ド屑二人の恋愛逃避行
・あらすじ通りのクソ野郎が主人公なので、コイツがクソみたいなこともポンポン言います。
・こんなにクソクソ言ってる時点で察していただきたい。
・一応サラッと相応に酷い目に遭ってる描写もあるので、ざまぁタグも付けてますが、ざまぁ展開を期待される方には向かない話だと思います。どうだろう。微妙。
「チッ……シケてんな」
長靴で蹴り上げ、死体を脇にどかした。
あちこちから煙が細く立ち昇り、肉の焼けた臭いと糞尿の臭気とが入り混じる。
魔導撃口の砲身でまた別の死体を突いて転がし、積み重なったソレの上にどっかり腰を下ろして、ロイは動かない肉塊から早々に興味を失った。
拉げた紙箱から一本抜き出し、さっきの紳士の胸ポケットから拝借した魔力式ライターをカチッと鳴らす。
咥える紙巻の先を炙って、プカ、と煙を空に浮かせた。
シケてると言ったのはこれのことである。
葉っぱは馬鹿みたいに質が悪い、美味いもクソもない。焼けた紙の味ばかりしやがる。
大した金目の物もなかった。いくらかの武器。売れば二束三文の古い懐中時計、そこらの土産屋よりはなんぼかマシな守り石、そしてこのライター。
マシな煙草が手に入るのなんざ死んだ敵兵のポケットくらいだってのに、とんだシケモクだ。まったく割に合わない。
「勲章付けてんならもっと上等な煙草吸っとけ」
シラミやダニが湧かないように短く刈り込まれて、晒された陽射しからかつての黄金よりもいくらか色褪せた金髪が、戦場の遠い火の手にチカリと照る。あー、と煙を吐き出して仰向く目は、淀んだ空を映す煤けた熾火の赤である。
諦めて咥え煙草で立ち上がり、煙を吐き出しながら邪魔な死体をドカッ! と蹴り退けるロイは、どこをどう見ても立派なチンピラである。
こんな彼が、ほんの少し前まで王子様だったなんぞ誰も信じるまい。
まあまあありがちな話、若さゆえの過ちだ。とロイは供述する。
ちょっとした色恋沙汰のヤラカシでこんな僻地に一兵卒としてトばされた暁には、このまま死ぬかと思った。今まで棒にも鼻にもかけなかったシモジモの血と汗をその身で流せ、ということだろうが、命がけで報いを受ける身としては堪ったものではない。
かと思いきやなかなかどうして、戦場暮らしは肌に合ってしまった。
きっと頭を使わずに済むのが良かったと思う。頭を使わずに自分の前に立つ人間をぶっ殺すだけの簡単なお仕事。
一定の倫理やら道徳心やらを兼ね揃えてれば多少苦労したかもしれないが、もとよりロイにさしたる道徳の持ち合わせがなかったのも良かった。
じゃなきゃ女と浮気して婚約破棄だのなんだの盛大に抜かすバカは、なかなか出来なかったはずだ。
「ハハ。懐かしきかな青春...」
深々と吸い込むせいであっという間に短くなった紙巻をその辺に捨て、ロイはナチュラルに戦場に放置されていた精霊馬を捕まえた。ヒッチハイクするノリで。
たぶん、敵兵の将校か誰かのものだったのだろう。万が一で我が軍の馬の可能性もあるが、放置されてるってことは借りてもいいのだと解釈する。
「ヘイ彼女。俺と一緒にここから抜け出そうか」
『ヒヒーン』
「そうかそうか嬉しいか。ツラと魔力だけは上等だってよく言われたんだ。どうだ、俺の魔力が気に入ったなら使い魔の本契約でも...」
『ヒヒヒヒ』
調子に乗るなとばかりに暴れられる。
「ああっと、わかったよお嬢さん。そんなに安くはないんだな。じゃあ今回限りだ。せーの、はいやっ!」
『ヒヒーン!!』
ポンポン、とロイは鬣を叩き、そこから魔力を流す。
精霊馬は仕方ねえなとばかりに首を振り、そして、まさに風のごとく駆け出した。
ちなみに精霊馬が彼女であるかは知らない。
ロイは腹の底から、本当に身を滅ぼすほど女好きなので、性別不詳のものはとりあえず「彼女」にするだけだ。
「はいやっ!」にも得に意味はない。
ただなんとなくそれっぽく言いたかっただけである。それで精霊馬が従ったわけでもない。むしろ「せーの」の方で、精霊馬は出発の配慮をしてくれた。
一応、王子として教育されてなければ、精霊馬に乗る術など知らなかっただろう。それだけは感謝してやってもいいなと、目まぐるしく通り過ぎる景色と風にロイは思う。
仕込まれた実戦では通用しないお座敷剣術のせいで、文字通り死ぬ思いをしたときは、王宮まで直々に指南役を殺しに行ってやろうかと思ったが。
そんなこんなでシレッと隊列に追いつき、死体の物色のためバックレてたことなど夢にも思わせぬ顔で、ロイは並ぶ騎馬に轡を合わせた。
隣の馬上の同僚に三度見くらいされたが、今さら注意されることもない。もう町の入り口が近づいている。
指笛に歓声、大きなドヤ騒ぎも。
大きくなっていく道には、両脇に聳える建物から花びらが降り注ぎ、屋台が並び、安っぽい玩具の笛の音が聞こえる。
軍の斡旋だ。
こんな辺境の、ロイが流れ着くような地の歓迎がまともなものであるわけない。
道角では怪しげな占い師が、死の恐怖に怯え神秘に縋る軍人を待ち構える。ロイのような軍人が死体から剥ぎ取った金品を巻き上げる魂胆で、買い取り商もうろついている。何の肉かわからない肉を焼く店、何の卵かわからない卵を出す店、何の草かわからないハッパを売る売人。
窓からにこやかに花びらを振り撒くのは、ありとあらゆる美しさ、不法入国なのではと思わされるエキゾチックな美も、選り取りみどりの娼婦たちだ。たまに花びらの中に割引券が混ざり、店の住所と女性の名前が書いてある。
もちろん窓の下の店では、厳つい客引きのお兄さんが待ち構えている。
そのうちの一人、少女のように愛らしい顔の、ピンク色の髪の女をロイは見つけた。
鐙に立ち、すぅ、と息を吸い込む。
「ミーーーニャーーー!!! 俺だ!!!! おっぱい揉ませてくれ!!!!」
「死ねド屑!!!」
可憐に微笑んでいた女は一気に悪鬼の形相に変わり、ロイに唾を吐きかけるやバァン!!! と鎧戸を閉めた。
「そんなつれないこと言うなよミーニャ。俺とここまで来た仲だろ?」
ロイは一切気にせず、馬からひょいと降りて閉じた窓へとよじ登り出した。
途端精霊馬は、もういいだろという顔ですぅっと宙に消える。馬の姿をとった精霊なので。
突然隊列から消える一騎にも、急に壁を登って鎧戸をノックしだす一人の軍人にも、この無法地帯では誰も気にしない。
だいたいこの斡旋だって毎度適当だ。完全に娼館に商業利用されてるし。軍人ほぼ全員娼婦目当てだし。あと博打。
「ギャハハ! フラれてんじゃねーかロイの野郎」
「いつものことだろ?」
「ミーニャッ!! 俺ともヤらせてくれッ!!」
「アイツとミーニャちゃんが昔ヤッてたとか信じらんねえよな?」
「俺もおっぱい揉みたい! ミーニャちゃーーん!!!」
ドサクサに紛れていろいろ言ってる野郎どもの頭へ、ロイがレンガを落とそうとしたところで、バタンッとまた鎧戸が開いた。
「はぁいっ、ミーニャです♡ いつでも遊びにきてねぇ~♡ ロイ、お前は死ね」
「その変わり身芸にできると思うぞミ──」
そしてロイの襟首を捕まえ、窓から引きずり込んでまたバタンと閉まった。
「いい加減にしろよお前。こっちも商売上がったりなんだよ。死ねよ」
狭い部屋、見かけばかりはロマンティックな安物のベッドに腰掛け、ミーニャは冷ややかに言った。甘いキャラメル色の瞳からピンクの髪を耳にかける仕草まで極寒。
滑らかな脚を悠々と組み、パイプに葉を詰めて甘ったるい煙を出す。
