第十七話 そんな当たり前のこと
「お前たち! そこまでです、集まるですよ!」
模擬戦の開始からおよそ二時間が経過したところで、ソニアが訓練場に響き渡る声量で号令をかける。
候補生たちは手を止め、ソニアの元にぞろぞろと集まってきた。彼らは首元にペンダントが二、三個かかっている者と、綺麗なままのペンダントがそのままかかっている者とで分かれている。
キズナとリュウヤを除けば突出した実力を持っているものはいなかったため、殆どが泥試合になったからだ。明らかに弱いものを狙い打ちにしようとすればソニアに止められたため、ある程度戦えるものもその程度に収まっている。
女子の場合はほぼ全員が綺麗なままか、壊れたものをかけていても一つだけだった。
しかし一人だけ、五つの壊れたペンダントをかける空色の髪の少女がいたが、彼女はそれまでとは違い誰とも行動を共にせず、一人で号令に集まってきた。
「ひとまず、ご苦労と言っておくです。慣れない取っ組み合いに疲れたかと思うですが、きちんとした戦い方はこれから教えていくので心配いらないですよ」
ソニアが珍しく労うような言葉をかけるが、候補生たちは彼女の言う通り、全く慣れない暴力の振るい合いに若干のグロッキーでいたため、そんな振る舞いにも上の空だった。
「今日の訓練で、お前たちも分かったと思うです。勇者に必要な資質のひとつを。勿論、能力的に優位に立っているからと一方的に痛めつける輩は論外ですが、時と場合によっては誰かを傷つけること、そしてその時は自分も同様に傷を負うことがありうることを、あなたたちは知る必要があるです」
恐らく、ソニアが言っている内容を理解できたものは候補生たちの中に多くはないだろう。
ペンダントを集めたがったものほど、単に報酬目当てで弱いものを狙おうとしたものが殆どだったからだ。
しかし、その言葉の意味するところを深く吟味しようとするものも中には居た。
ソニアは、はじめから彼ら彼女らのみに向けて言葉を選んでいる。
「それらを踏まえた上で、誰かを救い、傷を負わぬよう守ることを選ぶ。あなたたちがそうした存在になれることを私は願うですよ」
「似合わないこと言ってるわね」
キズナの隣で、リィナがそんな風にソニアに苦笑を向けている。
どうやら、彼女はソニアと親しいのかもしれない。珍しく誰かに好意的に物を言う彼女を見て、キズナはそう考えた。
キズナはソニアのことをよく知らないため、出来た教師のようなことを言う様子も教官という立場ならありうるだろうと考えていたが、その考えは彼女の次に続く言葉に打ち消されることとなる。
「ですが、あなたたちも今日は少しむなしい思いをしたかもしれないですね。自分たちの嫌っているある男が、自分たちを虚仮にしたまま勝ち逃げしようとしているのですから」
ソニアは、壁際で横柄に構えるキズナの方へ、急に矛先を向けた。
「努力をするにしても、あんな嫌なやつが自分よりずっと先を行っていると思えば、やる気も削がれるでしょう。ですから、最後にひとつ余興を見せるですよ」
ソニアが、ミッケの抱える籠からペンダントを二つ取って、その中の一つに自分の髪の毛を入れ、二つともキズナに放り投げる。
ジェスチャーでキズナにも同じことをするように求め、キズナはしてやられたという風に顔を歪めながらも、その通りに自分の髪の毛を入れて、片方を投げ返す。
「お前たちに朗報です。この男は、どうやらここに来てから魔力を増やしていないらしいですよ。つまりお前たちも、魔力を鍛え、技を磨けば、こんな男は簡単に倒せるようになるです」
キズナは、自分の役目を理解し、深いため息をついて項垂れた後、壁から離れて候補生たちの前、ソニアの横に並び立った。
「わたしが、今から手本を見せるです。お前たちも、この程度なら出来るようになるということを」
キズナとソニアが、並んで座る候補生たちの前方、広く空いたスペースで向かい合う。
リィナがゆっくりと歩みを見せその中央、少し反れた場所に静かに立った。
彼女が先ほどと同様、片手を上げた姿勢を取る。
「それでは────」
キズナは身構える。例えどのような動きを見せられても対処できるように。
「────はじめ!」
瞬間、キズナは見失った。
小柄な少女がどこに消えたのかを、全神経を以て刹那捉えんとする。しかし────。
「がっ!?」
キズナの後頭部に、ソニアの蹴りが直撃する。
彼女は一瞬にしてキズナの背後に回り、全く悟らせないままに彼の頭を蹴り飛ばした。
凄まじい勢いで顔から床を滑っていくキズナは、それでも受け身を取って身を翻し立ち上がる。
しかし、キズナが着地するより早く、ソニアが彼の懐にいた。
「ぶふッ────!!」
土手っ腹に鋭い掌底を食らい、キズナは胃液を吐き出して衝撃に打ち据えられる。
そして、膝をつく彼の顔面をソニアが前蹴りで蹴り飛ばす。
キズナはなす術もなく、後ろへもんどり打って転がっていった。
その姿はとても無事とは思えないもので、事実彼は、うつ伏せの姿勢から震える腕を立てて起き上がろうとするものの、そのまま突っ伏して動けなくなってしまう。
「立つですよ」
しかし、ソニアはそれを許そうとはせず、冷淡な声でキズナに立ち上がることを強要する。
「いや……無理だろ」
