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第一話

挿絵(By みてみん)



 ぎい、ぎいと鳴る船の音。


 ゆら、ゆらと揺れる水面。


 ぎい、ぎいと鳴る船の音。


 ゆら、ゆらと揺れる水面。


 見飽きた頃に、仰向けになって寝転んで。


 ぎし、ぎしと揺れる船の音を聞きながら、真上に広がる青空を眺めた。雲ひとつない、真っ青な空。


 その美しさに、ため息をこぼす。


 焼けた衣と肌を隠すように両手で覆い、一筋だけ、涙が流れる。


「おい、おい、大丈夫か!」


 水面がバシャバシャと音を立てて、船がギシギシと揺れる。


「返事をしろ!!」


 青空との間に、黒い影が入り込む。


 青空は隠れたはずなのに、目の前には青空が広がっていた。


 美しい、青い瞳。


 その瞳に見惚れていたら、身体を抱き抱えられ、抱き起こされる。

「怪我は? ……火傷してるな。青璐せいろ、師匠を呼んできてくれ」

 落ち着いた声でそう言うと。

「わ、分かった!」

 誰かまだ他にいたのか、そんな声が聞こえてくる。パタパタと走っていく音も聞こえてくる。

 横抱きにされ、船の上から連れ出され、砂の地面に座らされる。

「お前、名前は?」

「…………分かりません」

「……じゃあ、付けてやろう。そうだな……凰麟おうりん、凰麟はどうだ?」

「なぜ、その名前をわたしに?」

「以前読んだ書物の……空想上の船の名前だ」

「船の……」

「気に入らなかったか?」

「いいえ、とても。素敵な名前です……」

 おーい、と後方から足音と共に声が響いてくる。

「師匠を連れてきたぞ!」

「師匠、子供が狼河ろうがから流されてきて……軽いですが火傷を負っているみたいです」

 師匠と呼ばれた大人の男性と話すためだろう、地面に横たえられると、覗き込んでくるマゼンダの瞳があった。

「大丈夫か? 名前は?」

「おうりん……」

「可愛い名前だな! 俺は青璐せいろ、あっちが牙獲がかく、よろしくな」

 歯を出してニカッと笑うその笑顔は、まるで太陽のようだった。

 覚えているのはそれが最後、くらりと眩暈がして、意識が飛んだ。

 意識を失っているうちに、彼らの住む小屋へと運ばれ、火傷が軽症なこともあり、師匠と呼ばれた男の人が薬を塗ってくれた。

 彼らがいなかったら、わたしは狼河で意識を失い、流され、海へ連れて行かれていただろう。

「目が覚めたか」

 牙獲が手を差し伸べてくる。凰麟は戸惑いながらも、その手をそろそろと握った。体を起こされて、壁に背を預けるように座らされる。

「粥を持ってきた。熱いから気をつけて食べろよ」

「はい」

「凰麟! おやつの饅頭持ってきたぞ!」

「お前のおやつだろう、いいのか?」

「いいんだ。ほら、凰麟、うまいぞ」

 青璐は饅頭を半分にちぎって、口元に押し付けてくる。あんこが藁の布団の上に溢れた。

「粥が先だ」

 牙獲は匙で粥を混ぜ、それを匙で掬うとふうっと冷ましてくれる。そっと、凰麟の口元に匙を近づけた。それを凰麟は恐る恐る啜る。

「んだよ、自分ばっかりずるいぞ」

「病人の前だ。静かにしていろ」

 覚えているのは川の音と、船の音。静かで暗くて、痛くて、熱くて、寂しかった場所に。そこに賑やかな音が加わって、空と太陽が並んで、感動したのを覚えている。

 それが彼らとの出会い。

 それが、運命の出会いだった。



.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+




 龍国りゅうこく――イダカタ。

 一部の兵士の訓練場と、彼らの暮らす兵舎がある広大な土地の名だった。王都に近く、龍国で最も栄えている町だ。

關牙獲かんがかく様と、隆青璐りゅうせいろ様が戦に向かったって本当か!?」

「そうだよ、俺達は居残りだー」

青獅子あおじし獲雲かくうんか。今回の戦もはやく終わりそうだな」

「せっかく獲雲に入ったのによ〜!」

「あはは、板岳ばんがくは本当に戦好きだな。つうか、あの子は? お前がいつもちょっかい掛けてる……染凰麟ぜんおうりん?」

「戦についてったよ。あいつは居残りだって言われてもこっそりついて行くからな」

「そこまでして戦に行きたがるのも珍しいな」

「……いや、戦って言うより……」

 板岳は不機嫌そうに声を低め、眉を顰める。その顔を見て、少し年上の話し相手が尋ねた。

「何だよ」

「いいや、何でもねえ」

 不機嫌なまま背を向ける板岳に、話し相手は首を傾げた。



.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+



龍国——エンバ砂漠。青獅子、獲雲野営地。

「凰、り〜ん!」

「ひえ!」

 凰麟がテントの外を歩いていると、青璐が背後から飛びついて頬擦りをしてくる。ぞわぞわぞわっと寒気を覚えた凰麟は青璐のハグから逃れ、後退する。

「そ、そんなに逃げるなよ!」

「青璐さま、あんまり驚かさないでください」

