episode:5-11【龍心あれば水心】
一色を妹に紹介するに当たっての問題は、第一に一色がちゃんと本名である軽葉流華を名乗れるか、というところから始まる。
俺から呼ばれる、あるいは普段使いするときの名前としてはペンネームである岸井一色を使い続けるらしいが、親族となる妹にも使うというわけにはいかないだろう。
後々、一色の年齢を証明するために書類を見せる必要があるが、それが本名と違うとややこしいことになる。
俺は暦史書管理機構の中にある人が泊まれるスペースで一色と向かい合って座る。
「いいか、一色。一色は最高の女性だ。一色のことをよく知れば、どんな人間でも一色のことを好意的に見るだろう」
「そ、そんなことはないですよ」
「ある。だが、あくまでもそれは「よく知れば」だ。一朝一夕では人のことなんてまともに知れないし、第一印象が悪ければしばらくはそれを引きずることになる。別に妹相手に気に入られろとか、媚を売れなどと偉そうなことは言わないが、結婚の障害となる可能性は減らせるだけ減らしたい」
一色は俺の言葉を聞いて、真面目な表情でコクリと小さく頷く。
「一番反対される理由の原因になりそうなのは、年齢の問題だ。俺自身も成人したばかりで結婚するには早い年齢だが、一色はそれ以上に早い。それに実年齢以上に見た目が子供っぽいからな」
小学生並み……しかも高学年ではないと思われるぐらいだ。
「ん、化粧をしましょうか?」
「……やったことあるのか?」
「ないですけど、結局はお絵かきですよね。適当に大人っぽい顔の人を思い浮かべて……」
一色は鏡を見ることもせずに、水彩絵具を取り出して自分の顔に塗っていく。
俺が静止をするよりも早くに絵具が一色の顔に塗られていき、すぐに書き終えられる。
そこら辺で歩いていそうな顔のおばさんの顔が出てきてこちらを向く。
「どうです?」
「身体は子供なのに顔だけおばさんで怖い。というか、俺は一色の顔が好きだから、それはやめてほしい」
洗面所でタオルを濡らし、その濡れタオルで一色の顔を拭っていく。
「ん、んぅ……むぐぅ」
タオル越しではあるが、一色の顔に触れていることに緊張を覚える。
ゆっくりと息を吐きながら痛くないだろう力で拭いていく。
「まぁ、要は大人っぽい振る舞いをしたらいいんだ」
「大人っぽい振る舞い……」
「あまりバタバタ動かず、落ち着いた感じで、出来るか?」
「ん、了解ですっ!」
ビシッと一色は敬礼をする。瞬きする間もなく出来ていない。
俺はゆっくりと頷く。いや、まぁ……人には向き不向きがあり、仕方ないこともある。苦手なことがない人間なんて俺ぐらいのものである。
「まぁでも、化粧というのはありかもな」
「んっ」
「水彩絵具を手に持つな、置け。まどかあたりに頼んでみてもいいかと思ってな」
「あ、そうですね。時々、顔粉っぽいですし」
化粧を粉っぽいという表現はやめてやれ。まぁ年齢が年齢だけにかなり簡素な化粧だが、化粧をしているだけで大人っぽく見せるだけの能力はあるだろう。
いや、でも……そもそも肌が綺麗だからする意味がない気もする。
子供っぽい一色の顔には絶対に似合わないだろうし、というか一色の肌が見たいのにそれを隠すのは勿体ない。
「……まずは服装からか。その格好も可愛いと思うが、うん、可愛いな。とても可愛い」
「えっ、あっ、あの、話が続いてないです」
「ああ、えーっと、あれだ。もっとよくありそうな服装にするのもありかもしれない。あと、絵具は付いていない方がいい」
「んぅ……お店も空いてないでしょうから作りますか。あ、材料がないですね」
「明日の朝にでも買いに行くか。いや、前行ったとき、一色の身長に合うものだと子供っぽいのしかなかったな」
どうせ妹を誘い出すのはアトリエなのだから、アトリエの方に戻って一色が作るのが手っ取り早いか。それなら今のうちにデザインを決めることも出来る。
