第一話 異世界召還ってやつ?
怨嗟の声が響く。
悲しみや憎しみ、怒りと失望、それらのない交ぜになった感情が、内側から蓋をこじ開けるように、彼らの口から放たれる。キズナはただ、その声を前に呆然と立ち尽くしていた。
最早感慨すらないように思えて、しかしてその怨嗟を鏡のごとく反射するように、時折酷く醜い感情に身体が支配されている。その繰り返しの中で磨耗し、もはやそれらは彼の日常に普遍的に存在するものとなった。
既に自身から離れていった、あるいは自ら離れたはずのその怨嗟のこだまは、彼の魂にこびりつき、日々生きる中で常に隣り合わせになっている。少なくとも彼はそう感じていた。
彼はただ、生きようとしていただけだった。しかし、彼はそんな、生物として当たり前の欲求すら、自らには贅沢なものに思えていた。
「お前など死んでしまえ!!」
そんな声が聞こえた気がして、彼は目を覚ました。
◇
キズナが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。木造の天井には照明らしきものがぶら下がっているが、中に収まっているのは電球ではなく、四角錐の水晶である。目線を横にずらすと、薬棚のようなものや、見たこともない文字の書かれた時計、カレンダーに、机の上には宙に浮いているようにしか見えない何かの機械などがあり、自分の横になっているものとは別にベッドがいくつか並んでいる。
そして、反対の廊下側に目線をやると、そこには見知らぬ少女が椅子に腰かけていた。何やら読書に夢中なようで、キズナが目を覚ましたことには気がついていないように見える。
キズナはその顔貌に妙な感慨を抱きながら、吸い込まれるように彼女の造形を追う。
美しい少女だった。少女といっても、女性としての成熟の近い頃に見える、恐らく10代後半の、更に終わりに差し掛かる頃。
自分と同年代くらいだろうかとキズナは思う。
その瞳はまるで宝石を嵌め込まれたように輝きをこらえ、長い睫毛によって装飾されていた。細い鼻筋と、小さく結んだ唇は彼女の聡明さを表すように表情を変えず、淡く白い肌に薄い桃色が映える。
しかし、それ以上に驚いたのは彼女の髪の色だ。彼女は、艶のある深緑色の髪を持っていた。森の木々を集めたようなその髪は長く伸ばされ、よく手入れが行き届いていることを感じさせるように放つ光沢が、それが作り物ではないことを思わせる。
瞳の色もよく見れば黒ではない。伏せた目には金色の瞳が嵌まっている。深緑の髪と相まって、彼女には例えようのなく神秘的な雰囲気が纏っているとキズナは感じた。
「あまり、じろじろ見られると気が散るのだけれど」
キズナの不躾な視線に気づいたのか、それとも最初から分かっていて見過ごしていたのか、彼女がキズナを諫める言葉を放つ。ぱたりと音を立てて本を閉じ、キズナの方に顔を向ける少女。
その表情は理知的という言葉がこれ以上ないほど似合うもので、更に意志の強そうな眉の形が理性を強調する。キズナはその表情や佇まいに思わずたじろぎ、返す言葉を失い口をつぐんでしまった。
「……あら、目が覚めたらこんな美人が側に控えていたのだから、何か言うべきことくらいあるんじゃないかしら?」
しかし、そんな感慨混じりの戸惑いも、強気な発言に思わず吹き飛んでしまう。
「……いやね、死んだと思ったらこんな場所にいたもんだから驚いてな。地獄も案外質素なんだなとか、鬼も読書をするんだななんて、場違いな事を考えていてさ、悪いね」
すらすらと、初対面の相手に不躾な軽口を叩くキズナ。しかし、その彼の様子に少しばかり首をかしげながらも、少女は淡々と言葉を返す。
「……あら、失礼ね。あたしが鬼に見えるだなんて、どちらかと言えば天使じゃないかしら?」
「天使か。仮にそうだとしても、どちらかと言えばワルキューレとかの類いに見えるけどな。」
へらへらと薄ら笑いを浮かべながらキズナが皮肉を言う。その様子を見て、いよいよ少女が眉根を寄せた。
「ワルキューレ、ね。素直に受けとるなら、あまり褒められているようには聞こえないわね」
「そんなことないぜ。まあ、勇者を導くはずのワルキューレが、俺なんかの看病をしてるのは少し的外れに思えるけどな」
「ふうん」と、何か残念そうな顔をしながら少女は言葉を反芻している。その表情を見て、自分の自暴自棄な言動を少しばかり後悔する。
