第十一話 ────同棲、開始
「なあ、マジで二人だけのつもりかよ」
リィナとキズナ、それとフィリップの三人は、北西の森に少し踏み入った元難民区画だという場所に来ていた。
難民用だとされてはいるが、国の他の住宅地と変わらず、しっかりとした作りの家が点々としている。しかしそれらは長く放置されていたのか蔦に巻かれたもの、苔の生えたものと廃墟同然のものばかりであった。
その中にひとつだけ、綺麗に清掃されたのであろう家があり、それがどうやら二人の仮住まいとして用意されたものらしかった。
「しつこいわね。さっきも言ったでしょ、二人だけの方が都合がいいの。あなたの話だとその怪物はあなた以外に見えなかったり、恐怖の感情を呼び起こす精神汚染を使ってくるのでしょう? 私ならどちらにも対応できるから」
若干うんざりしたような口ぶりで、リィナは先ほどから何度かしている話を繰り返す。しかしキズナはあくまで納得がいかない様子だ。
「そうは言ってもさぁ……」
「しつこい、諦めなさい」
これ以上は取り合わないという態度を強めるリィナに、流石にキズナも諦めて腹を括る。
キズナには、彼女が強いということが分かっていた。恐らく自分よりも、昨晩やり合ったダインよりも遥かに。
だが、あの怪物の恐ろしさは単なる力の強弱ではない。自分一人で彼女を守りきれるか不安だったのだ。
「お話は決まったようですね。キズナどのも、申し訳ありませんがご観念を。私も、彼女以上の適任がいるとは思いませんので」
フィリップはそう口にすると、家屋の玄関を開いてエスコートの姿勢をとる。二人は招かれるままに家の中に入り、物珍しそうに室内を眺めるキズナをよそにリィナはすたすたと二階の部屋に上がっていった。
「あれ、あいつここに来たことあんの?」
勝手知ったるとでも言うかの様子に、キズナはフィリップへ疑問を口にする。
「いえ、そういう訳ではないかと思います。ですが、彼女は外から見ただけで建物の構造をおおよそ把握したのでしょう。そうした力を持っているのです」
「ふーん」
口のなかで返答しながら、キズナは取り敢えず屋内の部屋を見て回ることにした。当然、彼には外から構造を把握することなど出来ないため、しらみつぶしである。
一階にはダイニング、キッチン、トイレに浴室まであり、地球で見るような家屋とさほど変わらぬ感覚で使えそうだと彼は感じる。
「そういえば……俺いつから風呂に入ってないんだっけ」
思わず自分の身体の臭いを確認するキズナに、フィリップは苦笑しながら「大丈夫ですよ」と口添える。
「着替えなどは二階の寝室に用意がございますので、後程確認いただけるとよいかと。それでは案内も済みましたので、私はここで失礼させていただきます。二人きりにはなりますがどうか、彼女を信用してくださりますよう」
上品な振る舞いで一礼をし、フィリップは外へ出ていった。キズナはリィナのいるであろう二階に目を向け少し苦い顔をすると、仕方なげにため息をついて階段を上っていった。
「遅かったわね。どうかしら、しばらくここで過ごすけれど、不都合はなさそう?」
キズナが二階に上がり真っ先に開いた部屋が、どうやら寝室のようだった。リィナがいたので彼女が自分の部屋にするのかと思ったが、何故かこの部屋にはベッドが二つある。
「なあ、まさか」
「なに、同じ部屋じゃ恥ずかしくて寝れない?」
そのまさかを肯定するリィナの言葉に、キズナは思わずその場に踞って頭を抱える。
「まじかよ……そりゃ流石にだろ」
どうやら、彼女は彼と同じ寝室で寝泊まりするつもりらしかった。羞恥心は無いのだろうか、あるいは自分は全く男として見られていないのだろうかなどと、キズナは明後日の方向に思考が飛ぶ。
「お前がその不都合だって言ったら、怒る?」
「怒るわね、どうしてほしい?」
恐ろしいことを口にするリィナに、キズナはそれ以上の反論を諦めた。
確かに、怪物に対処することになる以上、同じ部屋で寝起きするのは合理的だ。同じ家の中でも、怪物は自分たちが分断した隙を狙ってくる可能性は高い。寝込みを襲われた時などでもすぐに対応可能にするには、それ以外にない。
「まあもうしょうがねえか……」
観念して受け入れたキズナは、ひとまず用意してあるという着替えを探し、部屋の左右に一つずつある箪笥の片方、リィナの座っている反対側のそれを物色し始めた。
すると、そこにあったのは下着だった、女性ものの。
「ぶっ──!!」
