第十話 擦れっ枯らし
キズナは、砦の三階、候補生たちの居室が並ぶ区画に来ていた。
時刻は既に日が暮れた後で、今日の訓練を終えて、食事を済ませた候補生たちは自室に戻っているものが多い。
キズナはそんな場所で、ある人物の部屋の前で煩悶していた。
この扉を叩くべきか、否かを。
「あれ、キズナくん?」
すると、横合いから声をかけてきた人物がいる。
空色の髪は普段より柔らかな印象で、色素の薄い頬は上気して桃色に染まっている。どうやら風呂上がりらしいマナカは、自分の部屋に戻るところだったようだ。
「そこ、ラクくんの部屋だよね、開けないの?」
「あ、いや……まあな」
珍しくしどろもどろな様子のキズナに、マナカは小首を傾げて見せ、はたと何かに気がつく。
「あ、そういえばラクくん最近は夜まで自主訓練してるもんね。それで不在だったのか」
「……まあ、そんなとこだ」
嘘をついてばつが悪いキズナは、ふいとマナカから顔を反らす。
マナカはその姿を見て何か思うところがあったようだが、それ以上に気になるところを見つけてしまった。
「キズナくん、髪のお手入れしてないでしょ」
「え……? いや、まあしたことないけどそんなの」
「ダメだよそれじゃ! せっかく長めに残して綺麗に揃えたのに、痛んじゃったらみっともないでしょ? 男の子が髪伸ばす時はちゃんとしないとだらしないだけに見えるんだから!」
元美容師の卵なりのこだわりなのか、珍しく興奮したように叱るマナカに、キズナは若干面を食らう。
そうして彼が目を丸くしていると、マナカはキズナの手をさっと引いてずんずんと歩き出してしまった。
「お、おい……どこに──」
「私の部屋! お手入れやってあげるから大人しくついてきて!」
やはり珍しく強引な彼女にされるがまま、キズナは手を引かれて歩いていく。
少しだけ後ろを振り返って、ラクの部屋をちらりと見ながら。
◇
「それで、何で悩んでるの?」
キズナがマナカの部屋に連れられて、鏡の前で椅子に座らされてからすぐ、マナカは直接踏み込んできた。
キズナは、少し渋面を作り、話すべきかを考える。
「一昨日も同じ事を聞かれたな……その時は禿げたオッサンだったけど」
「私ハゲてないし……でもその人には話したの?」
「一応、少しだけ」
「そっか、じゃあ私にも聞かせてよ」
らしからぬ強引さを見せるばかりのマナカに、キズナは僅かに考え込んだのち、ぽつぽつと起きたことや、ラクやリィナ、ダイン、ダフらとの話をマナカに伝える。
マナカは、キズナの髪の毛をとかしながら、薄く微笑みを浮かべ黙って聞いている。
キズナが一通り話し終えると、マナカは「そっか」と口にして、やはり微笑みを浮かべた。
「ここ数日おかしいと思ってたんだ、キズナくんも、ラクくんのことも。そんなことがあったんだね」
どうやらマナカは、キズナたちの間に何かがあったことは察していたらしい。
キズナは自分の内心が見透かされていたような気がして、恥ずかしさに目を細めた。
「なるほどなぁ……思ったんだけどさ」
「……何を?」
「キズナくんってほんと、擦れっ枯らしだよね」
「すれ…………いや、おい」
唐突に出てきた悪口にキズナは反論しようとするが、マナカはそんな様子を見てくすりと笑い、キズナは毒気が抜かれて言葉を引っ込めた。
「私思うんだ、君って多分、純粋すぎるんだよ」
「純粋……? 一番遠い言葉だと思うけど」
「ううん、多分ね、根っこが善人なんだと思う。この間だって、魔物から男の子を庇って怪我したんでしょ? すぐに治したらしいけど、痛いのって変わらない筈だしさ」
「そんなの、出来るからやっただけで、当たり前だ」
マナカはキズナのそんな口ぶりに、僅かに眦を下げて微笑む。
キズナはそれを見て疑問を浮かべるが、マナカは視線に気づいたのか首を横に振った。
「そうはね、思わない人だっているの。むしろそんな人の方が多い。キズナくんは、それが当たり前だと思ってるし、人はより善くあろうとするのが当然だって考えてる」
「それは……そうだろ。でも────」
「それをする気が無い人も、出来ない自分も好きになれないんだよね。だから純粋なの、こんな言い方はよくないかもだけど」
