episode:5-12【龍心あれば水心】
「いや何言ってんだ。急に来るって言われても、こっちも予定があってだな」
予め決めていた言葉をゆっくりと話す。不安そうにこちらを見ている一色を手で抑えながら、妹の言葉を待つ。
『もう最寄り駅だから仕方ないよー。流石にすぐに帰ったりしたらお母さんに怒られるしさ』
「お前なぁ……せめて、事前に連絡するなり……とりあえず、今いる場所の住所を教えるから、ひとりで来い」
『住所? お店なら店名の方が分かりやすくていいんだけど』
「……友人の住居だ。近くに来たらまた電話しろ。迎えに行くから」
妹との通話を切って、隣に座っているガチガチに緊張した様子の一色に目を向ける。
喫茶店の時代そのままのカウンター席に座っている一色は足を落ち着かない様子でプラプラと動かした。
「……大丈夫か?」
「だ、ダメかもです。き、嫌われてはダメな初対面の人間って、怖いです」
「あー、まぁやりにくいよな」
妹は俺よりかは心が広いので嫌うということはそうそうないだろうが、それを言ってもあまり慰めにはならないか。
「まぁ、家族全員に反対されても結婚はするから気にするな」
「そ、それは良くないんじゃないでしょうか。あ、えっと、ヨミヨミさんとリリィさん? という方はいつ頃になるのでしょうか」
「そろそろ来るはずなんだけどな。妹が来るよりも前に来てくれた方が助かるが……」
カフェのようなアトリエのような空間の中、一色は落ち着くためなのか、ひたすらスケッチブックに絵を描いていく。
今日の一色は風景画の気分なのか、日本の街並みや異世界らしい街並みの絵を大量に量産していきながら、ゴクゴクとラテアートの施されたカフェラテを飲んでいく。
少しして、カランコロン、と扉が開いて鈴が鳴る。
「遅くなったな」
「ああ、いえ……と、そちらが」
俺がカウンター席から振り返るようにして扉の方に目を向けると、昨日写真で見た長い金色の髪と碧眼の女性。パチリと開かれた大きな瞳が俺と一色の姿を捉える。
一色とは対照的に緊張をした様子はなく、手慣れた様子で、日本人と全く変わらない発音で日本語を口にする。
「リリィ。リリィ・アダムズ。ヨミヒトから聞いていたけど、時雨秋人と岸井一色で間違いない?」
「ああ、合っている。これからよろしく頼む」
ずいぶんと整った顔立ち。一色にとってもそう感じるのだろう。先ほどまで風景画を描きまくっていたのに、今はリリィの絵ばかりになっている。
ヨミヨミさんとの距離感は思っていたよりも近く、この距離で街を歩いていたのなら恋人としか思えないほどだ。
「あ……こ、コーヒーでいいですか!? あ、いや、ラテアートの練習してたんでした」
「あ、お構いなく。思ったよりものんびりしてるのね」
「まぁ、状況的に後手に回るしかないからな。雨が降らない限りは仕方ない」
二人はテーブル席に腰掛けて、物珍しそうに一色の絵を見て頷く。
「……いい絵」
「絵が分かるのか?」
「そんなに詳しくはないけどね。技術、技法、技巧、デザイン的な観点や色彩も、こんな風に置いているのは勿体ないと思うぐらい。というか、なんで額にも入れてないの。お金持ちの道楽で集めてるにせよ、ちゃんと保存しないと」
「ん? ……ああ、いや、それは一色が書いた絵なので、多分額に入れたりするのが面倒だったんじゃないかと」
俺の言葉を聞いたリリィはその碧眼を見開く。
「……えっ、あの小さい子が?」
「まぁ初見だとそういう反応になるよな。他の奴が言うには高く売れるらしいが、一色からしたら暇つぶしに描いただけのものだからどうでもいいんだろう」
リリィは信じられないといった様子で俺を見る。
一色が奥でラテアートを作ったものを運んできて、リリィとヨミヨミの前にカチャリと置く。
「ど、どうぞ。女の子はハート型が好きと聞いたので、ハートを用意させていただきました」
ああ、案外シンプルなものにしたんだな。てっきり一色のことだから人の顔面をラテアートにするぐらいはやらかすと思っていた。
少し安心しながらリリィを見ると、彼女は頬を引きつらせて一色とカップを交互に見る。
「え、ええと……ありがとう」