バタンと音を立てて箪笥をしまうキズナに、リィナはちらりと目を向け、それまで読んでいた本を閉じてキズナの側に寄り、箪笥の中身を確認する。
「失礼、さすがに私の落ち度ね」
「……そう思ってくれて助かるよ」
二人は位置を入れ替わり、それまでリィナが座っていた側のベッドへキズナが、女性ものの下着の入った箪笥側へリィナが腰掛ける。
キズナは先ほど見たものを脳裏から追い出さんと心を鎮めて、もうひとつの箪笥から男物の着替えを取り出した。
「取り敢えず風呂入ってくるわ。さっきフィリップさんに頼んで湯を貯めて貰ってるから、そろそろ入れるだろうし」
リィナは「そう」とだけ返事をしながらも、視線は手元の本へと落としたままだった。
必要な際であれば弁舌を振るう彼女だが、そうでない時は言葉数は少ないらしい。キズナにとってはその方が居心地はよかった。
一階に降りて、浴室手前の洗面室の戸を閉めて服を脱ぎ始める。
この世界には水道のほかにも、生活のための設備の多くは魔術で利便性を増しているらしい。
キズナは不馴れなため使い方が分からなかったが、慣れればむしろ地球のものよりも勝手がよさそうであった。
昨日から着ていたシャツを脱いで、彼の身体が露になる。その身体には所々傷があるが無駄な肉はひとつもない、筋肉質だがしなやかで引き締まったものだ。
見る人が見れば、まるで彫刻のようだと恍惚に浸りさえする代物だった。
すると、洗面室の戸が開き、リィナが唐突に現れた。
「…………」
彼女は彼の身体を見て少し固まり、二人の間には若干の気まずい沈黙が流れた。
「え、なんだよ」
「…………あ、タオル。忘れてたから」
言いながらも彼女の視線は、キズナの身体つきに固定されていた。その様子を見て、キズナは悪戯心が芽生える。
「……変態」
「なっ……!」
初めて狼狽した様子を見せたリィナが、キズナの顔面に持ってきていたタオルを投げつける。
ばふっと心地よい音を立てて命中して落ちるそれを手で受け止め、キズナはしてやった気になりにやにやと笑った。
「人の厚意に対して失礼ね、燃やすわよ」
「はいはい、悪いね。下も脱ぐからそろそろ出てってもらっていいか?」
キズナの得意気な顔にリィナは音を立てて戸を閉める。その後もドタドタと階段を上がる音が聞こえ、二階のドアも音を立てて閉められた。
「面白いもんが見れた……けどちょっと気まずいか」
衣服を脱いだキズナは、乱雑に髪と身体を洗い、すぐに湯へ浸かった。
温かい湯に身体を晒すと、彼は自分の身体が想像よりも強張っていたことに気がつく。恐らく、慣れない場所を転々として、気づかぬうちに疲れがたまっていたのだろう。
ようやく訪れた空白の時間に、彼はこの数日で起きたことを振り返る。
自分は、命を絶つために崖から身を投げた筈だ。だというのにおかしなことに、このような見たことも聞いたこともない世界で、ここ数年はなかったほど人と関わり、会ったばかりの少女と同居生活とすらなった。
「なんか、現実味がないよな」
長い髪から伝わる水滴が、風呂の湯に落ちる。不意に意味もなく腕を上げて、伸ばした手を閉じて開いてと遊んでみる。
自分の手だ、見慣れた鍛え上げた腕だ、彼はそう思った。だがこの身体は、もとの世界のものとは違うものらしい。魂だけがこの世界に来て、再構成された身体。
自分の身体というものすら自己の保証にならないなら、何が自分を自分と定義するのだろうか。そんな益体もないことを考え始めていることに気がつき、彼は湯船から身体を持ち上げる。
手早く身支度を済ませ、濡れた髪を拭くのもそこそこに洗面室を出た。
二階に上がり寝室に入ると、リィナがタオルのかかった籠を準備しており、恐らく着替えなどをキズナの目に入らないよう準備したのだと彼は推し測る。
そして彼女は、キズナには目を向けないまま、彼に向かって声をかけた。
「どう、少しは落ち着いた?」
先ほどのやり取りからは立ち直ったのか、無かったことにしたいのか、気遣うような発言にこそばゆくなるキズナ。
浴室で巡らせていた考えを思えば、落ち着きすぎたのも考えものかもしれないなどと彼は考えたが、敢えてそれをいう必要もないだろう。
「ああ、まあな。心配しなくても覗いたりしないから、お前も早く入ってこいよ」
「あら、覗きたければ別に構わないわよ。見られて恥ずかしい身体はしてないもの」
「いや……お前な…………」
それは暗にお前に羞恥心を持つほどの意識は向けてないということなのかと、複雑な心境になるキズナ。