彼には他者とのコミュニケーションにおいてこうした癖があった。相手が内容や単語を理解しているかどうかを度外視して、独りよがりに会話を完結させてしまう癖が。
これは彼にとって、他者を遠ざけるために無意識に身につけた、ある種の社交術だったが、望んでそうしておきながら勝手に傷つく己の滑稽さを、彼は自分でも愚かだと思っている。
しかし、彼女の次の言葉は彼の意表をつく。
「……まあ、勇者を導くという点では間違ってはいないわね」
「……は? なんだそりゃ」
思わぬ肯定を受けて、キズナは怪訝な表情を返す。
「当然でしょ、あなたは勇者としてこの世界に呼ばれた咎人なのだもの。まあ、まだ候補生の一人でしかないけれどね。」
自分と遜色ないほどに、ないしはそれ以上に訳のわからないことを一方的に宣う少女を見て、言葉の内容の理解に一呼吸遅れる。
だが、その言葉の意味を理解したところで、勇者、そんなゲームや小説の中でしか耳にしない言葉に、思わずキズナは笑い声を堪えきれなくなる。
「くくく……ははは!! いよいよもってなんだよそれ!? 俺が勇者? 的外れどころの騒ぎじゃないな! その緑色の髪も何かと思えばコスプレ趣味か? 脳内設定にでも付き合わせる気かよ?!」
キズナが馬鹿馬鹿しい笑い声をあげてみせた様子を見て、少女はその顔についに不満を表明した。
「……何がそんなにおかしいのかしら。言っておくけど、この髪色は染めてなんかいないわよ。お母様からいただいた大事なものなの。馬鹿にすることは許さない。」
「そりゃすまなかったな。何しろ、俺は勇者なんて柄の人間とは程遠いからさ。それにしても咎人ってなんだ? 罪人をわざわざ選んで呼び出してるのか? それなら俺が選ばれたことも多少は納得がいくけどな」
少女はひとつため息を吐き、キズナの言葉に顔をしかめる。
「咎人というのは、あなたの世界に存在する人間を指す俗称みたいなものよ。別に、あなた個人がどうであるかなんて関係ない。まあ、失言ではあったかもね」
「ふうん」と興味なさげにキズナは生返事をする。
少女の言葉を真実とするなら、ここは元いた場所とは別の世界ということなのだろうかとキズナは考える。その上で、別の世界に属する人間をそんな風に呼称することには何か気分の悪い背景が存在しそうだと考えたが、今の彼にとってはさして知りたいことでもなかった。
「それで、その咎人を勝手にこんなところに呼び出して、いったい何をさせようって言うつもりなんだ?」
「言ったでしょう、あなたは勇者の候補生として召喚されたの。この国を代表して旅立つ勇者の、数多いる候補の一人よ」
キズナはそんな彼女のぞんざいな口ぶりに、場違いな安堵を覚える。
彼は、人に嫌われることを望んでいた、それしか知らなかった。そしてそれは、目の前の彼女も例外ではない。
「ダイン、来なさい」
少女が唐突に部屋の外に向かって声をかける。すると、扉を開けて一人の少年が室内に入ってくる。
「おいおいリィナの姐さん、部屋の外で聞いてたけどよ、なんだか厄介そうなやつだなそいつぁ」
肩をすくめながら少女を姐さんなどと呼ぶ彼は、犬のような耳を持ったオレンジがかった茶髪の少年であった。年の頃は日本なら高校生か大学生くらいのものに見えるが、日本人とは違う顔つきがキズナの判断を迷わせる。
そして、キズナはここに来てようやく、目の前の少女がリィナという名前であることを知った。
「よおにいちゃん。俺の名前はダイン、このウルフェムラ森林国の戦士団で戦士長の一人を務めてるもんだ」
右手の親指で自らを指差す様子は、荒っぽくもあるが快活さがあり、友好的な立場を示そうとしているのが見てとれた。
彼の頭から生えている犬のような耳が偽物でないとするなら、先ほどの彼女が言う、ここが元の世界とは別の異世界だという話が真実である根拠になるかもしれない。
「まあ戦士長っても最年少で、実際は他の団で受け入れられないガキやなんかのお守りみたいなもんだけどな。今回の勇者召喚ではにいちゃんのお目付役を任されてっから、しばらくよろしく頼むぜ」
「ふーん、まあよろしく」
だがキズナはまるで興味なさそうに明後日を向き、つまらなそうな声色で返す。