最初、惨めったらしい顔で襤褸を身に着けてこの辺境に来た二人は「わたしは罪人です」と札を首にぶら下げてるような有様で、二人仲良く貴族にクソみたいなことをしたから、クソの掃きだめみたいなここに飛ばされたんだな、ということは皆に理解されていた。
そんなクソみたいな二人だから当然クソみたいな職にしか就けず、今では立派な戦地の鉄砲玉と娼婦だ。
そんなになっても元気に酒と煙草と安い娼館に金溶かしたり、同時進行で金持ちの美男を捕まえようとしてりしてるのだから、本当にクソである。
「アタシの時間買うなら相応の金出せって話。それとも何、アンタの上官、紹介してくれる?♡」
最後だけ甘い言葉と煙を吐き出して、弧を描くルージュの唇は婀娜っぽい。
それを見て改めて、コイツとんでもない女だなとロイは思った。
なんで昔の自分はコレに騙されてたんだろうなとも。おっぱいがデカいからか。それだ。
あと顔は可愛い。
「上官騙して連れてくるのも限界あるんだよ。前のヤツは全部毟っただろ。なあ、ミラ、一回ヤろう。お前なんざこれで十分だろ」
「は? 次の戦地でお前帰って来なくていいから」
硬貨の入った袋を揺らすロイと、流れるようにパイプをひっくり返して熱した葉をロイに押し付けようとするミラは、相変わらずクソみたいな会話をしている。
そしてミーニャはミラだった。
本名はミランダだかミラベルだかそんな感じだが、今では誰も呼ばない。王子の名前が長ったらしくないはずがないので、ロイも似たような経緯だ。
ミーニャは当初この街に来た頃の源氏名でしかないが、響き可愛いなと思い立ったロイがあまりにバカデカい声で叫ぶので、なんとなく広まった。
自分も吸いたくなって、居座るロイに嫌そうな顔をするミラの前で、堂々と薄っぺらい絨毯に胡坐を書きながら紙巻を取り出す。
その傍ら、戦場で拾って着た物品をぶちまけた。
「なあコレ。換金してくれ」
「自分でやれよ」
「良い質屋なんざ知るわけねえだろ。普段戦地にいるんだぞ俺。いつも仲介料払ってやってんだろ? ...なあ頼むよミラ...」
「キショ。王子サマぶんのもうやめたら? イタいから」
「ハハ...」
ミラが苛ついた顔で検品してる間、笑って煙草をふかす。
確実に仲介料ぼったくられるが、見ず知らずの商人に法外な値で買い叩かれるよりいい。
暇になってきて、酒ねえかなと戸棚を漁ってボトルを見つける。まあこのあたりで手に入れる分にはマシな部類だな。
絶対客が貢いだろコレと思いつつ栓を開けたら、流れるように枕の下に隠していたナイフでミラに刺されかけた。これでも軍人なので、ナイフを持つミラの細い手を取り押さえる。
「チッ。ねぇロイ、ベッドいこ...?♡」
「誘いが雑だなぁおい。これ絶対ヤッて寝た後寝首かかれるだろ。まあ落ち着けちゃんと返すから」
「チッ」
リズムよく舌打ちしたミラはもう一度だけロイを刺そうとし、諦めて自分の分の酒を手酌で注いだ。凄まじい目で睨んでいる。
これは後で絶対に倍にして返されるな。早いとこ同僚連れて行かねえと。そいつにこの酒代は出してもらおう。
「酔ったか?」
「酔わねーわこんくらいで」
ミラは変わらぬ苛ついた顔でグラスを揺らし、チェリーピンクの唇に運んだ。
「前は、わたしお酒飲めなぁい♡ って言ってたのにな」
「は? なに、声真似のつもり? キモ」
「フフ」
「つか、フフッ、アンタも笑ってんじゃん」
「いやお前、今思い出すと、ハッ、お酒のめなぁい♡...って...」
「お酒飲めなぁい♡ っフ...」
「ッハ、笑わすなよ、」
ハー、と細く息を吐いて、ロイは新しい煙草に火を点ける。
「あ゛ー......笑った」
「あれに引っかかってたとかアンタマジで馬鹿」
「ハハハ」
あゝ懐かしきかな青春の過ち。
ロイはもう一度、感慨深く煙を吸った。
特に証拠もなく婚約者に冤罪吹っ掛けて婚約破棄なんてしたのは、ヤリたい盛りなのに課せられていた禁欲生活から、やっと童貞卒業したばかりだったからハイになってたんだろうと今思っている。あとヤッたあとだとなんとなく相手に優しくしてあげたくなるし。
ミラに優しくしたい気分だったんだなァ、今では想像もつかねえが。優しい俺。
その優しさで見事に僻地の一兵卒まで転落して、今では辺境伯のお嬢さんだった昔の婚約者の、その配下の木っ端軍人として身を立ててるんだから愉快な話である。
「可愛かったなあミーニャ。顔かわいくて胸デカくてすぐヤれそうで。頭軽い感じで。な、もう一回寝ないか」
「は? 金出せんの? こっちもボランティアじゃねーんだよ、王子でもねー男に無駄な媚売ってられるかっての」
「これだもんな。全然ヤらせてくれねえ。あーー金のあるうちに高級娼館行っときゃよかった」
「アンタそれ何回目? 逆にウケる」
「何度でも言うぞ俺は。血涙が流れそうだ。悔しい」
「つかソレ言うのアタシなんだよ。あの時に思いっきり金絞って溜めときゃよかったぁ。金持ってそうな貴族とか軍にいないの?」
「悲しくなってきた......おっぱい揉ませてくれ」
二人とも好き勝手己の欲望を吐き出しながら、ダラダラ酒を飲んで相手の煙草の趣味にケチをつける。
社交界で二人を知っていた者が見たら、あの熱狂的な恋愛劇は何だったんだというレベルである。
「良く考えたらなんでわざわざお前相手にって話だな。馬鹿みたいに高い金でぼったくる女選ばなくても、ミーニャレベルの可愛い子はいっぱいいるしな」
「は? アタシが一番カワイーに決まってるけど、目ぇ腐ってんの?」
「なあ、ネルちゃんとルーナちゃん、仲良いだろ? 親友なんだってな。二人とも呼ぶとベッドでも仲良くしてんのが本当に可愛いんだこれが」
「つか、用終わってんじゃん? いつまでいる気だよカス。さっさと表出ろ。ネルちゃんとルーナちゃんに仲良くタカられてろクソ野郎。そんで死ね」
互いに話を一切聞かず、自分の言いたいことだけを言ううちに、ロイは窓際まで移動させられミラに冷酷に窓から突き落とされた。
「ああーっ。なんという酷い女」
とはいっても入り組んで狭い歓楽街。
王都では絶対尊守されている建築法など知ったこっちゃないと居並ぶ娼館の、適当なベランダに引っかかって、気の抜けた嘆きを上げるロイに頭上の鎧戸はバタンッと閉まった。無慈悲。
仕方なくロイはノロノロ身を起こし、他人んちのベランダの柵を乗り越え、なんとなくやる気が出ないから新しく煙草を咥えた。
煙を吐き出しながら、明かりの灯る窓をコンコンとノックする。
「やあお嬢さんたち。またミーニャに蹴落とされたんだよ。信じられるか? あの女」
「入れてくれ」
化粧室でおめかしするお嬢さん方に招き入れられ、ロイは窓枠を乗り越えてアッサリ娼館への侵入を果たした。
「わあっおひさしぶりですー♡♡」
「あーっ♡ ロイさんだ♡♡」
「ロイさんだぞ♡」
デレデレニコニコ、赤毛の褐色美女と黒髪色白美人にふわふわのおっぱいを両腕に押し付けられる。
廃嫡されて良かったと心から思える瞬間の一つだ。
ネルちゃんとルーナちゃんではないがこれはこれで素晴らしい。しかし今日は、二人がベッドで仲良く可愛くなってる妄想で脳が固定されてしまった。
「なあノアちゃん、リンちゃん、二人で俺と一緒に遊ばないか? 嫌なことはしないから。もちろん無理強いもなしだ」
「ええ~っ!?♡」
「どうしよっかなぁ♡」
「よければ、美味しいもの食べさせたいお友達がいたら連れてきていいぞ。お兄さんいっぱいお小遣いやるから」
「ほんとですかぁっ♡」
「じゃあ、じゃあ、ちょっとセナちゃん呼んじゃおっかな~♡」
ぜひそうしてくれ......!!
