episode:6-2【水は低きに流れ、龍は高きに飛ぶ】
まどかが去っていった後を見て、手に持っている鞄の重さに気がつく。……渡しそびれたな。
濡れた髪をかきながら、まどかの言葉を思い出す。「好きになってくれないくせに」か……。そんなことを言われたら、いくら恋愛経験が薄く、人の気持ちに鈍い俺だって分かってしまう。
まどかに好かれていたのだろう。人に好かれるような容姿や人格をしていない自覚はあるため不思議ではあるが。
特に、まどかには情けない姿やみっともないところを多く見せていて、好かれているとは到底思えていなかった。ただの友人で、仲間であり……恋やら何やらが芽生えるものではないと思っていた。
まどかの鞄がヤケに重い。鞄の中に目を落とすとスマートフォンや財布が入っていて、今のまどかは何も持っていないことに気がつく。
「あの馬鹿……雨の中、何駅歩いて帰るつもりだよ。というか、鍵も鞄の中じゃないのか」
……龍人に襲われる可能性も充分に考えられる。仕方ない、追いかけよう。
ポケットの中から自分のスマートフォンを取り出して一色に電話を掛ける。何度もコール音が鳴るがなかなか出てくることがなく、軽く早足でまどかが向かっているであろう駅の方に向かう。
結構な時間が経って、やっと電話がつながる音が聞こえる。
「一色、ちょっといいか」
『あっ、アキトくん。いや、ごめん、ちょっとシキちゃんから借りたよ』
「セーラ? 何でお前が出るんだよ」
『いや、出たかった訳じゃないんだけど、アキトくんが出て行ってから、シキちゃんが黙々と絵を描き始めちゃって、電話に出ないから、取らないのも悪いかと思って……』
「……そうか、悪い。今、外で雨が降っていたんだが、まどかが雨の中走っていったから追いかける。少し遅くなるから一色に伝えておいてくれ」
『えっ……あー、うん。雨降ってるのか、急だね。もしものためにリリィちゃんとかヨミヨミにも出てもらった方がいいよね』
「……いや……あー、どうするべきか。ああ、頼む」
異性間の話のもつれのためもっと隠すべきかとも思ったが……もしもの時、取り返しのつかないことになりかねない。
通話を切って周りを見渡しながら走る。
少女が傘も刺さずに雨の中泣きながら走っていれば目立つだろうと思ったが、一向に見つからない。
走って逃げられただけなら見つけられるが、まどかが本気で隠れるつもりだったならばまず見つけることは出来ないだろう。
何せ、狭い四畳半の部屋に一緒にいても隠れているまどかに気づかないほどだ。屋外で見つけられるはずがない。
……あまり意識していなかったが、まどかはまどかで化け物じみている。
龍人と遭遇しても逃げきれそうな気もするが……不安なのには変わらない。
まどかを探し回る途中、不意に……一色と二人でいて龍人に襲われたときのことを思い出す。
あの時は、長い間人気のない場所にいたから偶々襲われたのだと思っていた。
そのあと、色々なことを知って一色が狙われたのではないかという考えも持ったが、それは簡単に否定出来る。より楽な方法があるのだから、一色が狙われたわけではない。ならば俺か、そんなはずもない俺はただの一般人だ。
だったらやはり偶然か。
いや、いたのだ。あの時……俺と一色が気がついていなかっただけで、確かに彼女はいた。
将門円……彼女は俺達を心配して後を尾けていた、だから、近くにいたヨミヨミさんを呼ぶことが出来た。
あの襲撃が偶然ではなかったとしたら、何かの狙いがあったのだとすれば……。バチリ、と街灯が点滅する音が聞こえた。暗い夜が、瞬きとは関係なく点滅する。
夜の雨という天気の上、隠れているまどかを探すために狭い道に入り込んだ。
人の気配がない。雨がゆっくり、確かに、家の屋根を伝う、路面を濡らし、溢れていくように側溝へと落ちていく。
考えてみれば当然だ。
敵対する組織にとって、一番不要で、厄介で、いなくなってほしい者は誰だ。
俺? あり得ない。無視してもいい小物だ。そもそも認識されているかどうかすら微妙だ。
