第二十四話 巨水
「にいちゃん! 待たせてすまねえ、状況は!?」
キズナたちが泥の王と対峙するダンジョン最深部、その彼らの撤退を阻む巨大な扉を破壊して、ダインが部隊を引き連れてやってきた。
「扉が壊れたぞ!」
「これで出られる!」
候補生の中から喜びの声を上げるものたちが現れる。
それもその筈だ、最早生きては帰れないと思っていたところに、突然光明が差したのだから。
だが、彼らの中から思いもしない声が上がった。
「ダイン待て! 入るな!!」
唐突に救世主を制する声を上げたのは、その彼に声をかけられていた黒髪の男、キズナだった。
しかし、その制止の声は一歩遅く、ダインは既に部隊の何名かと扉のあった境を越えたところだった。
「キズナ、どうしたの!?」
彼の隣で戦うラクが疑問の声を発する。
しかし、その疑問の答えはすぐに分かることとなる。
「待って……なんで、出られないよ!?」
負傷したニナを連れて扉のもとへ向かったユウカが、ダインの横で狼狽しながら言う。
他にも候補生たちは我先にと扉へ向かうが、やはり誰一人としてその扉の残骸を乗り越えることは出来なかった。
見えない壁のようなものに阻まれ、先へ進めないのである。
「これぁ……結界か。どおやら一方通行で入ったら出れねえ類らしい。あの連中の仕業だな」
「あの連中って、ダインくん何か知ってるの?」
ダインの横に並んだマナカが、自らも見えない壁に触りながら問いかける。
「道中、妙な連中と遭遇してな。といってもそいつらは全員既に死体だったんだがよぉ。この結界もそいつらの仕業で、命と引き換えに強度を上げてんだろぉな」
ダインは、少しばかりの間黙考したのち、外側に残っている部隊員に指示を出す。
「成人済みのやつぁ入ってこい、それ以外は引き返して安全な場所で待機。何人かは外へ状況を連絡しろ」
ダインの言葉に、まだ幼さを残す彼の部隊の隊員たちはうなずきあって結界を越える。
ダインの出した指示は、残酷とも言えるものだ。
何故なら、一歩踏み出した先は既に死地であり、彼らはそれを理解していたのだから。
彼の率いる部隊は未だ実戦投入をされない訓練部隊である。
年の頃はまだ候補生の彼らと同じか低い程であり、十五歳で成人のこの国においても、まだ未成年であるか、成人を迎えたばかりのものが殆どだ。
その彼らが、死を覚悟してこの場に足を踏み入れたことに、マナカは思わず息を飲んだ。
しかし、これでダインとその率いる部隊員二十名ほどが戦線に参加することとなった。
先ほどまでの状況と比べれば、ずっと希望が見えているのは確かだ。
「土魔法が使えるやつらで壁を形成しろ! 負傷したやつをその後ろに隠して治療、あとのやつらぁ打って出るぞ!」
ダインの飛ばした指示によって、スライムたちを阻んで高い土壁が形成された。
相手の様子が見えるよう穴が空けられており、左右と中央に一ヶ所ずつ避難のための隙間が空けられている。
「ダイン、悪い。付き合わせて」
「なんでにいちゃんが謝んだよ、俺らだってこの国の戦士だぜ? 覚悟くらいしてらぁ」
ラクやリュウヤとともにスライムを屠り続けるキズナのもとに、ダインも参戦してくる。
「ダインくん、あのおっきいの何とか出来たりしないかい? どれだけ倒してもあいつが新しく出してくるからキリがないんだよ」
「悪ぃが無理だな、俺ぁ遠距離魔法はそこまで得意じゃねえんだ。半端な攻撃じゃ触手で弾かれるか中で反らされて溶かされっだけだろ」
思えばキズナは、ダインの本気で戦うところを見るのはこれがはじめてであった。
既に格闘戦の訓練ではキズナの方が上回りつつあるものの、魔法ありきならダインの方がまだ紙一重で上手にも思える。
しかし、そんな彼でもあの巨大な泥の王には打つ手がないという。
「まあいざとなりゃぁ捨て身で突っ込んでってやるつもりだがよぉ、それでも核を壊せるかは薄い賭けだろうな」
「馬鹿言うな、お前がそんな役目負うべきじゃないだろ。コリンさんたちのことどうすんだよ」
「わぁってるよ! だから本当にいざとなりゃだっての!」