二人の美女にベタベタイチャイチャ腕を取られベッドに誘われる。
これもまた、俺が心底廃嫡されて良かったと思う瞬間のひとつ。
しかもお友達も呼んでくれるという。最高だな。
ミラも今ごろ、さっきの斡旋で引っかけた男をベッドで吊り上げてる頃合いだろう。
金持ちだといいな。お前も楽しめよ。
そんな感じで、クソみたいな罪で追放されたド屑二人は、常人の想定の1000000倍くらい状況に順応していた。
***
さあアレから十と幾数年。
「お、今日は景気が良いな。ヘイ御婦人、ちょいと乗せてくれよ」
『グアアーーッッ!!!』
「すまんすまん怒らないでくれ。今だけ俺の魔力倍で流すから。な。お得だろ?」
戦場で上等そうな魔剣をかっぱらうや否や、空中で風の精霊を引っかけて巨大鷹の姿に顕現した「御婦人」に飛び乗る。
当然キレた見ず知らずの精霊に魔力を受け渡して許してもらい、低い位置で結ったポニーテールから額に落ちる金髪を掻き上げて。ロイのライフワークはまったく変わっていなかった。
見た目としては、目立つところでは額から目尻を通って頬までの傷が今やあり、加えて邪魔な髪を結ぶようになったあたりで、ミラからも「ハリウッド俳優みたい...」と言われるようになった。その後決まって残念な目で見られ、舌打ちされる。
ハリウッドが何かは知らないが、誉め言葉とロイは解釈した。
つまりそんな都合よく解釈した誉め言葉で喜ぶくらいには、人間性も変わっていない。
変化と言えば本当に、軍を抜けたことと、お陰で規定通り髪を切る面倒が消えたことくらいである。今ではアッチコッチで雇われ用心棒やら傭兵やらの仕事をしている。
今日も今日とて雇われ兵士として隣国の国境で一戦やった直後。生き残った歓喜もそこそこに、早々にバックレて金品漁りに精を出した挙句、精霊をナンパして帰路につく途中だ。
今回はなかなかの葉巻が手に入って、気持ちよくロイは「彼女」の上で煙をふかした。
煙にイラッとしたらしく「コイツ振り落としてやるか」的な動きをされ、慌てて魔力を渡して謝り、簡単な風の魔法で紫煙を散らす。
「そりゃそうだ。風の精霊だもんな。妙なモンが混ざったら嫌だよなァお嬢さん」
『ガアッ!!!』
「え、お嬢さん扱いはお好みでない? 年齢の話は禁句かと思ったんだが、どうかな御婦人?」
『グオアア...』
「俺が悪かった落とさないでくれ頼む。着いたらすぐ降りるから」
ちなみに双方、一切意思疎通はできてない。
ロイが会話っぽく続けているのは単にノリである。巨大鷹の精霊はひたすらにイラついているが、貰った魔力分「しゃあねえ」と耐えてくれる良識がある。
「はー......よくやるよ。なあ?」
空から戦場の荒れ地を臨んだロイは、紫煙をフウッと吐き出し、改めてしみじみと感じ入る。ぽんぽん、と鷹の姿の首あたりを撫でて、ついでに魔力を流した。
魔力を貰った精霊はちゃんと相手して一声くれる。
『グア』
「長いことよく続くもんだ。感心感心」
国境の戦線はいつまで経っても落ち着かない。小規模にドンパチやって不定期に不可侵条約結ぶのが、もうお決まりなんだろう。馬鹿みたいに思えるが、これも外交なわけだ。
むしろ我が国とお隣さんの陣取り争いなど今さらで、対外に向けた、武力による抑止の意味合いが強い気がする。
ロイ含む、そこそこ教養のある傭兵たちは、両国の最新魔術お披露目発表会と呼んでいる。まあつまり、その言葉通りなわけだ。
だからいつまで経っても戦いが終わるわけがなく、ぬるま湯で育った王子様を仕置きに放り込むには丁度良かった、というオチ。
国境を守るのも大事なお役目であるからして、元婚約者の実家としては我が辺境伯爵家の有難みを知れとか、そんな意図もあるにはあっただろう。まあとにかく。
この戦争が続く限りロイは飯の種に困らず、娼館の活気も続くのだ。
「嬉しい限り。そうだろ御婦人?」
『ガ』
戦場に吹き荒れる爆風に惹かれて現れただろう風の精霊の応答を、ロイは一方的に同意として受け取る。
適当にプカリと煙の輪を作って、ロイはほぼ物見雄山の気分で眼下を眺める。ついでに金かけてそうな鎧の死体がないかもチェック。
たまに上空のロイに気づいた敵の魔術師か誰かが、攻撃の予備動作でチカと魔力を光らせるのが見えれば、ズドン!! と自分の魔導撃口で撃ち抜く。直撃はしない威嚇射撃に、向こうも手出ししなければ何もないと理解して、矛先を収めてくれる。
慣れたもんである。
人間みんな糞袋。どんなに面の皮が良かろうが、死ぬときは糞尿と臓物巻き散らして汚らしく泣き喚きながら死ぬもんだ。
栄誉の死だろうが犬死だろうが死ぬのは同じで、死んだあとのことなど知ったことではないのだから、せめて自分が満足できる死に方がしたい。
「俺としては腹上死で終わりたいところだ。きっと極楽に行ける。そのためにもまずは金......人間のお嬢さん方は金が好きなんだ、御婦人。なんで俺の魔力じゃ駄目なんだろうな」
今回は魔力を渡してもいないので、ロイのウザ絡みに対し風の精霊はシカトである。ロイは気にしない。
エネルギー源である属性に染まっていない魔石を握り、自分の魔力を通して灼熱に熱すると、ピッタリの筒状に形成したそれをガシャンッと魔導撃口のチャンバーに嵌め込む。
「悲しい話だよ本当...」
またピカリと自分に向かった魔術光目がけ、ズドン! と撃ち抜いた。
なんだかんだで隙の無い火事場泥棒常習犯は、さっそくまた金になりそうな物を見つけた。
「さあて......お。竜連れてきてやがる。ド派手じゃねェか」
抑止とだけあって「ウチはこんなのも手懐けられますよ」というアピールは常套手段。獰猛な魔獣を連れてくるのは珍しくはないが、ドラゴンは珍しい。
しかしなあ...さすがにアレは売っぱらえない。いやでもあの光り輝く鱗、一体金貨何枚になるのやら...。
せめて鱗数枚だけでも......。
と、ロイが目を離せずにいたのが良かったのか悪かったのか。
「...お、おおお? おー?」
おしか言えてない。
光り物を逃さないロイの目はしっかり捉えた。
あまりにも軽々と空中に弧を描く、たしかにピカピカした光るものである。
ぽーん、と飛ばされているのは人である。
たなびく髪は太陽光を反射して、元の色ははっきりとしない。しかしツヤツヤのサラサラの長い髪だということは分かる。
遠目にも細身の体には大きすぎるように見えるブラウスは、綺麗に真っ白だ。それに黒いズボン。銀に反射する細剣。
