第九話 優しい音
夢を見ている、穏やかな夢だ。
緑一面の草原のなかで、手をひろげて仰向けに横たわり、風に吹かれながら空を眺めている、そんな夢。
キズナは、その光景を夢だと察して、そんなあまりにもありふれた穏やかなイメージを自らが求めていることが、なんとも滑稽に思えて笑えてしまった。
ふと気がつくと、隣には誰かが腰かけている。自分の知るよりも幼い姿で、長い髪を風に任せ、本のページをめくる彼女。キズナはそれを見て不思議に思う。
どうして彼女は、自分を見捨てないのだろうと。
◇
起きるのが惜しいと思う夢から覚めるとき、どうしようもなく寂しくなるのは、彼にとっても例外ではない。それまで見ていた光景が幻であると悟ると、再びその世界には戻れないことにわずかな疼痛を思わせる。そんな感慨を募らせながらも、ナモリキズナは現実へと戻ってきた。
しかし、彼が目を覚ますと、その傍らには夢の中のように彼女が居るままであった。
ベッドの側に置かれた椅子に腰かけ、船を漕いでいるのは、緑色の髪をつやめかせ、金色の瞳を今は閉じている彼女、リィナだ。
夢と地続きであるような錯覚を覚え不思議な感慨を得るが、どうやら気を失った自分を看病していたのだと彼は悟った。
声をかけてきちんとベッドで寝るように言うべきか、それともこのまま寝かせておくべきかでしばし悩む。
しかし、彼はあることに気がつく。彼女の顔をよく見てみると、その下まぶたは僅かに赤らんで腫れている。隈ではない、まるで泣き腫らしたあとのように見えるそれを見て、キズナの鼓動は僅かに早打ち始めた。
見なかったことにして、もう一度寝入ってしまうべきかと彼が考え始めると、リィナがその気配を察知してか、うたた寝から目を覚ます。
「ん……あ、おはよう。起きてたのね、私の方が寝ちゃってたか」
そんな無防備とも言えるリアクションに、キズナは若干たじろいでしまう。
「……なに、どうしたの。変に気まずそうにしちゃって……昨夜のことまだ引きずっているのかしら」
キズナの反応を見て、若干むっとしたような表情を見せるリィナ。といっても、彼女の表情の変化はひどく分かりづらく、注意深く見なければ気付かないようなものであったが。
そんな部分で人から誤解を受けることもあるのだろうかと、キズナは少し考え込みそうになる。彼女が見た目どおり冷徹な人物ではないことは、彼は既に理解していた。
「まあな……あれだけの騒ぎを起こして、のうのうと眠りこけてる自分に呆れてるだけだ」
自嘲気味に笑うキズナに、リィナは形のいい鼻を鳴らして小さく息をつく。
「仕方がないでしょう、それなりに危ない状態だったのよ。失血死してもおかしくないぐらいだったし、気を張ったんだから」
キズナは彼女の言葉を受けながらもその顔を見ることが出来ない。彼女が見せる優しさが、自分にはひどく不釣り合いな気がして、苦虫を噛み潰したような気持ちでいる。
「……ありがとう、悪かった」
そうして素直に礼を言うキズナに、今度はリィナの方が僅かに目を丸くする。そしてその言葉を噛み締めるかのように、キズナから目線をはずして微笑みを浮かべた。
「昨夜のあれ、被害は出なかったのか」
「ええ、墓地は住宅地から離れているし、夜も遅かったからか、出歩いている人間は少なかったのが幸いしたわね」
キズナはそれを聞き、ようやく人心地がつく思いになる。
昨夜のゾンビは彼を追っていたといえども、ダインの事も狙っていたように、周囲の人間は無差別に襲うであろうものだったからだ。
彼は思わず深くため息が出てしまい、ベッドに身体を埋めるような感覚で背中を押し付ける。
しかし、と彼は思う。いくら地球とは暮らしている人間が別物だと言えども、昨夜のような事が続けばいずれ犠牲者は出てしまうだろうと。
その思考が無意識に彼の表情を曇らせ、言葉を詰まらせる。
だがリィナは、そんな彼の表情を見て、意を決したように声をかける。
「あなたのそれ……あたしが、なんとかしてみせるから」
キズナはその言葉を聞き、彼女に向かい静かに驚きの表情を浮かべた。
「いや、それは…………なんで」
「なんでって…………」