彼女の言う通り、その言葉は聞きようによっては少し皮肉にも聞こえるものだ。
無論、キズナは彼女がそんなつもりで口にしてはいないと分かっていたが。
「きっと、君は根っこの純粋な自分に対して、がっかりしてしまうような誰かの振る舞いや、うまくやれない自分に傷ついてきたんだ。だから擦れてしまったし、大事な友達を傷つけた人たちがどうなってもいいと、その時も思ったんだよね」
キズナは黙って聞いていた。
彼女の言葉は、自分以上に自分を見てきたようにすら思えて。
だからこそ、次に出てきた言葉に、その彼女の顔を鏡越しに見ざるを得なかった。
「だからやっぱり、その時の事は間違ってるんだよ」
「それは……何故」
「だって、キズナくん自身が後悔しているから」
事実だった。キズナはあの時の事をここ数日悩み続けている。夜も眠れないくらいに。
「ラクくんやダフさん……? の言うみたいに、勇者としてとか関係なくさ、それはキズナくん自身の在り方や求めるものに嘘をついている。そういう事を続けてしまうとね、人は、それを段々どうでもいいって思ってしまうようになるんだよ」
マナカの語る言葉が、静かに部屋へ浸透する。
キズナは、そんな風に感じていた。
「そうして、自分の求める姿みたいなのを、キズナくんが捨てていってしまうのは、私はちょっと、寂しいかなって思うな」
マナカの言葉には、何かある種の切実さのようなものが見え隠れしていた。
キズナは黙ったまま、考え込むように自分の足元を見つめる。
もぞもぞと足の指を動かしながら、彼女の言葉を反芻していた。
「ラクくんと、仲直りしなよ」
「別に、喧嘩した訳じゃないさ」
「それでも、だよ。折角あれだけ仲良しだったんだから勿体ないでしょ?」
彼女の言う通りキズナにとってラクは、いつぶりかも分からないほどの、気兼ねなく話せる友人だ。
リィナに関してもそうと言えなくもないが、彼女のことを友人と表現するのは、キズナとしてはどこか違うような気がしていたので、ラクがこの世界でのはじめての友人だと言える。
「ともだちは大事にしなさいっ」
冗談めかして笑顔で言う彼女に、キズナは少し笑ってしまった。
「おまえ、牧師の才能もありそうだな」
「あはは、それもいいかもね。でも小難しいお説教なんて出来ないし、結婚とかもしたいからシスターになるのもなあ」
「いや、俺の知る限りこの国のシスターは結婚して子供もいたぞ。というかまだ気が早くないか」
「うーん、そうかも。男の子と付き合ったこともないし」
会話をしながらマナカは、キズナの髪に何やら液体を馴染ませたり、ついでにマッサージをしたりと手慣れた様子で手入れを済ませていた。
この国はどうやら生活雑貨も充実しているようで、彼女の整った自室には様々な小物が配置されている。
マナカは候補生の中でも成績はかなり良い方なのもあって、比較的自由に買い物などが出来ているようだ。
キズナの髪の手入れに使っているのも、そうしたものだろう。
「あ、おい……別に編む必要はないだろ」
「ええー、いいじゃん、三つ編みしてよ。あんまりやってくれてないけど、した方がいいって」
「いや、面倒くさいし、紐で結ぶだけでいいよ」
「なんで? 三つ編み可愛いじゃん」
マナカはそう口にしながら手早くキズナの髪を編んでしまうと、満足げに笑みを浮かべた。
「俺が可愛い必要はないだろ……」
「そんなことないよ」
渋面を作るキズナに、マナカは悪戯っぽく笑い、指先でぴんと結ばれた髪を弾いて見せる。
「人ってね、自分の見た目で自分の意識を変えるところがあるの。人からどう見られるかも大事だけど、自分自身のことをどう見てるかも、見た目で変わるんだよ」
「俺に自分を可愛く思えって? そんなバカな」
「キズナくん、折角顔は整ってるのに一目みた印象だと怖いんだよね。それって、自分をそういう風に思ってるからじゃない? だから可愛くしちゃうの、みんなにも好きになって貰えるように」
キズナは、少しだけ表情を暗くしたあと、仏頂面を作ってそっぽを向いた。
「俺を好きなやつなんて、俺を含めていない」
「そんなこと、ないんだよ」
マナカは少しだけ悲しげに笑うと、手を後ろにして一歩下がり終了の合図をする。