手の細剣一本でドラゴンに挑んで、まあ見事に空へ投げ出されたらしい誰か。
それに気づいたときには、ロイの方こそぽーんと空に身を投げていた。
ヘイタクシー! のノリで通りすがりの水の精霊を呼びつけて、空気中の水分を凝固し顕現してもらい、象った姿の背に美味いこと乗る。
その背後でさっきの風の精霊は「おいおい...」的な空気を醸しつつも、鷹の姿を風に溶けさせて消えた。
精霊とは温厚なもので、ロイのようなクソバカと真なる契約を結ぶのは勘弁でも、ある程度の魔力をくれればロイごとき矮小な人間の暴挙など大自然の広い心で許してくれるのだ。なのでロイは図に乗っている。
ちなみに、本来、正規の真なる契約魔法も王立の魔法学院で習い収めるはずだが、人の理から外れた存在と真摯に向き合い心を通わせる術なんざ、ロイには身に付かなかった。ド屑なので。
いつものごとくロイは雑な仮契約で水の手綱を魔法で編み上げて、ヒッチハイクした精霊の上で掴む。常は手綱さえ持たない雑さ加減だが、さすがにドラゴンから落ちないためには必要だった。
なぜドラゴンに水の精霊が変化したかというと、たぶん近くに居たから手頃だったんだろう。
強力な水の魔力の化身へ身を屈め、凄まじい速度に吹き荒れる風で褪せた金髪を乱す。
艶めく紺碧の鱗で掬うように滑り込み、受け止める。
「ナイスキャッチ」
自分で自分に言う。
そしてロイは難なく、小柄な体を横抱きに掬い取った。
「わっ...」
小さな驚きの声は高くて、案の定まだ幼い。そうだろうと思った。
腕にしっかりと抱き込まれたまま、きゅう、とロイのシャツの胸元を握って胸板に体を寄せるのまでいたいけだ。
そうだろうそうだろう。
遠目に一見しただけで、温室育ちのお姫様のような少年だろうと思った。
小奇麗な格好、華奢な体、遠くからでもツヤッツヤで手入れの行き届いた髪のどれもが、ご立派な身分のご令息の特徴だ。覚えがあるからわかる。
大方、どこかの貴族の子供が手柄を挙げたくて、勝手に戦地に出て先走ったんだろう。今ごろ従者たちはてんやわんやなはずだ。
これは拾って連れて帰れば謝礼が出るぞ......。
そういう魂胆で、ロイは運良く落とし物を拾ったのである。
「やあ危ないところだったな、少.........」
年、と言いかけたところでロイは言葉を止めた。
見上げるピカピカの蜂蜜色の瞳と目が合った。
こんなところまでピカピカ光って金になりそうで、ロイは己の目利きの良さに感心せざるを得ない。
ロイのシャツを握り締める小さな拳。同じように蜂蜜がかったとろけるような褐色の肌で、全体的に華奢で細くて小さい生き物がいた。そんなのがさらにロイに寄り添ってくる。
ふわ、と見た目通り甘い匂いがした。フニリと柔らかい感触もした。勘弁してくれ。
バサバサと密に生えそろった白銀の睫毛。擦り寄って、くしゃりとロイの胸元で擦れる銀髪。
「あ...ありがとう、ございます」
囀るような透き通った声でそう言って、蜂蜜色の肌をぽわっと赤くしたソレはロイに顔を埋めてしまった。
ふわふわフニフニした感触が腕の中でする。
「あー......いや?」
思考停止したロイはとりあえず銀髪の頭に顎を乗せ、手綱を握る。
また、顎の下で銀髪がゴソゴソ動いて、白く輝く銀の睫毛と蜂蜜の瞳から、どこもかしこも眩しい太陽光みたいな視線で見上げてくる。
「えっと、ぼく、エ...エルマー、っていいます」
「エルちゃんな」
「っっはい!!」
またぽわわっと顔を赤くし、淡い褐色の肌は熟したスモモ色になる。薄紅色の唇をムズムズむにむにさせる。
それからまた、見るからにいっぱいいっぱいだとわかる一生懸命さで、一心にロイへキラキラした目を向けてくる。
「あの、あの、あなたは......?」
期待を湛えた蜂蜜の瞳を彩るのは、光を含んだ明るい銀。項で細い一本結びにした髪も、太陽の光を浴びて輝く銀。
さてこのキラキラしい銀髪、ロイにはどうにも覚えがあった。
というかどうやっても血縁を感じさせるものである。
どこのって辺境伯んちの血統。
そんな元婚約者の推定親戚の、いたいけな、少「女」が腕の中にいる。
いやあ、だぼっとしたブラウスとほっそりした体の対比でパッとは分からないが、なかなかのものをお持ちで。
こてん、と首を傾げ、至って無邪気に覗き込んでくる綺麗な蜂蜜色の瞳に、ロイも同じ向きで首を傾げた。
「うーむ。これは。元婚約者どのに殺されるな?」
***
「で? ここに連れてきたって?」
「そうそう」
「馬鹿?」
カァン、と煙草盆に細工の美しいパイプを打ち付けて灰を落とし、ミラは怒りを表明した。
細工の美しい、東洋の品だという華奢なパイプをまた唇に運び、ふうっと甘ったるい煙を吐き出す。
「自分で届ければいいでしょ。...」
眉を寄せながら耳にかける髪は、優しいウェーブの薔薇色。腰まで豊かに流れている。
その下はすらりとした白磁の肢体で、すっかり臈長けた美女だ。
砂糖菓子のようなピンク髪は暗く深みを増し、体ばかりが肉感的に成熟し、いつの間にやらミラは甘い毒のような女になっていた。
だというのに、少女のような夢見がちな愛らしさがどこかあって、人を惑わすのだ。
当前中身にそんな可愛げは無い。
毎度毎度素寒貧になるまで搾り取るのだからもちろん、金持ちの美男の妻に落ち着けるはずもなく、当然のように娼館の女主人へと成り上がった。
こんなのが多くの美女美少女に「あねさま」「ミラねえさま」と仔猫のようににゃあにゃあ懐かれ、どこもかしこも転がるように付いて回られるんだから、世界は不思議は満ちている。
今もまた、ミラに懐いてる娼婦たちに「ロイさんこんにちは」「旦那さんお久しゅう」とニコニコもてなしてもらって、上等な煙草の葉と酒を用意してもらい、この応接間で寛いでるという具合だ。
「頼む頼む頼む、な? な。俺とお前の仲じゃねえか。どこの家か知らねえがあの銀髪は確実に辺境伯の血筋だ。俺が行けば門前で殺される。あるだろ、なんか、娼館の伝手とか使って送り届けてくれよミーニャちゃん」
ミーニャは目を伏せ、ゆったり息を吸ってジリジリ葉を灰にすると、細いパイプをまたカァン! とやる。
「馴れ馴れしい」
「ハハ...」
「ハハじゃねえんだよ」
とんでもない女だ。いっそすごい笑えるんだなこれが。性病移されたから薬代よこせとぴーぴー泣き喚いていた昔が嘘みたいだ。普通昔の男にそんなこと頼むか?
