第二十話 賢狼、そして鎌と包帯
キズナとリィナの二人は、夜の森の中を歩いていた。
二人の住む家から森の中へ分け入った場所で、更に北へ向かって歩みを進めている。
「なあ、どこへ向かってるのかそろそろ教えてくれないか?」
二人が食事を終えたのち、リィナはキズナを連れ出してこの森の中を歩いている。
既に人の手が入った部分は抜け、自然のままの姿の足場の悪い森に入ってからもしばらく経った。
「もうすぐ、分かるわ」
だがリィナは言葉少なに返事をするのみだ。
キズナも、ここ二日は彼女との会話をあまり進んではしていない。
二人の間には、若干の気まずさが漂っている。
尤も、そう考えているのはキズナの方のみで、リィナは彼の態度をこそ悩ましく思っているかもしれないが。
「着いたわ、粗相のないようにね」
彼女の言葉に、キズナは疑問を浮かべる。
しかし、それもわずかな間のみで、その言葉の意味はすぐに分かった。
「──貴様が、我が娘の話していた小僧か」
巨大な影だった。
それは獣だ、月光に艶めいた銀色の毛並みを持つ、巨大な獣だった。
足首一つで、キズナの身体を凌駕するほどの体躯を持った、銀色の狼。
キズナは理解する、これは、人智を超えた存在であると。
「あん、たは……一体…………」
その存在感はガンズすら凌駕し、彼は心臓の押し潰されそうになる感覚をこらえてどうにか声を振り絞った。
「娘よ、わえのことを話しておらなんだか」
「ええ、半端に教えておくより、直接見えた方がこの男には効くと思って」
キズナは、その場に立っていることすら苦しいほどの重圧を感じていたが、リィナは平然とかの存在と言葉を交わしている。
信じられないような思いで、彼は彼女へ視線を向けるが、それまでは寝そべるような姿勢だった巨獣が身体を起こしたことで、その視線をそちらに戻さざるを得ない。
「意地の悪いことをするものよ。見るがいい、全く怯えきっているではないか」
「な……怯えて、なんかいねえよ」
キズナは低く唸らせるような声音を振り絞り、その獣を睨むように見上げる。
しかし、そんな虚勢はかの獣には言うまでもなく見透かされている。
「貴様は臆病よな」
「はぁ……?」
獣がその口元を僅かに緩める。どうやら、笑っているらしかった。
「己の弱さを認められぬか、若さゆえとは思わぬでおくからの」
キズナは悔しげに歯を食い縛る。
まるで、何もかもを見透かされているような存在としての格の違いに、どうあっても抗えないと感じたからだ。
「そして、貴様は不幸よの」
「なんだよ、それ……呪いのことか?」
巨獣は泰然とした態度でキズナを見下ろしながら、その金色の瞳を細める。
「それもあるがな、貴様の不幸はそこではない」
キズナは訝しげな目で巨獣を見返す。
この呪いよりも不幸であると言えることなど、自分のどこにあるのかと。
「半端に敏く、下手に強い。それが、己と世界との関わりを拙くしている。それこそが貴様の不幸よ」
キズナには返せる言葉が存在しなかった。
巨獣の言葉が理解できずとも、それが己の愚かさの核心を突いていることは分かったからだ。
「大婆様、そろそろ本題へとお願いします」
リィナは二人の会話に割り入り、巨獣に何やら促している。
大婆様という呼び方について、キズナは本来であれば引っ掛かりを覚えてもいいものだろうが、彼は今それどころではない。
「そうさな。わえの見立てでは、このものの身に纏う呪いは、言わば怨念よ」
キズナにはまるで獲物を前にしたかのようにも感じる目で、彼を見下ろす巨獣は、端的に言い表した。
「怨念……?」
「そう、怨念さな。貴様は数千にも、数万にも及ぶ死者の念を連れておる。それも、例えようの無い負の感情を持って死んだ怨霊のそれよ」