候補生の誰かがそんな風に呟く。
誰が見ても、キズナは既に相当量のダメージを受けている。ペンダントの許容量などとうに越えており、その動きを止める効果もあって身体は動かなくなっていた。
しかし、ソニアはやはりそれを許さない。
彼女は不意に首元の、ペンダントとは別にかかっている笛のようなものを咥えたかと思うと、それを思い切り吹き鳴らした。
ピーッと甲高く、魔力を帯びた反響を含んだ音が訓練場に響き渡る。
そして、ソニアはもう一度繰り返した。
「立て」
その声が聞こえた途端、キズナの身体は自らの意思をねじ曲げられて動き始める。
より強い魔道具により効果が上書きされ、悲鳴を上げる身体を強制的に動かされたのだ。苦痛に満ちた表情を浮かべながら、彼はぐっと立ち上がった。
「来い」
すると今度は、キズナの身体がソニアに向かって走り出した。彼は腹を括り、歯を食い縛って彼女の打倒を考える。
キズナは動きを捉えられぬようジグザグと左右にステップを踏みながらソニアに肉薄し、フェイントを交えて飛び回し蹴りを繰り出す。
先ほどリュウヤとの戦いで見せた、全霊の大技だ。今回は更に動揺など見せない相手にも当てに行く工夫をしている。
しかし、ソニアはその蹴りをいとも簡単に掴み取り、そのまま自分より身体半分ほども体格差のあるキズナを、ぶん投げて地面に叩きつけた。
それは、圧倒的な暴力の発露だった。
いかにキズナが戦いの天才であろうとも、単純な膂力が数十倍も離れていれば、どう足掻いても勝ち目などあるわけもない。
「まだです、立────」
「ストップ!!」
骨を砕かれた音のしたキズナに、それでもソニアが命令を下そうとするが、しかしそれを止めるものがいた。
「ソニア、それくらいにしてあげて。流石に見過ごせない」
「……ふむ」
言われたソニアはキズナを横目に見下ろすが、彼は既にぴくりとも動かなくなっていた。
「む、少々やり過ぎたですね。これは失敬、リィナもそんな顔をしないでほしいです」
ソニアの言う通り、リィナは普段の彼女なら絶対に見せない、まるで泣き叫ぶ寸前のような形相で感情を堪えていた。
「と、まあこんな感じです。お前たちも、鍛え続ければこれくらいの強さは手に入るですよ。何しろ、異世界の勇者は魔力に恵まれるそうですから」
にやりと、殺人的な笑みを浮かべるソニアに、候補生たちは戦慄していた。
先ほどリュウヤをあれほどまで圧倒した彼を、まるで子犬でも虐待するかのように痛めつける彼女に。
これが、異世界で戦うということなのかと、その恐怖と羨望を、彼らは刻み込まれたのだった。
◇
「何が、一方的に痛めつけるのは論外だ」
キズナは今、砦の医務室で治療を受けていた。
リィナの手の平から放たれる青白い光が、彼の傷の痛みを和らげている。
腕や肋骨の骨折などの大まかな怪我は既に自身の再生魔法で治療しているが、不完全でヒビが入ったままなのと、打撲などの怪我は手付かずのため彼女の治療が救いだった。
「……ごめんなさい、あそこまでやるつもりと分かっていれば止めてたのに。彼女、ああいうところがあるのよ」
リィナは、完全に意気消沈していた。
常の冷静な態度も鳴りを潜め、声色にも全く力がない。
キズナはそんな彼女を見て、どうにもやりきれない思いになってしまう。
「いいよ別に……よくないけど。要は体のいい道化役だろ? 他の連中を発奮させるための起爆剤代わりにされたってわけだ」
実際、彼女の狙いはそこにあったであろうことは明白だった。
キズナが他の候補生に嫌われていることを知っていて、そんな彼が戦える割に魔力が少ないのを利用できると踏んだのだろう。
平和な日本から来て戦うということに乗り気でない、あるいは軽く見ている候補生たちに、現実の厳しさを教えながらも強くなる動機を与える。
そんな目的に、キズナの存在は都合がよかったというところだ。
「……あとで、彼女にはキツく言っておく、聞かないとは思うけど。あなたも、分かっていて付き合う必要はなかったのに」
「まあ、あまりいい気分でやった訳ではないけどな。あいつには手も足も出ないのも分かってたけど、逃げるのも癪だったから」
リィナは、唇を噛んで苦い顔をする。
一度は折れて腫れ上がっていたキズナの腕を見つめたのち、頭をふるふると振ってため息をついた。
「なんであなたはそう、自分が痛めつけられるのを当然だと思ってるの。文句を言ってるくせに、本当は全然怒ってない」
キズナは、その言葉に虚を突かれたように少し目を丸くして、しかし顔を緩めて薄く笑みを浮かべる。
「別にそんなことはないけどな、俺だって痛い思いなんてしたくないよ。けど────」
彼は不意に、窓の方へ視線を向けてリィナから顔を反らす。
「怒ってくれるやつがいるってのは、案外嬉しいもんだな」
窓から入る夕焼けが、彼の顔を橙色に優しく包む。
目を細めて外を眺める彼に、リィナはどうしようもなく、胸の内をかき乱された。
「別に」
小さく、言い訳のような前置きをしたあと、彼女は自身も顔を反らしてひとりごちるように言う。
「そんな当たり前のこと、いくらだってするのに……」
まるで、その当たり前のことがずっと無縁だったような彼の言葉が、棘のように刺さって抜けなくなる。
彼女はそれが、どうしようもなく嫌だったのだ。