「それより、ほら、おやつ持ってきてやったぞ」

「またお饅頭ですか?」

「昔から好きだよな」

「いや、わたしは粥の方が好きなんですけど」

「粥より饅頭が好きだろ?」

「何でそう思い込みが激しいんですか?」

「思い込みなんかじゃないだろ? 恥ずかしがるなよ、女の子みたいって言われるのがそんなに嫌か?」

「それは貴方が花型の饅頭だとか動物型の饅頭だとか持ってくるからでしょう?」

「だってお前によく似合うから♡」

「貴方が一番わたしのことを女の子扱いしている気がしますけど」

「そんなに気になるなら髪切れば? こんなに伸ばしちゃって……可愛いから俺はこのままでいいけど」

 髪を指で解かされて、思わず飛び退く。

「逃げるな!」

「触り方がいやらしいです」

「なっ! そ、そんなわけないだろ! ……待て!」

 青璐と凰麟が追いかけっこをしているのを見て、兵士たちのヤジが飛ぶ。

「いいぞー逃げろ凰麟」

「セクハラ上司に一蹴り入れろ!」

「始まったな、恒例の夫婦喧嘩!」

 ヤジが飛び交う中、彼らに近づく影があった。

「相変わらず仲良しだな、お前たち」

 凰麟はその人物を視界に捉えて、目を輝かせる。

「牙獲さま!」

 凰麟は飛びかかってくる青璐を軽々とかわし、牙獲のそばまで寄る。

「凰麟、頼みがあるんだ」

「はい、何でもおっしゃってください」

「敵地へ行って偵察して来てくれないか?」

「今から行きますか?」

「ああ。ひとりで」

「は、はい」

 それに反応したのは青璐だった。

雀国じゃくこく相手にたったひとりでか?」

「ひとりの方が目立たないだろう?」

 雀国は目と耳のいい者が多い国だ。視力6がほとんどだと聞く。

 ヤジは飛ぶことはないが、こそこそ話が凰麟の耳には入ってきた。

「また凰麟のこといじめてやがるぜ。染家の者をひとりで行かせるかふつー……」

「前にも凰麟一人に敵軍に向かわせたって聞くぜ」

「殺す気満々だな」

 凰麟の耳には入ったが、鈍感な青璐の耳には入らなかった。

「あんまり期待かけすぎるなよ、じゃ、俺は自分の隊に戻るな。気を付けろよ、凰麟」

 青璐は凰麟と距離を縮め、ちゅっと頬にキスをする。凰麟がビクッと震えて固まったのを見て、悪戯を成功させたみたいに歯を出して笑って去っていく。

 牙獲の眉間に皺がより、殺気立っていることには誰もが気が付き、誰もが自分には関係ないと背を向けて、そそくさと去っていく。

「凰麟、行けるな?」

「は、はい!」

 凰麟は牙獲の命令に従う。どんなに無茶な命令であってもだ。牙獲は自分に、期待している。自分を信頼してくれている。そう信じているから。

 何より、わたしの命は牙獲さまに助けられた。だから、この命は牙獲さまのものだ。

 牙獲さまのためなら、命だって投げ出せる。

「行ってきます!」

「ああ、気を付けろよ」



.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+




 偵察から帰ってきた3日後の夜、牙獲が青璐のテントへ向かったと知り、凰麟は青璐のテントへ向かっていた。

 青璐のテントにたどり着くと、青璐は既に眠っており、凰麟は寒そうにしているそれを見て自分の毛布を持ってくることにした。

 青璐のテントに帰ってきた時だった。近くにいた兵士が、牙獲将軍も中におられると教えてくれる。

 凰麟は何も考えず、テントの入り口を捲って、中へ入ろうとした。

「……っ」

 自分の身体から血の気が引いていくのを感じ、呼吸を荒げる。震える手から毛布が落ちてしまい、テントの中でそれを行なっていた牙獲が振り返る。

「が、かくさま……」

「凰麟……」

 相手の顔は憎憎しく歪められていた。

 凰麟が何も考えず、テントの入り口を捲った時、目に入った光景。

 それは。

 寝ている青璐の唇に、牙獲が唇を触れさせていたと言う光景だった。

 ぎゅっと胸が締め付けられる感覚がする。逃げ出す凰麟を追いかけ、牙獲が彼を捕まえたのは、野営地から少し離れた森の中だった。

 凰麟の逃げ足が速くて、捕まえるのに苦労した。

「凰麟、このままお前を逃すことは出来ない」

 牙獲は剣の柄を握る。それを見て、凰麟は青ざめた。

「牙獲さま、誰にも言いません」

「…………青璐に言わないと誓えるか?」

「は、はい……」

「偵察は済んだのか?」

「は、はい。それを報告しに青璐さまのテントを尋ねて……」

「何故俺でなくて青璐の元へ行く」

「そ、それは」

「貴様、やはり青璐のことを慕っているのか」

「し、慕ってはいますけど、そういう意味では」

「黙れ。見ていれば分かる」

 違う。分かっていない。慕うという意味が、そう言う意味なら、わたしが慕っているのは――……

 凰麟が涙目で牙獲を見上げれば、牙獲は顔をカッと赤く染め、凰麟の頬を手のひらで殴った。

 凰麟は勢いのまま地面に倒れる。

「昔から目障りだった。だから染家へお前を勧めたんだ」

「……え?」

「お前が染家の養子になれば、俺達と会う機会が減るだろう?」

「……っ」

 ……目障り?

