第一話 荏苒とした日々に
「このように、魔道具による飛行技術はここウルフェムラとマキウス帝国のみで実用化され、我が国でもその技術の重要さから流出の防止として外国での使用は技術者の帯同と許可が必要であり──」
キズナはひとつ、大きなあくびをした。
ここは砦内部の一室、今は授業のために使われている、前方の黒板を見下ろす形で階段上になった会議室だ。
黒板の前に立ち、魔術で板書をしながら話しているのはリィナだった。
キズナも思わずだったが、他の数人が視線を向けるほど大きなあくびを出した彼に、授業を行うリィナは話を続けながらも半目でじっとりと睨みを利かせる。
ばつが悪いキズナは思わず視線をそらしたが、その先にいた候補生がこちらを睨んでいたために視線をリィナへと戻す。
呪いの克服のための儀式から数日、彼は身体も復調して、今は他の候補生たちに混ざってリィナの行うこの世界の常識や魔法などに関する授業を受けている。
だが、呪いによって中学から徐々に不登校ぎみで高校にも入っていないキズナにとって、じっと動かずに授業に耳を傾けるというのは一種の苦行じみていた。
器用にくるくると指先でペンを回す。それは隣に座る候補生の少女が目を見張って驚くほどの絶技だったが、彼の顔はぼうっとしていて覇気がない。
頬杖をついてリィナのことを眺める。
授業の内容は今一つ頭に入らず、数日前の儀式のことや、そこで彼女に言われたことを思い出していた。
『生きることを選んで──』
あの言葉に、彼は救われた。
それは、彼にとって疑いようもない事実だ。
だが、ひとたび日常の中に戻ってくると、それについてやはりどうしても考えてしまう。
自分にとって、生きるということはどういったものだったのだろうかと。
◇
「んじゃにいちゃん、今日も始めんぜ」
「ん、おお」
授業が終わって昼食を取り終えると、その後はダインとの模擬戦形式での訓練だ。
授業と違ってこちらは他の候補生と混ざらずに、別の場所で個人的に指導を受けている。
「んっだよ覇気がねぇなあ。そんな調子だといつまで経っても魔力に馴れねえぞ? 折角念願の強い魔力を手に入れたってのに」
そう、ダインの言う通りキズナは以前とは比べ物にならないほどの魔力を手にしていた。
彼がリィナの力を借りて浄化した魔力は、そのまま彼の魔力としてその身体に残っている。
それはリィナですら上回るほどの膨大な魔力であり、目の前のダインと比べても明らかに凌駕しているものだった。
だが、強い魔力を手にしたからと言っても、いきなりその全てを扱えるわけではない。
むらが大きく、出力を上げすぎると自分の身体を傷つけてしまう状態で、初日にはそのせいで拳の骨を複雑骨折する羽目になったほどだ。
「ああ、悪い悪い。折角時間作ってくれてるんだし真面目にやるよ」
「それならいいがよぉ……なんかずーっとぼーっとしてんなぁ」
キズナは返答はせずに身構えて、ダインも軽く息をついて身を捻ってから構えを取る。
模擬戦といえど、ある程度型の決まった組手のようなもので、動きを確認しながら行い、徐々に出力を上げていく。
キズナは現状、魔術の類いは殆ど使えないため、近接戦闘への魔力の扱いを訓練している。
元々使っていた身体強化の凛法や、新たに覚えた防御手段である成殻の扱いと、その出力を上げていくための訓練。
加えて言えば、それまでの自分とは比にならないほどの速度と威力で戦闘を行うことに馴れていく目的だ。
素早く鋭い動きで互いに腕や足を合わせあいながら、時折少しばかり本気のこもった攻撃を互いに混ぜて、ボルテージを上げていく。
そして、ダインが放った回し蹴りをいなして、キズナが自分も振り向き様のダインの顔に高く回し蹴りを入れる。
「あだッ!!」
思ったよりもいいものが入ってしまい、ダインは頬を抑えながらぴょこぴょこともも上げをして痛みをこらえている。
「げ……悪い、大丈夫か?」
「い、いや……にいちゃんやっぱ流石だな。ぼーっとしながらも冴えてんじゃねぇか」
「いや、お前は俺を持ち上げすぎだっての」
ダインの扱えるものでは気休め程度だが、自分の頬に治癒魔術をかけながらさすりつつ、ダインはキズナに好評価を告げる。
だがキズナはいまいち、急に手に入った力が自分の物だと言う自覚を持てず、どうにもずるをして強くなったような気分が抜けずにいたため素直に受け取れない。
「持ち上げすぎなもんかよ! ネックだった魔力の低さも克服して向かうところ敵なしじゃねぇか? 何がそんなに不満なんだ」
「いや、なんかずるい気がしてるというか」
「何がずるいってんだ、ちゃんとにいちゃんの力だっつうの」
ダインはキズナの思うところにあまり共感が出来ないようで、ガサガサと頭をかいて難しい顔をする。
「それに……」
だがキズナは、やはり思うのだ。
「もう、強くなる理由もないんだよな」
そう、怪物の被害を抑えて生き残る目的が無くなって、彼は自分が何をすればいいのか分からなくなっていたのだ。
◇
キズナが一通り訓練を済ませて帰路につくと、その道中でリィナを見かけた。
「あ……おーい!」
声をかけながら手を振ると、向こうもこちらに気がついたようで、足を止めてキズナが追い付くのを待つ。
彼は少しだけ小走りで近づいて、彼女に並んだ。
「お疲れ様、訓練は順調?」
「あーお疲れ。まあ、ぼちぼちかな」
二人は並んで家へと向かう。道中商店で食材を買い出し、キズナは袋を抱えて歩く。
