第十八話 試練当日
キズナはその日も、いつもと変わらない朝を過ごした。
呪いが消えてからというもの、しばらくは不眠の癖が抜けなかった彼も、二ヶ月半と経った今では夜に不安で目を覚ますことも少なくなってきている。
六時間程度の睡眠をとって、早朝に起き出し、軽く走り込んでから鍛練を行う。
指先や剣先から汗の雫を飛ばして、服の裾で拭い、それから、見守っていたリィナに催促されて朝食の用意に移る。
このルーティンも、もしかすると今日で最後かもしれない。
今日は、彼がここに、この世界に来てから三ヶ月目だ。
つまりは、勇者を選定する試練の行われる予定日であった。
「ほんとは、今の状況で試練なんて行うべきじゃないの」
朝食をとりながらリィナが愚痴をこぼすかのように言う。彼女にしては珍しいなどと思いながら、彼は朝餉の皿から視線を上げた。
「私も、あなたを贔屓するんじゃないかと監督役から外されてしまうし、今は陛下やフィリップもいない。他の守護者たちの反対を押しきって延期にすることは出来なかった」
「仕方ないだろ。候補生たちへの特別待遇がいつまでも続くのは、ほかの国民連中からもよくは思われないだろうからな」
「お祖父様たちがいなければ、私に大した発言力がないのも呆れるでしょう。守護者統率なんて名ばかりなの、いつだったかのアクセルの言葉通りね」
キズナからしても、今朝のリィナにはいつもの覇気を感じない。
それが、この状況を憂いてのものなのか、それとも、裏切り者の正体を思ってのことなのかは、キズナには判別がつかなかった。
「敵が事を起こすとすれば、恐らくこの試練に合わせてくる。目的は未だに見えないけれど……前回の事を思えば候補生たちにも危害が及ぶかもしれない」
リィナが不安そうに、唇を噛む。
彼女の前の皿は、先ほどからろくに手をつけられていなかった。
なのにわざわざ催促したのは、この話をしたかったからなのだろうと、キズナは考える。
「心配すんなよ」
だから、その不安を少しでも和らげられたならと、彼は慣れもしない微笑みをぎこちなく浮かべて言って見せた。
「あいつらには、俺がついてる。何かあれば俺が守ってやる」
リィナは、その言葉を聞いて少し驚いた顔をして、苦い顔で笑って見せた。
「ええ……そうね。私も何かあればすぐに行くから、無茶はしないで」
彼女はそう口にして、ようやく手元の皿に匙をつけた。
◇
「キズナー、遅いよもう。緊張して寝れなかったの?」
「ばか言え、受験前日の中学生じゃあるまいし」
「そんなこと言って、実は猛特訓とかしてたんじゃないかい?」
「試験前日に一夜漬けするタイプじゃないんだよ、俺は」
「ふふ、キズナくんはそもそも勉強しないタイプだもんね」
「うっせ」
キズナは北西の森、候補生たちの集合場所まで到着していた。
ここから更に半刻ほど歩いた先に、試練を行うというダンジョンがあるらしい。
この世界におけるダンジョンは、魔力の影響で変質した閉鎖空間のことを概ね指している。
洞窟や遺跡が一般的だが、場合によっては魔力の濃い森などもそれに該当する。
だが、今回試練を行うのは最も一般的な洞窟型のダンジョンだ。
この国が保有する唯一のダンジョンで、その名を秘水の洞窟という。
彼が集合場所に辿り着くと、そこではラクとマナカが彼の到着を待って話している最中だったらしい。
マナカは彼女の友人たちと行動していたが、ちょうどキズナについてラクと話をしていたところに彼がやってきたので、運悪く「「あー!」」と大きな声で指を指されてしまった形だ。
「それにしてもダンジョンかあ。ちょっとドキドキするねえ…………一体何が出てくるのか」
「一応、絶対どうにもならないほどの魔物は出てこないんでしょ? わたし、炎が効かない相手だと困るから、そうじゃないといいなあ」
「……そうだな。ラクやマナカくらいの実力なら問題ない相手ってことらしいけど────」
キズナは、先ほどまでのリィナとの話を思い出す。それを思えば、彼らの口ぶりは少しばかり気楽すぎるようにも思えなくもない。
「お前ら、あんまり油断はしないでくれ。何が起こっても不思議じゃない……場合によっては、戦うのは魔物じゃないかもしれないしな」
「それって、どういうことだい?」
ラクの疑問にキズナは、周囲を確認して声を潜める。
リィナからは内通者に漏れることを警戒して口止めされていたが、彼らなら問題ないだろうと判断した。
「実はな──」
キズナはかいつまんで、彼らに自らの知る範囲で現状を説明する。
守護者の中に裏切り者がいること、その裏切り者が内通者として愚猿や帝国の部隊を手引きしたこと、その目的がまだ見えていないことなどだ。
「一応、これは誰にも言わないでくれ。敵にこちらが把握していることを悟られたくない」
「う、うん……わかった」
「そうかい……そんなことが」
彼らの目にも戸惑いの色が伺えるが、このような話を突然聞かされれば当然と言える。
不意に、森の中に生ぬるい風が吹き抜け、木々がざわざわと枝葉を揺らした。
キズナは思わず、彼らが不安に怯えているのではとその顔色を伺ってしまう。
だが、二人の表情はそんな彼の予想とは違っていた。
「リィナ様が念を押していた理由はそれだったんだね。私も、少しは覚悟をしておかないとかも」
「僕も、認識を改めるよ。この前の事もあるし……遠足気分じゃいれないや」
キズナが思うより、ずっと彼らには覚悟があった。
この世界で生きていくことの、その意味を考えないほど彼らは稚拙ではなかったのだ。
「……俺は、出来る限りお前らを守るよ。俺が勇者なんてものになるとは……正直まだ思えないけど、今日はその為に来たと思ってる」
キズナの少し思い詰めたような表情に、ラクとマナカは顔を見合わせる。
そして、力の抜けたようにふと笑い合った。
「馬鹿だなぁキズナは」
「な、なんだよそれ」
「僕らは、君の子供や弟じゃないんだよ。僕らは二人とも、君がいなければ下手をすればここにはいないけれど、それでも……その命に君が責任を負う必要はない」
聞きようによっては、突き放すかのようにも聞こえる言葉だが、それはキズナの事を本気で案じてのものだった。
だからこそ、彼にはそれが不吉に思えて仕方なかったのだ。




