第八話 そんな資格は
ゲオルクに連れられキズナがやってきたのは、国土の北西に位置するゲオルクの自宅前であった。周辺を森に囲まれ、ひっそりとした場所にひとつだけある二階建ての木造住宅は、隠れ家的なコテージを想起させる。
「実験室って言いながら普通に自分の家に連れてくるってどういうことだよ。もてなしでもしてくれんの?」
「見た目によらず図々しいやつじゃのお、お主に出すような茶などないわい」
ゲオルクは嫌そうな顔で突っぱねた後、地面に向かってその杖を振るった。すると、その地面が音を立てて割れていき、中から地下へと続く階段が現れる。
「うお……なんだそりゃ」
キズナは突如現れたギミックに若干の興奮を見せて覗き込む。それはどう見ても金属製で出来た建物で、それまで見てきた国の風景とは全く結び付かないものだった。
「石造りすら見当たらないと思ったら急に超技術のお出ましかよ……」
ひとりごちるキズナをよそに、氷像を浮かせたゲオルクとリィナはさっさとその階段を降りていってしまう。キズナは、この階段を降りたら戻ってこれないのではないか、などと想像しながらも仕方ないのであとに続いた。
少し降りると地表へと続く口はまた音を立てて閉じてしまい、その月明かりの代わりに左右の壁に明かりが灯っていく。それは昼間にも見た三角錐の石が嵌まったもので、弱められているのか、青白い光が足元を薄く照らしている。どこか幻想的だが無機質な光景にキズナは不思議な感慨を覚えた。
そうしてしばらく降りると、それなりの広さがある部屋に出る。キズナには用途も分からぬような様々な器具が並び、実験室という呼び方に相応しい。しかしキズナは、静かな室内に入ったことで極度の疲労が表に出たのか、ぼんやりと眺めるのみだ。
「リィナよ、三番のポッドを開けなさい」
ゲオルクがそう指示すると、リィナがなにやら円柱の前に立ち、何もない空中に浮き上がったモニターのようなものを操作する。
「今度はSFか、もうなんでもありだな」
そんなキズナの感想など気にもかけずに彼女が操作を終えると、立ち並んだポッドのひとつが前口部を大きく開き、そこにゲオルクが杖を振るってエレナの遺体を収容した。
氷像を収容したポッドはその口を閉じ、中には液体が満ちてゆく。やがてそれが満ちると、ゲオルクが杖を振るい氷を溶かしてみせた。
するとそれまで動きを封じられていた亡者は動き出そうともがき始めるが、液体の圧力故か思うように行かず身じろぎをするに留まっている。
「…………っ」
その様子を見たリィナが僅かに唇を噛む。キズナは彼女に何か声をかけるべきか逡巡したものの、何を言おうが侮辱にしかならないと感じ、口を噤むに留めた。
「ふむ……なるほどのぉ、思った通りじゃな」
ポッドが並んだ奥にあるデスクには、映像を浮かび上がらせる道具のようなものがあり、そこに表示されるグラフやこの世界の文字を眺めているゲオルクが考え込むような姿勢で大きく息をつく。
キズナは手持ち無沙汰にしながら興味なさげに周囲のものを眺めていたが、不意にゲオルクが手招きしたのを見て、嫌そうな顔でそちらへ向かう。
「お主、ちょっとそこの寝台に寝転がってくれんか」
キズナは言われた通りに、部屋の角にある寝台に寝そべる。金属製で人型の窪みがあるそれは、寝台というよりは何かの儀式に使われる祭壇などを想起させる。しかし意外と寝心地はよく、彼はそれまで堪えていた猛烈な疲労感と睡魔に襲われた。
キズナはどうにかまぶたを閉じぬままに、ゲオルクへ問いかける。
「言われたようにしたが、どうするんだ?」
すると、ゲオルクが目の前の空中に浮かぶ映像を、何やら指で操作し始める。直後、唐突にキズナの寝ている寝台から拘束具が生え出し、両手足と胴体が完全に動きを封じられた。