 ……会う機会が減る?

 つまり、わたしには会いたくない。わたしを嫌っていた?

 ずっと、そんな風に思っていたんだろうか。

 ずっと……。

「牙獲……さま」

 涙ぐんだ声で名を呼ぶ凰麟を一瞥した後、牙獲は踵を返して冷たく言い放った。

「今夜はここで眠れ」



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 寒い、ひとりぼっちだ。

 暗い、怖い。

 苦しい、痛い。

 また、船の上に戻ったみたいだ。

「牙獲……さま……」

 自分の命を救ってくれた、自分に手を差し伸べてくれた。

 自分に名を与えてくれた。

 目元に腕を乗せ、歯を食い縛る。

 牙獲さまが好きだ。牙獲さまだけが好きだ。

 牙獲が青璐に口付けする光景を思い出し、胸の上の服を強く握りしめる。

 どうして、こうなってしまったんだろう。

 牙獲さまのためなら命だって差し出す、牙獲さまのためなら命だって張れる。

 でも、でも。

 どうしてこんなに、苦しいんだろう。

 寂しくて、悲しくて。

 どうにかなってしまいそうだ。

 それでも、牙獲さまに気持ちを伝えることはできない。牙獲さまが青璐さまを好きなら、それを、応援しないといけない。

「…………それが、牙獲さまのためだから……」

 大丈夫。大丈夫だ。きっと。

 例え嫌われていたって、慕い続けてみせる。



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 龍国——エンバ砂漠。雀国敵軍、野営地。

 朝。

 龍国の将軍・關牙獲の率いる兵は約2万。一方、敵軍の一部である野営地の敵兵約5万だった。

 雀国は目と耳のいい者が揃う国だった。不意をつくには、野営中が一番良かった。獲雲はまだ野営中だった敵に奇襲をかけ、その数を約3万7000までに減らしたが、自分達の兵も約1万5000にまで減っていた。慎重に行動していたがやはり気づかれたらしい。約5000人の兵の命で敵兵約1万3000人を葬ったが、このままだとパワー型が揃う龍国の兵士達は突っ込んで行きがちで、戦略が必要不可欠だったが、雀国にはそれが通用しない。かなり不利だった。

