第二十二話 揺るがぬ石像
「全部か。それは出来ない相談だな」
リィナと対峙するスラッシュは、襟元に隠した口を綻ばせて皮肉げに笑う。
それは、決して友好的とは言えない態度だった。
だが、リィナはそれを理解していた。
何が起きているのか、彼の口から聞かずとも既に知っていたのだ。
「ええ、そうよね。あなたは帝国の連中と誓約を結ばされているから」
リィナの言葉に、スラッシュの目の色が変わる。
リィナはそれすら見通していたかのように、彼の小さな身体を見下ろす。
「あなたが帝国出身であることは周知の事実よね。あなたも別に隠してはいないし、既にこの国で過ごしている時間の方が長い。守護者の一人に数えられるまでは幾度となく疑いの目を向けられながらも、あなたはそれに真摯に応えてきたとフィリップから聞いてる」
スラッシュは黙して語らない。
リィナの言葉に静かに耳を傾けていた。
「六十年前、帝国から亡命してきたあなたは、祖国の仲間を容赦なく切り捨てでもこの国に忠誠を示した」
「まるで人を冷酷無比のように言わないで欲しいものだな。私とて何の感慨もなく行ったわけではない」
「ええ、そうでしょうね。けれど、あなたが既に祖国に未練を残していなかったことは事実。でも今になって状況が変わった」
リィナは、懐から一枚の便箋を取り出す。
既に開かれた跡があり、宛名はスラッシュの本名である、イオナ・クレーネフと書かれている。
「悪いけど、あなたの書架を調べさせてもらったわよ。この手紙の差出人は、帝国から亡命した際に隣国のボースルムに置いてきた妹からね」
「リィナ嬢にしては悪趣味な真似をする。友人の家を勝手に家捜しなど」
「帝国は今二つの戦線を抱えている。否、抱えていた。この手紙によれば、ボースルムは既に陥落していて、植民地としての運用が決まっているそうね」
スラッシュは、襟元に顔を埋めてうつむく。
彼は天秤にかけられたのだ。
恩義を感じている自分を拾い上げた国か、最愛の妹のどちらかを。
「あなたは一度ボースルムに足を運び、帝国の将兵あたりに話を持ちかけられた。言い当てましょうか、あなたの結んだ誓約を。ひとつは、内通者として情報を流すこと。ふたつに、工作員の手引きをすること、みっつに、帝国兵に手を出さないこと。誓約はそこまで一方的なものを結べないから、このあたりが妥当じゃないかしら?」
流れるように、リィナはスラッシュの事情を読み解いていく。
その様はひどく淡々としていて、彼は自らが語るべきところなど一つもないのではないかと感じた。
「その……通りだ。流石だな、あなたは」
「その誓約の代わりに妹の身柄を保証された。蓋を開けてみれば、帝国のいつものやり口でしかないわね。あなたにとっては、ボースルムがこうも早く陥落することが誤算だったのでしょう」
「言い訳がましいが、妹には何度も亡命を勧めていたのだ。だが、既にその国で夫も子供も持っていたあいつにとっては、かの国こそが故郷となっていた」
スラッシュの言葉に、リィナは「ふん」と鼻を鳴らして応える。
「それでも、分かりきった弱みをあの国に見せたのがあなたの手落ちよ。その上で、この国を裏切ることを選んだ」
「そうだな……わたしは、最早返せる言葉もない」
スラッシュは、俯いたまま彼女の沙汰を待つ。
この場で撃ち抜かれたとしても、何ら文句は言えないだろうと、瞑目してその瞬間を待った。
だが、その次に彼女から出てきた言葉は彼の予想の埒外であった。
「だから、さっさとこの国のために働いて挽回しなさい。あなたにはまだ役目がある」
「な……バカな、何を言っている……!?」
彼は信じられなかった。
裏切りを働き、国を危険に晒した人間を容認すると言っているのだ。
否、容認するつもりは無いのかもしれない。
もしも帝国側に自分が動いたことを知られたなら、妹の身が危険に晒されるのだから。
「バカなんて言ってないわよ。ここであなたを脱落させること自体が、帝国の思う壺だって言ってるの。何故なら……裏切り者はあなただけじゃないんだから」
スラッシュはまたも愕然とする。
ここに来て自らの知らない事実まで現れたのだから。
「帝国が何故あの程度の戦力で攻めてきたのか。答えは簡単で、それで落とせる目算があるからよ。お祖父様とフィリップが国を離れるタイミングを聞き出し、その上で中心戦力を二つ、自分たちの側につける」
彼はそこで思い至った。
未だに、戦線に参加していない一人の人物に。
「二つ……つまり、あの人なのだろうな。私からは情報を聞き出し、もう一人には直接の協力を要請すると」
「ええ、分かってるのね。何故あの人がこんな事を目論んだのかは分からないけれど、急いで外に出てない戦士を召集して備えなさい。帝国兵に手は出せなくても、それ以外ならあなたも戦える筈よ」
それ以外とはつまり、帝国兵ではなくこの国そのものの人間に敵がいるということ。
つまりは内紛を主導しているものが居ると言うのだろう。
リィナはそれだけ言い残すと、またボードに乗って何処かへ行ってしまう。
「結局、あなたが全部を語ってしまうのではないか」
自嘲するように青髪は笑う。
鮮やかに、明け透けに全てを語ってしまった彼女の背中が遠ざかるのを、ただ見届けていた。
◇
秘水の洞窟の前にある森の開けた場所に、大きな石像がひとつそびえ立っていた。
否、それは石像などではなく、生きた人間だ。
彼は、洞窟の前に仁王立ちをして、ある人物を待っていた。
「ようやく来たか、待ちわびたぞ」
「わたしは、こんな所で会いたくなかったですよ」
彼の前に現れたのは、自分の背丈の半分もないような小さな少女だった。
赤いぼさぼさのツインテールを揺らしながら、彼女は大きくため息をつく。
「どうして、こんなことを企んだですか」
「どうもこうもない。こんな国に嫌気がさしたのだ。手土産でも持って帝国に召し抱えられようと思ってな」
「何をバカなことを、あなたが本気でそんな風に思うなど、信じる筈がないです」
「候補生の連中のところへは通さん。勇者などというものをこの国からは二度と出すつもりはない」
「それが本音というわけですね。であるなら、わたしは妹分のためにもあなたを再教育しなくてはです」
石像の男、ダフ・アンガーマンは小さな少女へ拳を構える。
赤髪の少女、ソニアはどこからともなく露にした巨大な戦鎚を肩に担いで、男を睨み付けた。
「今の貴様に出来ると思うか。師匠」
「ダフ坊の癖にうるせえんですよ、叩きのめしてやるです」
両者は弾かれたように飛び出し、拳と戦鎚が激突する。
衝撃波に森の木々がたなびくなか、ここにまた戦いの火蓋が切って落とされた。




