第二話 ウルフェムラ森林国
視界に飛び込んできたのは、穏やかな村落の光景だった。小高い丘の上から見渡しても、遠くまで続く広々とした集落、生活の景色。
広大な畑には作業に腰を屈める人々が小さく見え、用水であろう小川が脈絡と行き渡っている。住宅が密集しているであろう地帯には木造らしき建物が見えており、大小様々な形で居並んでいるのが遠目にわかった。
石造りのような建物が見当たらないことから、文明はさほど発展していないようにも見えたが、反面街灯があり街路や区画の整理も行き届いているようにもみえ、日本とはまるで違う景色にちぐはぐな印象を受ける。
そして奥の方に見える巨大な建物が、キズナの興味を強く惹いた。
「あれ……なんだ?」
「ん、ああ砦のことか? でっけえだろ、遠近狂うよな」
得意げに笑いながら答えるダイン。彼の犬歯は、歯というより牙と言った方が適切だと言えるほど鋭く大きい。その牙をむき出しで大口を開け笑うが、キズナはあまり気にしなかった。
「あれはな、国の人口全員を余裕で収容できる大きさなんだぜ。砦と名はついちゃいるが実際は城みたいな役割だよ、この国の王様が自分の居城を建てないからな」
「ふうん……てか、あれも木造だよな? 砦なんて言うが、そんなに要所なら火をつけられたらお仕舞いじゃないか?」
「その心配はねえよ。ありゃ大昔に世界樹から切り出されたものらしい。この村が危機に瀕したとき、この分かれ木のそばからボンボン生えてきて、それを使って建てたんだと。信じられねえよな?」
ボンボン、と言いながら大袈裟な身振りで木の生える様子を表すダイン。しかしキズナはそっけなく横目に流し、「ふうん」と薄い反応を返す。
「この世界の人間に信じられないことが俺に信じられるわけないな。まあ、あんな大きさの木造建築なんて見たこともないから、そうと言われりゃそうなんだなと思うしかないが」
ダインは「そりゃそうか」と納得するような素振りで返すと、キズナの前を歩き始めた。
「ま、軽く歩きながら話そうぜ。うちはかなりの小国だが、それでも一日でまわれる広さじゃないからな。かいつまんで案内すんよ」
それからキズナはダインの案内で見知らぬ土地を歩く。国と名はついているが、実際には村と呼ぶべきものがそのまま大きくなったような土地だというのがキズナの持った印象だった。
「人口も少ないし、領土もこの森に囲まれた土地が唯一のものだ、言っちゃなんだが小国だわな」
ダインは顔見知りらしい畑仕事を行う農家の人間から、林檎のような果物をお土産に持たされており、先ほどからしゃくしゃくと皮も剥かずに牙を立てていた。
「にいちゃんも食えよ、丸一日寝込んでて腹減ってるだろ」
言うやいなやダインはその果物をキズナに放り、自分は二つ目の果物に手を出している。
ダインが種や芯の部分を吐き出すような様子もないのを見るキズナだが、ダインが果物を種ごと食べられる特異体質なのか、それとも品種改良かなにかで誰でも食べられるのかの判断がつかなかった。
キズナは若干渋面をつくりながらも、試すように一口かじりつく。見た目はほとんど林檎だったが、見た目どおりの林檎の味と食感に、洋梨のような風味も混ざっている。
思った以上に気に入り、わずかに目を輝かせたキズナを横目に、ダインは話を続ける。
「だがよ、世界的に見てこの国の影響力はかなりあるんだ。何しろ国民には男女問わず訓練が義務付けられててな、世界的に見ても精強な戦士が揃ってる」
「ふーん……そりゃけったいだな」
林檎もどきを食べながらキズナが返す。徐々に小さくなるほど、勿体ながって少しずつかじる貧乏性だ。
「国王のガンズ様は義勇軍の活動から国を興された方でな、その在り方は今でも健在で、損得度外視で人道活動に派兵するような国さ。同盟国でも特権的に他国での活動が認められてる変わったお国柄よ」
「そうか」と上の空で返答を返すキズナだったが、視線はついに食べきってしまった林檎もどきのヘタに落ちていた。どこか寂しげな目をしてくるくると指先でそれを弄んでいる様を見て、思わずダインは苦笑する。
「はは、気に入ったならまだあんぜ。……とまあ、それに加えて魔術の研究も世界有数に進んでてな。これはまあ、ひとえに研究室の統括をやってるお人の手柄が大きいが……あんまり関わりたくはないのが国民の大半の本音だよ」
「関わりたくない? なんでまた」
ダインから先ほどの果実をもうひとつ受け取りながら、キズナが訝しげな顔で問い返す。