 敵軍と睨めっこしていた先頭の凰麟に、伝令がやってくる。

 その伝令を聞き、兵士たちがざわついた。

 伝令の内容は、凰麟は馬から降り、ひとりで敵兵の偵察に行けという内容だった。

 敵兵のいる前で、偵察へ向かう。鬼気迫る状況下で、下されるべき命令ではない。しかも馬から降りろと言う。


 つまり、凰麟一人で敵軍に走ってつっこめ、と言う伝令だったのだ。


 凰麟は牙獲が自分に死ねと言っているのだと、理解していたが、劣勢の状況が変わらない今、自分が命令のまま死ねば牙獲の命が危ないと考えた。

 牙獲さまのため、ひとりでも多くの敵を葬り去る。

 そう誓い、凰麟は馬から降り、剣を構え、雄叫びを上げながら走り出した。

 敵軍はこれに、驚きを示す。そして、困惑した。

 約3万7000の敵に、囮にもならないたった一人の兵士を送り込んでくれば無理もなかった。

 雀国はもちろん、そのひとりの兵士がこちらへやってくるまで待った。向かってきた兵士を、あっさりと殺す気満々だった。

 前方にいる歩兵達はむしろ笑い声さえ上げていた。

 一瞬。一瞬だった。

 血飛沫が上がる。

 誰もがそれを予想していた。しかし、味方も敵も、誰もが口を大きく開ききって愕然としていた。

 血飛沫が上がった範囲が広く、まるで血の雨のように歩兵達へ降り注いだのだ。

 それはまるで獣のようだった。

 予想できない動きと、柔らかい体が織りなす芸術といえよう。彼は空中を獣のように飛び回り、兵士の身体をめちゃめちゃにして吹き飛ばしていく。

「で……でた」

 ひとりの兵士が呟いた。

「「「鳳凰だあああああああああああああ!!」」」

 その叫び声を聞き、誰もが腰を抜かし、後退する。尿を漏らす者まで現れた。

 鳳凰……獲雲にはそう呼ばれる化け物がいる。彼は十万の兵士にたったひとりで挑み、生き残ったと言われる伝説の存在だった筈だった。

「まさか……本当に存在しているとは」

 敵将が呟き、1000人で掛かるよう伝令を出す。

 しかし、彼らは押し負けている。5000人で襲いかかるように伝令を出す。しかし、こちら側の流れる血の量が増えるだけであった。

 動揺して1万人、向かわせる。

 全ての兵が命を落とした。

 薄い金髪……乳白色とも言えるその美しい髪は、赤色に染まっている。

 白かった服も、今は真っ赤に染まり、まるで地獄から使わされた死神のようだった。

「まるで閻魔帝のようだ」

 兵士の誰かが呟いた。

 その名に、誰もが畏怖を抱く。

 兵士を出さなくても、彼は深いところまで入り込んできた。

 彼により、2万人の兵士が持っていかれた時だった。

 今まで無慈悲にも微動だにしなかった獲雲が動き出したのである。

 一歩一歩近づいてくるその様に、皆が戦慄した。

 雀国兵、約1万7000人。兵量ではこちらが勝っているというのに、あの鳳凰がそれを狂わせる。きっと彼なら、獲雲が来なくとも我々を倒せるのだろう。

 鳳凰……凰麟は、無我夢中だった。

 牙獲のため。

 たったそれだけが、彼の戦う理由だった。

 牙獲が戦に出るのなら、必ずついていって彼を守る。たったそれだけのために、化け物のように強くなった。

 その動きや力はもはや、人間ではない。

 そう言われるのは大国、麟国りんこくの王、閻魔帝くらいだ。自ら王が戦場に出向く珍しい国だが、どの兵士も化け物クラスで、中でも王が一番強いと言うとんでもない国である。

 空想上の生き物の血を受け継いでいると言われるほど、彼等は圧倒的な強さを持っていた。だから王自ら出向くなどと言う無謀が通るのだろう。

 しかし凰麟はまだ15歳の子供だった。

 疲れ切り、その場に倒れ伏す。

 それを見かねた兵士達が、恨みと共に槍を掲げた時だった。獲雲の兵士達がやって来て、彼等の首を刎ねて通り過ぎていく。恐怖を植え付けられた敵軍は呆気なく、背中を見せた。

 それらを追う獲雲の兵士達の、その後方から、黒い軍馬に乗った、灰色の髪の男がやって来た。腰まである長髪が風に靡き、美しい。仮面をつけたその男は馬から降りると、倒れたまま動かない凰麟を横抱きにして、自分の馬に連れて行き、抱き込むように自分の前に乗せた。

「ふん……この死に損ないが」

 エンバ砂漠の戦はもちろん、龍国の勝利に終わった。



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 龍国——エンバ砂漠。

 獲雲のいる敵野営地から遠く離れた同じ砂漠で青獅子と敵の大将は戦った。

 青璐は大将の首を掲げながら、その戦場を仲間達と走った。

 龍国——雀国の戦は龍国の勝利に終わった。

 エンバ砂漠からの帰り道、青獅子と獲雲は合流した。長年のパートナーとも言える二つの隊は共に戦う機会もある。まあ戦いを共にすることはほとんどないが、同じ戦には度々出ていた。

