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episode:6-3【水は低きに流れ、龍は高きに飛ぶ】

「……食った、のか?」


 否、口を使って嚥下した訳ではないだろう。だが、それでも『食った』という表現が正しいのだと思わされた。


 体液と同じ浸透圧の塩水である必要はない。同じ浸透圧なのであれば……人間の体液でも良い。逆か、人間の体液が良いところ、塩水で代用していたのだろう。


 姿形は以前と変わらない。だが、赤い。

 見ているだけで目が焼けるように、腹の底から燃え滾るように、熱さを思わせるほどに赤い。


 まどかに目を向ける。彼女は驚いたように口をパクパクと動かす。


「え……あ、なんで、来るの!」

「俺は……嘘は吐かねえよ」


 怪物が腕を振るうが、明らかに遠く俺に当たる距離ではない。

 それでも何があるか分からないため警戒は解かないでいるが、やはり何も起こらない。一瞬疑問に思うが、よく考えれば当然だ。

 光を捉える感覚器官である目が、材料にしている血で隠れているのだろう。塩水ならば透明で見えたのだろうが、血液ならばそうならないのも頷ける。


 まどかを狙った時はまだ街灯の明かりもあったが、今は故障か何かでなくなっている。普通の人間でも見えにくいのに、目の前を血液の眼鏡を通して見る龍人に見えるはずがない。


 時間を稼ぐだけなら……そう考えた瞬間、まどかが叫ぶ。


違う(・・)! アキトくん!」


 まどかの言葉に反応して、思考よりも早くに脚が動いて後ろに跳ねる。直後、俺の立っていた場所に矢が突き刺さった。


「……助かった。まどか」


 思えば当然だ。こんな重要な状況で、理性のない化物だけに任せるはずはない。

 急いで龍人から距離を置きつつ、矢の射線が通らないように物陰に隠れる。


「……どうして矢が飛んでくると分かった?」

「周りに人の気配がなかったのと、もしもの時に龍人から逃げられる距離は確保してるだろうから、遠くの方を見てたの」

「……何で銃じゃないと思ったんだ? 普通なら飛んでくるとしたら狙撃銃の弾丸だろ。こんな古い道具を持ち出してくるとは思わないはずだ。……いや、ヨミヨミさん対策か」


 矢は地面に突き立つほど垂直に近い角度で撃たれている。恐らく、ほぼ真上に向けて撃った矢が落ちてきたからだろう。

 ヨミヨミのレーザーは文字通り光の速さで直線を描いて飛ぶ。スナイパーライフの上位互換のような性能を持っていて、まともに相手をしたら勝負にすらならない。


 それならば、性能は悪くとも別の戦い方が出来る弓矢を用いてもおかしくはないか。

 龍人と矢を警戒しながら呼吸を整えていると、唐突に辺りから光が消え失せる。一瞬、ヨミヨミの能力によって光がかき集められたのかと考えたが、違う。


「ッ! 停電か! 本気で対策してきてるな」

「ど、どうする?」


 夜のうえに、月や星は雨雲で隠れており、街灯までなくなった。暗闇に慣れていないせいもあり、あるいは単純に光量が少なすぎるせいで何も見えない。


 相手は何を考えている? 耳が水に浸っているせいで聴覚が働かない龍人は、こんな状況では使い道がないだろうし、遠くからの狙撃も暗すぎて不可能だろう。


 考えろ、考えろ。相手の思考を飲み込め、状況を正確に把握しろ。

 もう、思考で出遅れるな。

 ポケットからスマートフォンを取り出し、ヨミヨミに電話を掛ける。


「真上に光を」

『分かった』


 時間がなく、説明も何もない言葉。瞬時に反応したヨミヨミが光を放ったのか、組織に近い場所から一瞬だけ光の線が空へと走ったのを見て通話を切る。


「…………よし、分かった。最悪の状況だ」

「えっ、な、なんで?」


 もう既に詰んでいるかもしれない。


「弓矢を射ってきている奴にとって、既にヨミヨミさんは脅威ではないらしい。普通なら、狙えるうちに狙うからな。且つ、俺たちの場所も射線が通っていないだけでバレているだろうな。俺たちの場所が把握できなければ、狙えるところから狙うはずだ」

「……えっ、アキトくん、今、平気でヨミヨミくんのことをオトリにした? 状況を確認するためだけに」

「あの人は死なないから大丈夫だろ」

「え、ええ……」


 ドン引きした様子のまどかの肩を寄せながら、声を少し潜める。


「恐らくだが……位置の把握は龍人を使っているんだろうな。龍人に赤外線カメラでも取り付けて送信しているんだろ。それに加えて上方から赤外線を見れる双眼鏡とかで見張っている感じか」

