第二十話 泥の王
「来た……!」
ウルフェムラ上空、飛行魔道具の高度限界よりも遥かに高くに、ひとつの影がある。
緑色の髪を風にはためかせながら、彼女は杖を複合させたボードの上に立ち遠くを眺めていた。
「大規模な転移門、帝国七聖の桃色髪の仕業ね。本人は……来てないみたい」
『ほんとに来やがったってのかぁ? ホラぁ吹いてねえだろおな姫さんよ。帝国のやつらは今他に二つも戦線抱えてんだぞ?」
「数はおよそ二千、空騎兵が五百、火砲を積んだ戦車が二百、あとは歩兵で固めてる。まずは恐らく空騎兵が飛んでくるわ、それ以外の連中は森を焼くつもりでしょうね」
杖の通信越しに疑いの声を発していたアクセルも、取り合うつもりのないリィナに黙して見せる。
「先生とソニアに伝えて、急いで迎撃に出るわよ。私は空の方を受け持つから、あなたは歩兵を、先生には戦車隊への対処を」
『オイ待てよ、ダフのオッサンとスラッシュはどうすんだ。戦車潰すならオッサンの方だろ』
「あの二人は……今回は当てにしないで。それとソニアにはこう伝えて、揺るがぬ石像が拳を掲げたと」
『なんだそりゃぁ……? 良くわからねえからそんまま伝えるけどよぉ……』
その言葉を最後に通信が切れる。
リィナはひとつ、小さく息をついて遠くに展開されている帝国兵の軍勢を見据える。
そして、懐から取り出した魔宝石を指先でぴんと弾いた。
魔宝石は本来、ただのひとつでも売り払えば数年は遊んで暮らせるほどの価値があるものだ。
その魔宝石を彼女は百を越える数所有しており、それを用いた宝石魔術を戦闘の基軸に置いている。
そして、今彼女が弾いた魔宝石は、そんな希少な魔宝石の中でもどれより強く、禍々しい魔力を秘めているものだ。
太古の龍が残した琥珀、その名を臥龍昌石。
その中でも、世界に十二しか存在しない大臥龍昌石と呼ばれるもののひとつ。
リィナの指先に弾かれた勢いのまま、空中の一点に留まり回転する魔宝石は、その回転速度を極限まで高め、発熱する。
「魔法陣、多重展開……射出方向よし、目標、敵歩兵大隊」
リィナはその魔宝石の前方に魔力で描いた魔法陣を五層に展開し、強大な魔力のうねりが空間に歪みを発生させてゆく。
「たまには言うこと聞きなさい
──────爆ぜろ、自滅する火種」
彼女の言葉と共に、魔法陣から放たれた小さな火種が、町を越え、村を越え、森を越えて敵の軍勢に到達する。
そしてその瞬間、極大の火柱が音を殺して高くそびえ立った。
放たれる極光にすら目を焼かれるほどの炎が、敵の軍勢を包み込む。
もしもそれが町の中で上がったなら、数千人を一息に焼き殺すほどの火柱が、敵の軍勢に直撃した。
帝国兵たちは突然のことに隊列を乱しながら瓦解し、千千にバラけていく。
だが、敵の軍勢とて歴戦の兵たちだ。
今の一撃を以てしても、削れたのは精々歩兵が数百、戦車と空騎兵の半分程度だった。
『リィナ、これリィナ! お主またあれを使ったんじゃな!? 威力は高くとも反動が大きい、やめろと言っておったじゃろう!』
杖の通信越しに、ゲオルクが叱責の声を飛ばしてくる。
「すみません、先生。けれど多少の効果はあったかと思います。敵が混乱しているうちに打って出てください。それと、出来れば空の方にも援護をお願いします」
彼女は奥の手だろうとそれが有効なら初手から使う性格だ。
自滅する火種はその威力の反面、反動に自身の魔力経路にもダメージを負うが、制御も効かないために敵味方が入り乱れる場面では使えなかった。
そして、このようなものを使われては敵の軍勢も黙ってリィナを放置したりはしない。
残っている空騎兵はすべて彼女を狙って襲いかかってくるだろう。
彼女はそうして、敵の目標が町の破壊ではなく自身に向くことを目的としていた。
「さあ、このウルフェムラを甘く見積もったこと、後悔させてあげるわ」
開戦の狼煙というには大きすぎる炎を以て、彼女は帝国兵を歓迎する。
頭の片隅に、彼の姿を思い浮かべながら。
◇
「あ、もしかしてここがそうなのかな」
キズナとラクの二人は、洞窟の最深部へと到達していた。