「あ、いえ、ごゆっくりしていってくださいね」
何をそんなに引いているのかと思ってリリィのカップを見ると、真っ赤な心臓がそこにあった。
「一色……あれは?」
「ハート形ですよ」
「…………一色、あのな、ハート形っていうのは、心臓のことじゃないんだ。食紅で色を付けたリアルな心臓は、ラテアートとして正しい姿じゃないんだ」
「えっ、いや、でも……ちゃんと大きめの気泡を作って、それが割れることで心臓の拍動を再現してますよ?」
「……一色、そういう再現はマイナス要素でしかないんだ」
リリィは、カップの中でドクンドクンと動いているリアルな心臓を遠ざけるようにヨミヨミの方に、すすす、とカップを押していく。
「ヨミヒト、飲む?」
「……いや、気持ちは分かるが自分で飲めよ」
「ヨミヒトの方のラテアートは何だったの?」
リリィと共に俺も目を向けると……可愛らしい女性の顔がカップの中にあった。
「……私?」
「はい。ヨミヨミさんがお好きだと聞いたので、ご用意させていただきました」
一色はドヤとばかりにしてやったり顔を見せて、頭を撫でて褒めろとばかりに俺の手に頭を擦りつける。
……いや、そのことを本人に教えてはダメだろ。
ヨミヨミが持っていた心臓のラテアートが施されていたカップが小刻みに揺れて、気泡が割れることにより拍動が早くなっていく。
「い、いや、仲間として、仲間として信頼しているという」
「えっ? でも、昨日ヨミヨミさん……むぐっ」
一色の口元を抑えて黙らせる。
一色は抗議しようとパタパタと俺の手を叩くが、そのまま奥に連れて行く。
コーヒー豆や画材などが置いてある倉庫に連れ込み、ゆっくりと手を離す。
「ど、どうしたんですか?」
「あのな、一色。恋心というのはな、人にバラしてはいけないんだ。お互いに好き合っていれば問題ないけどな。一方的に好いていた場合は関係が壊れかねないだろ?」
「そうですか?」
一色は少し考えた様子を見せて、手を二回パンパンと叩く。
一色の背後に天井から人影が落ち、反響音を立てて着地する。
「そうなんです?」
「そうだよ」
当然のように潜んでいるな。まどか。
どこから話を聞いていたのか分からないけれど、いつものラフな格好よりはしっかりとした服装でカジュアルではあるが真面目そうな雰囲気になっている。多少気を使ってくれているようだ。
少し気になったのは目の周りが赤く腫れていることだ。
俺や一色の目線に気がついたのか、まどかは目元を抑えて微かに笑う。
「あ、埃っぽいところにずっといたせいで目を擦っちゃって」
「んぅ……目薬ありますよ。持ってきましょうか?」
「もう差したから大丈夫ー。というか、久しぶり」
「今更だけど、なんで天井に潜んでいたんだ」
「趣味だよ」
「趣味か」
覗き趣味とかありそうなんだよなぁ、こいつ。
少し呆れていると、まどかは一色に言い聞かせるように話す。
「シキちゃんにはまだ分からないかもしれないけど、一方的な恋愛感情は……というか、恋愛感情というものは問題を発生させやすいから、色々気をつけないとダメなの」
「は、はぁ……」
「……一色にも分かりやすく言うと、恋愛感情によって起こるのはセロトニンの不足とドーパミンの異常分泌だ。セロトニンの不足というのは、強迫性障害の直接的な原因でな。そうなると異常な強迫観念に駆られる」
「えっと……」
「浮気するはずがないと分かっていても、一緒にいないと誰かに盗られないか不安だとか、好意が離れていってしまうのではないかという強い不安に付き纏わられることになる。ドーパミンは強い依存性のある快楽物質だ。つまり、恋愛感情というのは、常識の範疇を超えて強迫的にしつこく相手を追い求めることだ」
「な、なるほど。まぁ、分からなくはないですが」
「依存と強迫というのは、本当にヤバイぞ。どちらかだけでも抜け出すのは困難だというのに、それらが複合してやってくるんだ。最悪死ぬ」
「死ぬんですか!? 恋すると!?」
古今東西色恋沙汰で人死が出るのは珍しくない話だ。
俺自身、一色がこうやって逃げないでいてくれるから問題ないだけで、俺から逃げようとしていればどうなっていたかは分からない。
俺は深く頷いた。




