第十九話 自責
「あまり、いい状況じゃないわね」
リィナが本当に部屋に戻ってきたのは、夜が明けて部屋に日光が差してから少し経った後だった。
キズナは部屋の戸が開けられた瞬間、びくりと大きく身体を震わせたが、入ってきたリィナが開口一番そう言ったのを聞いて、心臓の動悸を抑えながらも胸を撫で下ろした。
「……無事、だったんだな。どうしてたんだ?」
「多分あなたと同じよ、トイレに入ったら急にあなたの声で何かが入れろと言ってきた。まあ、どう考えてもおかしかったから無視したけどね」
「そうか……」
「おかげでトイレの中で一晩中過ごすことになったわよ、最悪の気分だわ」
冗談めいて口にするリィナだが、ことこれに関してはキズナも茶化すつもりにはなれない。
少しの間無言になり、しかし彼女のまともな声を聞きたくなって、質問を投げかける。
「お前なら、そこを出てあれを倒すことは出来たんじゃないか? 今まで実体さえ持っていれば俺でも対処できた訳だし……」
「それが、よくない状況なの」
キズナの言葉を聞き、リィナも真剣な顔つきで、彼に向き直る。
「あの怪物、恐らくこの世界に来てから成長してる。さっきのあれは、私でもどうにか出来たかは確実なことが言えなかった」
「そんな……馬鹿な」
彼女の言葉は彼には信じがたい。
彼にとって、リィナは自分が逆立ちしても勝てないと認識している人物の一人だ。戦えばそれこそソニアと同じように一方的に叩きのめされるだろうと理解している。
しかし、その彼女があの怪物に負ける可能性を示唆した。なら、自分が今までどうにかしてきたものと、今のあれとは全くの別物ということだ。
「出現する度に、格段に魔力を手にしているわね。今回のものは、招かれなければ入れないという強い縛条の代わりに手にしていた魔力は、私にも届きうるものだった」
あの奇人をして見立てが間違うことはないと評された彼女の言葉だ。何かの謙遜や単なる可能性ではなく、事実として危ういということだろう。
それでは、キズナなど既に戦力外もいいところで、彼はその事実に愕然とする。
「あとで先生のところに行くわよ、そろそろ何か分かっている頃だと思うから」
「あ、ああ……」
彼は、自分の両手を低く足の間に組む。いつの間にか僅かに震えるそれが、彼女に見えないように。
◇
「ふむ、やはりのお」
キズナ達二人は、午前中に仮眠を取ったのちにゲオルクの元へやって来ていた。
リィナから状況を聞いたゲオルクは、特に驚く様子もなく悠然と顎髭をさする。
「先生も、分かっていらしたんですね」
先生も、ということは、リィナとしてもこの状況は予測がついていたということだろう。
初日の時点で既に、キズナが今まで対峙していたよりもわずかに凶悪さを増していた話は彼女も知っていたのだから、当然といえるかもしれない。
「当たり前じゃな……とは言いたいが、思ったよりもペースが早いのお。まさか三回目の出現でお主の力に迫ってくるとは。少々急がねばならんようじゃ」
ゲオルクはちょいちょいと手招きして、キズナに自分の側に寄るように指示する。
キズナは若干嫌そうな顔を作ったものの、ひとまず指示通りに側に寄る。
すると、ゲオルクは彼の額に手を当て、何事かを念じ始めた。
「うーむ……」
ゲオルクには何か分かったのか、なにやら芳しくなさそうな表情で考え込んでしまった。
その様子に不安に駆られるキズナだが、それを表には出さぬようにと頬を固くする。
「お主、渡した薬は飲んでおるのか?」
「あ、ああ。一応飲んでるけど、あれなんなんだ?」
「ただの向精神薬じゃよ。お主は少々心をやられているようじゃからの」
「…………そんなもの、必要ない」
精神薬と言われ、キズナはまるで自分が心の弱い人間として扱われたような気がして、それを撤回したくなる。
確かに自分は自死を図ったが、それはそうしなければ他者を脅かす事情があるからだと。
だというのに、自分を儚んでそうしたかのような扱いに、彼は強い反発を感じた。
「そう言いたくなる気持ちもあるじゃろうが、薬はしっかり飲み続けなさい。リィナも見ておくように」
ゲオルクは相手にせず、リィナに話を振って言い含める。キズナは小さく「くそっ」と呟いたが、それ以上は無意味な主張だと言葉を飲み込んだ。
「ともかく、ワシは準備を進めておく。三日後、次の出現の前に儀式を行うぞい」
「儀式……? なんのだ」
「無論、お主が呪いに打ち克つための儀式じゃ。魔法としての正体が完全に分かっている訳ではないが、対処はできる。それまでは心を落ち着けて過ごすことじゃ、それが儀式の成功に関わってくる」