「凰、り〜ん!」

 だからこそ、幼馴染の中で仲間はずれ気味の青璐は凰麟を見るなり飛びついた。

 イダカタに向かって歩く道中、わざわざ凰麟を探して抱きしめに来る。

「またこんなに血塗れになって。怪我してないか? 倒れたと聞いたぞ。平気か? お前には白が似合うのに」

「そう言えば、貴方から贈られる衣は白ばかりですね」

「お前の美しい髪色と相性がいい!」

「そう言うことは女性に向かって言ってはどうですか?」

「こ、こう言うことを言うのは凰麟だけだ」

「はあ……そうですか?」

「何故今ので伝わらないんだ……」

 くっと拳を震わせる青璐を横目に見てから、凰麟はキョロキョロとあたりを見回す。

「牙獲さまは前を歩いてるのか……」

「お前は相変わらず牙獲ばかり構うな」

「牙獲さまはわたしの入っている隊の将軍ですよ。当たり前でしょう」

「俺のことも構え。可愛がってやるから」

「青璐さまは可愛がり方が違う気がします」

「わ、分かってるのか? いや、分かってないのか?」

 凰麟が首を傾げると、青璐は顔を赤く染める。

「かわいい……」

 ぽそりと呟いたそれは凰麟の耳に、届いていた。いくら幼馴染で自分が弟分とは言えそんなに可愛がられると照れてしまう。

「牙獲さまは前を歩いているみたいですよ」

「だから?」

「話にいかないんですか?」

「どうせ一緒に酒飲むだろ。お前も一緒に飲むだろ?」

「わたしは……遠慮しておきます」

「どうしてだ?」

 牙獲さまと会うのは気まずいし、何より応援すると決めたから。わたしがいたら邪魔だろう。

「今日ははやく休みます」

「そうか。……ひ、久しぶりに一緒に寝ないか?」

「それもいいですけど……ってもうわたしは子供じゃありません」

「子供扱いなんかしてないって。ただ一緒にいたいだけだ」

 一緒にいたいだけ……。

 凰麟の脳裏には牙獲の姿が浮かぶ。

「……分かりました。待ってます」

「……お、おう」

 青璐は変な想像をしてかぶりを振る。そんな意味じゃないぞと心の中で自分を責めた。



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 夜。

 血塗れだったので水浴びも着替えも済ませ、凰麟は自分のテントの中で青璐を待っていた。

「凰麟……」

 テントの入り口を捲って現れた青璐の顔は真っ赤だった。相当お酒を飲んできたようだ。

 青璐は酒に弱くないため、こうなるのは珍しい。恐らく大将首を取ったことにより青獅子と獲雲の奴らに飲まされたのだろう。

 青璐は布団の上に座る凰麟におぼつかない足取りで近づき、しゃがみ込み、抱き締める。

 お酒の匂いが鼻につき、凰麟は「大丈夫ですか?」と、声を掛けようとした。

 目と目が合った途端、青璐は目を瞑り、顔を寄せて来た。

「ん〜♡」

「うわああああああ!?」

 顔が近づいた瞬間、唇に向かって唇を寄せてくる青璐。その胸を押して抵抗するが、布団の上に押し倒されて身体を弄られる。

「ちょ、ちょっと! わたしは女の子じゃありませんよ!」

「凰麟〜凰麟♡」

「せ、青璐さま!」

 顔中に降り注ぐ接吻を拒みつつ、疲れた体に喝を入れて押し倒し返す。

 両手首を布団の上に押さえつけ、何とか相手の動きを封じられた。

 そう思った時だった。タイミング悪く――テントの入り口から牙獲が顔を覗かせたのだ。

「…………」

「…………」

 こ、この状況、どう考えてもわたしが酔った青璐さまを押し倒しているようにしか見えない……!

「ち、違うんです牙獲さま……!」

「…………」

 牙獲の目は冷え切っている。

「言い訳はいい」

 ど、どうして牙獲さまがここに。

「青璐に誘われてな」

 顔に出ていたのかそう言われ、慌てて首を振る。

「青璐さまがお酒に酔われていたようで、わたしを女の子だと勘違いして……」

「青璐は女に興味がない」

「で、でも……!」

「はやく離れろ」

 強引に腕を掴まれ、青璐から離される。

「おうり〜ん……」

 起き上がった青璐に後ろから抱きしめられ、「ひっ」と声を上げてしまう。ぴくりと牙獲の眉が動いた。

「凰麟……貴様、青璐を誘惑したのか」

「ち、違います。青璐さまは酔っていて……!」

「黙れ!!」

 頬を打たれ、布団の上に倒れる。牙獲はそれを見て凰麟に覆い被さる。

「が、かくさま……?」

「躾が必要なようだな」

 青璐は既に眠りの中だ。牙獲は腰のベルトを解き、それを凰麟に向かって打ちつけた。

「うあっああああ……!」

「声を出すな」

 布を噛まされ、両手首も布で拘束される。

 凰麟が涙目になって首を振る。それを見ても、牙獲の目はただ冷たさを増していくだけだった。

 嫉妬に歪み切った目をしていることに、凰麟は気づけない。

「んんんん、んんん!!」

 ベルトはしなやかに動き、何度も何度も凰麟に向かって打ち付けられた。凰麟は身を縮め、それに耐える。

 凰麟なら両手首の布など力で引き裂けるし、口に噛まされたり布も鋭い八重歯で引き裂ける。

 しかし、凰麟は牙獲からの罰を受けた。

 牙獲がそれを望んだからだ。

 涎の染み込んだ布を凰麟の口から外す。次に手首の布を解き、牙獲は気を失った凰麟を抱き上げ、自分のテントの中へと連れ込んだ。

 そして軍医を呼び、傷の手当てをさせてから、自ら凰麟の血の滲んだ服を着替えさせる。

 凰麟のテントへと運び、何事もなかったかのように、布団の上に寝かせた。牙獲は青璐と凰麟の真ん中に寝た。彼等の仲を邪魔するように。

 青璐の寝顔を眺めながら、憎々しげに眉間に皺を寄せる。

「凰麟……貴様さえいなければ」

 牙獲はしばらく眠りに付かず、ただ、青璐の顔を苦い顔で見つめ続けた。



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 凰麟は目覚めてすぐ、隣で眠る牙獲の姿を捉えた。起き上がり、牙獲の顔を見つめながら、その頬を触わる。

