episode:7-6【雨後の龍の子】
あれから二週間が経過したが、まだまだ退院の見込みはない。
どうも怪我をした箇所が多すぎて、一部は治っていても全くと言っていいほど治っていないところもある。
……異能力で治してくれたら楽なんだが。副作用がどうとかで許可が下りない。
当然の権利のように俺のベッドの上で横座りをしているまどかに剥いてもらった果物を治ってきた右手で食べる。
「……一色、色々と不便を掛けているが、不満はないか?」
「んぅ……ないですけど、強いてあげるなら怪盗さんとベタベタするのはやめてほしいです。アキトさんにひっついたときに他の女の人の匂いがするのが嫌です」
「いや、俺からは触ってないが……悪い。ということで、降りてくれまどか」
「私をここから退かしたければ倒してみろ!」
いや、素直に降りろよ。
定期的に様子を見にくる看護師にも『少女二人を誑かしている男』として冷たい目で見られているし、他の入院患者にも蔑まれているように思う。
一色とはまだしも、まどかは俺の意思じゃないのに……。美少女だとは思うが、それはそれである。
珍しくクレヨンで絵を描いている一色の絵を覗き込むと、珍しく写実的ではない現代美術のようなよく分からない抽象的な絵を描いていた。
まどかもそれを覗き込み「お金になりそう」と俗っぽい感想を言う。俗っぽいが……俺と違って絵の技量とかは分かるんだな、まどかも。
「それ、何の絵なんだ?」
「ポチ・ザ・グレイトの絵です」
「……え、なんて?」
「ポチ・ザ・グレイトです。先週入院してきたイチゴちゃんの飼い犬だそうです」
「……はあ、そうか」
一色は首を傾げたあと「んー」と眺めて、それから首を横に振って、新しく絵を描き始める。今度は色鉛筆で写実的に描いていく。
最近の犬はすごい名前を付けられているんだな。と、感心しながら、珍しく真面目な表情で慎重に絵を描いている一色に尋ねる。
「それで、またなんでポチ・ザ・グレイトの絵を描いているんだ?」
「勝負を挑まれたのです。イチゴちゃんも絵が得意だそうで、より良い絵を描けた方が勝ちなんです」
……イチゴちゃんが何者かはわからないが、おそらくはただの入院している子供だろう。
例え一流の絵描きだとしても、人格を崩壊させるような絵を描ける一色と勝負になるはずはないし、まぁ負けることはないだろう。
一色はしばらく集中して絵を描く。もはやただの写真だろうというぐらい写実的な、アスファルトの地面を蹴る犬の絵を描き終わり、意気揚々と部屋から出て行き、隣の部屋の扉が開く音が聞こえる。
まぁ俺やまどか以外とも交友を深めるのはいいことか……。
「……まどか、イチゴちゃんってどんな奴だ?」
「ん? 小学三年生の子供だよ。私はあまり話してないけど、シキちゃんは時々小学校の話とか聞いてるみたい」
「……一応聞くが……男じゃないよな」
「ええ……小学生相手に嫉妬するの? ……アキトくんやばい奴だね」
「いいから、性別は」
「女の子だよ。いや、ドン引きだよ」
「……一色の容姿はだいたいそれぐらいの年齢なんだし、相手が好きになるかもしれないだろ」
「いや、だとしても普通は小学生相手に嫉妬はしないよ」
心配ぐらいするだろう。浮気はしないと思うが、少しばかり警戒心が薄いし、とにかく可愛いから心配にもなる。
「……一色、男と関わってたりしないよな?」
「ずっと一緒にいるわけじゃないけど、大丈夫だと思うよ? イチゴちゃんとも、しつこくイチゴちゃんが話しかけるまではずっと逃げてたぐらいだし」
「ならいいんだが……」
手錠でも買って逃げられないように縛り付けたり出来ないだろうか。
俺がそう考えていると、扉が開いて半泣きの一色が赤くなった目を俺に向ける。