お蔭様であの時期、どう戦果を挙げようが俺は無一文同然だった。
半笑いで懐かしの清貧の日々を思い出し、これは元を取ってやらねばと、俺もテーブルに用意された最上級の煙草の葉を取る。贅沢にも手巻きの紙に詰めて、クルクル巻いていく。
「そこをなんとか。な。本当に頼むよ。せめて一時、あのお嬢さんを預かるだけでも」
「......は、」
一刀両断「テメエで殺されに行けよ」くらい言われるものかと思ったがどうだ、ミラは物憂げに短く息を零した。顔を朧に煙で隠して、悩ましげに沈黙するばかり。
見目は上等だが、これはろくでもねえこと考えてる顔。
「お。どした。拾い食いでもして腹痛めたか」
さして心配もしないロイが茶々を入れる。
ミラはただ、チッ、と小さく舌打ちした。
「似たような面倒持ち込むもんだと思って。アタシはアンタんとこのまで抱えきれねえの。最近来るのよ...そういう子」
「ハ、」
次に短く煙を吹き零したのは、ロイの番だ。
「...ハハハ。嘘だろ。お前の娼館に? マジか」
膝に肘を着いて前屈みに笑う。煙草を口から外して笑いつつ、ロイは低いテーブルの酒を片手で注いだ。
ミラは美しい爪の指でテーブルに用意された果汁を絞り、香木のスティックでグラスをかき混ぜる。
香り高い酒杯を、チン、とロイのグラスへ一方的に合わせた。
「女を買いもしない男の子。仕方がないから私の居間で適当に遊ばせたりしてんの」
ははあ、とロイは会心して、紙巻を指に引っかけた手で口を覆う。
「美少年囲ってんのか。やるなミーニャ」
ミラは鮮やかな手つきで熱したパイプの鉄皿をロイへ焼き付けようとした。いつものことだ。
「あの可愛い顔。どう考えてもお貴族様のお坊ちゃんだし、仕方ないから適当に相手してやってるわけ。まあうちの女の子たちは喜んで構ってるし、アタシが仕事してる間大人しくしてるから楽なもんだけど...。もう一人で手一杯。十分」
「ミラお前、自分以外の人間を可愛いとか言えるようになったんだな...」
「つか、あの子引き取ってくんない? あるでしょそういう話、貴族の男の子がどうとか。軍関係で。知らねーけど」
好き勝手ダラダラ酒を飲んで煙草をふかし、自分の言いたいだけ言ってる二人のコミュニケーションは一切の進展がない。
幸いなことに、ちょうどよく邪魔が入った。
コンコン。
「ん?」
「あ。入って」
ノックの音にミラが応える。
入ってきたのは、ロイの拾ったエルマーことエルちゃんだ。
「その、ありがとうございます。服までいただいて...」
細身の黒いズボンに同じ黒の艶やかなブーツ、ゆったりした碧色のシャツを着ている。
服装自体は最初に着ていたものと似たようなものだが、質は段違いに高い。
ズボンの細いウエストでは銀のダブルボタンが上品に光ってるし、シャツの染めは鮮やかで肌触りの良さそうな生地。ブーツも上等そうだった。宝石のビースを飾ったタイや、金銀細工の髪留めといった小物も、華を添えている。
「かーわいい」
「いいな。思った以上に美人だぞこれは」
いつも会話が殺伐とする汚れた大人は、これ幸いと紅顔のエルちゃんを呼びつける。
呼ばれて近づいてきたエルちゃんがまず一番にしたことは、ちょこん、とロイの真横に座ることだった。
そしてピカピカの目で見上げる。
「ロイ、さん...!」
「おおう...ロイさんだ」
少し身を引くロイに構わず、ぐっと体を押し付ける。
それでフニッとした感触を味わったロイは、うわどうすんだこれ...ととりあえず仰け反って視線を逃し、煙の輪っかを天井へ飛ばすことに執心する。
「お名前、ききました。ロイ、っていうんですね。ロイさん。あの、お礼をもう一度。助けていただきありがとうございました。あなたは命の恩人です」
興奮気味に捲し立てて、ぺかーっと輝く太陽光線のごとき笑顔を容赦なく浴びせかけるエルちゃん。
それをミラは傍から見ていて、ロイさん、ロイさん、と知ったばかりの名前を嬉しそうに繰り返しぽわわっとなるエルちゃんに「どうすんだコレお前」と胡乱な眼差しをロイに向けた。
ロイは諦めてソファの背もたれに寄りかかり「ロイさんロイさん」纏わりつくエルちゃんを好きにさせている。きっと太陽光に目がやられたんだろう。
じぃ、と見つめてくるミラに「あっ」という顔をして、悠々と脚を組みパイプを燻らすミラの色っぽい様にドギマギしたようなエルちゃんは、きちんと居住まいを正した。その姿勢の美しいこと。
「ぼく、エルマーです」
「エルマーくん」
ミラが繰り返し、エルちゃんは頷いた。
ミラはロイを見て、綺麗にダーティピンクの眉を片方吊り上げた。
ロイも同じように眉を持ち上げ、ニヤニヤ笑う。
「どっからどう見ても美少女だろ。エルちゃん」
「えっ」
ビクリと肩を跳ねさすエルちゃんを安心させるように、ロイはふざけて口で紙巻を上下させた。
「それだけ可愛いってことだよ。なあ」
「えええ...」
ちょっと困ったふうに唸って、ぽわぽわっと褐色を赤らめたエルちゃんは大人しくなった。
どうしてもロイの方を見れないようだ。
それを眺めていたミラは「どうすんのコレまじで」とまた別の意味でロイへ眉を上げる。どうしようかな。実のところロイもこの反応は予想外だったりする。
とりあえず二人とも見て見ぬフリをした。
「じゃあ、エルちゃん...」
そして、さっきからやたらエルちゃんを見ているミラ。
改めてまじまじと、矯めつ眇めつ上から下まで眺め、ミラはスッとパイプでエルちゃんを指した。
視線だけロイに向けて問う。
「褐色?」
何をこいつは当たり前のこと言ってんだ、と思いつつロイは頷く。
「褐色」
「銀髪?」
「銀髪」
「...紫の目?」
「金目だな。紫の目は俺の元婚約者どので、ちなみに金目はその夫だ」
一呼吸置き、酒を口に含む。
ミラは水を新しいグラスに注いで、いろいろな果汁を入れて砂糖と香木のスティックで混ぜてやり、ロイに渡した。
ロイは受け取ったそれを隣のエルちゃんに横流しした。
「フフ」
「ハハハッ」
「エルちゃんね。じゃあアールでいいか。うちにアールくんいるんだけど。今呼ぶわ」
エルとアールってなんか語感いいな。ロイはどうでもいいことを考えながらトンと灰を落とす。
灰が落ちてもトン、トン、と紙巻を叩く指は止まらない。あー嫌な予感する。
ミラが魔術の組み込まれた呼び鈴を鳴らして、さほどもかからない。
コンコン、とまた、同じように行儀の良いノックが聞こえた。
「ミラさん......失礼しても、いいですか?」
天まで届きそうな、冷たく澄み渡った少年の声。
おずおずと薄くドアが開いて、隙間からまず見えたのは、キラキラ光る紫だ。
「エルマニール!」
「アルカレクス!」
それから見えた全身に、パッとエルちゃんは立ち上がった。
対面した美少女と美少年はぴゃっと驚いて駆け寄り、お互いの手を取り合って顔を覗き込む。
「わあ、どうしてここに...」
「エルマニールこそ...」
向かい合う二人は鏡合わせにそっくりで、太陽と月のように一揃いで美しい。
そんな二人を、大人組は「フーン」という感じに眺めていた。
だらしなくソファにもたれ、やる気なさそう顔でロイはハーッと天に煙を吐いて。
ミラはゆったりパイプの吸い口に唇を当て、スゥー...と細く長く煙を吸い込んで。
二人して脳みその溶けたような顔である。
***
ミラはチョイチョイと手招きして呼ぶと、そこ、とパイプの先で絨毯を示す。
「ねえそこの悪い子二人。並んでみて」
「わ、悪い子...」
「こっそり娼館に通いつめて、一人でドラゴン退治なんてしようとして、あなたたち悪い子でしょ?」
ミラは厭らしく笑って、ふうっと甘い煙を二人に吹きかけた。
なぜだかテレテレ面映ゆそうに目を逸らすエルちゃんと、ビックリした顔で固まってジワジワ顔が紅潮していくアールくんとで、おずおず席を立つ。
助けを求めるように見ても、ミラはニヤニヤ煙を燻らすばかりで、ロイは慰めもせずに呵々と笑い、美しい双子は揃って頬を染めて悪いお姉さんお兄さんの前に立った。
どちらも光を束ねたような銀髪に、溶かしてのばしたような甘ったるい蜂蜜色の肌。華奢で細っこくて綺麗な顔だ。
が、一方は陽だまりに置いた蜂蜜瓶の琥珀の目。もう一方は、蒼や紫に近い色が交じってちょっと寒々しい琥珀色の目だ。
