしの自信はすごいと思うよ」
「愛されて育ったからね」
胸に手を当てた姿勢で、ふんぞり返ってリィナが言う。
キズナは体勢を整え胡座をかくと、ぼりぼりと後頭部を掻いて周囲を見渡す。
馬車の中だ、恐らく秘水の洞窟から帰る途中なのだろう。
一応は王族のリィナが客室などはない荷馬車に乗せられているのは他の国ならあり得ないだろうが、彼女のことだ、そうした馬車は他の状態の悪い候補生に譲りでもしたのかもしれないと彼は考える。
「……終わったんだよな」
「ええ、一通りね」
キズナは外で起きていた一連の出来事を知らない、彼が口にしたのはダンジョン内での一件のことだが、リィナはその他すべてを含めて一通りと答えた。
「……遺体が残っているものは回収されてるから安心して。ダンジョン内に残すと変容に巻き込まれて見失うから」
変容とはダンジョンが定期的に行う代謝のようなもので、中の構造や魔物の配置をリセットする機能を言う。
ダンジョンとはそれそのものが生き物のようなものであるため、魔力を循環させるべくそうした活動を行うらしいとキズナは聞いている。
「……なあ、もとの世界じゃ肉体は生きてるんだろ? 遺体を地球に返したら、あっちで生き返ったりとか……」
「そう甘い話はない。この世界で生きることを選んだなら、魂もこの世界に還るのが摂理よ……ただ」
残酷なことを告げるリィナは淡々としていて、馬車の外に向ける視線は歪みも、細められもしていない。
しかし、キズナの目に写ったその一瞬だけ、わずかに下を向いて強く瞑ったのを彼は見ていた。
「あなたがあいつを倒したから、きちんと連れ帰って弔ってあげられる。私が結界を破って撤退していても、そんな余裕はなかったから」
「そう……か」
キズナは、そんな言葉をどう受け止めていいのか分からなかった。
リィナの撤退に乗っていたとしても、結界の生け贄に立候補していた彼女は、ならば死ぬしかなかったのか。
彼女のくれた魔法がなければ倒せなかったあの泥の王を、彼女の犠牲なしに倒すことは出来なかったのかと。
「俺は……強くなるよ。やっぱりこんな魔法は嫌いだけれど、受け取ったものを無駄には出来ない」
見つめた拳を強く握り、彼はリィナを見据えて宣言する。
「俺は勇者になる。救ってくれたやつらに、救えなかったやつらに報いるため────そして何より、自分のために」
彼女の最後の言葉を思い出す。
自分を好きになってほしいと、彼女は彼にそう願った。
死者の願いを叶える魔法が、自分の持つ願いの結晶だというなら、それだって叶えなければいけないものの筈だから。
「……そう」
リィナは馬車の後方から流れる景色を追っていたが、キズナの方へ視線を流して、緩やかに笑う。
「まあ、いいんじゃないかしら」
大層な決意を表明した筈の彼にも、彼女はあくまで淡々としていた。
それはもう、嬉しそうに。
「ところでお前さ、俺が寝てるとこってそんなに面白いかね。起きると毎回眺めてるし……俺ってもしかしてめっちゃ変な寝顔してたりすんの……?」
「な、なにをバカなことを言ってるのかしら」
「あとさ、お前が俺が風呂に入るたんびに透視で覗いてるの、悪いけどなんとなく察してるからな」
「……い、いいい加減なことを言わないで」
あからさまに狼狽するリィナを見て、キズナはじっとりと目を細める。
「…………発情の魔女」
「ぶっ殺す」
その後、二人の乗った馬車が謎のボヤ騒ぎを起こす騒動があったが、御者台の男は頑としてなにも語らなかったという。