「それをやるなら……他に適任がいるだろ」
まるでひとりごちるように言ったキズナの言葉に、ダインは「それこそ馬鹿だ」と吐き捨てる。
ラクは少し悲しげな顔を見せながらも、聞かなかったことにするように弓をつがえて打ち放った。
そんな中、リュウヤは一人わずかに手を止め、眉値を寄せて泥の王を見上げていた。
「気のせいか……? これ、俺ら押してるだろ」
リュウヤの言葉に、キズナたちははっとして周囲を確認する。
「ほんとだ……押してる、押してるよ! 新しいやつを出してくるのが追い付いてない!」
ラクの言葉通り、ダインとその部隊の参戦によって、いつの間にかキズナたちの討伐の速度がスライムの生産サイクルを上回っていた。
スライムの群れは徐々にその数を減らし、泥の王の元へ戦線が少しずつ上がっていっている。
「いけんだろこれ……! このまま押していって全員でかかればあのデカブツだってやれる!」
「そうかも……! あの大きな身体だって少しずつ削れば……!」
リュウヤとラクが状況に希望を見出だし、籠手と弓に思わず力を込めた。
しかし、それを聞いたキズナとダインの声は明るくない。
「いや、無理だ。あいつには近づけない」
「ああ、だろぉな」
水を差すような二人の言葉に、リュウヤは睨み付け、ラクは狼狽する。
「な、なんでだよキズナ! 折角このままなら届くかもなのに!」
ラクは思わず矢をつがえる手を止め、キズナに向かって抗議の声を放つ。
しかし、キズナはわずかに唇を噛んでから、襲ってきたスライムの触手を切り払い、流れるように横なぎに斬り飛ばして、冷静に言う。
「まず、近づいても何も出来ないからだ。さっきからあいつが何処に居るのかを見てみろ」
キズナは、すぐさま襲いかかる次のスライムを叩き斬りながら、首をやってラクに泥の王を指し示した。
泥の王は、先ほどから陸よりわずかに離れた場所で動かずにいる。
その場所で、新しいスライムを産み出し続けるのみで、自らは手を出してこない。
「あいつの体積、山みたいにデカいせいで分かりづらいかもしれないけど、さっきから減ったり戻ったりを繰り返してるんだ。多分、子分を産み出して減った分をすぐさまあの湖から補充してる」
「にいちゃんの読み通りだと思うぜ。泥の王は水と魔力がありゃいくらでも再生するって聞いた。その点このダンジョンとは相性が良すぎる。尽きることのない湖の水と、転移陣の先からそこへ流れ続ける魔力でどれだけでも戦えるってわけだ」
「そんな……じゃああいつをあそこから引っ張り出さないとどうしようもないってこと?」
ラクは少し遠くにいる泥の王の身体を見上げた。
そう、見上げたのだ。
遠くにいるのに、見上げる必要があるほどの巨大な身体を、一体どうしたら動かせるというのか。
「それにな、俺らの腰くらいしかないこの子分どもですら、数本の触手を操って、飲み込むときは数倍に膨れ上がる。触手は油断すれば致命傷の上、飲まれても脱出できるのは精々俺とダイン、リュウヤでギリだろうな」
「ああ、それがあのデカブツとなりゃ、どれだけ出てくるか分からねえ触手を掻い潜って身体の中に突っ込んですら、中で洗濯ものみたいに扱われてる間に骨まで溶かされて終いだろぉよ」
冷静に、打つ手がないことを淡々と告げる二人に、ラクは悔しげに歯を食い縛った。
そう、今この場に、この瞬間に、あの巨体を葬れる人間は存在しないのだ。
「じゃあ……どうすればいいって言うんだい……!」
「さっき部隊のやつに外へ助けを呼びに行かせてっからよぉ、援軍が来るまで耐えるしかねぇ。長期戦になんぜこれぁ」
「あいつに近づきすぎず、かつ後退もせずに維持するんだ。身の危険を感じさせたら何をして来るかもわからないからな」
キズナとて、この方針を全面的に支持したい訳ではない。自分以外の人間がどれだけ戦力を維持できるかも分からないからである。
キズナはまだ、自分が本来持っている魔力の十分の一すら発揮することが出来ない。