表情も、可愛げがあるには違いないにしても、一方は好奇心旺盛な仔猫のようなピカピカ具合、他方はやや大人しげで控えめなキラキラ加減。
ようは、輝かんばかりの美少女・美少年である。
「......。」
「......。」
ミラは、カァン、と煙草盆に灰を捨てた。
ロイはテーブルから紙を取り、煙草を詰め、新しく紙巻を巻き始める。
さて。まあ、なんだ。
個々では目を逸らせても、並ばせてみれば瞭然というわけだ。ワンセット、特徴を補い合って余りある。
ロイが盛大にやらかした元婚約者は、銀髪に紫の瞳の線の細い美人だった。王家の血を引いてもいたし、とんでもない精霊と契約できるくらいの力量もあったから、今はどっかのデカい帝国の王子を婿に取ったんだったっけ。
その婿ってのが、金髪に珍しい褐色の肌で、なかなかの色男だって話だった。
ちょうどその二人を上手い具合に混ぜれば、こんな感じになるんじゃないかと思われる。
「...これは、元婚約者どのに殺されるな...」
ロイは改めて感慨深く、同じ言葉をしみじみ呟いて、これが今生最後の一服とばかりに懇切的寧に紙を巻いている。
気が済んだミラは「フーン。もういいわ」と隣をポンポン叩き、二人をソファに呼びつけた。
アールくんはどきどきした顔でミラの目をジッと見上げながら、ポンポンされたミラの隣に座り。エルちゃんは当たり前のような顔でロイの隣にピッタリ座る。
そんなエルちゃんを見ての言葉が、ロイの上記の発言である。
ミラも同じように、至極丁寧にパイプの葉を入れ替えている。
ミラが片手間に火を点けようとしたところ、ミラを伺っていたアールくんがすかさず、指先に魔法火を灯してパイプに触れる。
「良い子ね」
「ミラさん、僕、悪い子って...」
「アタシ限定で良い子」
言われたアールくんは嬉しそうにぽや~っとして、赤い顔でストンと腰を落とした。
それを眺めていたロイも、息をするように男を誑しこむなミーニャちゃんは...と思いつつ、新しい紙巻を咥えこむ。アレぜってえ一度や二度の仕草じゃねえよな。
「あ、俺もか? 灯点けてくれるのか。ありがとうなエルちゃん」
深々と煙草を吸い、酒を飲み、それぞれ美少女と美少年を侍らせるロイとミラ。
「...で?」
「...で。手っ取り早く従者とか。軍でこれくらいの子の働き口ない? べつに軍じゃなくてもいいけど。どっかの商家とか」
「冷たいな。このまま店に置いてやれよ。客だろ? アールくん。エルちゃんにも一部屋貸してやってくれ、宿泊費は俺が払う」
「都合の良いこと言ってんじゃねぇよこのクソ」
基本屑な二人、相手に押し付けることしか考えていない。
どうするよコレ。
この状況。
エルちゃんとアールくん二人は、片や新しい世界の情報を吸収しようと目を輝かせ、片やわからない言葉は覚えて後で質問しようと物静かに、自分たちの先行きらしい会話のラリーを観察していた。ちゃんと話を理解したあとで発言しようと心得ている。
基本、二人とも聡明で、お行儀がいいのだ。どこかの二人と違って。
ただし警戒心というものはない。
自己保身に全力投球しているロイとミラを、目をピカピカキラキラさせながら眺めている。
しかしこんなお姫さまたちを放り出しておくわけにもいくまい。
「エルちゃんはともかく、アールくんはほら。街の宿屋を借りるくらいでいいんじゃないの? で、アンタたまに様子見に行ってやって」
「は? ハハッ、いやいや。男の方が女より何かと安上がりだ、しかもこの顔ってんならむしろ、なあ? 人気者だろうよ」
頭にはてなを浮かべ会話を追ってるアールくんに「可愛いってよく言われるだろ」と確認する。
アールくんは少し躊躇って、控えめに「はい」と答えた。だろうよ。
な。と見せつけるようにミラに頷いたところで、ロイは追撃を思いついてニヤニヤする。
「だいたい、エルマーくんを店に置くならアールくんも同じにすんのが筋だ。扱いを変えちゃあ駄目だろ、ミラ...同じ男の子じゃねえかよ」
ここでひとつやり込められたミラは、忌々しげに舌を打つ。
「そうでなくてもだ、」
良いとこの坊ちゃんなんざすぐ......と続けようとしたロイは、ふと思い出す。
「あいつら元気してるかな。特に神官の。ヒヒ爺の生臭神官に骨までしゃぶられてなきゃいいが」
「...え。アイツらそんなことになってたの? マジ?」
「あ? ああ。知らなかったか? 騎士のヤツもな。最初はここにいたんだが、なんか知らねえけど耐え切れなくなっていつの間にやら、な。今どうしてることやら」
「はあー? だからアタシんとこに来なかったんだ? アレだけ愛だの囁いてたんだから、金くらい落とせって思ってたんだけど、へえ。なっさけねぇの」
「そう言ってやるなよ。俺だって初めて上官に粗末なモン突き付けられた日には、その場で切り落としてやろうかと......っと、しまった。ハハ」
不思議そうに見つめてくる色違いの琥珀二対に、ロイは笑って煙を吐き出した。笑って誤魔化すしかない。
「過ぎたる美しさも大変だって話だ、美人なお二人さん」
エルちゃんはきょとんとしてから「え、ぼく?」という顔で首を傾げ、アワアワしだした。
くつくつ笑い、雑な結論をゴリ押しするロイに、ミラがうんざりした顔をする。
けれどミラも大概適当なので「そーね」とか雑な相槌打ってプカプカ甘い煙を浮かして......やたら視線を感じる。
なにやらアールくんは熱心にミラを見ている。
それに「お」と思ったロイは、よく見ようと膝にもたれた。そんなロイを見て、次にアールくんに気づいたエルちゃんも、前に屈んだロイの上にピッタリひっついて屈んで観察に入る。
背中にフニ、だかフワ、だかしたものを実感するロイは、勘弁してくれねえかな...とさっそく己の行動を後悔していた。
アールくんは、じ、とミラを静かな表情で見ていたけれども、それから決壊したみたいに、じわじわ表情に陰りが差していく。
「あなたに愛を囁く方が、いらっしゃるんですね...ミラさん」
チラとだけミラは目を上げる。
さっきエルちゃんに迫られたロイのような顔でソファにもたれ、ミラは天井に煙を逃がした。ゆるゆると甘ったるい煙が昇る。
「...いっぱいいるわよ」
「俺も昔は囁いてたさ、なあミラ」
ますます「おお」と思って、ロイは膝に煙草を下げて身を乗り出し、面白がってミラを覗き込む。
「...っ」
アールくんは一瞬、息をつめた。
アールくんの繊細そうな顔立ちで、銀の眉がピクリと動く。
柔らかそうな唇に隠して、ゆっくりと歯を噛み締める動きをみせた。静かに目を伏せる。
どんな感情にもすぐ色めく顔はパッと赤くなったのに、膝の上で握る拳は白い。
「お前どうすんだコレお前」と目で訴えかけるロイは笑っている。しね、と唇だけでミラは返した。どうすりゃいいっての。
しかし予想外のところにも打撃は入っていた。
「え......?」
小さな声と、ぎゅ、と袖を引かれる感覚にロイは振り返る。そして動きを止める。
......ポト。と忘れ去られた灰が膝に落ちた。
一心に、ひたむきに、ピカピカキラキラ輝く白金の瞳がロイを容赦なく貫いた。
明度を増しているのは、瞳に薄く透明な層を湛えているからだ。それが乱反射して攻撃力を上げている。
「ミラねえさまと...ロイさんは......」
それ以上、言葉にならない。
ミラとロイと見比べて、ぺかーっとした眩さがほんの少しく曇る。形は優しげなのに、元気よくキリッとしていた眉が、ちょっとだけ垂れた。
眩く蕩ける陽光が、一瞬水を孕んで揺れ、銀の睫毛に隠れてしまった。
ロイは無言になった。
無言のまま、とりあえず何事もなかったように、取り落としそうなエルちゃんの片手からグラスを取り上げる。一口含んだ。
特に行動に意味はない。
柑橘系の複雑な味わいと爽やかな香りがする。
そしてとりあえず安全そうなことを言う。
「シレッと呼び方移ってるなエルちゃん」
「あっあっ」
娼婦のお嬢さん方の「ミラねえさま」がいつの間に。着替えのときか。あの短時間でか。にしても意外と美味いなコレ、酒入ってねえけど。
急にさっきの涙目も忘れ、あっあっあ...と言葉にならない動揺をするエルちゃん。なんか喘いでんな...と最低なこと考えてるロイの目前で、エルちゃんはついに「間接きす...」と小さく小さく呟き、黙った。