不意に言葉を詰まらせるリィナ。
わずかな沈黙ののち何かを言いかけるが、出しかけた言葉を引っ込めるように口を閉じたのち、改めて言葉を出す。
「……民の、安全のため。そして、勇者としてあなたに旅立ってもらうためよ」
キズナは、その言葉が全てではないことを彼女の表情から感じ取った。しかし、その真意が分からずとも、己を案じていることも理解できた。
だとしても、その案じている理由こそが彼にとっての一番の疑問であったのだが、考えたところで分かる筈もないと思い、思わず苦笑してしまう。
「なに、なんで笑うの」
「いや、別に。ただ、お前ってめちゃくちゃ良いやつなんだなって、そう思っただけだよ」
「なによそれ」と珍しく感情を表情に浮かべてそっぽを向くリィナに、キズナはついに笑い出してしまう。
最初の邂逅の時とは違う、自虐も嘲笑も含まれない、穏やかな笑いだった。
しかし、笑いながら手で覆われた奥の表情は、少しずつ、何かを堪えるように歯を食い縛るそれに変わっていく。
部屋に僅かに沈黙が落ち、寝具の衣擦れの音に紛らわせるように、彼は呟いた。
「…………なんとか、なんのかなぁ」
溢れ出そうな感情をどうにか堪え、振り絞られた言葉だった。彼は、自分がそんな声を出してしまった事に言い知れない情けなさを感じるが、取り繕うほどの余裕すら今は精一杯だ。
それもその筈である。彼はもう何年も、命と心を削って、独りで戦い続けてきたのだから。
手を差しのべてくれる誰かがいると期待することすら、自分にはすぎた贅沢に思えていたのだ。
「ええ、なんとかするわ。……だから────」
リィナがキズナの顔を真っ直ぐに捉え、真剣な眼差しで宣言する。
「あなたに、もう自分を責めさせたりしない」
静かな部屋に、少しだけ満ちた優しい音は、彼の冷え固まった心をついに溶かしたのだ。
◇
「なあ、俺が言うのも何だけどさ、やっぱりちゃんと寝てからの方がよくないか?」
キズナとリィナは、それまで居たゲオルクの家を出て、歩いて村の西端にある砦と呼ばれる建物を目指していた。
件の建物は砦と呼ばれはするものの、実際には王城のような機能を果たしているというダインの言葉の通り、要人が集まり会議を行うのは大概の場合その場所だとリィナは話していた。
「そうしたいのは山々なのだけれど……あなたから聞いた話をまとめて昨夜のことを報告しなければでしょ」
リィナは既に、2日続けてキズナの看病で夜を徹している。聞けば先ほどのうたた寝を除いて一睡もしていないとのことで、キズナは申し訳なさもあってリィナに休んでほしい思いでいた。
しかし、事はそうも運べないのが事実である。
「言いづらいのだけれど、今のあなたの立場って危ういのよね……村に災難を持ち込んだ程度ならまだマシで、無関係な人間から見ればテロを起こしたと思われかねないもの。そうなればこの国の法では死刑よ」
「そ、そうか。それは…………困るな」
一瞬、願ったり叶ったりだなどと口走りそうになったキズナだが、先ほどのリィナの言葉と眼差しを思い出し、言葉を引っ込めた。
「それにこの世界の人間は訓練次第で、魔力を操作すれば一週間程度は睡眠を取らずとも過ごせるの。私は十日間不眠だったこともあるわ」
「……そりゃなんともつらい世界だ」
肩をすくめて苦い顔をするキズナ。彼は比較的に眠るのが好きなタイプの人間であったため、そのような訓練はあまりしたくないなというのが正直な感想であった。
もっとも、彼が安心して眠りにつけるのはもっぱら昼間の間だけで、夜間は一応安全な筈の怪物が出た翌日でも、気絶でもしない限り熟睡は出来ないのだが。
そんな話をしていると後ろから何やら機械の駆動音のようなものと、風の音が混ざったものが聞こえてくる。
キズナが振り向くと、そこには空中から降りてきた車のようなものが地上に降り立とうとしていた。
「え……空飛ぶ車? マジかよ、すげえな」
考えてみれば、スケートボードやバイクが空を飛ぶのだから、車が飛んでもおかしくはないのだが、実際に目にするとその光景はキズナの少年心をおおいにくすぐった。