「なっ……!?」
突然のことにキズナは先ほどまでの睡魔を吹き飛ばし抜け出そうとするが、がっちりと固定されて殆ど身じろぎもできない。
「おいなんだよこれ、何を────ぁがッ!?」
暴れようとするキズナは突然、腰の辺りに尋常ではない激痛を感じた。天地がひっくり返るような錯覚を覚えるほどの痛みに白目を剥きかけるが、歯を食い縛ってどうにか耐える。
すると今度は寝台から注射器が生え、腕の辺りから何か得体の知れないものを注射された。
「先生! 麻酔も打たずに髄液の採取など、何を考えているのですか!?」
ゲオルクの暴挙に流石のリィナも唖然としながら抗議の声をあげる。だが当のゲオルクは全く省みることもなく鼻唄を歌っている。
「じゃって、効き始めるの待つの面倒なんじゃもん。それにいいじゃろ、老人の胸ぐらをつかめるくらい元気があり余っとるんじゃから」
どうやらゲオルクは先ほどのキズナの態度を根に持っているらしく、これはその意趣返しというつもりだったらしい。
「こ……の、クソジジイが…………!!」
酷い頭痛や目眩に襲われながらも、キズナがゲオルクへ悪態をつく。さしものゲオルクも少しやりすぎたと感じたのか、若干目を反らしながら口を尖らせて不貞腐れているが、キズナはそれを見て余計に気が遠くなる思いでいた。
「リスクや後遺症は気にせんでええぞい、魔術薬の注射でアフターフォローも完璧じゃ。あとはリィナが治癒魔術をかけるだけじゃからの」
「……先生、彼の身柄には私が責任を負っていることもお忘れなきようお願いしますね。いくら先生とて勝手が過ぎると困りますよ?」
当然の物言いではあるが、ゲオルクはまるで思ってもないことを言われたかのような顔でリィナの方を見る。しかし、なにか言いかけようとしたところで、リィナが眉間にシワを寄せながら微笑んでいるのを見て、首をちぢこめてモニターに目線を戻した。
「そんなことよりほれ、これを見なさい」
ちょいちょいと手招きされ、リィナがゲオルクの隣に立ちモニターを覗き見る。すると、彼女は腕を組み片手を顎に添えながら僅かに考えたのち、モニターを操作してキズナの拘束を解いた。
「起き上がれるかしら、今治療するから……」
キズナは頭痛と目眩を堪えながら起き上がり、その剥き出し金属製の寝台に腰を掛ける。
リィナは彼に背中を向かせると、その背中に手を添えて魔法を行使する。キズナはじんわりと背中が温かくなるのを感じ、徐々に痛みや不快感が和らいでいくのを感じ取った。
「本来、再生魔法があるのだからこうした処置も自分で行えるはずよ。きっと独学のせいでうまく扱えないのだと思うのだけれど、慣れれば大概の傷や不調はそれで治せるはず。治癒系統の魔法や魔術でも再生魔法は最上位だから」
背中に安らぐ感覚がある故か、リィナの声色はキズナにとってひどく優しく感じられた。だが、その内容には彼は首を傾げざるを得ない。
「さっきも言ってたが、再生魔法ってのはなんだ。俺が使ってるのは魔法なんかじゃないと思うが」
「なんでそう思うのかしら」
キズナの疑問の声に、返答するリィナの声はやはり穏やかだった。その諭すような声音に、キズナは背中がむず痒くなるのを感じる。
「そりゃ、地球にいた俺が魔法なんて使えるわけが……」
だが、そこまで言い掛けてキズナは自らの発言の矛盾に行き着く。魔法でないなら今まで使ってきた力がなんなのか、それを知るわけでもない。ならばそれは、自らの力が魔法ではない論拠にはならない。
「自分でも気がついたみたいじゃがの、魔法じゃなけりゃなんなの、ちゅうことじゃよ。わしはリィナが言っとる、お主が使った再生魔法を見とらんが、こやつの見立てが間違っていることなどありえない」