 それから牙獲の手を握って、その手に頬を擦り寄せた。

「…………」

 牙獲の長い指先に唇を寄せて、そっと口付ける。

 牙獲の睫毛がピクリと震えた気がして、凰麟はその行為をやめる。牙獲の横に寝そべり、その横顔を眺め続けた。



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10年前。

麟国——王都。シンバテイ宮殿。


 ごうごうと燃え盛る宮殿の廊下を、美しい乳白色の髪の女性が走っている。豪華な衣装は焦げ付き、結い上げられた髪はボサボサになっていた。

「いたぞ! こっちだ!」

 背後からそんな声が聞こえ、彼女は一緒に走っていた侍女に抱き上げていた5歳の子供を預けた。

 侍女はその意味を察し、顔を上げて彼女の顔を見たが、彼女は優しく微笑んでいるばかりだった。

 侍女は涙ながらに走り、子供を城外へと連れ出した。

 侍女が狼河に用意された船に乗り込もうとした時だった。背後からの追っ手に気が付き、船を用意した兵士らが背後に向かって走っていく。

「皇子、皇子。瑩凰えいおう皇子。聞いてください」

 泣きじゃくる子供を船に乗せ、落ち着いた声でそう語り掛ける。

「絶対に声を出さないでください」

「行かないで……」

 子供の掠れた声が侍女の耳に届く。侍女は安心させるように微笑んで言った。

「貴方はこの麟国の至宝です。必ず生きてください。生き延びてください」

 侍女はそう言ったきり振り返ると、船を押し出し、追っ手に追いかけられるように去っていった。

 子供は声を上げて泣きたくなるのを我慢した。船底に身体を押し付け、見つからないように頑張った。

 船は揺れる。

 ギシギシと、ゆらゆらと。

 多くの悲鳴を聞きながら、夜空を真っ赤に染める炎を眺めていた。

 炎は燃える。

 ごうごうと、ゆらゆらと。



 五つの国のうち最大と言える大国、中央の麟国。

 最強の王と呼ばれる閻魔帝・鸞挺劉らんていりゅうはその存在で他国を牽制し、恐れ慄かせた。

 東の龍国はパワー型が揃い、南の雀国は目と耳がよく察知能力が高い、西の虎国はジャンプ力に優れている、武国ぶこくは瞬間的に移動できるほどスピードが速かった。

 麟国の兵士はその全ての力を持っていた。

 閻魔帝が遠征へ向かっている最中を狙って、武国は王都に攻め入り、陥落させた。

 閻魔帝の妻を殺し、その侍女を殺せたが、彼女らの手によって第一皇子は狼河から逃がされた。

 追っ手を出す暇はなかった。

 閻魔帝が騒ぎを聞きつけ、帰って来たのである。

 閻魔帝は難攻不落の、武国が苦労して手に入れた宮殿をあっという間に奪い返し、武国の敵兵を皆殺しにして武国へ全員の首を送り付けた。

 閻魔帝はその後、3年の時を掛けて武国を滅ぼした。

 閻魔帝は各国にスパイを潜り込ませ、第一皇子を探していると言う。

 その噂は瞬く間に各国に広がり、第一皇子・鸞瑩凰らんえいおうは麟国の皇子として名を語り継がれることとなった。




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 浅い眠りから目覚めてから、再び眠りにつこうと目を瞑っていると、もぞもぞと、右横で人の動く気配がした。

 凰麟が目覚めたらしい。

 覗き込まれているような視線を感じ、睨まれているのだろうと考えたその時、頬に温かい手の感触が触れてくる。

 その手はやがて離れていき、自分の右手を握って持ち上げた。暖かく柔らかい感触が触れ、それが頬であると気がつく。次に、吐息が指に触れ、ちゅっと音を立てて頬よりも暖かく柔らかい感触が触れて思わず目を開けそうになった。

 凰麟が何をしているのかが分からなかった。いや、分かってはいたが、行動の意味が分からなかった。

 考えていることが、分からなかった。

 手が元の位置に戻され、暖かい感触が離れていく。

 まるで死ぬ寸前を味わったように、ひどく冷や汗をかき、心臓の鼓動が早まった。

 寒気にも似た感覚を覚え、横からの視線を浴びながら。ただ、狸寝入りを続けた。



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 龍国——エンバ砂漠。狼河近辺。


 帰還中、王から伝令を受けた早馬がやってきた。

 どうやら雀国は龍国を相手にすると同時に蜂の巣を相手にするように麟国を突いたらしい。

その残兵が龍国に攻め込んで来ていると言う。

 それを討伐せよとの伝令だった。

 イダカタに残して来た獲雲含む援軍6万と、各地の近い城から集められた兵士1万が将軍二人と共にこちらへ向かっているらしい。

 しかし、伝令で伝えられた麟国の兵は17万。不利ではあるが、これが龍国には精一杯だろう。頼りない王は閻魔帝の猛者軍団に腰が引けて、城一つくれてやるつもりでいるのかもしれないが、民を思えばそう言うわけにはいかないだろう。

 将軍達は一番近い砦で合流し、麟国の既に落としたラゼン城へと向かった。

 麟国と龍国の力の差は歴然だった。追いかけて来る麟国から、撤退を余儀なくされた龍国の兵は森の中へ逃げ延び、何とか2万の兵を残した。

 麟国はまだまだ城を落とす気でいるだろう、だからまた戦場へ駆り出されるのも時間の問題だった。近辺の城から搾り尽くし、遠方の城から兵士を集めた援軍が向かっているが、数ヶ月掛かるだろう。近辺の城からならば数日で着くが、大人数は望めなかった。