「……っておいおい、つれねえなにいちゃん。もうちょっとリアクションくらいねえのか? こう、なんで俺が勇者なんてーとか、家に返してくれーとか、あるいは逆に任せとけ! くらいの事を言うとかさあ」
「別に、まあやるとは言ってねえけど、帰ろうとも思ってないな。そもそも候補生ってことは他にもいるんだろ? そっちに譲るから、俺のことは適当に野に放ってくれよ」
あくまで友好的な会話を試みる少年にキズナは投げやりな態度を隠そうともせず、心底どうでもよさそうに、彼は床から目線を動かさない。だが、リィナはため息をつきながら、彼の言葉を否定した。
「残念ながらそうはいかないのよ」
「はぁ? なんで」
横柄な口調でリィナを睨み付けるキズナだが、彼女は全く怯むことはなく言葉を返した。
「あなたは、召喚の儀式に必要な資源のほとんどを使い果たして呼び出されたの。あなたを呼び出したことで、魔法陣も壊れ、半分以上残っていたはずの魔宝石はその全てが使用済みになり、召喚には使えなくなった。あなたの首にかかっているそれを見てみなさい」
言われてキズナは、自分の首に見知らぬ宝飾品が下がっていることに気づく。それは、血のような赤色の宝石が大きく嵌め込まれた首飾りだった。
日本でなら一体どれほどの値がつくのか分からないほどの大きさを誇る宝石だったが、しかし、その赤は血のようにどす黒く、まるで不吉を絵に描いたようにさえ見えた。
「なんだこれ」
「それが、あなたの召喚に使われた魔宝石の結晶化したもの。百を越える魔宝石がそのひとつに統合されたの。それは不可逆で、もはやあなた以外には使えないものになっているのよ」
「ふーん、じゃあ貰っていいのか」
図々しい言葉を吐きながら、キズナは首飾りを指先で弄び、爪の先で弾く。その様子をみて、リィナは少し顔をしかめた後、その表情を抑えるためというように、目を瞑り息をつく。
「……あなたにしか使えないのだから、そうするしかないわね。ただ、もちろん何の対価もなしにという訳にはいかない。それはこの村で数十年がかりで集めた資源の半分を使っているのだもの。売り飛ばして遊んで暮らそうだなんて思われてもたまらないわ」
だが、キズナは尚もふてぶてしく返す。
「はっ、なんだよそれ。勝手にこんなとこに連れてきたんだから迷惑料としちゃ不足なくらいだろ」
「おいおい兄ちゃん、それは────」
「ダイン、いいから」
見かねたダインが割って入ろうとするが、リィナが片手を差し出して諌める。
「そんなことを言うけれどあなた、別に遊んで暮らしたいなんて考えてもいないでしょう? それに迷惑料どころか、むしろあなたには感謝して貰わないといけないんじゃないかしら?」
一転、不敵な笑みをうかべてキズナに問いかけるリィナ。その様子を見たキズナは、何かを察したかのように表情を固くして答える。
「……どういう意味だ」
「分かってるでしょ。だってあなた、飛び降り自殺の未遂者なんだもの。結果的に私たちはそれを助けたのだから、あなたは私たちに感謝こそすれ、迷惑だなんていう筋合いはない。むしろ私たちに付き合う義務がある、違うかしら?」
「チッ」と、小さく舌打ちをしてキズナはそっぽを向き黙り込む。
シラを切れるなら切りたかった彼であるが、どうやら見透かされているようだと知るほかになく、返答をしないことを選択する。
「望むと望まざるとに関わらず、あなたは村の資源を食い潰した。そんなあなたが自殺志願者だなんてことは、私たちにとっても頭の痛い話よ。だから目付けとしてこの男をつける。知らないところで死なれても困るし、拐われるようなことになれば目も当てられないから」
後ろのダインを指差しながら、物騒な言葉を吐くリィナは、あくまで淡々としながら話す。キズナは彼女に冷徹な印象を抱いたが、自らの態度を思えば当然でもあった。
「あなたひとりの命じゃないってやつね、男冥利に尽きるでしょう?」
そんな皮肉と共に、彼女は笑顔をうかべた。
先ほどは冗談で言ったはずの言葉だったが、キズナには本当に鬼か悪魔の笑顔に思えてくる。
部屋に僅かに沈黙が流れる。見かねたダインがぼりぼりと頭をかきながら言葉を発した。
「……あー、つかよお、二人ともいい加減名乗りくらいしたらどうだ? ここまで話して素性が割れてるの俺だけじゃねえか」
ダインの進言にリィナは「そうね」と答え、咳払いをひとつして話し始める。