表に出さないように、平静を装うキズナを見て、リィナが隠れてくすりと笑うが、彼はそれには気付かなかった。
空飛ぶ車の外観は、中世の馬車にフォルムのみ力学的なデザインを持たせたようなもので、ファンタジーとSFの融合といった具合だ。そのドアが開き、中から出てきたのは金砂のような髪を持つ、若く落ち着いた雰囲気の男だ。
「お姿を見てもしやと思えばやはり。リィナどの、それに噂の勇者候補どのでございましたか。このような良き朝に出会えるとは、嬉しいめぐり合わせです」
「ええ、フィリップもおはよう。確かに良い朝ね、私にとっては眠らずに迎えたのが難点だけれど」
薄く苦笑しながら返すリィナに、フィリップと呼ばれた男が、わずかに顔をほころばせる。
「おや、リィナどの、お言葉に反して今朝はなにやらご機嫌がよろしい様子ですね」
キズナはフィリップの言葉を聞いてリィナの顔を見やるが、彼が何故リィナを機嫌がいいと評したのかは分からなかった。
「別にそんなことないわ、いつも通りよ」
表情を澄ましたものに戻して、リィナが淡々と言葉を返した。するとフィリップは優雅に微笑みながら、穏やかに言葉を返す。
「これは失敬、何やら野暮なことを言ってしまったようで。どうか、お気に障らずに下されば幸いです。それはそうと、お二人はこれから砦へ向かわれるのですか?」
フィリップはキズナの方にも柔和な笑みを浮かべながら、二人に対して確認を行う。
「ええ、そうね。とはいえ少し距離があるから、どこかで車を拾えないかと思案していたところなの」
それを聞き、フィリップはくすりと笑って、車の方へ向かって二人を招き入れる姿勢を取った。
「それは丁度よかった、私も話し相手になる同乗者がいれば華やぐと思っていたところなのです。よければご同乗いただけませんか?」
「ありがとう、お願いするわね」
フィリップにエスコートされながら、車に乗り込むリィナ。その一連の動作の洗練されている様に、キズナは思わず感心してしまった。
「さ、キズナ様もこちらに」
「ん、名前知ってるのか」
「勿論ですとも」と、優雅に答えるフィリップに導かれるまま、キズナは車の中に乗り込んだ。
内装は外から見るよりも何故か天井が高く、対面式での四座席と、運転席とその隣の計六人乗りだ。
不思議そうに眺めるキズナに、斜向かいに座り、眠気を堪えているのか目を閉じるリィナが声をかける。
「中は空間魔術の応用で拡張されてるのよ。言っておくけど、貴族でもおいそれと乗れない高級品だから、粗相のないようにしなさい」
「おかん目線はやめろよ……」
「まあ実際、保護者みたいな……ものだし……」
そんな言葉を最後に、リィナは小さな寝息を立てて華胥の国へ行ってしまった。
キズナは、彼女がようやく少し休めることに安堵し、仕方なげに小さく息をつく。
「……っとに、キャラに反して面倒見よすぎだろ」
キズナが呟くも、リィナはよほど眠気が溜まっていたのか、目を覚ますことはない。
「あんた、フィリップさんだっけ? 悪いんだけど、少しゆっくりめで頼めないか」
「ええ、それがよさそうですね。彼女が人前でこのように隙を見せるなんて、よほど疲れていたのでしょう。それとも、あなたを信頼してのことでしょうか」
「信頼?」
思わぬ言葉に、キズナは自分の後ろ側の運転席にいるフィリップへ首を傾け、片眉を上げる。
彼にとって、彼女が自分を信頼する要素など一つもない。フィリップの言葉は的外れに思えた。
「私の方こそ驚いていますよ。彼女がこのように寝姿を人に晒すことなどありませんから。少なくとも、私どもと二人きりでこうなることはまずあり得ないと言ってもいいでしょう。私の知る限り、彼女がそれを許せるほど心を許している相手は精々三人、といったところでしょうか」
「俺は別に……信頼されるようなことは……」
口ごもるキズナに、フィリップは彼に見えないところでも柔和な笑みを浮かべる。
「この方は、なんの理由もなしに人を信用する方ではありません。ですが、ものを見定める目に関しては並ぶものはない。ですからあとは私めなどではなく、本人からいずれ話されるのを待った方がよろしいかと思います」