ありえない、などと、断言までするゲオルクの口振りに、リィナがこの奇人からどのようにこれほどまでの信頼を勝ち取ったのかが、キズナは不思議で仕方がなかった。だが、今はそれどころではない。
「なら、そのゾンビが俺の魔法によるものだって根拠はなんなんだよ。サインでも入ってたか?」
「根拠は……まあこの画面をお主に見せても仕方ないのう。ともかく分析の結果として、このリビングデッドはお主の魔力によって動いているのが根拠じゃな。正確にいえば、遺体の残留魔力に結び付き一体化する形で魔力を励起しておる。これは通常の死霊術ともプロセスが異なる。他に類を見ないものじゃ」
ゲオルクの言っていることがキズナには妄言にしか聞こえず、思わず頭痛が戻ってくる思いだったが、その中のひとつに彼は言い知れない拒否反応を示す。
「俺の魔力で動くって、俺が自分自身を襲わせるために自分の魔力とやらを使ってるってのか? いくら死にたがりでもそんな悪趣味な方法はとらねえよ」
「そこが面倒なところなんじゃが、この遺体を動かす魔力は純粋にお主の魔力でもない。余分なものが混じり入っておる。いうなれば、穢れたマナとでも言うべきかの」
ゲオルクの言葉に、キズナは不意に亡者の入ったポッドの方へ視線を向けた。亡者は未だもがいており、その様がまるで生きた人間を水に沈めてでもいるかのように見え、彼は思わず目を反らした。
「…………で、その穢れたマナってのはなんなんだ。なんでそんなものが俺の、その……魔力に混じっていて、どうして生きた人間を襲う?」
その言葉にゲオルクは、顎髭をさすりながら少しの時間虚空を見つめる。どうやら彼にもまだ全てが分かるわけではないらしいとキズナは察する。
「それはまあ、おおよその目星はついとるがまだ断定は出来ん。何故ならこれは願阿魔法、人がその願いによって獲得する固有の魔法によるものだからじゃ。むしろお主に心当たりを聞きたいところじゃて」
「…………そんなの、知るわけないだろ。俺が無差別無理心中を望んでるとでも?」
先ほどからの言動や暴挙に、キズナのゲオルクへの信用は皆無に等しい。そんな人物に人を襲わせるのが願いだと等しいことを言われ、彼の内側にはまた、ふつふつと怒りがこみ上がりつつあった。
しかしその様子を見て、背後で治療魔術を行使するリィナが宥めるように諭してくる。
「……先生を擁護する訳じゃないけど」
「擁護する訳じゃないんかい」
茶々を入れるゲオルクの言葉に出鼻を挫かれながらも、リィナが咳払いをして仕切り直す。
「私もあなたのそれが願阿魔法と呼ばれるものであるのは間違いないと思うの。でなければ厳重にプロテクトがかけられたお母様の遺体を動かし、その上生前の魔法、それも願阿魔法を発動させるだなんて芸当は不可能よ。それでいて、あなたの魔力と同じもので動いている以上、私たちの知らない原理で動いているわけでもない。だから────」
「だから、このゾンビが、そして俺が今まで戦ってきた怪物が人を襲ってきたのは、俺自身の願ったことだって?」
歩み寄るリィナに対して、キズナの態度は強硬だった。無理のない話である、彼を自死にまで追い込んだ怪物の正体が、彼自身の願いから来るものだと言われれば、何があっても否定しようという気にもなるだろう。
そしてキズナは内心、この気の強そうなリィナ相手なら、多少厳しい声を出しても反発はされても傷つけることはないと考えていた。
しかし、彼が彼女に治療を止めるようジェスチャーをして振り向くと、そこにあった彼女の表情は全く予想外のものだった。