「ま、まぁ、この状態を狙ってたならそれぐらいの準備はあるよね。でも、物陰に隠れて射線に入らなければ……ヨミヨミくんたちが来るまで生き延びることはできるんじゃないの? 龍人は動けないわけだし」


 まどかの言う通り、龍人は現状、まともな行動が取れないはずだ。

 血の鎧を纏っていることで触覚は働かず、聴覚は多くの水分を通すことで鈍っている上に雨音が邪魔をし、目は血の色で見えなくなっており、嗅覚や味覚は血の匂いと味で溢れているだろう。しかも、理性を失っているから考えることすら出来ない。


 ……が、それは……恐らくは対応出来る。


 ひたり、ひたりと異形の物の足音が響く。


「……えっ」

「やはりな、恐らく、あの龍の身体の中にある本体の人間の目にゴーグル型のディスプレイでも付けていて、赤外線カメラとかで見えているのかもしれない」

「……さっきまで、動いたりしてなかったけど」

「視界がいつもと違うから、慣れるまで警戒していたんだろ。カメラの位置と実際の目の位置がズレていて視界が色々とズレているのも一因だろうが……そろそろ慣れることだろう、動くぞ」

「……本当に?」

「感覚器官のない置物を用意するはずはないだろうからな」


 もちろん目が多少見えるだけで他は何も感じない状態ならば、大した脅威ではないだろう。

 しかし、停電、夜、雨……と俺たちもマトモに何かを目にすることが出来る状況ではなく、数十センチ先のまどかの顔の輪郭がやっと掴める程度だ。


 そんな状況で、龍人は距離を詰めてくる。しかも、物陰から出たら遠くから弓で打たれるという状況だ。


 逃げ出せば弓、そのままだったら龍人。最悪なパターンは龍人と戦いながら弓から狙われるという状況だろうか。

 ……賭けになるが、走って逃げ出すか? いや、それはダメだ。狙われるのは相手にとってどうでもいい俺ではなく、まどかの方だ。弓矢という武器のせいでまどかが得意の屋根に登るということも出来ない。

 まどかの方が狙われているという現状では、下手なことは出来ない。


 だが……そう考えている間にも、龍人は少しずつ距離を詰めてきている。

 弓矢が外れることを期待して逃げるか? いや、龍人と弓矢を使っている奴の二人だけということはないだろう。周りを囲まれていると見た方が自然だ。


 どうする。どうすべきだ。考えろ、読み間違えるな。

 逃げる……逃げられない。戦う……戦えない。交渉のしようもない。

 まどかが隣にいるんだ、下手な手は打てない。

 いくら考えてもこたえは出ない。既に、詰んでいた。


 目の前に、血を垂らした龍の姿の化け物がやってくる。それは刃を振り上げて────ああ、これは、もう無理だ。


「まどか、目を閉じてくれ」


 左手に腕時計を巻いて、拳を握り込む。

 振り下ろされた刃の側面を右手で押すようにして逸らし、フッ……と、息を吐き出す。


 狙うは、血の装甲が薄い頭部。全力で、左腕を振り抜いた。


 ──もう無理だ。無傷で制圧するのは。


「聴こえていないだろうが……少しばかり、痛い思いをさせる。早めに気絶してくれると助かる」


 よろめいている龍人に、俺は物陰から離れないまま伝える。最悪、殺してしまうことになるかもしれないが……どこの誰かも知らないやつより、まどかの身の方を優先させてもらうのは仕方ない。


 龍人はすぐに体勢を立て直しながら、攻撃をしてきた俺に狙いを定める。

 乱雑に振られる刃を避けながら、俺はヨミヨミに電話を再びかけた。


「ヨミヨミさん、龍人に襲われているんですが、こっちはいいんで、敵側の異能力者の対応をお願いします。確認出来たのは弓矢を持っているやつですが、多分何人もいるんで」

『……分かった』


 画面に触れる雨粒にスマートフォンが反応するせいで操作しにくい。

 通話はヨミヨミの方が切るだろうと操作を諦め、スマホを投げ捨てながら乱雑に龍人の脚を蹴るが、重量の差がありすぎて龍人の身体が揺らぐことはない。

 やはり、頭部を殴るしかないらしい。


 最悪殺すことになる……自分の弱さが嫌になる。

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