第三十一話 ホープソング
スザキマナカの人生は、決して幸福のみのものではなかっただろう。
恵まれた家庭で、両親に愛されて、何不自由なく育った。
しかし、その両親は立て続けに自ら命を絶ち、自身もある日突然呼び出された世界で、理不尽とも言える死を遂げた。
だが、彼女はそれを不幸だとは思っていない。
自分を愛してくれた、尊敬すべき両親にも、新たな世界で出会った大切な友人たちにも、抱えきれないくらいに感謝を抱いていた。
そして、初めて心から好きだと思える相手にも出会ったのだ。
存外、情けなかったし、これから先もずいぶん心配だけれども。
けれど、伝えたい言葉はすべて、言えたような気もしていて、だから彼女に悔いなどなかった。
もし叶うなら、この先も自分のことを忘れないでいて欲しいなんて。
それを伝えられなかったことだけ、悔いが残るかもしれないのだけど。
◇
白い空間だ。
真っ白で果てなどなく、どこまででも続いている。
そんな空間に、大きなスクリーンのようなものが浮かんでいて、その前に二人の人物がソファに並んで座っている。
「なんか、恥ずかしいな。自分の人生の走馬灯を、まさか好きな人と一緒に見るなんて」
声を発した空色の少女に、黒髪の男は返答しない。
彼は、無言で唇を噛んでいた。
「きっと、これが最後なんだと思うけど、でも、言いたいことはさっき言えたからなあ。キズナくんは、何か言いたいこととかある?」
「なんで、俺なんだ」
「なんでって?」
「俺なんて、やっぱり……人に好かれるようなやつじゃ──」
言いかけて、言い淀む。
キズナも、その言葉が口にするべきものではないと分かったからだ。
だが、マナカはそれに対して、やはりいつものように薄く微笑む。
「案外、理由なんてないかも」
「え?」
「誰でもよかったとは思わない。君が私にとっての、最初で最後の好きな人。それが嬉しいの。でもね、そこに理由なんていらないんだよ」
キズナは、隣に並んだマナカの姿を見る。
彼女は徐々に薄れていって、今にもその存在をこの空間に溶かしてしまいそうだった。
「人を好きになるのに、理由なんて必要ないんだよ。だから、キズナくんが自分を好きになるのにも、そんなものはいらない」
「でも、俺は……」
「もう、いつまでもうじうじしない! だったらさ、好きになれるように頑張ればいいじゃん!」
マナカは笑いながら、キズナの頬を引っ張ったり、むにむにと弄んでいる。
キズナは涙を流しながら、その彼女の笑顔を目に焼き付ける。
「みんなを、助けてね」
さいごに、キズナの髪をひと撫でして、マナカが真剣な顔で告げる。
「私の力をあげるから、大事に使って。私の、願いの欠片を、あなたの願いで形にして」
マナカは立ち上がり、手を後ろに組みながらキズナを見つめ、後ろへ下がる。
その姿は、急速に輪郭を失い、この空間に、彼の心象風景に溶けていく。
「最後にもう一度言わせて」
空色の少女は、精一杯微笑んで言う。
「大好きでした、元気でいてね」
彼女の姿は、彼女の魂はキズナの中に溶けてしまった。
悔いを残す筈だった、忘れないでという言葉を飲み込んで。
◇
マナカの亡骸は、まだ僅かに熱を帯びていた。
直に冷たく硬直していくだろう彼女はしかし、キズナの腕のなかでまだ体温の名残を放つ。
キズナは、彼女を抱き抱えて、彼女の友人たちの前にそっと寝かせる。
彼女の一番の親友で、グループの中でも最も仲の良かったユウカは、しかし言葉を失って涙を流していた。
嗚咽が洞窟の壁に反響し、キズナの耳朶を打つ。
泥の王は動かない。先程の強個体たちの放出で失った体積を回復することに専念しているようだった。
既に、候補生たちの半数近くが犠牲になっていた。
先程泥の王が見せたように、かの怪物は未だ湖の中に自分の配下を、余力を残している。
キズナとリィナが二人がかりでも、先のような大群を一息に送りつけられては、恐らく今度こそ全滅するだろう。
泥の王がすぐさまそれをしないのも、キズナたちの側に自分を倒すだけの火力がないことを理解し、確実に全滅させるために力を溜めているのだと分かる。
リィナには最早大した魔力は残っておらず、キズナには魔力がどれだけあっても扱える魔法がない。
魔力があっても、それを放つ手段がなかった。
つい、先程までは。
「……待ちなさい、何をするつもり」
今まさに、愚かな突貫によって犠牲を出したばかりのキズナが、泥の王へ向かって歩を進めようとする。
それを、リィナが厳しい声で咎める。
しかし、キズナは振り返って答える。
「あいつを、倒す。今度こそ俺が」
「馬鹿言わないで、この子の犠牲を無駄にするつもり……!?」
「無駄になんかしない、絶対に」
「だったら──!!」
「──分かったんだ、俺の魔法が、どういうものかを」
リィナはふと、キズナの背を見つめる。
キズナはマナカの使っていた槍を拾って、穂先を地面に突き立て、片方の手を胸に当てる。
「俺は、もう」
彼を中心に魔力の渦がゆるやかに巻き上がり、その姿が仄かに照らし出される。
「命を投げ出したりは、しない」
魔力の渦は彼を包みながら、徐々にその規模を広げていく。
静かに世界が歪み始め、変動していく。
その渦中の彼の声が、魔力の反響を含んで洞窟内に満ち満ちてゆく。
願阿魔法、その詠唱が始まる。
「手のひらに祈りを、言の葉に願いを携え、我、幽界の門を叩かん」
彼の周りには限界を越えた濃度の魔力が集まり、歪みは小さな稲光としてその足元を打ち付け始める。
「束ねるは数多の心、紡ぎだすは裡なる絆、この身この魂が朽ちようとも、汝が希望を代行せり」
急速に魔力が収束する音が、まるで荘厳なクワイアのように彼を中心として響き渡り始めた。
「慰霊の調べを君に届けよう──」
そして、その音色が頂点へと達した瞬間、世界から音が消え去り、彼の持つ魔法が、その真名を以て宣誓される。
「──響け、絆の歌」
魔力の奔流は、その中心であるキズナの身体に集約されていく。
高らかに、歌うような音と共に、彼の身体が魔力に包まれる。
強い発光の後、その彼の身にはわずかな変化があった。
その様子を固唾を飲んで見守っていた面々は、思わず目を疑ってしまう。
彼の身体は、少し小さく、華奢に変わっている。
髪はほどかれ、青く澄み渡るような空色は、どこかの優しい少女と同じだった。
「キズナ……それって」
リィナの呼び掛けに振り返る彼の顔は、普段よりどこか中性的で、面影を残しながらも別人のようにも見える。
「俺の魔法……その本当の効力は、死者の希望を、願いを叶えるものだったんだ」
その声色には、彼自身のそれと、空色の少女の二つの色が灯っていた。
「マナカは、俺に託してくれた。この力を、その願いを。だから俺は、叶えてやらなくちゃならないんだ」
槍を引き抜き、片手に構える。
「リィナ、手伝ってくれ。今度こそ、あの怪物を葬り去る!」
その手に持った槍に力を込めて、キズナは強く宣誓した。
その背中に、彼女の思いを乗せて。