彼女は、まるで今にも泣き出すのではないかという顔で、唇を噛んでいたのだ。
思わずぎょっとしたキズナは、ただでさえ悪かった顔色を更に真っ青にして焦り始める。
「おま……確かに言い方はキツかったけど泣くほどのものか!?」
「泣いてないわよ、バカ言わないで。…………そんなんじゃないから」
リィナは僅かに乱れた呼吸を誤魔化すように鼻息をつくと、腰かけていたキズナの隣から立ち上がり、亡者の入ったポッドの方へ向かう。
「それはそうと、お母様はいつ解放されるのかしら。まさかずっとこのままって訳じゃないわよね?」
明らかに話題をそらす意図があったが、キズナはそこに目を瞑り、返答を返す。
「いつも通りなら一応、朝になれば元の状態に戻る筈だ。とは言ってもまだ精々二時か三時だから、今すぐどうにかしたければ……お前の祖父さんを呼ぶしかないかな」
キズナは、先ほどそうだったように大きな破損や欠損が起きれば、形はどうあれ解放されることを黙っていた。リィナの方もそれを分かった上で「そう」と一言のみを返す。
「待ちなさい、勝手にただの死体に戻す話をするでない、まだ色々調べたいことはあるんじゃからの。自動的に戻るならそれまで研究素体にしても問題ないじゃろうて」
キズナはいい加減この老人の配慮の欠けた言動に辟易していたが、当のリィナをちらりと見ると、何も言わずに母の遺体を眺めるのみであった。
「……なあ────」
「お母様も、先生の教え子だったの」
思わず声をかけたキズナだったが、それを遮るように語り始めたリィナの言葉を、彼は黙って聞くことにした。
「私にもとても優しかったけど、魔法や魔術の研究にも人一倍熱心で、私も小さい頃からこの研究室にはよく来ていたわ。だから、自分の身体が研究の役に立つなら、存分に使えと、きっとそう言うでしょうね」
それを聞いたキズナは、何も言うことが出来ずに口を噤んでうつむく。改めて、自らの身に纏わりつく呪いの悪辣さに、そんなものを纏う自分自身に嫌気がさしていた。
だが、そうして唇を噛むキズナに、振り返ったリィナは薄く微笑みを浮かべていた。
「あなたも、私のために必要以上に心を痛めなくていいわ。……私には、そんな資格はないもの」
キズナは、それまでの彼女の印象からは想像しなかった自らを卑下するような言い方に僅かに驚かされ、言葉の真意を計りかねた。
だがそれに対して疑問を口にするより先に、リィナが言葉を続ける。
「……それに、仮にこれがあなたの願いによって生まれた魔法だったとしても、あなたが誰かを苦しめるために、自分を苛むために何かを願ったなんて、私は思っていない。きっと何かが悪い方に噛み合ってしまっているだけ。だからあなたのせいじゃないの」
キズナは困惑していた。先ほどからの彼女の優しすぎるほどの態度に。このような男が連れてきた得体の知れぬもののせいで、どれだけ心を痛めているかは想像に固くないことであるのに、何故彼女は自分を責めず、優しい声色で慰めるように接するのか。
それを不意に確かめたくなり、だが何も考えの浮かばぬまま、彼は寝台から立ち上がろうとする。しかし、その刹那に彼の視界は霞み、血の気が引くのを感じた次の瞬間には倒れこんでいた。
「おーおー、ついに限界が来たか。リィナよ、上に連れていってやりなさい。心配せんでも流石のワシも、元教え子の亡骸を無碍に扱ったりはせんでの」
「であれば、もう少し言動にも気を払ってください。彼の心証は言うまでもないと思いますが最悪ですよ。ちなみに私もです」
「そうかの、ほほほ! ……そうなんじゃ」
とぼけた調子の老人の声は既にキズナの耳には入っていない。
朧気に明滅する視界に、薄れていく意識を溶かしながら、彼の身体は眠りについた。