理由、それはキズナ自身考えていたことではある。彼女は何か、自分の知らないところでものを考えているような気がしていて、それが何なのかはキズナには分からなかったからだ。
「……でも、実際そんなのは別によくてさ」
声音が穏やかなものに変わり、キズナはリィナの寝顔を見ながらわずかに笑みを浮かべる。
「こいつは、優しすぎるくらいなのは確かだよ。……ひどく分かりづらいけどな」
それを聞いたフィリップは後部座席に目をやり、嬉しそうな顔で少し笑いをこぼす。
「そうかも知れませんね。ですが、それを知っていて下さる方はあまり多くありませんので、どうか彼女のことを信頼してあげて下さい。強く聡く、そして魅力的な方です」
「あんたたち、さっきからなんの話をしてるの」
不意に、窓にもたれて眠っていたリィナが、目蓋を擦りながら二人に問いかける。どうやら深くは眠れずに目を覚ましてしまったらしい。
「おや、起きてしまいましたか。もう少しあなたの魅力をお伝えしたかったのですが、本人が聞いていては話しづらいですね」
クスクスと、いたずらっぽく笑うフィリップ。柔和で紳士的な振る舞いの男だが、嫌味がなく自分のような相手にも気取るところがない姿にキズナは好印象を抱いていた。
「そうだな、下手すると後ろから撃たれるぜ、あんた」
キズナがリィナをからかって言うと、彼女は軽くため息をついてキズナを制する。
「あのね、フィリップはこう見えてこの国で実質ナンバーツーと言ってもいい立場にいる人なのよ? お祖父様に対してもだけど、あまり気安いと撃たれるのはあなただから気を付けなさい」
「へえ、どおりで」
リィナから開示された事実にしかし、キズナは驚くことなく、フィリップに目線をやって不敵な笑みを浮かべる。
「あんた、相当強そうだもんな。昨晩の爺さんに次いで、今までにみたことがないくらいだ」
キズナの思わぬ言葉にリィナは少しばかり驚いていたが、フィリップは運転席で面白げに笑みを浮かべる。その笑顔は先ほどまでのものとは違い、キズナを明確に意識するべき相手と認識したものだ。
「なるほど、戦いなど知らぬ世界から勇者とやらを呼ぶなど、なんの意味があるのかと思っていましたが……。とはいえ、純粋な戦いで私などより勝るものはいくらかいらっしゃいますよ。あくまで、書類仕事など実務上のものを取りまとめるのが主な仕事ですので」
「よく言うわね、試合ならともかく戦場で一番戦いたくないのは、お祖父様やソニアを除けばあなたがそうだもの」
「それはそれは、恐縮の限りでございます」
やはり嫌味なく言ってのけるフィリップだが、その余裕は強者たる故だと、キズナは初めから感じ取っていた。
だからこそ甘くみられたくない、そんな心持ちで余裕を見せたかったものの、底まで見透かされている気にもなり敵わないと感じる。その点においては、昨晩のガンズ以上に手強い相手かもしれない。
「……ほんと、この世界はどうなってんだか」
キズナは、元の世界では幼い頃から格闘技や武術の類いで誰かに負けたことはなかった。齢十に達した頃から、大人が相手でも。
そんなキズナが、昨日この世界に召喚されて以降、一体どれだけ自分よりも遥かに強い人間に遭遇したのか。
彼にとっては青天の霹靂でありながらも、面白みのようなものも感じている。
魔力と呼ばれる超常の力だけではない、それを駆使して戦うことが人間の力をより洗練させているのだろう、彼はそう考えている。
それは運転席に座る男も、はす向かいで窓際に肘を置く彼女すらも例外ではない。
「なにかしら」
「ん、別に」
「そう」と軽く返す彼女から目線を外し、外の景色に目を向ける。キズナは飛行機の類いに乗ったことは無かったため、これが人生初飛行だ。
「いや……そう言えば昨日飛んだと言えば飛んだな」
ガンズに火を放たれ吹き飛んだことを思い出しながらひとりごちるキズナに、リィナは頭上に疑問符を浮かべたのち、はたとその言葉の意味するところに気がつく。
「ああ……あれね、肝が冷えたわよまったく。問答無用で首が飛ばされてもおかしくない態度だったんだから。お祖父様はあれで甘いから囮にされる程度で済んだものの……」