「あ、アキトさん……」
「ッ!一色! どうした、何があった!?」
「イチゴちゃんがズルいんです! 僕がポチ・ザ・グレイトを写真でしか見たことがないのをいいことに、自分の方が良く描けてるって言い張るんです!」
一色はそう言いながらベッドの上に乗り上がってきて、ギュッと俺に抱きつく。
「ズルくないですか!? ズルいです!」
「……そうか」
「僕の方が上手いですよね!」
「いや、相手の絵もポチも見たことないから何とも……」
いや、まぁ一色の方が上手いのは間違いないが。
グズグズと泣きそうになっている一色の頭を撫でて、ヨシヨシと慰める。
いつも子供っぽい彼女だが、勝ち負けでムキになるなんて珍しいな。
相手が言い張ろうと自分の中で自分が買っていると思えば気にしないような性格だと思っていたが……。
少し不思議に思っていると、半泣きの一色は俺の服の胸元をギュッと握りしめる。
「……負けたんです」
「まぁ……絵に勝ち負けなんてないんじゃないか」
「違うんです。負けたんです」
「……まぁ、俺は見たないけど、一色の方が絵は上手いと……」
あどけない一色の表情は崩れて、ぼろぼろと大粒の涙を流し出す。
「違うんです。負けたんです。……イチゴちゃんの絵を見て、僕は「負けた」と思ったんです。本当は、認められなかったけど、見た瞬間、負けたって」
驚いてあげそうになった声を抑えて、極力落ち着きながら、一色の顔を見る。
目元が赤くなっていて……なんとなく扇情的に映って唾液を飲み込む。……いや、今はそんな場合じゃないな。
「……一色の絵より、か?」
「……はい。僕の絵は絵でしかないんです。なのに、イチゴちゃんの絵は……まるでポチがそこにいるみたいで……」
まどかに目を向けると、彼女は頷いてベッドから降りて隣の病室に向かい、すぐに戻ってくる。
「……え、えーっと、ちょっと見せてもらったけど、シキちゃんの絵の方が上手だったよ?」
「そんな慰めはいりません」
「いや、慰めじゃなくて……」
まどかは困ったようにそう言う。
「……小手先の技術で、誤魔化していました。知らない物を知ったかぶって、少々絵が上手いからと、傲り高ぶり、対象のことをよく知らずにただの犬の一匹と侮ってシンボル化した物を書いていました」
「……そんな高度な感じの戦いには見えなかったけどなぁ」
まどかは遠い目をして言う。
俺は一色がひっついて来てくれていることをいいことに、細い背中をすりすりと撫でたり、頭をヨシヨシと撫でたりとしてひたすら甘やかす。
泣いて赤らんでいる頰や、少し荒くなっている息遣いに興奮を覚えていると、まどかに冷たい目で見られる。
俺は「おほん」と咳き込んで、一色の背から手を離す。
「……まぁ、長い人生、負けることもあるだろ」
「……負けたくなかったです」
「まぁ気持ちは分からなくはないが」
最近、というか、一色と出会ってからこの方ずっと負け通しで、何だかんだと勝ったと言えるのはまどかを捕まえたことぐらいだ。
……そう考えると、なんとなく悔しくなってきたな。
「……んぅ、アキトさん」
「どうした?」
「……絵で、勝負しませんかん」
……一色コイツ、負けたのが悔しすぎて、勝てる相手に狙いを絞ってきた。
だが、俺も負けるのは悔しい。負けると分かっていて勝負を受けるのは……。
「お題は、お互いの絵です」
お互いの絵。つまり、一色は俺の絵を、俺は一色の絵を描くということか。
……正直なところ、自分の顔など見たいものではないが……これ、絵を描くためという名目で一色のことをめちゃくちゃ見つめても許されるのではないだろうか。
そのことに気が付いてしまった俺は、負けるのが悔しいとか分が悪すぎるとかの考えを失い、飛びつくように頷いた。