「いやー……なんというか、変わったお人でな。にいちゃんも多分会うことになると思うが気をつけた方がいいぜ」
「ふーん」
ダインの忠告をよそに、キズナはやはり未知の果実に夢中なままであった。
「戦においてはこの国の王でありながら世界有数の戦士でもある破邪の蒼炎ガンズ、世界に五人しかいないペンタグラムの一角である燬血の大魔女を擁し、魔法研究には奇人ゲオルクを筆頭に優秀な研究者が揃ってる。国の守護神である賢狼様もついてるしな、ここに召喚されたのはまあ幸運な方だと思うぜ」
「さいですか」
得意げになりながら語るダインに対して、キズナは一貫して特段の興味を示さないでいた。
実際彼にとっては長居するつもりのない場所であるため、この国のみの話ではなくもっと地球との違いなどについて聞きたいのが本音だった。
「……まあ、殊更それを聞こうとして警戒されても面倒だしな」
ダインに聞こえない声量でキズナは口の中で呟く
キズナが召喚された場所である神殿から2時間ほど歩き、ようやく農業地帯から家屋の集まった地域に出てきた。それなりに商店などが並んでおり、キズナには読めない文字で、食品やら用途の分からない工芸品やらを売っている。
「そういえばさ、なんで言葉は通じるのに文字は読めないんだ?」
ここでキズナは、先ほどの部屋でも感じた疑問をダインに問いかける。ダインはようやくキズナから自発的に言葉を発したのが嬉しかったのか、歯を剥き出して笑顔を浮かべ答える。
「お、それはな! ……なんでだっつったかな?」
しかし、キズナの期待からは外れ、疑問に疑問が返ってくる形になった。
「そんな顔すんなよ! 一応なんとなくは聞いたんだがよ、あんまし覚えてねえんだわ、悪ぃな!」
右手で後頭部をガシガシと掻きながら照れたように答えるダイン。キズナはその様子を見てため息をつくほかなかった。
「まあその辺の詳しい話はリィナの姐さんに聞いた方が分かりやすいと思うぜ。にいちゃん相手ならしっかり答えると思うからよ」
ダインのその言葉に、キズナは頭の上に疑問符を浮かべる。
「俺相手なら? どう考えても他のやつに対してより辛辣にか、無視されると思うんだけど」
「そんなこたねえぜ? 姐さんにしちゃ割と楽しそうに話してたからよ」
それを聞いたキズナは怪訝な顔を浮かべる。
彼女の態度が楽しそうという印象とはかけ離れていたように思えるからだろうか、ダインの見立てが正しいとは思えなかった。
「よくわかんないけど、嫌いな相手だからこそとかじゃないかな」
「まあ初対面であれじゃあな! しかも丸一晩寝ずの看病してた相手が、開口一番皮肉言ってくる訳だしよ。まあ俺も姐さんのことはよくわかんねえんだが、にいちゃんはあとで謝っといた方が筋じゃねえか?」
「……一晩、か」
ダインはキズナのその反芻するような様子を見て、自分の態度を反省しているのだと考えた。
しかし、キズナの内心は違う。一晩、彼にとってその言葉は全く別の意味合いを持つ。
「なら……今夜中にはなんとかして逃げ出さないと」
ダインに聞こえぬようひとりごちながら、彼は人知れずその決意を固める。
隣で意気揚々と歩く少年に、決してばれぬよう気を配りながら。
◇
「え、なに。帰れんの?」
あまりに意外だと言わんばかりに、キズナのすっとんきょうな声が響く。
場所は屋内、木造の少し大きめの建物で、吹き抜けのようになっている二階建ての建造物だった。役場と呼ばれるその建物は文字通り、公的な手続きを行うために訪れる場所だ。
キズナはここで、仮の身分として勇者候補生という、少し身をよじってしまいたくなる肩書きで証明書の発行を行っていた。
「ああ、まあ帰れるぜ、普通に。すでに兄ちゃん以外に呼び出された九十六人のうち、七人が希望してもと居た場所に帰ってるよ」
九十六人も勇者候補生なんてものとして呼び出されていることにも驚いたキズナだが、それ以上に帰ろうと思えば帰れるということが驚きだった。
「いや、それにしてもその人数のうちたった七人……? 普通に考えたらもっと居てもおかしくないんじゃないか?」
「まあ俺もそうは思うがな、何やら世界樹のお導きだかなんだかで、帰るようなやつは基本呼び出されないんだと」
元の世界に帰る。
そんな、知らずに当たり前のように除外していた選択肢が急に現れたことによって、キズナはどうするべきか悩みはじめた。
「にいちゃんの場合は事情が事情だからな、こっちの立場としては帰ってほしくないのが本音だ。とはいえ姐さん曰く今回の召喚の儀式において、極力無理強いはしないっつうのが基本的なスタンスらしいからよ。どうしてもって頼み込めば姐さんも折れるんじゃねえか?」
