第十六話 天稟
「オイ、俺は聞いてんだよ、覚えてるかって」
キズナの目の前に立つのは、身長百九十センチ以上はある短髪の大男だ。
髪色が淡い青と緑の混じり色で、ある種の芸術性すら持つ特徴的な模様を作っているほか、瞳は薄い水色で色素の薄さが眼光の鋭さをむしろ強調していた。
「んん? いや、知らないけど。どっかで会ったか?」
「チッ、ふざけやがって」
こんな大男にはまるきり心当たりのないキズナからすれば、言いがかりにもほどがあるが、彼が先ほど出した名前には覚えがあった。
「ねえ、トザキシンジってなに」
キズナの隣にいるリィナが、大男の出した名前に引っかかったようだった。
「んー、別に何ってこともないんだけど」
するとそこで、ハゼリュウヤの仲間内らしい男が、後ろの方から声をあげる。
「思い出した! トザキシンジって、ケーワンジュニアの選手殺し!」
「え、なに有名なの?」
「当時十六歳で、ケーワンの二十歳以下の区分で全戦全勝してたのに、試合中の事故で二人も殺して引退した最悪なやつだよ。髪も背も伸びてるから気がつかなかったわ!」
「……と、まあそんな感じだ。トザキシンジってのはその時の偽名」
隣のリィナに肩をすくめて見せながら、キズナはため息をつく。彼にとってこれは思い出したくもない話だったからだ。
「金が欲しくて選手になったはいいけど、賠償やら違約金やらでむしろ借金の原因になっただけの苦い思い出だ。昼間でも呪いの影響が出るようになったばかりの頃の……取り返しのつかない失敗だよ」
リィナは、キズナの話を聞いて黙り込んでしまう。彼の顔を少し横目に見つめたあと、「そう」とだけ呟いた。
「……お前、今までどこにいやがったんだ。何をしていた」
すると、大男がドスの利いた声を出してキズナに問いかける。
「どこって、普通に暮らしてたよ。知らせずにいてごめんよ母ちゃん」
「ふざけてんじゃねえ!!」
リュウヤが突然怒鳴り声を上げる。突然といっても、先ほどから彼はキズナの態度に怒りを露にしていたため、キズナの煽るような言葉に反応してのものだったが。
「……まあいい、忘れてるってんなら改めて教えてやるよ。今度こそお前を地面に這いつくばらせてな」
「へえ、やってみろよ」
その言葉を皮切りに、二人を取り囲む集団が捌けていく。この戦いは、先ほどまでのものより余程激しいものになるということが、素人の候補生たちにも言外に分かったからだ。
「ペンダント、いらねえよな」
「ああ、いいぞ別に」
リュウヤの提案に、キズナも同意する。
彼もどこかで模擬戦を行って来ていたのか、五つほど首から下げていた壊れたペンダントを投げ捨て、キズナも同様に九つのペンダントを放り捨てた。
「別にいいけど、大怪我するような手は使わないでよ。危なそうなら止めるから」
審判を買って出たリィナが、前に出て二人の間に立つ。
場に緊張感が走り、いつの間にか他の候補生たちも殆どが野次馬に集まっていた。
「それでは────」
片手を上げたリィナが、両者の顔を見やり、そして振り下ろす。
「はじめ!」
まず、弾け飛ぶようにキズナに迫ったのはリュウヤの方だった。
コウダイのそれとは比べ物にならない、洗練されたボクシングジャブからのコンビネーションを繰り出し、それをキズナは全力でいなす。
まず、膂力が圧倒的に違う。
コウダイのそれが漬物石を砕くなら、リュウヤのそれは大岩ですら砕くことが出来るものだった。
いくらキズナが受け流すことに長けていても、突っ込んでくるダンプカーの力を反らすことが出来ないように、キズナの膂力では差し出した手の平が巻き込まれて弾かれてしまう。
それでも、彼の技術は卓越していた。
僅かな力の向き、そのタイミングを絶対的なセンスでコントロールし、ダンプカーの衝突を避け続けている。
そして、リュウヤの攻撃が僅かに隙を見せた瞬間、右ストレートをかわした勢いのまま、翻って裏拳を彼の頬に叩きつける。
「てめえ、そんなもんかよ」
だが、キズナの拳はリュウヤにダメージを与えられない。
ダンプカーに人間が拳を叩きつけたところで、人間の拳の方が痛むのは当然だった。
キズナは後ろに跳躍し、一旦距離をとる。
「あー、これじゃダメっぽいな。……やり方変えるか」
キズナはとんとんとその場で数回ジャンプをして、身体の具合を確かめた。
そして、今度はキズナの方がリュウヤに飛び込んでいく。
その移動速度は人並み外れた膂力を手にした筈のリュウヤにすら迫るものだ。これはキズナの扱う特殊な足運びによるもので、リュウヤはその速度に身構えた。
しかし、突如として彼の視界からキズナの姿が消える。
「ぐっ……!?」
否、消えてなどはいなかった。