そんな彼に対して、彼女はちらっと舌を出して挑発するようにしながら、部屋をあとにしていった。どうやら先ほどの意趣返しらしい。
「意外と子供っぽいところもあるんだな……」
そんな態度に、悔しいながらも少しだけ可愛げのようなものを感じてしまって、彼は自分でも知らずにわずかに表情を綻ばせる。
手持ち無沙汰になり、ベッドに仰向けになり天井を眺める彼だが、そうしているうちに睡魔が襲ってきた。
昼間は、彼女とともにこれまでキズナが遭遇してきた怪物の情報などをずっとまとめていたため、昨晩の疲れもあり少し眠気が来ていた。
夕食は砦の食堂で早めのものを済ませてある。このまま寝てしまっても問題はない筈だ。
気がかりなのは、この世界に来てから初めての遭遇となった怪物の動向。今まで通りなら三日以上は間が空く筈であるため、少しの間は出現はしない筈だが、昨晩のものはいつものそれと比べても様子がおかしかった。
「何か……嫌な変化が起きてないといいけど……」
そうひとりごちながら、目蓋が徐々に重くなってくる。何しろ死にかけた身体で限界まで動いた翌日だ。睡眠も取ってないわけではないが、身体はしっかりとした休息を求めている。
だが、そこで浮かんでくるのは浴室へ向かった彼女のことだ。彼女こそ、この二日で殆どの不眠不休で動いている。それも、殆どがキズナのためにだった。
「…………あいつ、なんで、俺の……ことを…………」
しかし、それについて思考を巡らせることは、全身に浸透した眠気が許さなかった。
彼は小さく寝息を立てて、明かりもつけたまま眠りについてしまった。
自分でも気づかないほど、いつぶりかも分からない穏やかさで。
◇
彼女が寝室に戻ってきたのは、およそ一時間後のことであった。念入りに魔術で髪を乾かし、自分の一番気に入っている寝間着を選んで、おかしなところが無いことを確認して。
しかし、戻ってみるとこれからしばらくの同居人は既に寝入ってしまっている。
毛布も掛けずに仰向けで寝ている姿は無防備で、自分はこの短い間で何度この寝顔をみているのだろうかと考え、少し可笑しくなってしまう。
「のんきなもの、なんてあなたに言うのは酷かしらね」
彼女も実を言えば、内心で少し浮き足立っている部分があった。しかしそれを表に出すことはしない、あくまで平常心を保つように努めてはいる。
起こさないように気を付けながら、彼の身体に毛布を掛けなおす。彼女の表情には、常の厳しい表情とは違い、まるで慈愛に満ちたような微笑が浮かんでいた。
「さて、あたしもいい加減眠気が限界ね……」
彼女はその小さな口を開いてあくびをする。
明日からは、彼を連れて他の召喚者たちとも顔合わせを行わなければならない。
実は彼女は、魔術や魔法の基礎概要を、彼らの言葉でまとめた書類を作っていたために四日は徹夜で過ごしていたのだ。
元々原型は国の子供に向けて作られたものが雛形としてあったが、それをこの世界の常識には疎く、さりとて子供よりは賢いであろう彼らのために書き直すのはそれなりに時間を要した。
結果として出来上がったものは、この世界の言語で書かれていれば中央王国の王都でもベストセラーを狙える出来映えだったが、彼女にとってはその程度の仕事は大して取り沙汰すものでもない。
更に言えば、魔法知識を必要以上に大衆化する事には師匠のゲオルクが懐疑的な立場を取っているため、彼女が金銭のためにそうした仕事を選ぶことはないと言えるだろう。
経済活動に頭を悩ませ続ける生活をしていたキズナが知れば、世の不公平に天を仰ぎかねない事実だ。
「…………しかめ面ばかりしてるけど、寝顔は綺麗なものね」
自身の見目の良さを自覚するリィナからしても、キズナは顔貌の整った部類だ。
女性のような長い髪も中性的な顔立ちに違和感なく、こうして眉間に皺が寄っていなければ麗人と言っても差し支えない。残念ながら、起きていれば陰鬱な雰囲気とひねた振る舞いがそれを感じさせないが。
黙っていた方が人を惹き付けるのではないかと考えたものの、黙っていても剣呑な雰囲気を醸し出すのであまり当てはまらないと結論付いた。
しかし、それも彼が抱える恐怖ゆえのものであると彼女は知っている。自分のせいで、誰かを取り返しがつかないほどに傷つけることへの恐怖。
それを避けるために、浅い傷をつけて追い払っているのだと。
その生き方は、酷く寂しいものだ。
「……なんとか、する」
深い眠りについているキズナには聞こえていないが、彼女はひとり改めて誓いを立てる。
自分を、強く戒めるように。