ゲオルクとの話が終わり、その後はキズナからの採血が行われた。相当量の血が抜かれたが、どうやら儀式というものに必要だという話だ。
リィナはその足で砦の方へ候補生たちへの講義に向かうため先に実験室を出て、キズナは一人で家へと帰路に着いた。
◇
ゲオルクには落ち着いて過ごせと言われているが、怪物が力を増している以上そうはいかない。少しでも足手まといにならないようにと、帰宅早々魔力の訓練を行う。
だが、やはり手応えはない。
自分の魔力というものは、地球にいる時以上には認識できない。
自分が認識していたものが魔力であることが分かったという違いはあるものの、それはその力を扱うことにおいて大した違いはもたらさなかった。
夕暮れ時まで集中して瞑想に励んだものの、得たものはなく焦りを募らせる。
すると、そこに訪れた一つの気配があった。
彼は座禅を組んだ瞑想の姿勢のまま、振り向くことなく声をかける。
「……ダインか。どうした、こんなところに?」
「お、すげえな、足音か気配で分かったのか? やっぱ他の召喚者と比べてもにいちゃんは別格だな」
そんな自分の心境とは真逆の明るい声音に、一つため息をついてキズナは振り返る。
オレンジ色の髪が夕暮れで黄色がかって見える彼は、キズナの顔を見て歯を見せて笑う。
「……別格とか、そんな訳ないだろ。あいつの話じゃ、候補生のなかでもう俺が一番魔力を持ってないって」
「姐さんの見立てなら、まあそうなのかもな。けど、そう悲観することもねぇだろ。そのうちどうにかなるって」
根拠のない励ましに、キズナは若干苛立ちを覚える。
そのうちでは困るのだ。今、目の前の危機に対処するには、すぐにでも力が必要だというのに。
「そう怖い顔すんなよにいちゃん。折角の美人が台無しだぜ?」
「お前……コリンさんに口説くなって言われてたろ」
ダインのおどけた言葉に、キズナは思わずおかしくなって少し笑ってしまった。
それを見たダインが嬉しそうに笑うが、すぐに真剣な眼差しになってキズナを見据えた。
「そのコリンも心配してるよ、俺も姐さんから状況の端々は聞いてるからな。一度関わったんだ、何か手伝えることがあったら言ってほしいんだよ。今日はそれを言いに来たってわけだ」
「それは……」
ダインの申し出はありがたいが、キズナとしては気が進まない。
彼には守るべき家族がいる。自分のために危険に晒させるわけにはいかない。
それを言うなら、彼女についても本当はそうなのだと、彼は顔色を暗くする。
「にいちゃん、あまり自分を責めすぎるな」
ダインの言葉に、キズナは彼の顔を怪訝な目で見返してしまう。
「にいちゃんの目を見てると、どうにもやるせなくなるんだよ。まるで、全てが自分のせいで悪くなってると、本気でそう思ってるみたいな目がな」
キズナはうつむき、何事かを言おうとして、しかしその言葉を飲み込み口を噤む。
何故なら、そのダインの言葉は真実だったからだ。彼は、自分が物事の全ての元凶だということを知っていたのだから。
「もっと周りを頼っていい、あんたの力になれるやつは沢山いるんだ。甘えろって言ってる訳じゃねぇが、それでもにいちゃんはもう少し自分を労ったっていいと思うぜ」
「……そんな、訳はない。俺がいなけりゃ、こんな問題は起きてないんだ。本当なら、自分でさっさと終わりにしなきゃならないのに」
ダインは、その言葉に悲しげに眉尻を下げる。何か言いかけるが、しかし一度飲み込んで、もう一度静かに言葉を掛ける。
「今、姐さんはあんたのために動いてる、ゲオルク様もだ。俺だって力になりてぇと思ってる、コル姉だって心配してる。……だからそんな風に言わないでくれや」
「…………そうだな、悪かった」
キズナの言葉は、ダインのそれを肯定したかのように見えて、その実会話を終わらせたいがゆえの建前という逃避でしかなかった。
ダインにもそれが伝わってしまい、彼は頭をガサガサと掻いて、難しい顔を浮かべる。
「ともかく、いいな、俺が力になれることがあったらそうすっからよ。絶対に呼んでくれや、忘れんなよ!」
ダインはキズナを安心させるべく穏やかに笑みを浮かべながら、手を振ってその場を去っていった。
一人残されたキズナは、その静けさの中で僅かに吹いた風に、自分の空っぽの心が吹かれて飛んでいきそうな思いがして、瞑目しながら堪え忍ぶ。
「なんで」
彼は、心から思った。
「お前ら、そんなに優しいんだよ」
それが、どうしようもなく、辛いのだと。