ダンジョンの最深部には、そのダンジョンを維持している魔力の源泉が存在する。
その源泉を守るためにゲートキーパーと呼ばれる魔獣が控えており、それを討伐することで源泉へと繋がる転移陣が姿を表すようになっている事が一般的である。
その源泉部分を破壊すればダンジョンは崩壊し本来の自然な姿を取り戻すが、殆どの場合源泉には手をつけず、その周囲に集まっている魔昌石の回収が行われるのが実際だった。
「この扉を開いた先がゲートキーパーのいる最深部だよね。でも多分もう他の皆が着いてるんじゃないかなぁ……?」
ラクの心配もよそに、キズナは俯いて何事かを考えていた。
心ここにあらずのキズナにラクは仕方なげに肩をすくめ、巨大な扉に両手をかける。
彼の頼りない体重では到底開くことの無さそうな扉に見えるが、ラクはその両手に魔力を込めて押し開いた。
「あ、やっぱり」
すると、彼の懸念していた通り、既に殆どの候補生たちがそこには集まっていた。
ゲートキーパーと呼べそうな魔獣も見当たらず、既に転移陣が遠くに開いているのが見える。
だがその転移陣は、大きな湖の向こう側にあり、泳いで渡る必要がありそうだった。
「あ、キズナくんたちも来た」
候補生たちが集まっている中から、マナカがこちらに気付いて手招きしてくる。
「これ、どういう状況?」
「それがね、何でか分からないけどゲートキーパーっていうのが最初から居なかったんだって。一番乗りだったのはリュウヤくんだったんだけど、来た時には既に転移陣が開いていて、聞いていた話と違うからどうするべきか悩んでたみたい」
リュウヤは他の面々とはチームを組まずに、一人でこのダンジョンに挑んでいた。
それでいて最初に到達したというのだから、彼もやはり侮れないとキズナは考える。
「リュウヤくんの次に来たのは私たちなんだけど、一人で座り込んでるから何かと思っちゃった」
話によると、マナカたちに続いて次々候補生たちが辿り着き、どうするべきか話し合っていたらしい。
ダンジョンに挑んだ候補生たちは総勢四十人で、現在最深部に到達しているのはそのうちの三十五人、ひとチームを除いて全て到達しているようだった。
「これ、何かトラブルがあったって事じゃないかい? 順当に行けば、ゲートキーパーを倒した人間が転移陣をくぐって魔昌石を拾ってくる筈だったけれど……この場合最初に到達したリュウヤくんなのかなぁ?」
「それが、本人はそれで納得してないみたいなの。だからひとまず皆が来るのを……というよりは多分キズナくんが来るのを待ってたんじゃないかな? 場合によっては決闘しようとか言い出すかも」
そうこう話していると、件の人物がこちらに気がついてやってきていた。
リュウヤは不機嫌そうな顔でキズナを見下ろすと、はっと鼻を鳴らして見せる。
「随分と遅かったな。ひょっとして最初からやる気なんて無かったのかよ、こっちはお前を最初に到達させまいと急いだってのに」
「あー、そりゃ悪かった。けど……何か嫌な予感がするんだ、もしかしたらすぐにここを出た方がいいかもしれない」
「何言ってる、この試練の結果で勇者が誰かを決めるんだろうが。お前はそんな体たらくでいいってのかよ」
リュウヤはラクの腰に下がっている魔昌石の袋を見る。
明らかに、彼の腰に下がっているものと比べて数は少なかった。
自分と競う筈だった相手が無気力であることに、彼は苛立ちを覚えているようだ。
「いや……やっぱり、全員で早くここを離れよう────他の皆も聞いてくれ! 何か嫌な予感がする、一刻も早く離れた方がいい!」
キズナは珍しく、周囲の人間に自分から声を発して呼び掛けを行う。
だが、候補生たちの面々はそれを聞いて困惑の表情を浮かべる。
彼らも不完全燃焼なのだろう。
ゲートキーパーは候補生の全員で挑むような相手であると聞いていたため、最後の一戦が勇者となるものを決めると考えていたからだ。
「ちょっと待とうぜそれは、このまま帰るってなるとなんだ? リュウヤくんが不戦勝で勇者かよ。それじゃ体力も考えずに進んだやつがラッキーでなったようなもんじゃん」