「私はリィナ────リィナ・ソルバシア・ウルフェムラ」
瞼を閉じ胸に手を添え、敬意を表するような態度でキズナに向き直るリィナ。だが、キズナは明後日の方に顔を背け、苦虫を噛み潰したような顔をしたままだった。
「呼び方はなんであれ構わないわよ。この国の守護者統括代理であり、研究統括補佐も務めてる。どちらも仮の立場だけれど、今回の召喚の儀でも責任者の一人になってるわ。つまり、貴方たち召喚者の身柄を預かる立場にあります。何か問題があれば私が対処することになるから、その時は言いなさい」
先ほどまでのやり取りがなかったかのように、親切そうな振る舞いでキズナに語りかけるリィナ。しかしキズナはやはり、しかめた顔のまま簡潔に言葉を返すのみだ。
「ナモリキズナ、ただの死に損ないだ」
そんなキズナの不貞腐れた声色を聞き、リィナは少しばかり顔をうつむかせ、小さく「やっぱり、間違いじゃないのよね」と呟く。
キズナはそれを聞き眉を上げ、なんのことかと問いただそうと考えを巡らせたが、しかしリィナ本人に遮られた。
「それじゃ、あとのことはダインに任せるから。いい加減他の召喚者たちへの説明も済ませなきゃならないし」
淡々とそう口にしながら、リィナは傍らの魔女帽子を被って、すくっと立ち上がり足早に部屋を立ち去ってしまう。ダインは「あいよ」と短く返事をした。
「ちょっと待っててくれや」
そんな風に軽く言っては、自らも部屋から出ていってしまう。
一人になったキズナは、先ほどまでのやり取りを反芻していた。
自殺の失敗、元のそれとは違う世界に、召喚や魔法、勇者などという、馬鹿げた妄想じみた言葉の数々。
そのどれもがまるで現実感に乏しく、自分は本当はやはり死んでいて、これは何か末期の夢でも見ているのではないかと馬鹿馬鹿しい考えを巡らせる。
自分の住んでいた世界にも、自分の居場所などありはしなかった。然るに、元の世界に帰ろうとも特に考えなかったが、だからと言って訳のわからない他人の事情に付き合わされたいとも思えなかった。
自分にはどうやら監視がつくらしいが、抜け出すのはさして難しくないだろうと、彼は甘い考えを巡らせる。
しかし、そう考えながらも、先ほど話していた見知らぬ少女の顔が思い浮かぶ。正直なところ憎たらしいという印象だったが、不思議とそれが嫌ではなく、むしろ心地よさすらあった。
そんな考えを自分が持っていることに忌避感が芽生え、軽く頭を振る。思考を抜け出すための算段に戻し、いつどのタイミングで実行するかを組み立て始める。
そうして思案していると、ダインが部屋に戻ってきた。
「待たせたな、とりあえず着替え持ってきたから、これ着たら礼拝堂の方に出てきてくれ」
そう言うとダインは手に抱えていた服をキズナの乗る寝台に放り投げ、「待ってるぜ」と口にしまた部屋から出ていってしまう。
「扱いが雑だな……まあ、その方が都合いいけど」
身体を起こし、寝台から降りて立ち上がる。
どれくらい気を失っていたのかを聞き忘れていたことを思いだしながら、少しふらつく頭を抑え渡された服に袖を通す。
彼は服の素材には詳しくはないが、簡素な作りであるものの着心地も悪くなく、動きやすいものだった。
キズナはかなり背丈のある方だが、丈は短くないどころか、少しばかり余っているように感じる。
しかし、下穿きの木綿地のパンツは丁度の丈であるため、シャツに関してはそうしたデザインなのかもしれないと考えた。
荷物はない、元々飛び降りた際は何も持たずにいたため、おそらく全て元いた場所に置いてきたのだろう。そこまで考えて、本当に自分が別の世界にいるだなんてことがあるのかと、ふと疑わしく思えてきた。
この部屋のよくわからない小物や知らない文字も、全てが作り物で、部屋を出たらドッキリの札でも持った人間が待ち構えているんじゃないかと。
部屋を出ると廊下に出た。楕円形の不思議なカーブを描いているようで、廊下自体がかなり広そうだった。
陽光の差す窓が点々と並び、その合間には瑪瑙のような鉱物が散りばめられた工芸品が掛けられている。廊下の内側に登り階段が見えることから、何かの建物の一階にいることが分かった。天井の照明はやはり四角錐の形であり、キズナは見慣れなさに妙な感覚に駆られる。