キズナは先ほどのリィナと名乗った少女のことを再び思い出す。しかし、彼女がそのように簡単に帰還を認めるとは思えなかった。
「いや、あいつのさっきの口ぶりだともう協力するのが当たり前くらいに言ってなかったか?」
「まあ確かに、さっきの強硬な態度は俺もちょっと引っ掛かってたんだが……」
もといた世界、地球への帰還。
それが叶うならわざわざ見知らぬ土地で逃走を図ることもないのではないか、そんな風に考えたところで、しかしキズナの思考は止まった。
「帰って……それでなにがどうなるんだ」
元々、彼は命を絶つつもりで高所から身を投げたのだ。だというのに、何故わざわざその世界に帰る必要があるのか、そもそもそれを言うならこの国から逃げたしたあとも同じで、何処へいこうと只もう一度死に場所を探すだけではないかと。
キズナの表情が暗くなるのを察して、ダインが慮るように声色を落としながら問う。
「どうする……? 姐さんに聞いてみるか?」
キズナは少し思案した後、首をわずかに横に振った。
「いや、とりあえず保留にさせてくれ。あとでもう一度考えるよ」
「わかった、まあ急かさねえからじっくり考えてくれ」
ダインはそう言って穏やかに笑うと、カウンターの女性から何かを受け取り、そのままキズナに差し出す。
「こいつが村にいる間の身分証明だ、一応常に持ち歩いておいてくれや」
キズナは生返事をしながら受け取り、雑にポケットに突っ込む。心ここにあらずの様子に、ダインは頭をかきながら明後日を向き、仕方なさそうに笑うほかなかった。
「まあひとまず今日のやることは済んだかな。にいちゃんも腹減ってるだろうし、さっさと帰るか」
「……帰る、さっきの場所にか?」
不覚にも沈んでしまった声色を恥じつつ、キズナが絞り出すように返答を返すが、その問いにダインは頭を振る。
「神殿は本来人の寝泊まりする場所じゃねえよ。あそこに滞在するのが許されてるのは聖都で洗礼を受けた人間だけだからな」
聖都や洗礼などと、知らない言葉に眉根を寄せるキズナだったが、ここでひとつ思い出すことがあった。
「そういえば、他にも呼び出されたって連中がいるんだろ? そいつらはどこにいるんだ」
召喚されたという人間が何をしているかは知らなかったが、あまりバラバラにいるとも思えない。どこかにまとめられているなら自分もそこに合流するのだろうとキズナは考えた。
「おう、まあ候補生の連中は砦にまとまってるな。だがにいちゃんは今日はそこには行かねえ」
「なんで」
何故か少し楽しげな雰囲気をだしながらダインは指を振ってジェスチャーをする、ちっちっと舌を打つ音に合わせて。
「にいちゃんはうちでもてなすように言われてんだ、特別待遇だぜ? 何しろ期待の候補生筆頭だからな。他の連中とは混ぜねえってことさ」
ダインの言い草にキズナはため息をついてみせる。彼が言っている言葉を額面通り受けとる人間はよほどの純情でもない限りいないだろうと彼は考えた。
「おいおい、そう嫌な顔すんなよ。ま、お察しの通りだが、にいちゃんは目をつけられてるってことだ。監視役としての俺のところで生活するって風に話が決まってるんだよ、悪いけどな」
「そりゃまた、手厚い待遇に痛み入るよ」
やはり皮肉を返すキズナにダインは苦笑する。彼はキズナがそうした態度をとることにさして嫌な印象を抱いていないようだった。相手の人となりで態度を変えない善良さに、キズナはやりづらい感覚になる。
「ま、とりあえず日が落ちる前に向かおうや。今からなら夕食前につけるからよ。」
そう言って役所の扉を開くダインに、キズナは立ち止まったまま伏し目がちに問いかけを投げる。
「なあ、お前はさ、戦士なんだよな。じゃあそれなりに戦えるって思っていいのか?」
唐突な質問にダインは少し驚くが、しかし不敵な笑みを作り返答を返す。
「ああ、勿論。少なくとも、地球から召喚された人間はすぐには魔力が使えないんだろ? それならもしもあんたらが九十人、まとめてかかってきたってあしらってやれるさ」
大言壮語にも聞こえる口ぶりにキズナは疑いの目を向けるが、しかし何かを考え込むかのような様子で数秒の間沈黙する。
「どした兄ちゃん?」
「いや…………なんでもない。日が落ちる前に着きたいんだろ、なら行こう」
首をかしげるダインを横目に、キズナは先を歩き始める。
その背中を、ダインが訝しげに睨むのを感じながら。