そのことを一色に伝えると、彼女はスケッチブックを取り出して俺の前に置く。
「んぅ……どういう服がいいですかね」
「まぁ、落ち着いた服装がいいだろうな。夏場だが普段通りあまり肌や身体のを出さないような感じで。かつ女性らしい感じなのがベストか」
「んぅ……と、なると、ロングスカートみたいな感じでしょうか」
一色はスケッチブックに服を着ている少女の絵を描いていく。
俺の見ている向きに合わせてだろう。俺から見て絵の上下が合っているように絵が描かれていく。
「……反対向き側からよく描けるな」
「んぅ……?」
一色は不思議そうに首を傾げる。やっていることは無茶苦茶だが、一色は可愛い。
「一色が着てる絵じゃないんだな。自分が着ている絵の方がいいんじゃないか?」
「ん、んぅ……そ、そうですね」
一色はゆっくりとスケッチブックをめくり、色鉛筆で絵を描こうとして……ほんの少し、その指先が震えていることに気がついた。
「やっぱり明日の朝、デートしよう」
「えっ、あっ」
一色の手を上から握り込んで。色鉛筆を取り上げる。
ホッと安心したような、不思議そうな表情を浮かべた一色は目をパチパチと瞬きをさせて薄桃色の唇を微かに動かす。
「えっと、でも……」
「いやか?」
「い、いやじゃないです。楽しみですけど……その、アキトさん、いつも僕の自画像を欲しがっていたので……」
「一色本人が手に入るならそこまで重要じゃない」
一色は顔を赤くして照れ、おさなげな顔を俯かせる。
以前、【連作:シンリュウ】を取り返す手伝いをする報酬として一色の自画像を要求したときは、それほど困っていた様子もなく頷いていた。
単に今まで自画像を描いたことがなかったから描けないことが分かっていなかっただけなのか……それとも……。
パシャリ、と一色にスマホを向けて写真を撮る。あまり写真を撮ることはなかったが、最近のスマホの性能のおかげか可愛らしく撮れた。
「えっ、あっ、ど、どうしました?」
「いや、なんとなく。別に自分の姿が映るのが嫌ってわけじゃないんだよな」
「そ、それはそうですけど。突然はちょっと……その、変な顔とか、してませんか?」
「大丈夫だ。約束の自画像、これでいいぞ」
「えっ、いえ、そ、それは……その、約束は、守りたいです」
一色は迷ったようにそう言う。
「……じゃあ、適当に点を三つ描けば人間の顔に見えるらしいから、それでいい」
「……あの、気を遣ってもらわなくても大丈夫ですよ? あまり、じ、自己紹介の練習でしたよね! ちゃんと戸籍の方の名前を名乗りますよ!」
一色はわざとらしく元気そうに腕をパタパタと動かす。
「あっ、な、名前なんでしたっけ?」
「妹か? 紅葉だ。時雨紅葉」
「あっ、もみじさんって言うんですね。そ、そうじゃなくて、僕の方の名前です」
なんで覚えていないんだよ。
「……軽葉流華だろ」
「あ、そうでした。ん、ごほん」
一色は声を整えて、俺の方に目を向ける。
「はじめまして、軽葉流華です。よろしくお願いします」
相変わらず綺麗な声だ。
一色はまるで普通の少女のように振る舞い……もしかしたら、絵描きをせずに普通の高校生として生きていた人生もあったのではないかと俺に思わせた。
たらればに意味はないけれど、俺はゆっくりと彼女が普通の生活をしている姿を思い浮かべる。
「んぅ……どうかしましたか?」
「いや、もしこんな同級生がいたら、学校とか楽しかっただろうな、と思っていただけだ」
いい子だから、みんなから好かれている人気者だったことだろう。普通であることがいいこととは考えていないが……一色の今は、本当に幸せなのか考えてしまう。
……無理矢理でも結婚しようとしている俺が考えられるようなことじゃないか。