この二ヶ月あまりの訓練でそれなりに使える魔力量も増えてきてはいるが、それでも表に出せるのはそのうちのほんの一部である。
だが、その分使用する魔力は大気から取り込む自己補完の範疇で済むため、継戦能力は人一倍だと言える。
ダインは恐らく、この調子でなら三日三晩でも戦い続けることが出来るだろう。
キズナもそれ以上は少なくとも、空腹で倒れるまでは戦力を保持し続けたままでいられる。
だが、他の面々はそうはいかないのだ。
少ない魔力を効率的に運用することを長く続けてきたキズナと違って、彼以外の候補生にとっては、全力の戦闘を休みなく続けることは不可能であり、もって一時間というのが殆どなのだから。
「どうする……何か手を打たねえと」
「にいちゃん、焦って下手なことはするなよ。俺とにいちゃんのどっちかでも抜けたら維持すら出来なくなっからな」
「そりゃそうだが……!」
キズナはやはり湖から動かない、かの王を見上げる。
その様は、少しでも冷静に見てしまえば異様であり、威容である。
意思など持たぬようにしか見えない、わずかに濁った山のように巨大な水の塊は、しかしてその実、生きて動く魔物なのである。
彼はふと思った。
やつに、知能はあるのだろうかと。
あるとすれば、この意図された膠着状態を、いつまでも容認しているのだろうかと。
「待て、あいつ……何かするぞ」
キズナの言葉に、最前線でスライムの進行を阻止し続ける中心戦力の四人はかの王を見上げる。
突如、泥の王は体積を減らし始めた。
否、その体積を、一点に集中し始めたのだ。
「待て、まてまてまてオイ……! 何をする気だよありゃあ!!」
リュウヤが瞠目しながら、息を飲んで後ずさる。
泥の王の前方、緩やかに円を象るように集まる水が、出来る筈もない圧縮を受けて圧力を高めていく。
そして、次の瞬間にキズナは叫んだ。
「────全員、避けろッ!!!」
彼の言葉に、反応できたのはおよそ七割の人間だ。
あとの三割のうち半分近くは、泥の王が放った高圧の水鉄砲によって、あるものは手や足を切り落とされ、あるものは身体を縦に分けられ、またあるものは上半身と下半身が物別れになった。
つんざくような噴射の高音に悲鳴と怒号が入り交じり、候補生たちのいる最深部は阿鼻叫喚の様相を呈する。
「なんだよ、今の」
「体積を減らしての超高水圧カッター……てとこか? 今ので何人やられたんだ」
リュウヤとキズナが顔を見合わせてから周囲を見渡すと、先ほどまでスライムの群れを退けて息をついていた筈の候補生たちが、瓦解している様が見える。
亡骸にすがり付くもの、手や足を失って半死半生のものが何人もおり、とてもそれまでのように戦える状態ではなかった。
「怪我人を壁の後ろへ下げろ!! 治癒の得意なやつは落ちた手足を拾って治療に専念しろ、状態次第じゃまだ引っ付く筈だ! 無理そうでも試せ!! 今まで休んでた連中はキツいだろうが前へ出てこい、戦力を落とすんじゃねえ!!」
ダインが怒号をあげて後ろの面々へと指示を飛ばす。
治癒魔法の使い手は傷口の状態次第で、欠損部位があるなら手足の再生も可能だ。
まるきり以前と同様とはいかないものの、動かせる程度になら縫合することが出来る。
ダインの部隊はすぐさま行動へと移し、彼の指示通りに怪我人の回収や治療が行われていく。
しかし、それでも戦線の三割も戦力が落ちれば、瓦解は免れない。
その上で、泥の王はそれだけでは終わらなかった。
「待って、なんか……スライムたちが集まってくよ」
ラクの言葉を聞くより先に、キズナはその様子を凝視していた。
泥の王によって産み落とされたスライムたちが、もぞもぞと、ごもごもと、寄り集まって大きな塊になってゆく。
そして、その大きさは凝縮されるように小さくなっていき、最後には元の個体郡と同程度の大きさに固まっていた。
しかし、それまでは淡い水色だったはずの体色は、薄く黒く、硬質さを感じるものへと変じている。
「気配が……今までのやつと違う」
数で押し切るのが無理なら、質で攻める。
泥の王は、決して知性のない魔物ではない。