「ちゃんと自分でもお手入れしてね、見てるからな~」
「はいはい、善処するよ」
マナカの様子にキズナは苦笑をこぼし、椅子から立ち上がる。
キズナは手入れ用にと調髪剤の小瓶と櫛を渡され、渋々受け取りながら部屋の外へ見送られる。
すると、立ち去ろうとするキズナをマナカが不意に呼び止めた。
「キズナくん、ラクくんとちゃんと話をしなね」
「……ああ、分かってる。ありがとな」
小さく手を振るマナカに見送られながら、キズナはその場を後にする。
しかし、再度訪れたラクの部屋には、やはり彼は不在のままだった。
◇
「あなたたちがこの世界に来てから、今日で二ヶ月になるわね。ここに残っている人数も、最初の頃の半分近くまで減った」
講義室の前方、壇上で喋るリィナはやや改まった口調で候補生たちに語りかける。
彼女の言う通り、この世界に残った候補生の数は、およそ五十人弱と、はじめの頃と比べればずいぶん少なくなった。
「それでも私が想像していたよりはずっと多く残ったけれど、でも、勇者としてこの国を代表する人間は、その中から一人のみが選ばれることになるの」
数人の候補生が、チラリとキズナの方を見やる。
最初の頃こそその視線には嫌悪に近い感情が多かっただろうが、今となってはそればかりではない。
キズナにとっては、それを喜ぶばかりでもいられなかったが。
「なので一ヶ月後、貴方達には試練に挑んでもらう。今までの訓練とは違う、命の保証は出来ないものよ。だからよく考えて欲しい、参加するか否かを、自分が勇者を志すかどうかを」
キズナは思い出す、数日前に会話した大男の話を。
自分が勇者に、英雄に相応しいのかどうかを。
それは単に、強さのみの話ではないのだと。
「見知らぬ土地での危険な火遊び、その程度の認識の人は、この辺りで身を引くことをお勧めする。元の世界に帰れば、抜け殻として過ごしていた身体と統合されて、こちらの世界での記憶を無くすことになる。あなたたちの認識では、自分は何も変わらずそこで暮らしていた事となるでしょうね」
リィナの言う元の身体との統合というのは、魂によって構成されたこちらの世界での肉体が消え、元の世界に残って普段通り過ごしている身体に魂が戻ることを指している。
元の身体の状態は、彼女曰く哲学的ゾンビと呼ぶべきものだそうだが、つまりはこの世界で過ごしたことそれ自体がなかったことになるのだ。
「それを惜しんで残る必要はない。この世界に残ればあなたたちの世界では遭遇しない、危険や争いと隣り合わせになるから。それに、魂に刻まれた情報は元の世界でも、あなたたちを少しだけ強くすると思う」
希望を持たせるような言葉と裏腹に、候補生たちの間に流れる空気が僅かに重くなる。
数日前の愚猿襲撃の際、犠牲者が出たという話も影響しているのだろう。
彼らは既に意識し始めている、この世界では、命の保証は必ずしも無いものなのだと。
「改めて言うわ、よく考えて決めなさい。私はその考えを尊重するけれど、全てに責任は持てないから」
リィナの言葉は、ある種冷酷とも言えるものだ。
試練に臨めば命の保証は出来ないことを、再度忠告する意味合いなのだろう。
キズナはそれに、少しだけ違和感を持った。
彼女の手腕であれば、予め内容を知るであろう試練とやらで犠牲者を一人も出さないことなど、容易ではないかということ。
だがそれが、出来ない可能性がある何かを、危惧しているのではないかと。
「決めるのは貴方たち自身よ、この世界で生きるか、それとも元の世界に戻るか。ここで生きなければいけない理由を作ってはあげない、だから、貴方たち自身で決めなさい」
やはり、冷淡とも言える言葉で締めくくり、リィナは壇上を降りて部屋を後にする。
ざわつく候補生たちの中で、キズナはふと、少し離れて座るラクと目が合った。
彼は穏やかに笑みを向けてきたが、キズナは思わず視線を外してしまう。
ばつの悪さを誤魔化すかのように、彼は脳内で反芻する。
彼の言う、勇者としての在り方、ダフの言う、英雄としての資質。
そしてマナカの言う、自分自身の求める姿。
そして、元の世界に戻るという選択肢が、自分にだけはないことを考えながら。




