第二十七話 自責混線
倒しても、倒しても、倒しても湧き続ける黒い塊を、彼は一体どれだけ切り裂いただろうか。
薄く透けた身体には何かが飲み込まれている、なんだろう、腕か、左腕だ、太いから男のものか。
そんな風に薄ぼんやりと頭の端で思考し、飲み込まれているその腕ごと黒い塊の核を切り裂く。
墨汁を薄めたような色をしたそれが二つに分かたれて潰れると、中からその腕が吐き出される。
半分ほど溶解され、骨や神経のようなものが露出しているそれを、彼はほんの一、二秒眺めたあと、すぐさま次の個体を倒しに走る。
ダインの怪我は軽くなかったようだ、肋骨も折られているが、それ以上に内臓の一つを潰されたらしい。
治癒魔術を扱えるものが付きっきりで治癒を行っており、命は繋いでいるがしかし、吐き出された血液の量はとても無事とは言えず、簡単に動けるものではない。
油断、だろう。
ダインは若くして戦士団のひとつを任されているがまだ戦闘の経験自体は浅く、五年以上一人で戦い続けた彼の方が命を懸けた争いの場数は踏んでいる程だ。
それでも、この場で自分と拮抗した実力を持っている唯一の人間があっけなく脱落したことに、彼は不意に酷く落胆を覚えてしまう、自分とこちらが抜ければ戦線が崩壊するだなんて、大言壮語を吐いていた癖に、と。
そして、自分はなんと傲慢なことを考えたのだと、自身の思考にすら愕然とする。
ダインは死地であるこの場に決死の覚悟で踏み込んできたというのに。
いや、彼自体は戻れない事を知らずに踏み入れたのだったか。
そんな風に考えて、考えた自分を殴り付けたくて堪らなくなる。
命が、ひとつひとつ潰えていく。
今、また一人誰かが死んだ気がする、それが誰なのかを確認したくない。
彼はいっそ叫びだして、自らの喉を掻き切ってしまいたかった。
何故、死んでいくのか、どうして、自分以外の誰かが。
「やめろ……やめろ、もう…………やめろよ!!」
彼は、ナモリキズナは遂に耐えきれず叫び声を上げ、技も何もなく力任せに手近にいた黒個体に剣を叩きつける。
そんなものは、当然当たらない、当たらないから、反撃を受ける。
躱した先から飛び出した黒個体は器用に地面へ伸ばした触手で遠心力を作り、弧を描くようにキズナの背中へ体当たりをぶつける。
ここに来て初めてまともに被弾をし、突進を受け頭から地面に激突したキズナは、しかしそれでも受け身を取ろうとする。
だが、上手く行かない、片腕が折れていたのだ。
体勢を整えるのに失敗したほんの一呼吸、それは黒いスライムが彼を飲み込まんとするのには十分すぎる時間だった。
「あ、終わっ────」
「バカやろうッ!!」
膨れ上がったスライムが彼を飲み込もうとしたその刹那に、彼はある人物に抱えられて逃がされた。
「ら、…………」
「い……づぅッ! ちくしょう、やられた、くそっ」
彼を抱えて跳んだのはラクだ、見たこともないほど顔を歪めて痛みを堪える彼の下半身を見ると、そこにはあった筈の左足がない。
自分を飲み込もうとした黒個体の方を見やると、その中には膝から下のみの片足が今まさに吸収されている瞬間だった。
「おま、おまえなんで」
「うるさい! なんで君はそう、自分の事となると簡単に諦めるんだ! 助けて貰った命なんじゃないのか!!」
痛みのあまり目尻に涙を浮かべながら、あるいはそれは目の前の人物の情けなさにかもしれないが、とにかく彼は怒っていた。
キズナは、再生魔法で自分の腕を治すことすら失念して、頭を真っ白にしてしまう。
「ご、ごめ……悪い────」
「やめてくれ、自分のせいだなんて思うなよ。この場にいる全員は今、君一人がいなければとっくに死んでるんだ。そうでなくたって、友達を助けるのなんて当たり────ぐうッ、くそっ、いったいなもう…………!」
するとここで、少し離れた所にいたリュウヤが彼らに気付きフォローに入る。
「くっちゃべってんじゃねえ! さっさと体勢を…………待て、アラキてめえその足……」
キズナに続くように黒個体へ対応し始めているリュウヤは、ラクの足を吸収し終えた黒個体を核ごと殴り飛ばすと、振り返って凝然とラクの足を睨む。
彼はその後に言葉を続けず、地面にどろりと溶けている殴り飛ばした個体の残骸を蹴り飛ばす。
「ナモリ、アラキを連れて一旦後ろへ下がれ、前線は俺が気張ってなんとかする」
「おま、何を無茶な────!」
「無茶だと!? お前には出来て俺には出来ねえってのか、馬鹿にすんじゃねえぞ!! 腑抜けは一回下がって頭冷やせっつってんだよ!!」
彼は怒声を浴びて空白になった思考のまま、言われる通り必死になってラクを抱えて後方の土壁の後ろへ退がる。
折れている右腕を庇いもしないままに、彼は抱えていたラクを壁に寄りかからせた。
キズナは、目の前の光景に思考を空白にする。
ダインが先ほど言っていた、手足が切られても状態次第では治癒魔法で癒着することができると。
だが、飲み込まれた場合はどうなる、どうすればいい、どうすれば目の前の彼は失った足を取り戻せる。
思考が二転三転して、どこまでいってもまとまることをしない。
キズナの視界の中でラクは、痛みによって息を荒げながら、ゆっくりと視線を下ろして自分の足を見た。
「は、ははは……自分の足、なくなっちゃったよ」
キズナは、背筋が凍りつくような思いがした。
彼は語っていた、この世界に来る前、自分はある年の頃から自らの足で歩くことができなかったと。
そんな彼がこの世界に来て手に入れたものが、自分の足で立って歩くことができるという権利だったのではないかと。
なぜ、どうして、なんでこんなことに。
思考の混線はどこまでも絡み続け、彼はものを考えられなくなっていく。
「ぐあぁ!?」
遠くで、リュウヤの声が聞こえた。
壁の隙間から見ると、黒個体の攻撃を受けてよろめいている姿が見えた。
助けに行かなければ、彼はそう考えて、右手で剣を持とうとする。
しかし、彼はそこで思い出す、自らの右手が折れているままであることを。
どうする、どうすれば、どうしたら。
再生魔法で治している間に、リュウヤはスライムの餌食になるのではないか、だからと言って片腕で再生の隙などないあの場に戻っていって、リュウヤを助けられるのか。
ラク、ダインが脱落して、自分もおらず、前線で黒個体を単独撃破できるのはリュウヤとマナカだけだが、マナカは後方の指揮と維持で手一杯だ、だとしたらリュウヤはどうなる、自分が行くしかない、腕が折れていようと、足がもげようと、どうにかして、今まさに追撃を受けようとしている百メートル近く先のリュウヤのもとに飛び込んで、自分が身代わりになって、そうすれば。
「とにかく、動け、動け、うご────」
「落ち着きなさい、バカ」
その瞬間、洞窟内に光が満ちた。
およそ百近い数の杖が洞窟内を飛び回り、猛威を振るう黒個体を取り囲んで、白き熱線で撃滅する。
およそ十数秒ののちに、洞窟内は不気味なほど静寂を取り戻し、生き残っていた面々は何事かと辺りを見渡していた。
「待たせたわね。ともあれ、生きててよかった」
「リ、ィナ……」
キズナが振り返った先にいたのは、涼しげに髪を翻す、リィナの姿だった。