キズナはそれを聞いて、さもありなんと妙に腑に落ちる思いがした。自分の連れ歩くものがまともなものではないのは当然だと。
しかし、数千数万と途方もない数を言われれば、多少の動揺はある。
「この世界に来てそれが力を増しているのは、その怨霊のひとつひとつが魔力を得ているからであろう。そしてその怨霊の目的は恐らく一つ」
巨獣が僅かにキズナへ歩を寄せる。
しかし巨獣にとっては僅かな歩みでも、キズナたちにとっては大きな距離だ。
その鼻先が、彼の眼前に突きつけられる。
「自らが、この世界に甦ること。そのために、お主の身体を奪わんとしている」
一本一本が大岩を削り出したような太く鋭い牙が見え隠れするのを、彼は凝然と視界に捉える。
しかし、それ以上にその牙の隙間から発せられる言葉に、彼は動揺せざるを得ない。
「奪う……? 俺の身体を乗っ取ろうとしてるってことか?」
巨獣は身体を起こし、キズナから鼻先を離す。
目の前にいるその存在の巨大さに飲まれそうになりながら、かの巨獣の言葉を飲み込もうとするキズナ。
「その通りさな。そのために貴様を殺さんとし、力を身に付けている。……もしも貴様が命を絶てば、怨霊はこれ幸いと死体に乗り移るだろうの」
悠然とした巨獣の言葉に、彼は自身の希望が打ち砕かれた気がした。
いざとなれば、自分が死ねばいい。
そんな考えが、どうしようもなく否定されたからだ。
リィナはそんなキズナを少し後ろから眺め、うつむきがちに僅かに唇を噛んだが、キズナからは見えていない。
「魔法としての本来の性質までは、わえにも分からぬ、分かるのは貴様自身のみよ。ゆえに貴様は受け入れなければならぬ」
「受け入れる……? 何をだよ」
巨獣は、ゆったりとその一本の巨木のような尻尾を振り、キズナに告げる。
「己の弱さを、そしてそれによる願いをよ」
そんな言葉を最後に、巨獣は元いたスペースへ戻り、丸まって眠る姿勢になってしまった。
キズナは、その言葉の意味するところが分からず、呆然としている。
「わえは、いつも通り見守るのみだからの。我が娘よ、その小僧にちゃんとついてやることよ」
「はい、分かっております」
リィナは恭しく礼をすると、立ち尽くすキズナの袖を引いて立ち去ることを促した。
キズナは呆然としているままに、その通りに立ち去ろうとする。
「そういえば」
しかし、巨獣が思い出したかのように首を上げ、二人の方へ視線をやった。
「言い忘れておったがの、帰り道には気を付けることよ」
まるで日常の挨拶のような気安い言葉だが、しかし、その言葉の意味するところは、彼にもすぐに分かることとなるのだった。
◇
「賢狼マガミ」
家へと戻る道中、しばらく無言だった二人のうち会話を切り出したのはリィナだ。
いつまでも言葉を発しないキズナにしびれを切らしたのかもしれない。
「それが、あのお方の名前よ。世界に十二頭いる、神獣と呼ばれる存在のひとつ」
ネタばらしをするような彼女の言葉にも、キズナは気もそぞろに視線を送るのみだ。
「何よりも賢く、本質を見る目と鼻を持つ。この国の民はあのお方やその血族の血が混じってる者が多いの。私は、というよりお祖父様はその直系ね。だからこの目を私は受け継いでいる」
あの巨大な狼の血が混じるとはどういう意味なのかは彼には分からなかったが、犬のような耳を持った人々の由来は彼にも何となく分かった気がした。
「魔を噛むもの、何よりも聡いもの。大いなる母であり、人々を導く神獣。それがあの方よ」
呆然と、無言のままのキズナに、リィナは軽くため息をついた。
「しゃきっとしなさい。そうまで落ち込むこと無いでしょう。大婆様のおかげで呪いの正体は分かったのだし、あとは先生の準備が整うのを待つだけでしょ?」
「あ、ああ」