しゅうう、と湯気でも出そうな顔で。
マジで一ミリも何の考えも無かったロイは、それを聞き、ゆっっっくりグラスをテーブルに戻す。
ミラはゆったり煙を口に含み、項垂れるロイと目が合うと鼻で笑った。ロイの顔に顔を近づけ、馬鹿にするように煙をふうっ、と吐きかける。
「何やってんだお前、脳みそあんの?」という罵倒が、その冷ややかな眼差しから聞こえてきそうである。
と、ミラは横を向いた。
うりゅ、と溶けそうな琥珀が水の膜を張ってキラキラするのに直面し、アールくんに裾を掴まれている。
ロイも横を向いた。
エルちゃんに裾を引っ張られ、なにかとても訴えかけてくる仔猫の金目が直撃する。二度も引っかかった。
二人は撃沈した。
どちらもソファに寄りかかって死んで、魂の抜け出すように煙をプカ~と吐いている。一網打尽の風情漂う。
「よし。わかった。軍に話通してやる。アールくん、ロイさんと一緒に楽しく遊んでお金稼がねえか」
「...! はい! 置いていただけるなら、なんでも...!!」
「その意気だ。こんな上玉売り込めば俺の株も上がるだろうよ...この綺麗な顔なら上官に可愛がられんだろ。貴族のジジイ連中にも媚の売りようがある。もちろん戦場だ、危険は付きものだが......多少は、な?」
多少は融通できる。
なにせ散々バックレてたロイだ、自分がついていれば戦場をサボるなどわけない。そう危険な状況には陥らせない。
まあだからチャンバラ程度に安全な戦場を遊ばせて、あとは面倒見てやるってわけである。
軍の上層部にしても貴族にしても、育ちの良く顔の良い、教養ある少年が未来の部下として付き従うのはステータスだ。上手くやれば、戦地に出る必要のない、秘書や書記官くらいに出世できるかもしれない。
それをミラも知っているから、そう、と頷いて話を進める。
「アンタも、とりあえずアタシが預かるけど、ちゃんとエルちゃんのとこに通ってやりなさいよロイ。でも、そうね...エルちゃん、お店でお仕事したい?」
「っ、はい!! やりたいです!!」
「ほらね。こんな綺麗な子、使わないのは勿体ないわ...とりあえず娼館の仕事はなんでもやらせてみようかしら。エルちゃん、ロイが来たら相手してやって」
ロイお前ちゃんとエルちゃんの宿泊料払いに来い、ついでに様子も見てやれ、というわけだ。
あとドラゴン退治を一人で試みたエルちゃんは、絶対に大人しくしていない。本人に尋ねたら案の定。
これは、客の案内やお菓子の用意などの簡単なお手伝いをさせて、忙しくさせておいた方がいい。この容姿ではお茶汲みで十分稼げるだろうし。
それで言外に、定期的に来てエルちゃんのお仕事体験に付き合ってやれ、とも示唆したところ。
そういう算段だとわかっているから、ロイも軽く頷いた。
「や、やった...!」
「やったね! うちになんか帰るもんか!」
ひとまず行き先が決まったようだと、アールくんエルちゃんはぴゃっと一瞬手を握り合って喜んだ。何かあると手を取り合うのが癖らしい。
それからそれぞれ、嬉しそうにロイとミラを見上げ、いそいそとお酒を手に取って注ぎだす。お礼に何かしたいのだろう。
そのあまりの眩しさに二人は目の痛む思いだった。
ロイなどチカチカする視界に目頭を揉みながら、グラスを差し出している。歳かな...。
さてこのように、美少女美少年にお酌させ、煙草に火を点けさせ、挙句上述のような発言を素面の顔で言い放ったロイとミラ。
傍から見れば完全に、すごく悪い悪いお兄さんお姉さんである。
雪のように純粋で可憐な美少年美少女の信頼を利用し、誑かし、騙し、搾取しようとする畜生以下のド屑である。
どっからどの角度でもアウトだった。しかし、クソみたいなレベルのクソみたいな会話をするのがデフォルトの二人、これが平常運転だ。悲しきかな既に人間性がアウトであったので気づけないのだ......手遅れになるまで。
ロイとミラは昔からそんなモンであった。
「私の息子と娘について、面白い話をしているね...? 屑ども」
吹き荒れる魔力で、扉が弾けるように開いた。
金髪に褐色の肌、甘く整った顔立ちのスラリとした美男が、抜き身の剣を片手に歩み寄ってくる。
怒れるお父さんのお出ましである。
窓から空を仰げば、白銀の巨大な龍。
ロイの元婚約者、我が国の現女王陛下の、契約精霊たる国の守護龍である。
「スッ......」
そろってやたら穏やかな顔で息を吸い込んで目を閉じ。
懐かしき終末の鐘の音の予感。
視界に滲む処刑台。
ロイはたちどころに動き出していた。脳を介さない反射だった。
「やっべえ」
「死ぬわこれ」
飾られているわけわからん異国のタペストリーだか絨毯に飛びつき、遅れて追いついたミラが魔力を流してカチリと留め金を外して、壁から引き剥がす。
それを流れるように敷いて飛び乗る。
ロイがそこらの精霊にヘイ! とやって無風であるはずの室内にゴオッと風を巻き起こし、床を浚うや否や絨毯(?)は浮かんでいた。上に乗る使用法を見るにたぶん絨毯だ。
さあてこのまま一直線と窓に向かって前傾姿勢を取ったところ、トス、トス、と続けて二つ何やら負荷が増える。
「まって、ミラさん、僕も...!」
「ぼくも行くっ!!」
済ました顔はどうしたのか、泣きそうになっているアールくん。そんなアールくんの手を握って、ぽーいと身軽に跳ねたエルちゃんとが、揃って絨毯に飛び込んで来た。
そんなのが来たものだから、ロイはついつい両腕でキャッチしてしまい、ついでに絨毯の上にヒョイと抱えて。
「わわ、」
「ひゃっ」
そんでそのまま絨毯は発進した。
「待て...!!」
お父さんの怒りの叫びを背に空へ飛び出し───
「わあ...!」
エルちゃんは澄んだ琥珀の瞳に、空の紺青を映して目を見開いた。
顔に打ち当たる激しい風。深く吸い込んだら、まだ朝になる前の新鮮な夜空の香り。
ロイの腕から身を乗り出して、眼下の世界を見下ろす。薄暗い空の下で、街はめいっぱい絢爛に輝いている。
その声につられて、アールくんもあたりを見回し目を見開いた。
銀の睫毛が、まだ黎明になる前の繊細な青を捉えて震える。
「......!」
エルちゃんとは反対に、見たことのない眼下の世界にビックリして、ただ息を吸って口を開ける。
気づけば手の届かない空の上。
ロイは鮮やかな手腕で誘拐を決行している。
四人は空飛ぶ絨毯の上、娼館の上空にいた。
絨毯はミラの客の一人からの貢ぎ物だ。まあまあ高級品。「床から浮く絨毯とか使えねーよ」と苛ついた顔でとりあえずミラは壁に飾ったが、まさかこんな形で役に立つとは。
遥か高くから街と、住人たちの営みが見える。
店の扉や窓から、色とりどりに着飾った娼婦たちが顔を出して、その白い手を空へ伸ばす。ミラを一目見ようと、美しい顔に涙まで流して慕う女たち。
「ミラねえさまっ!」「あねさま、お達者で...!」「お店はわたしたちで守りますからぁ!!」「おねえさまっ」「ミラねえさん、また!」
ミラは最後に振り返って、雑にパイプを動かし煙でハートを描いて答えた。
途端黄色い声が上がり、ロイはいつものように世の不思議を感じる。あんな女がなァ...。
一応、下積み時代の苦労にプツッとキレたミラが「セーフティセックスを知らねえ糞は捥ぐぞ。殺す」と自分の店では安全を徹底させたので、慕われる理由はあるにはある。
ロイにも気づけば、同じように手は伸びる。
お土産持ってくるし、ミラの顔見知りだし、ミラに一回散々に騙されたお陰で女にどんな裏があろうが気にしないロイは、案外人気者だったりする。
「ロイさん、また会いに来てね」「旦那さんがんばって!」「またね!」「じゃあねーっ」
それから大きな通りの上空に出て、風をビュウビュウ鳴らしながら飛び抜けていくに従い、
「ロイの野郎、金返せ!」「死ねーッ!!」「何綺麗どころに囲まれてんだ」「落ちろゴラァ!」「テメェも前科者か、感慨深いなぁ」
「ミラさーんッ!」「いざとなりゃロイを囮にしろ!!」「頼む最後におっぱい見せてくださいミラちゃん...!」「『さん』を付けろよデコ助野郎」
といった声が湧き立つ。
そんなふうに声援を浴びるロイは、ヒラ、背中越しに手を振って応えるくらいだった。ただ前を見据える。それがまたやたら颯爽としているのだ。