 龍国——クウロ砦。

 獲雲はその砦を野営地に選び、夜のうちも警戒を解かず大人数で見回りを行なっていた。

 凰麟が見回りに立っている時だった。

「よお、子豚」

「…………板岳」

「やっと戦に出られたと思ったら、相手が麟国だとはな」

「…………」

「お前、また牙獲様にいじめられたんだってな」

「…………」

「もう諦めたらどうだ?」

「――ッ!! 諦めるとか、そう言う問題じゃない! わたしの命は牙獲さまのものだ!!」

「――――ッ!? ハン、思い込みの激しい奴だな!! 牙獲様も迷惑してると思うぜ!!」

「……っ」

 背中を蹴られ、地面に倒れる。

 凰麟は敵には力を発揮するが、仲間には手が出せなかった。受け身を取るばかりで反撃はしない。

「何をしている!!」

 長身の茶髪の男が駆け付け、凰麟を庇う。

麗可れいか庇うな! 狼河から流されて来た麟国の者かもしれないそいつを……! 将軍二人に特別扱いされて浮かれてやがるそいつを……! 身の程を知れと痛めつけてやらないと気が済まないぜ!!」

 板岳は並々ならぬ殺気を感じ、ヒュッと息を飲む。

「れ、麗可?」

「この方に手を出してみろ、俺が許さないぞ……!!」

「い、意味わかんねえよ!」

 そう言いながら、板岳は麗可の殺気に怯み、走り去っていく。

「凰麟様!」

 麗可は凰麟を抱き上げ、心配顔を浮かべる。

「麗可? どうして……」

「貴方の命ですから。貴方だけは守り抜いてみせます」

「わたしが君に何かしたか?」

「…………何もしていなくても貴方の命なんです」

「…………変なの」

 自分以外に誰かの命として生きている人がいるなんて。

 凰麟はそう考え、何となく麗可の頭に手を伸ばした。髪を撫で付ければ、麗可の目が大きく見開かれる。

 ぽろぽろと涙を流す麗可を見て、遠い過去を思い出した気がした。



.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+.。.:✽・゜+




「——りん、凰麟、——きろ」

「………ん、が、かく……さま?」

「凰麟」

 間近に牙獲の青い瞳があり、ぎょっとする。

 真っ赤になって凰麟が牙獲の腕から逃げれば、牙獲の眉間に皺が寄った。

 凰麟はあたりを見渡して、どうやら自分のテントにいるらしいと気がつく。

「ど、どうして牙獲さまがここに?」

「命令だ。今から敵軍の偵察に行ってこい」

「あ、はい」

 またみんなの言ういじめか。わたしはいじめられている気なんてしないのだけれど。

「…………どうして断らない」

「それは……」

 やはりいじめなのだろうか、牙獲は不機嫌そうにそう尋ねて来た。

「お前が嫌な顔をすると思って命令している」

「…………っ」

「なぜ今反応を示した? ……そんなに俺にいじめられるのが嫌か?」

 やはりいじめだった、そう考えた途端、胸が苦しくなる。

 牙獲の長い指が凰麟の顎を掴み、ぐいっと自らに引き寄せる。

「……ぁ」

 ち、近い……。

「命令を撤回する。俺自らお前を躾けてやる」

「え……」

 強引に腕を掴まれ、テントから出され、砦にある彼に用意された部屋へと連れて行かれる。

 服に手を掛けられ、凰麟は顔を真っ赤に染め上げる。

「が、牙獲さま……!」

「抵抗するな」

「……っ」

 近くで青い瞳に見つめられ、身動きが取れなくなる。

 凰麟は俯き、されるがままに大人しくしていると、下着も全て脱がされ、裸にされた。

 牙獲の青い目は、凰麟の肌に残る青いあざに釘付けになる。しかし次の瞬間、その目は細められた。

「……ほら、お前の好きな、布だ」

「……う、うぐ!」

 布を噛まされ、もがくと、その手を掴まれて両手首を後ろ手に括られる。

 ベッドの上に押し倒され、凰麟の心臓はけたたましく鳴り響いた。

「何を想像している? 気色が悪い、この淫乱め」

「……っ」

 ベルトではなく、鞭を取り出した牙獲の姿に、凰麟は血の気が引いていく。

「肉が剥がれるまで躾けてやろう」

「んんんんんんん――!!」

 逃げ出そうともがく凰麟の背に、しなやかな鞭が打ち付けられる。何度も、何度も、何度も何度も何度も鞭は痛ましい音を立てて凰麟の白い肌に傷痕を残していく。

 それが刻まれていくたびに、牙獲は自分の胸が締め付けられるような感覚に陥り、興奮し、頭の中を真っ白にしながら腕に力を込めた。

「んんんんんうううううう――ッ」

 痛みに悶え泣き叫ぶ凰麟の声など、耳に入らなかった。だからもっと叫ばせようと、鞭を振るわせた。

「んんんん、んんんんんんん!!」

 凰麟は己を冷徹に見下ろしてくる牙獲の姿に、胸を震わせ、顔中を悲しみの涙で濡らした。

 一連の行為が終わると、牙獲は裸のまま凰麟を廊下へ蹴り飛ばした。凰麟の白い肌に浮かぶ生々しい傷だらけの姿に、その場にいた者達は目を逸らし、そして、凝視する者まで現れた。