同意するような返答はするものの、やはり彼の心はここにあらずといった様子だ。
自分を中心にしている筈の状況に、自分の力が全く及ばなくなっていること。
それは、人が心を病むのに十分な理由だった。
だというのに、逃げることすら出来ない。
自分で終わりにすることも、出来ないのだ。
「……ねえ」
見かねたリィナは、何事か声をかけようとする。
「あなたは、もう少し────」
しかし、その言葉は最後まで発せられることはなかった。
不意に、二人はその首に刃物を突きつけられたような錯覚を覚える。
うなじの辺りに、身の毛がよだつような気配を感じて、跳び跳ねるように一歩前へ踊り出た。そうしてすぐさま振り返ると、そこには何かがいた。
「ハズシタ、ハズシタ」
そこにいたのは、手鎌を手にした異形だった。
フードを被り、見える範囲は全て包帯で巻かれている。
それでは視界まで塞がれて何も見えないだろうに、明確に彼らの事を認識していた。
「下がって……」
リィナが、キズナの方へ手を制して後ろへ下がるようジェスチャーをする。
キズナは、明らかな動揺ののち、しかしその手を睨んで前へ出ようとした。
「下がれ!」
だが、彼女はそれを強い声色で叱りつける。
キズナは初めて見た彼女の声を荒げる様子に狼狽し、空白になった思考で言われるがまま後ろへ下がった。
「キヒ、キヒヒヒ! コロス、コロス!」
異形が手鎌を構え、飛び込もうと身を低く構える、その瞬間。
凄まじい破裂音と共に、異形の足元が爆発する。否、異形は頭上から撃たれたのだ。
キズナがリィナの方へ視線を向けると、彼女の周りには、いくつもの杖が漂っていた。
宝石を嵌め込まれた、のではなく、宝石を基礎に森の木々や土くれで形成された無数の杖が、彼女の意思によって操られている。
「ウルフェムラの百杖の魔女に喧嘩を売れば、どうなるかを教えて上げる」
初撃を躱した異形に、凄まじい数の弾幕が張られる。
杖はその一つ一つが意思を持つかのように異形を追い、一撃ずつが大木をへし折り、地面を蒸発させる程の威力を持った魔法の光を放つ。
それらはキズナの視界を明滅させ、自分がそこに飛び込めば一秒と待たずに消し炭になることは彼の想像にも難くなかった。
しかし異形は明らかに人間のそれとは違ういびつな動きで、それを躱し続けている。
リィナは異形を自分にも、後ろにいるキズナにも近寄らせずに牽制し続けるが、同時にそれによって決定打も持たないように見えた。
だが、その異形の動きが唐突に止まる。
異形の足元に、トラバサミのような仕掛けが施されていたために、足を挟まれて動けなくなったのだ。
「そこ!」
動きの止まった異形に、リィナが複数の杖で四方八方から囲み、魔法の光を収束させる。
それは異形の居た場所を確実に捉え、凄まじい音と光を放って爆発した。
爆発の中心は、直径十数メートルの大穴が空いている。
もしもキズナがその場所に立っていれば、肉片すらも残らなかっただろう。
「危ない!」
しかし、その様子を呆然と見ていたキズナの身体を、リィナが飛び込んで抱え跳躍した。
すると、彼が直前まで立っていた場所が、破裂音と共に大きく裂けていた。
何が起こったのか理解できないキズナを他所に、リィナが大木の上を睨み付ける。
つられてキズナもそちらを見るとそこには、片足を失った状態で鎌を振り切った姿勢の異形がいた。
「斬、撃を……飛ばした?」
それはまるで、漫画で見るような荒業だった。
仕組みは全く分からずとも、身体五つ分は下らないほどの大きな裂け目に、食らえば当然命はないことを理解する。
異形が、失った片足をぶらぶらと振ると、そこから新しい足が生えてくる。
まるで不定形のアメーバのような影が生えたかと思えば、それが包帯で巻かれた足になったのだ。