道中の会話はさほど多くはない。二人が行動を共にし始めてからもしばらく経っており、こうした空気感が割りと定番になってきた。
それを気まずいと思うこともなく、二人とも自然体でそういった態度だということだ。
「……それで、ソニアがね? 訓練中に他のやつに魔法でいたずらしていた連中の髪を燃やしてちょっとした騒ぎになって」
「あー、あいつな……加減ってもの知らないよな本当に」
「そうなのよね……けどああ見えて本当に良い子なのよ? 私にだって昔から優しいし」
「あれが良い子なら世界中でサンタさんの来ない子供はいなくなるな」
「誰よサンタさんって」
他愛もない会話でくすくすと笑いながら、緩い空気感で帰り道を進んでいく。
すると、まさしく今話題に上っていた人物と偶然鉢合わせることとなった。
ボサボサの赤いツインテールが、小さな身体でパン屋の扉を開いて丁度出てきたところだった。
「おや、二人とも偶然ですね。今帰りですか?」
「ええ、まあね。ソニアはこっちに来るの珍しいんじゃない?」
「そうですね、家に向かう道から外れるですが、たまにはこちらの店で買い物がしたかったのですよ」
親しげに会話を始める二人だったが、キズナは悩ましげに明後日の方向を向いていた。
それもその筈だ、彼女には出会って初日に腕と肋を折られているのだから、出来れば穏やかな時間には出くわしたくない。
「お前、何をそんなに嫌そうな顔してるですか、人に会うなり失礼ですよ」
「いや、そんなことは、ないです」
思わず殆ど使いもしない筈の敬語が出る。
ちなみに、彼は魔力を手にした今でも彼女には勝てるイメージが湧かない。
リィナの話では今のソニアとキズナを比べれば、両者の魔力に大きな差はないとの話だったが、そうした問題でなく、何か底知れないものが彼女にはある気がしていた。
「まあ、これに関してはソニアが悪いわよ。流石に」
「リィナ……私よりこんな馬の骨の味方をするなんて、姉としてショックなのです」
「え、姉?」
言われてキズナはソニアとリィナの顔を見比べる。
言うまでもなく、全く似通った部分などはない。言うなれば美人が共通点くらいだった。
「姉っていうのは例えみたいなものよ。お母様が亡くなってお父様も出奔してからしばらくは、ソニアが私の面倒を見てくれてたの」
「手のかからない子だったので、なんてことはありませんでしたよ。たまに大きな事件に首を突っ込むところはありましたが、大概一人でも解決してしまうですしね」
「いや……お前っていくつなんだよ」
この世界の人間は魔力で寿命が伸びることがあるという話だったが、おそらくソニアも見た目通りの年齢ではないのだろう。
リィナの父が出奔したというのも初めて聞いた話だったが、やぶ蛇をつつくのもどうかと思い確認はしなかった。
「乙女に年齢を聞くのは失礼ですよ」
「少なくとも、乙女と呼べる年ではないことは言っておくわ」
「リィナ~?」と片手で彼女の脇腹をぐりぐりつつくソニアに、リィナがいたずらっぽくくすくすと笑っている。
前にフィリップが言っていた、彼女が信頼する数人のうち、一人はきっとソニアの事なのだろうとキズナは考えた。
なら、自分も彼女に対する考えを多少は改めてもいいかもしれないと、そんな風に苦笑する。
「それはそうと、二人は何故並んで歩いてるですか? そもそもこの男が砦で寝泊まり出来ない理由はもうない筈ですし、他の候補生と混ざらないのです?」
キズナとリィナが顔を見合わせる。
「え、いや……」
「うん、そうね……」
口ごもる二人に、ソニアが疑問符を頭上に浮かべた。
「まさか、まだ一緒の部屋で寝てるですか?」
そのまさかだった。二人は既に二人での生活に慣れつつあり、キズナも新しく別の生活拠点を探すのが面倒でそのまま過ごしていたのだ。
二人は気まずそうに目線をそらし、無言の返答だ。
ソニアはそんな様子を見て、怪訝な顔をしてこう言った。
「まさか……そういうことしてるですか……?」
「「してないわ!!」」
思わず声を合わせて反論する二人に、ソニアが軽くため息をついてみせる。
「まあ……リィナもいい加減お年頃だと思ってたですし、むしろ姉として心配してたので、止めはしないですよ。……ちょっと趣味は疑うですが」
「ソニア……あのね、ちょっと待って」
リィナが頭痛を抑えるような仕草で片手を額に添え、もう片方の手をソニアに制するように向ける。
キズナの方も買い物袋に思わずため息を吹き込んでしまい、眉間にシワを寄せてどう誤解を解くべきか考えていた。
「まあそれは冗談としても、キスくらいはしたですよね。妹の成長は姉として嬉しいのです」
ソニアの図星をつく言葉に、思わず二人の声が詰まった。
思い出されるのは儀式の際の事だ。あれをそうした行いに数えるつもりもなければ、敢えて触れる事もしなかったが、したか否かでは否定できない材料となってしまう。
その様子を見て、ソニアは満足げに「ふふん」と鼻を鳴らす。
「それでは、お二人の時間にこれ以上水を差すわけにはいかないですね。私はこれで失礼するので、ごゆっくりなのですよ」
上機嫌でそう宣いながらその場を離れていったソニアの背中を見つめながら、二人は流れてしまう無言の空気に固まってしまった。
「どうしてくれんだ、あいつ……」
「別に、どうもしてないでしょ。気にせずに帰るわよ」
そう口にしたリィナが、小石に足を取られて軽く躓いたのを見て、キズナは天変地異でも起こるのかと思った。