キズナは、飛び込んだ刹那一瞬にして身体を屈め、その勢いを殺さぬままに頭を下にした姿勢で回し蹴りを放ったのだ。
躰道と呼ばれる武術における、旋状蹴りの応用だ。相手の視界の外へ一瞬身体を逃し、死角から体重を乗せた蹴りを放つ大技。
実戦で当てるのが難しいこの技を、彼は自身の繰り出せる最高速度と、最高の精度で直撃させた。
さしものリュウヤも、これを的確に顎に食らえば脳へのダメージに視界が揺れる。
だがキズナはそこで終わらない。
ガードの上がった鳩尾に向かって、今度は古流武術の応用である鎧通しを放つ。
身体の内側に威力の浸透する水流の衝撃波に、リュウヤは苦悶の表情で声を上げられなくなる。
更に追撃しようとするキズナだが、リュウヤはなりふり構わずに暴れることでそれを阻止。二人は互いに距離を取り、相手の様子を伺う姿勢になった。
「て……め、くそ、なんでもありかよ」
「まあな、形振り構ってたら命がない生活してたもんでさ」
息の整わないリュウヤに対して、キズナの方は大分余裕が残っている。
「なら、俺もこだわりは捨てる……!」
リュウヤは、それまでのボクシングスタイルから構えを変え、空手の型を構える。
「こひゅうー……」
特殊な呼吸法で息の乱れを正し、荒ぶる精神を鎮めてゆく。キズナは空気の変わるのを感じとり、首をこきりと鳴らして身構える。
そしてリュウヤは、構えを解かぬまま、強すぎるほど強くキズナへ踏み込みはじめた。
リュウヤの踏み込みに訓練場の床は耐えきれず、ひしゃげて沈むが、リュウヤは構いもせずに一つまた一つと足でスタンプを押してゆく。
この歩法により、踏み込みの勢いをそのまま拳に乗せる絶大な威力の正拳突きが完成する。
「はあッッ!!!」
訓練場中に響くほどの掛け声と共に、リュウヤの正拳突きが放たれる。
キズナはそれを当然のごとく躱すが、リュウヤの猛撃は始まったばかりだ。
ボクシングのそれから、空手の型へと変わったコンビネーションがキズナに放たれ、キズナはそれを紙一重でいなしていく。
しかし、先ほどのボクシングスタイルより威力の上がったそれに、キズナの対応が一拍遅れた。
その隙を見逃さず、リュウヤはキズナの足を払い、キズナは背中から地面に落ちてしまう。
リュウヤはそこに追撃として、瓦割りの要領で拳を叩き落とす。
瞬間、その威力によって地面に大穴が空いた。
しかしキズナは、すんでのところで身を捻り、リュウヤの首に足をかけて巻き上がるように首を取る。だがやはり膂力に差がありすぎるため、本来ならそのまま引き倒せる筈の足を使った投げ技も不発に終わった。
キズナは器用にリュウヤの背中から宙返りで離れ、地面に着地する。
しかし、そこからその勢いを生かして、ブレイクダンスのような動きでリュウヤの顎めがけて蹴りを放った。
リュウヤの振り返り様に命中した蹴りは確実に急所をとらえ、またもやリュウヤの脳が揺らされる。
リュウヤはそこで、先ほど同様鳩尾への鎧通しが来ることを警戒し胴へのガードを固めた、しかしそれはキズナに見透かされてしまう。
キズナはがら空きになった顔面へ鎧通しを放ち、リュウヤの鼻面にそれがクリーンヒットする。
内側まで威力を通す突きを只でさえ痛みの強い鼻に受けたのだ、その痛苦は想像を絶するものとなる。
そこから更に鳩尾への鎧通し、顔面への回し蹴り、金的の蹴り上げ、顎への掌底と、リュウヤの反撃をものともせず次々に急所を狙って猛攻をしかける。
「うがああああ!!」
リュウヤが堪らず雄叫びを上げながらタックルをしかけるが、キズナは闘牛士がパフォーマンスでもするかのようにその背中に手をついて宙返りで躱して見せる。
そして、少し先でよろめきながら振り返るリュウヤに向けて、助走をつけて後ろ向きに跳ね上がり、空中で三回転半、高速で身を捻った飛び回し蹴りが彼の頭部に炸裂した。
体重と助走のスピード、回転の遠心力を全て乗算した全霊の蹴りだ。リュウヤは凄まじい音と共に地面へ頭を叩きつけられ、バウンドしたのち、そのまま動かなくなる。
最終的にそれが決定打となり、リュウヤは気を失ってその場に倒れ伏した。
「勝負、あったわね。まあ言うまでもないけど」
最初こそ歓声を上げていた候補生たちは、その途中から声を失っていた。
目の前で繰り広げられた戦いのあまりの激しさに、自分たちがそこに混ざることの無謀を想像してしまったのである。
「リュウヤ、だったか。今度は覚えとくよ」
そう宣言したキズナに、最早挑むものはいないだろう。
間違いなく自分たちの中で最強の男が、殆どなす術もなく敗れてしまったのだから。
◇
結果を見てみれば圧倒的だった。
いわゆる腕力で言えば、ハゼリュウヤの方が数段も上回っていたと思う。
途中で繰り出された地面を打ち抜いた一撃なんて、候補生の誰が受けても致命傷だったはずで、それはあのナモリキズナでも同じだったはずだ。