異形は、そのまま鎌を構えると、次々と斬撃を撃ち放ってきた。
リィナはキズナを脇に抱えたまま、今度は自分が的にならぬよう跳び回った。
彼女は一つ大きく跳ぶと、その足元に杖を寄越して、それに飛び乗る。
数本の杖が地面の土を集めてボードを形成し、キズナを脇に抱えたリィナを乗せて夜の森を飛び抜けていく。
異形はその背を追って来ており、走り様に幾度となく鎌を振るって狙い撃とうとしてきた。
しかし、リィナの方もそれに対して杖を仕向けて応戦し、斬撃と光の銃撃戦となる。
キズナは、自分が明らかに足を引っ張って守られているだけだと知るほかになく、たまらない思いでしかしなす術もない。
「おい、俺の事はいいから下ろせよ! 足手まといになるなら死んだ方が────!」
「バカなこと言わないで、大婆様の話を忘れたの? 余計なこと言ってると舌を噛むわよ!」
「くそ────のわっ!?」
キズナが悪態を突こうとすると、唐突にその身体が浮遊感に包まれる。
リィナがボードに乗ったまま宙返りをするように高度を取り減速したのだ。
例えるなら、スノーボードのトリックを決めるような姿勢で、加速したままの異形の背後を取った。
異形は虚を突かれて減速を図るが、リィナはその隙を見逃さない。
十本の杖が円を象るように並び、それらの放つ光が束ねられ一つの巨大な熱線を生み出す。
異形は射線上から逃れることができず、その身体の半分を熱線によって消し飛ばされた。
しかし────。
「……どうやら、まだみたいね」
異形の身体は消し飛んだ箇所からぶくぶくと膨れ上がり、それまでにはなかった三本目の腕を生やして再生した。
手に持っている手鎌も二つに増えており、リィナはボードを翻してその場から距離を取る。
異形はそれまで以上に速度を出して二本の鎌を振るい始め、銃撃戦はより激しさを増して再開された。
「姐さん!!」
するとそこに、新たに飛び込んできた影がある。
黄金色の毛並みを持った、獅子をも上回る体格を持つ狼、ダインだ。
「ダイン、遅い!」
「すまねえ、状況は何となく分かってる、にいちゃんを寄越してくれ!」
「な、はぁ!?」
抗議をするように驚く声を上げるキズナを無視して、リィナはその言葉通りキズナをダインへ放り投げる。
「のおわっ!」
雑に放られたキズナだが、狼へと変じたダインの背中に器用に身を捻って着地して見せた。
しかし、その表情は決して納得しているものではない。
「ダイン、その男を連れて離れて、鼻を使って距離を取り続けなさい」
「おい、どうする気だよ、お前!」
「このまま牽制を続けながらあいつの気を引く、うまくすれば倒せるだろうし、それが出来なくても朝まで保たせるわ」
どうやらリィナは自分が囮になって怪物を引き受けるつもりらしい。
だが、足手まといのキズナをダインへ預けたとしてもあの怪物の脅威が現状以上に膨れ上がらない根拠もない。
現に先程の再生以降更に腕が増えており、手鎌は三本目が振るわれていた。
「ふざけんな、危険すぎるだろ!」
「大丈夫、心配いらないから。ダイン!」
「おう!」
リィナの声に反応して、ダインが彼女を置いてその場から離脱を始めた。
リィナはキズナたちを追おうとする異形を魔法で牽制して、標的を自分から移さないように異形の前に躍り出る。
「おい、待て、戻れよ! ダイン!!」
キズナは必死にダインの毛並みを引いて彼女のもとへ向かわせようとするが、ダインは一顧だにせず彼女から離れていく。
キズナはどうしようも出来ずに、離れていく彼女の後ろ姿を振り返るが、彼に出来ることは何もない。
「くそ、くそ……くそッ!!」
そうして、彼は自分の無力を呪いながら、走り続けるダインの背で夜を明かした。
翌朝、傷だらけで倒れていたリィナの前で、項垂れる時まで。