キズナと同じルートで先に到達していたアキラが、苛立ちを隠しもせずにキズナに反駁する。
「試練の結果については俺たちが決めることじゃない。引き返す道中でダインに説明すればいい、今はとにかく戻ろう」
キズナは諦めずに説得しようとするが、アキラをはじめとしてそれに納得しない様子の候補生たちは多かった。
だが、マナカはキズナの言葉を聞いて友人たちと顔を見合せ、頷きあっている。
「わかった、私たちはキズナくんの言う通りにするよ。取り敢えずここを出てから考えた方がよさそうだね」
そう口にして、彼女は入ってきた扉に手を掛ける。
いつの間にか閉じていたその扉は、両開きになっているため入ってきた時と同じように押して開けられる筈だ。
その筈だった。
「……あれ? なんか、びくともしないよ」
彼女は「ふんー!」と力を込めて扉を開けようとするが、言葉の通り扉に開く気配はない。
「ちょっとどいてみろ」
後ろで見ていたリュウヤが交代して扉を押しにかかるが、やはりびくともしなかった。
引いて開けるかもしれないと取っ手に手を掛け、全身に力を込めて開けようとするが、やはり開く事はない。
「これ……閉じ込められた?」
マナカの友人のユウカが、不安そうな顔で口にすると、候補生たちの間に恐怖が伝播していく。
すると、転移陣の方を見ていたアキラが何かを見つけて声をあげた。
「あれ、魔獣出てきたっぽいけど」
彼の言葉にキズナがそちらを見やると、そこにいたのは、まるで意思を持った水の塊のようなものだった。
「もしかして……スライムってやつか?」
「お、じゃああいつがゲートキーパーってことだな。スライムなんてただの雑魚じゃんかよ」
リュウヤの発した疑問に、アキラが息巻いて返答する。
すると彼は、我先にと言わんばかりに剣を抜いてスライムに向かっていった。
キズナは、猛烈に嫌な予感が働いてそれを止めにかかる。
「待て……何かおかしい、止まれ!!」
「知るかよバーカ! 俺がトドメを刺すって言ったろ!!」
キズナの制止も聞かず、アキラはスライムに向かって剣を振りかぶる。
人間の腰ほどの大きさの水塊を頭から両断するべく、彼の剣がその切っ先をスライムに届かせようとした刹那。
スライムが、何倍にも大きく膨れ上がり彼を飲み込んだ。
「アキラくん!」
彼の仲間の一人が心配して声を上げるが、当の本人にその声は届かない。
何故なら、彼は全身を水塊に飲み込まれ、脱出することも出来ずにもがいていたのだから。
スライムは全身の体液を操作し、飲み込んだ獲物が外に出ることの出来ないように地面にも外にも手足をつかせない。
飲み込まれたものは、スライムが体液を操作する力よりも強い力で抵抗しなければ、脱出することは不可能である。
彼の様子を見て、キズナは彼を飲み込んだスライムに目掛けて走り出していた。
しかし、キズナが到達するよりも早く、スライムは全身を強く震わせる。
その瞬間、アキラの身体は端から崩れ、溶けていってしまう。
全身をぐずぐずに溶かされ、一瞬のうちにその姿は赤い血の塊になり、スライムの体内で消えてなくなった。
「うそ……そんな……!」
アキラのチームの一人、彼の恋人だった少女が絶望とともに膝から崩れ落ちる。
候補生の面々は愕然とその光景を見届け、そして、その背後から立ち上がった更なる悪夢に目を疑う。
「なんだ……あいつは……」
アキラを飲み込んだスライムの背後、洞窟の最奥にある湖の中から、そのスライムとは比べ物にならないほどの巨大な水塊が立ち上がった。
そして、アキラを飲み込んだものと同程度の大きさの水塊も、ぞろぞろと湖から這い上がってくる。
「泥の……王……」
「なんだいそれ……?」
「俺が読んだ本に出てきたんだ。スライムの中から偶発的に生まれてくる、変異個体。泥の王」
本来、このダンジョンには存在しない筈の魔物。魔獣ではない、外から入り込んだ魔物だった。
候補生たちに、悪夢が襲いかかる。
誰一人、ここから逃がすまいとして。