ちなみにミラは娼館以来フルシカト。
だから女たちは目を潤ませて見送るし、野郎どもは大笑いでジョッキを打ち鳴らす。
エルちゃんとアールくんは、知らない世界の空気に、目に未知への不思議を灯してロイとミラを見ていた。
ただし本人たちは「とりあえずあのヤベエ龍の領域抜けたい」としか考えていない。
「そのためには国境超えるしかねえ」と思ってるのだから、そりゃ前だけ見据えるわけだ。
純粋な己の生存本能に突き動かされている。
かいた胡坐のそれぞれ両膝に座らせて、うっかり持ってきてしまったエルちゃんアールくんどうしようかな、とロイは二人を抱え直した。
アールくんは「わ」とちょっと驚いた顔で大人しく抱えられ、エルちゃんは真下に身を乗り出してたのに引き戻されてちょっと不服そうだ。
「こっからどうするか。行きたいとこあるか?」
「とりあえず三つ国渡って、水の都行けば?」
「船も出るしな。そっから帝国の港まで行き着いて。あとはどうすっかな」
結んだ髪が額に落ちてきてバサバサ顔に当たるが、両脇にエルちゃんとアールくんを捕獲するロイにはどうにもできない。仕方なくそのまま、グッと目を真正面に凝らし絨毯の操縦に集中する。
ミラは自由にならないロイの前で悠々とパイプを吸い、風で乱れる髪を嫌そうに掻き上げた。
街の光を受けて真紅に輝く長い髪を掻き上げ、ふわ、と甘い煙を唇から浮かすミラを見つめて。気づけばアールくんは口に出していた。
「ば、薔薇の国...に行きたいです」
エルちゃんは、「ん?」と振り返ってなびく白っぽい金の髪と、チカリと朱を反射した熾火の瞳を見て言った。
「ぼくは竜の谷に行きたい。暁の竜の谷」
エルちゃんが見ている前で、くすんだ赤が暗くなる。くしゃっと笑って、目元が陰になったからだ。
「妖精の国に、精霊の渓谷ときた。そいつはなかなか...」
「だ...だめですか?」
「んや? 上等じゃねえの」
ドキドキするアールくんに、ロイは上機嫌に答えた。大抵何も考えてないので何にでもハイハイいう。
お父さんにもお母さんにもされたことないみたいに、大きくて荒れた手が双子の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
頬っぺたを赤くして、乱れた銀髪に触ってパチパチ瞬いてる二人へ、ミラがロイの横からふっと覗く。
「良い趣味してるわね」
ちゅっ、ちゅっ、と双子の頬に柔らかくキスを落とした。
王子だろうが貴族令息だろうが、顔が良ければ礼儀なんざガン無視を貫いたミラである。距離感など考えもしない。だって顔が可愛かった。以上。
はぇあ、と双子は変な声で驚いて固まる。
アールくんの耳元で、フフ、とかすかな囁きの微笑みがあった。
一瞬だけ光を捉えた、苦くて甘い焦げた砂糖の瞳の色。紅に陰った薔薇色の髪がサラ、と離れていって、柔らかな日陰が遠ざかる。
アールくんは頬っぺたを押さえて、まだ残る甘ったるくて大人びた香りに、頭がクラクラした。
エルちゃんは上を見上げて、顔にかかる髪を払ってあげるフリで、こっそりロイの顔の傷を指でなぞってみた。
気にもされないだろうと思ってたのに、ロイは一瞬視線を下げて、ニッと笑う。
「男ぶりが上がってるだろ」
それからまたすぐに前を向いて集中してしまったので、エルちゃんが精一杯、うん、と小さく頷いたことになど気づかなかった。
勉強できるだけのバカだったロイは絨毯の操縦に夢中になっていて、男を誑かすのと娼館経営にしか小賢しさが出力しないミラはただ煙を燻らし、コイツらは本当に何も考えていない。
ロイとミラは今も「処刑は嫌だな...」「それにしてもエルちゃんアールくん顔が可愛いな...」とか知性ゼロのことを思いながら、真っ直ぐ前を向いてる。
そんな二人を見て、お互いを見て。
双子もまた、真っ直ぐ前を見た。
眩い輝きの太陽の瞳と、静謐に光る月の瞳に、強い憧れと決意を灯して。
これこそが、世界の果てまで旅をした後に帰還し賢君となったと伝えられる、貴種流離譚の主人公。長き平和を国にもたらした二人の共同統治者、金銀の双子、太陽の女王と月の王と呼ばれる二人。
その、導き手の伴侶として名を残すことになる、物語の最初の一ページだったりするのだが。
当座、保身と罪のなすり付け合いとクソほどくだらねーことしか考えていないこのド屑二人は、綺麗サッパリ予想だにしていない。
コレ戻れば殺されるわ...と真剣に世界の果てまで到達するレベルで逃げまくり、結果「それほどの熱意なら子供たちと結ばれることを認めよう」などとブチかまされるなど、まったく、全然、夢にも。
彼らは国境を越えようとしている。
いずれ飛び越える境界線では、日の出が始まるところだった。
■ロイさんミラさん
元乙女ゲームのメイン攻略対象&ピンク頭転生ヒロイン(でも乙女ゲームとかしない人種)。
男女の友情1000パーセント。マブダチ。一度寝たのは気の迷い。
スペックはあるはずなのにそもそも頭使うのが面倒くさい、本能で生きてる、ノリが軽いってのでなんか波長が合った。酒煙草金女/イケメンの人生エンジョイ勢。
学生時代は超刹那的に断罪RTAしてた。ド屑。
金髪赤眼キラキラ王子→褪せた金の短髪の柄悪いチンピラ→褪せた金髪ポニーテールのハリウッド悪役俳優
ふわふわピンク髪キャラメル色の目の可憐なヒロイン→小悪魔系美少女→薔薇色ロングヘアに暗いキャラメル目の妖艶美魔女
一応二人とも両王の伴侶として名を残すが、やってることが人としてギリギリアウトだし存在が奇天列すぎて、どちらかというとランプの魔人とか湖の貴婦人的なポジショニングで語り継がれる。
王を冒険に導くトリックスター的な。
■エルちゃん(エルマニール)アールくん(アルカレクス)
ピカピカ男装美少女とキラキラ美少年。双子の姉と弟。
純粋で可愛くて健気で一途で恋に一生懸命。
銀髪に蜂蜜のような褐色の肌で顔が可愛いのも同じ、違いは瞳の琥珀にちょっと冷たい寒色が入ってるかいないか、上半身のある部分にフニフニふわふわがあるかないか。
世間知らずではあるが上記二人より相当賢いし聡明だし頭柔らかいし知的好奇心もある。性格も良い。清濁併せ吞むセンスもある。
未来のカリスマで度量の深い偉大な女王&賢明で透徹した公正なる王。アマテラスとツクヨミみたいなイメージ。
本人たちがキレッキレに有能になるので、これくらい適当で、年下の伴侶が自分より賢くても「へー」とか言って細けぇことは気にしねぇ年上がちょうどいいのかもしれない。
いつまで経ってもロイさんミラさんは「にしてもコイツら顔が可愛いな...」と愛でてくれることでしょう(雑)
■怒れるお父さん
デカい帝国の王子だった。金髪褐色金目のイケメン。断罪劇場では颯爽と現れロイとミラを断罪した。
子供がド屑にかどわかされたのを察知して駆けつけてくれた。
■ロイの元婚約者/お母さん
転生悪役令嬢。銀髪紫目スレンダー美人。チート。
努力が報われあっさりバカ王子とピンク頭ヒロインをざまぁし、性格の良い有能なイケメンを婿に取った。女王にもなった。
子供のために国の守護龍を使役するのも辞さない。
実は、容姿からして異国の血を引く二人を王に据えることに反感を持つ貴族派閥があり、相手するのも面倒だからポーズだけでも両親がロイの弟の子供を養子に取って、継承権はまだ様子見していたという複雑な事情がある。
加えて、この双子は隣国との戦争を長引かせることにずっと異を唱えていて、エルちゃんがドラゴン狩ろうとしたのも「なんでこんな兵器持ち込んでんだよ」という危機感があったりする。
そんな二人が国を出た、しかも当の隣国との戦場から旅立ったもんだから、これはこの双子の抗議の仕方なのでは、二人の扱いをもっと考えれば良かったのではと国がゴタゴタしたりする。
しかし二人は一切気にしてない。養子の弟も普通に可愛いし、王位継いでも、別にいいんじゃね? というノリ。
両親と接する時間が少ないとかもマジで気にしてない。
むしろ責任が軽いのを良いことに喜々として遊び歩いている。ただ国を良くしたいだけ。
そして実際に良くするための方法を思いつくからズバズバ言っちゃうだけ。
だから世界を知り見聞を深め知恵を得て帰ってきた二人に、王座が転がり込んできたりするんですね。