 凝視した者たちは、牙獲の付けた傷痕を見て、許されるのだと思った。塗り重ねるように、凰麟に暴力を振るった。

 長い負け戦にストレスが溜まっていたのだろう。

 興奮は次に、凰麟の美しい顔立ちと白い身体へと集中していった。

 凰麟は倉庫に連れ込まれ……。



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「牙獲様!」

「どうした麗可」

「凰麟様がテントにいないのです、貴方に連れて行かれたと聞いて……!」

「凰麟ならもう返した」

「で、でもテントにはおらず……」

 二人の声を聞いていたのか、近くの兵士が言った。

「染凰麟なら、さっき板岳達が倉庫に連れていくのを見たけど」

「放っておいたのか!!」

 麗可が掴みかかると、「だ、だって牙獲様の部屋から出て来た時にはもう血塗れで……!」と兵士は麗可の形相に負けて言ってしまう。

「……! どう言うことですか、牙獲様!」

「それより倉庫に急ぐぞ」

 麗可達が倉庫に着き、その中で行われていた行為は中断された。

麗可は板岳達の立つ向こう側に座り込む凰麟の姿を目にした。

 凰麟の口の周りや、身体に纏わりつくその嫌な匂いの液体を目にして、麗可の目が釣り上がる。

「貴様等――ッ!!」

 麗可は板岳達に飛び掛かり、彼等をボコボコに殴り付ける。牙獲は、呆然とその光景を眺めていた。

 虚な目の凰麟と目が合い、牙獲は一歩後ろに下がる。

「牙……獲さま……」

 宝玉のようなその瞳から、無数の雫が溢れ出す。

「み……ないで、ください」

「…………」

 牙獲の冷たい視線が、凰麟の身体に注がれる。眉間に皺を寄せ、ギリッと口の端を噛んだ。

「牙獲様、俺は牙獲様も許しませ――」

「そいつ等は縛り上げておけ」

「――え?」

 間の抜けた声は牙獲の殺気に飲まれ、麗可は動けなくなり頬に一筋の汗を垂らした。

 牙獲は凰麟を抱き上げ、自分の部屋へと連れ帰った。

 麗可の怒りは収まっておらず、板岳達を縛り上げた後、彼等を外に運ぶのが面倒で、塔の上から外へと放り投げた。



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「お前をいじめてはいたが、こう言う方法は考え付かなかったな」

「…………」

 ベッドの上に座らされ、凰麟は慌てて立ち上がる。ぬるりとしたものが、凰麟の臀部から垂れた。

「…………」

 牙獲の眉間に皺が寄る。

「き、汚いですから」

「いいから座れ」

「で、でも」

「もう服も汚れている」

「……!」

 凰麟は座らされ、牙獲はそっと布で血と白い液体を拭っていく。兵士に水と桶を用意させ、濡れた布で身体を拭いていった。

「…………」

「…………」

「俺を恨んでいるか?」

「……いいえ」

「俺はお前を恨んでいる」

 今まで震えさえしなかった凰麟の身体がビクリと震える。

「……お前さえいなければ、青璐はずっと俺のものだった」

「青璐さまは誰のものでもありません。僕のものでもありません」

「…………」

 牙獲は兵士に持ってこさせた新しい衣を凰麟に着せ、椅子に座らせると、次にベッドのシーツを交換していく。

「……牙獲さま、どうして怒ってくれたんですか。僕が嫌いなら……放っておけば良かったのに」

「恨んではいるが、お前は友人だ」

 友人。友人。

 たったそれだけの言葉なのに、満たされる気持ちになる。

「僕は……」

 僕は。

 牙獲の青い瞳を覗き込んで、そっと呟く。

「牙獲さまのもの……」

「……っ」

 ピタリと牙獲の動きが止まり、青い相貌が凰麟を凝視した。

 呟いたが、伝えるつもりのなかった声は音とはならずかなり小さかったはずだった。

「ぁ、ぁ…………ぁの……」

「……お前は俺のものじゃない」

「……! 貴方の命です!」

「…………俺の命でもない」

「……っ、…………!」

 今まで積み重ねて来た想いが、全て壊された気がして。凰麟の中で何かが崩れた音がした。

 凰麟をベッドに寝かせ、牙獲は椅子で睡眠を取る。

 凰麟は先程のショックで眠れない夜を過ごした。

 起き上がって、牙獲の顔を見つめる。

「好きです……牙獲さま」

 たとえ貴方に認められなくても。

「僕は貴方のものです。僕の命は貴方のためのものだ……」

 牙獲とそっと距離を縮め、唇にゆっくりと唇を寄せる。

 凰麟は震えながら、それをやめた。

 ベッドに潜り込み、啜り泣く。

 牙獲はそっと目を開き、その様子を眺めた後、呟いた。

「……眠れないのか?」

「…………起きていたんですか?」

「いや……眠っていた。お前が俺ものかどうとか聞こえて来たが、……」

「僕は貴方のために生きています」

 震える声でそう告げれば。

「そうか」

 とだけ帰ってきた。

 否定されなかった。拒絶されなかった。それだけで、良かったと思えた。

 凰麟はゆっくりと目を瞑り、やがて寝息を立てた。

「……俺のために生きるなんて馬鹿げている」

 牙獲はそう呟いてから、眠りに落ちた。





 


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