それどころか、ハゼリュウヤの放つ攻撃のどれ一つとっても、ナモリキズナには下手をすれば命を落としうるものだったと思う。
だというのに、最終的に彼が食らったのは足払いの一度のみで、それすら織り込み済みでさえあったのではないかと思ってしまう。
ナモリキズナの単純な腕力で言えば、候補生たちの中で現状中の上程度だろう。それも、もしかしたら魔力ではなく本来の身体能力ゆえかもしれない。
同じ程度の腕力を持った候補生が仮に十人でかかっても、あるいはその倍の数いたとしてもハゼリュウヤを倒すことは出来ないだろう。
だというのに、模擬戦を終えても、ナモリキズナは息一つ荒げていない。
マナカは、その凄まじいほどの彼の天稟に、思わず息を飲んで見入ってしまっていた。
まるで、自分が憧れた物語の主人公みたいだと、そんな風に、知らずに目を輝かせていたのだ。
そうしてぼーっと見つめていると、不意にまた、ナモリキズナと目が合う。
すると、彼は何故か柔和に微笑みを浮かべて、隠れて小さく手を振ってきた。
それまでの憮然とした態度とはまるで違う、その整った顔を存分に輝かせた艶然とした表情に、マナカは思わず顔を真っ赤にして目を反らしてしまう。
もしかしたら、自分が見とれているのを見透かされてしまったのではないかと、恥ずかしさでその場から逃げ出してしまった。
◇
「何してるの」
リィナがキズナの脇腹を小突く。「うっ」と小さく呻いたキズナは、恨みがましげにリィナを睨んだ。
「何って、ファンサ的な? いいだろ別に」
「何がファンサよ、調子乗んな」
何故か普段よりずっと子供っぽい態度で機嫌を悪くするリィナに、キズナは「乗ってませーん」と更に子供じみた返しをする。
「ま、ともかく言っただろ? 見てろって。俺にかかればこんなもんだよ」
「別に分かってたけど、そんなこと」
まだ拗ねた調子のままのリィナが、口を尖らせてぼやくように言う。
「でもね、魔力が全然増えてないって問題はそのままなの。これから先もこのままなら彼らとの差は広がる一方で、どれだけ戦いの才能があっても持ち腐れよ」
「それはまあ、確かに悔しいけど」
キズナとしても自分のアイデンティティである喧嘩の強さが、魔力などという自分にはどうしようもないもので、彼らのような素人に追い抜かれるのは何とも言い難い思いがあった。
不意に思い出されるのは、以前顔合わせの際に言い合った小柄な男の言葉だ。
魔力があるから自分が勝つ、そう宣った男は既に地球に帰ってしまったようだが、それがあの男によるものでなくても、他のすべての候補生にとって現実になってしまいかねないのが悔しかった。
「やっぱり、魔力をあまり持ってなかったですか。何とも惜しいですね」
二人の会話に割って入ったのは、赤いぼさぼさツインテールの幼女、ソニアだ。
模擬戦の時間が始まってから、あちこちで候補生たちを監督して回っていたのだが、キズナとリュウヤの戦いも見ていたのだろう。
「分かんないだろ、あとからめちゃくちゃ伸びるかも知れないし」
「それは何とも言えないですが、確かに魔宝石のこともあるわけですし、あり得ない話ではないですね。そうであることを願うですよ」
腰に手を当てて胸を反らす姿勢で、ソニアはそう答える。彼女の背丈を思えばそれは背伸びした子供にしか見えそうもないが、不思議とそんな姿にも貫禄すらあるとキズナは感じる。
何故なら、目の前の彼女には、どう逆立ちしたって今の自分は勝てそうもないと感覚で理解していたからだ。
「それはそうとひとまず、俺はもうこれで十連勝した訳だし帰ってもいいか? 流石に挑んでくるやつもいないだろ」
言いながらキズナは辺りを見渡すが、野次馬となっていた候補生たちは既に解散しており、キズナと目が合えばすぐさま目線を反らす有り様だった。
見た目や威力の派手さからしても、自分たちがどうやっても勝てないと分かるリュウヤを、完膚なきまでに叩き伏したのが利いたのだろう。
キズナの目から見ても、他の候補生にリュウヤより強いものはいなかった。
「いえ、あなたにはまだ役目があるですよ。ひとまず終わりまでは居て貰うです」
だがそんな言い種で、帰るのはソニアに引き留められてしまう。
役目と言われても思い当たる節がないキズナだったが、帰ったところで文字の勉強に児童書を読むくらいしかやることがなかったので、特に断る理由もない。
しかし、隣にいるリィナはそれを聞いて小さくため息をついた。
「ソニア……ほどほどにしてよ」
リィナの言う内容はキズナには分からなかったが、ひとまず彼は訓練場の端で、昼寝でもしようと考えるのだった。
ケーワンはケーワンであってk-1ではないです
わかるね?