「……まあ、済んだことは水に流してくれ。というか、なんで俺はあの時あれだけ吹き飛んで無傷だったんだ? 身体中燃え盛ってた気がするんだけど」
勝手なことを言うキズナに、リィナは呆れた様子で軽くため息をついて疑問に答える。
「昨日言わなかったかしら、お祖父様の願阿魔法である炎の特性で、正しき魂を持つものには癒しを、過ったものには戒めと浄化を与えるというものよ。炎を放った衝撃で吹き飛びはしたものの、癒しの効果で傷はむしろ癒えたのでしょう」
願阿魔法、昨夜も何度か耳にした言葉だとキズナは考える。人の願いを元にした魔法との事だったが、彼にはあまり理解が出来ていなかった。
「そのめもりあ? なんたらってやつ、昨日も話に出てきたけど、普通の魔法とは違うのか」
疑問を口にするキズナの問いかけに、リィナは窓の外を眺めながら答える。
「ええ、そうね。厳密に定義するのは難しいけれど、通常の魔法と最も異なるのはその効果や威力の強さ、そして概念的な効力を持ちうるところかしら」
正直なところやはり彼にはイマイチ理解が及ばなかった。そもそも通常の魔法とやらでどの程度の事が出来るのかわからないのだから、それと比べて強力だとされても理解はできない。
「よくわからないけど、とにかく強いってだけか?」
「別にそういう理解でもいいけどね。例えば、鍵を開ける魔法があるとすれば、通常は鍵の構造や防護魔術の解析を行って、それから手順を追い解錠するけれど、それが願阿魔法なのであれば、それらの工程を飛ばして鍵を開くという結果を強引に引き寄せる事が出来る。そういった反則級の魔法なのよ」
そこまで説明され、ようやくキズナにも理解が及んできた。つまりはルールを無視した強制的な結果の押し付け、それが願阿魔法と呼ばれるものの特質なのだろうと。
「なるほどね……まあ確かに反則だな。それって珍しいのか?」
あのゲオルクという奇人とリィナの話では、キズナもそれを持っているとのことだった。
もっとも、彼にとってはそれがあの夜毎の怪物を呼び込むだけなら、決して望ましいものではないが。
「一つの魔法を極めるとそれがあとから変化する場合もある。けれど、基本的にはそれを持っているのは数万人にひとりという話よ。そして、あなた達地球の人間が勇者として呼ばれる理由もそこにある」
それはキズナとしても気になっていた話だった。この世界の人間は、ここまで出会った人物を鑑みても地球の人間とは比ぶべくもなく強い。それは単に肉体的な話ではなく、根本的な心の在り方や立ち振舞いからして別物だった。
昨日今日魔力とやらを使えるようになった程度で地球の、まして戦いなど無縁な平和な日本から呼び出された人間がどうにか出来るとは思えないと彼は考える。
「もしかして、地球から来た人間は……」
「そう、何故かあなた達は願阿魔法をもつ割合が高いの。それどころか、魔力の基準値も数倍以上違う。理由は不明だけれどね。だからなのか、数千年前から魔王の誕生が予知された時は異世界から勇者を召喚すると決まっているのよ」
「ふーん……そりゃなんというか、めんどうな話だな」
この世界の人間としては、それはあまり面白くないのではないだろうかとキズナは考える。戦いに身を捧げたような人間であるなら余計に、ぽっと出た別世界の人間を頼らなければならないなど、あまりいい気分ではないのではないかと。
「お話が盛り上がっているところ申し訳ない。お二人とも、そろそろ到着のようです。ご準備をお願いいたします」
先程の話が出てもなお、フィリップは腰を低く優雅に報せる。言われるがまま外を見ると、遠くから見るだけだった砦と呼ばれる建物のすぐ近くまで来ていたのがキズナにも分かった。
「さて、そろそろ心の準備をしておきなさい」
「心の準備? なんの」
物騒なリィナの言い回しに、キズナが若干身構える。リィナは身支度をしながら、キズナを一瞥してこう言った。
「裁判、あなたのよ。無罪判決を勝ち取る戦いが今始まるわ」
「え……」
ナモリキズナ十九歳、はじめての法廷デビューだった。