一色? 違う。確保が簡単だったのに見逃されていたのはその必要がないからだ。
ヨミヨミさん? それも微妙だ。ヨミヨミさんは非常に強く、この上なく厄介な存在だろうが、逃げれば終いの存在だ。
セーラ? 今まで挙げた三人よりかは厄介な存在だろう。異能力の研究家であり、多くのことを正確に捉えてくる。やりにくくて仕方ない相手だ。
違った。違うんだ。そうじゃなかった。
完全に、勘違いをしていた。俺はあくまでも、この前、一色と俺が襲われた時から対決が始まったのだと判断していた。
大学の後輩が言っていた【獣人間】の噂。あれは……龍人のことだったのだとしたら、一体どれだけ前から実験が始められていた。
あの雨の日から、それっきり龍人を見ず、相手の動きが少なかったのは……。
ヨミヨミさんと戦闘になることが分かっているのに、ヨミヨミさんを追ってまで、奴等は何がしたかったのか。
「…………まどかっ!!」
俺の視覚に、人の大きさを遥かに超える、龍とも獣とも人とも言えない化け物が映る。
それが狙っているのは、俺でもなければ、そこらの通行人でもなかった。
黒い髪を伸ばした美しい容姿の少女……将門円。
彼女は呆然とした様子で自身に向けて振り下ろされた水の刃を見つめ……俺が化け物の腕に体当たりをしたことで、刃が彼女を避けていく。
「っ! バッカやろう! 立て! 逃げるぞ!」
「えっ、アキトくん? な、なんで……!」
「いいから、逃げるぞ!」
まどかと龍人の間にに入り込む。以前見たときと変わらない姿。左腕と、胴体の傷が疼く。
……敵が最も恐れていたのは、将門円だ。
他の人は全員『計画を阻止出来る』可能性が高いか低いか、でしかないが……まどかだけは、絵を売った人間を伝って相手の組織に向かうこと、あるいはその奥の国に向かうことが可能だからだ。
それは単に接触したことがあるからだけでなく……その圧倒的な潜伏能力のためだ。
隠れて、追って、また隠れて、追う。単純に見えるこの行動は、実際のところは不可能と言えるだろう。人から隠れながら追うというのは非常に難しいからだ。
だが、まどかはそれが出来る。遅くはなるだろうが、時間はかかるだろうが……まどかは確実に、相手の本拠地を割り出すことが出来る。
計画の阻止どころか、ヨミヨミなどの連中と合わせれば、組織が潰されてかねない。そんな奴が……自分達の行動に対して反感を覚えて向かってきている。
何が何でも始末しようとするに決まっていた。
違ったのだ。今は、あるいは、あの龍人に襲われた日は……序盤でもなければ、最初の一手目ではなかった。あの時に火蓋が切り落とされた訳ではなかった。
あの時、俺達は知らず知らずのうちに……王手を掛けていたのだ。
どうしようもないほど、交渉の余地がないほど、敵を追い詰めていた。
だからこうなった。
龍人が吠える。もはや人としての理性は感じられない。獣としての本能もなければ、あるいは龍の誇り高さもない。
それは、狂っていた。血の匂いが辺りに充満している。
……龍人は水を取り込んで変形するが、浸透圧の関係により塩水である必要がある。だから、水が補給出来る強い雨と、多くの食塩が必要。
あまり強くない雨。辺りに塩の痕跡は見つからない。
人間の体液と同じ浸透圧の液体が必要だから塩水がなければならない。……本当にそうか?
あまりにも、単純なことを見落としていなかったか?
人間の体液と同じ浸透圧の液体なんて、そこら中にあるだろう。溢れているだろう。そこらかしこ。
全て、見通しが甘かった。この程度の雨だったら大丈夫だと、ここ一月の襲撃のなさから甘く見積もっていた。
龍人の腕に付いた水の刃は……以前とは違う、赤色をしていた。
既に、とっくの昔に、最終局面を迎えていたのだ。
登場人物同士の呼び方①
時雨秋人
一色……アキトさん
まどか……アキトくん
セーラ……アキトくん、アッキー
ヨミヒト……アキト
角……時雨
もみじ……お兄ちゃん
リリィ……アキト