左右に伸びた廊下の、ダインが向かっていった左側の方へ足を向ける。すると突き当たりに両開きの扉があり、おそらくこの先が礼拝堂とやらだとわかった。
扉を開き、先に進むと、想像していたよりもずっと天井の高い大きなホールに出た。
「うわ……なんだこれ」
数十メートルはあるほど高い天井からは、薄く七色の光が降り注ぎ、これはどういった仕組みだろうかとキズナを驚かせる。数百人か、あるいは千人以上は座れる数の椅子と台が並び、その周囲には燭台が並び立っていた。
しかし、何よりキズナの世界と違ったのは、その礼拝堂の正面奥、本来なら神の偶像が立っていそうな場所にあるのが、巨大な木の幹であることだった。
淡く光を放つように見え、そうしたものを見たことがないキズナにでも、神秘をまとっていることが一目にわかる。幹は高い天井を突き破り更に上に伸びているようで、よく見れば、建物自体がこの巨大な樹木に寄り添って作られていることがわかった。
「建物自体が、この木がありきなのか」
周囲の壁にも、木の根のようなものが伝っており、建物とこの巨木が一体となっていることをようやく理解する。先ほどのなぜか楕円形に作られていた廊下も、この巨木の周囲をぐるりと囲んでいたからなのだと今になり気づいた。
すると、巨木の前、礼拝堂の中央から先ほど聞いていた声が聞こえる。
「すげえだろ」
巨木を見上げながらダインが現れ、不敵な笑みを浮かべる。
「これはな、世界樹の分御霊らしいんだ。世界各地に存在する聖樹の分かれ木、星の隅々に行き渡る神の意思だそうだぜ」
神の意思だなどと、大袈裟な言葉にキズナが訝しげな顔をダインに向ける。
「まあ、そっちの世界の人間じゃ知らなくて当然だろうな。この世界で最も大きな宗教は、これの大元、大陸の中央から根を伸ばす世界樹を信仰するラウルス教ってんだ。この分かれ木を含め、世界樹にはどんな戦士でも傷をつけられねえ、世界樹自体が許さない限りな。おっと、試そうとするなよ、バチが当たるからよ」
笑いながら、ダインは額にある小さな傷をトントンと叩いて見せる、どうやら彼は試したらしかった。
「なんか、すげえな」
キズナが、思わずといった調子でぼそりと呟く。するとダインは「わはっ」と軽く笑いをこぼし、意外そうな顔をする。
「にいちゃんもそんな顔するんだな。その様子だと、ここが別の世界だって納得いったか?」
「まあ、少しはな」
肩をすくめてキズナが返答すると、ダインは満足そうに笑った。
「それじゃ、軽く礼拝を済ませてから外に出るか」
「礼拝? 作法なんて知らないぞ俺は」
周りを見渡しつつダインの元に歩み寄り、キズナはぶっきらぼうに返す。
「なあに、大して作法なんてねえよ。まあ、教会の連中は正式な作法に則るが、ほとんどのやつは何となくでしかやってねえ。神は寛大であらせられる」
口の端を吊り上げニヒルに笑いながら、ダインはキズナに側に寄るようジェスチャーする。キズナはダインの横に並ぶと、彼が片膝をつき両手を組んだのを見て、見よう見まねでそれに倣う。
「我正しきを求め清きを誓わん、然らば守り導きたまえ、その導にこそ寄り添わん」
ダインが瞳を閉じて口上を述べたのを横目に、キズナは目の前の巨木を見上げていた。荘厳さと堅牢さを示すそれは確かに、人をかしずかせるだけの力を放っていた。
数秒の後、ダインが立ち上がり、あわせてキズナも立ち上がる。
「意外と素直なんだな。こう言っちゃ悪いが、こういう信心深さみたいなのは馬鹿にしそうな風に見えるんだが」
巨木に身体を向けたまま、腰に手を当て顔の向きをキズナに向けたダインが言う。
「別に、ただの気まぐれだよ」
キズナはそう言うと、ダインと巨木に背を向けて礼拝堂の正面扉に向かって歩き始める。
「にいちゃん、案外悪いやつじゃなさそうじゃねえか」
愉快そうに「へへっ」と笑うダインにキズナは「うるさい」と突っぱねる。
さっさと歩くキズナをダインは足取り軽く追い越し、一足先に扉にたどり着く。
「ま、おかげで俺も安心して紹介できるってもんだ」
扉に手を添えてダインが笑い、ひとつ咳払いをして仰々しく扉を開く。
すると、淡い光が感じさせなかった薄暗い堂内に、外の眩しい光が差し込み、キズナの目をしばたかせる。
「ようこそ、我らが郷里、ウルフェムラへ。歓迎するぜ、勇者様よ!」




