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episode:5-9【龍心あれば水心】

 暦史書管理機構に着いたのでそのそのままセーラの研究室に向かう。

 一色がくたびれた様子をしていたが、流石に報告やら何もなしというわけにもいかない。


 研究室をノックすると、急いで駆け寄ってくるような音の後、勢いよく扉が開かれる。


「ヨミヨミっ! アキトくんっ! シキちゃん! 無事で良かった! 本当にごめんねっ!」


 血相を変えたセーラの顔が見えたが、直ぐに俺たちの顔を見て安心したように血の気を戻していく。

 よほど急いで出てきたたのか普段の白衣姿ではなく、着替えの途中のような格好。上は前留のパジャマのボタンを外し、下はパジャマの薄手のズボンが半ばずり下がって薄い桃色の下着が見えているような姿だ。


「いや、心配してくれていたのは分かるが、ちゃんと着替えてから出ろよ」


 ヨミヨミさんが呆れたように言い、一色は何を警戒してなのか「しゃー!」と威嚇する。


「えっ、あっ、めんごめんご。着替えるからちょっと入って待ってて」


「いや、着替えるなら外で待たせろよ。多少は気にしろ」

「やん、ヨミヨミ気になっちゃうの? えっちー」


 ヨミヨミは無言で扉を閉じる。


「……なんか悪い」

「いえ、悪いのはセーラなので」

「……アキトさん、変な目で見てないですよね」

「ヨミヨミさんじゃあるまいし」

「俺に振るな、俺に」


 なんであんなに美人なのに、あそこまで残念なのだろうか。恥じらいがないからだろうか。いや、酒癖が悪いからか、性格が悪いからか。ともかく言動のせいだろうか。


 そんなことを考えているうちに扉が開き、いつも通り薄手のパジャマのような部屋着の上に白衣を羽織っているセーラが出てくる。


「いやー、お待たせ」

「ボタン掛け違えてるぞ」

「あ、本当だ。急いでたから」


 ボタンを外して直していくセーラの隣を通って部屋の中に入る。なんかもう遠慮するのが面倒くさい。


「はぁー、んで、セーラ、色々言いたいことはあるが、着替えをしていたってことはどこかに用事でもあったんじゃないのか?」


 俺が尋ねると、セーラは椅子に座り猫のようにだらーっと伸びをしながら首を横に振る。


「いや、思ったよりも戻ってくるのに時間がかかってたから、ヨミヨミのパパにでも掛け合って人手を借りようかと」

「ああ、案外ちゃんと心配してくれていたのか」

「ヨミヨミパパに協力を申し出る活動、略してパパ活ってやつをしようとしてだね」

「俺の感謝を返せ」

「人の親の風評被害を生まないでくれ」


 二人でツッコミを入れると、セーラは安心したように小さく微笑む。


「アキトさん、パパ活ってなんです?」

「一色は知らなくていい」

「まぁ、ヨミヨミパパに人手の援助をお願いする交渉、略して……」

「とりあえず、もう用はなくなったんだな」

「略して……なんです?」

「一色は知らなくていい」


 セーラの言葉に呆れつつも、昼頃にヨミヨミを呼んでから六時間ほど、移動の四時間を除けばあちらで活動していたのは二時間ほどで、かなり手早く出来ていたはずだ。

 ヨミヨミならもっと早くどうにか出来るという信頼もあったのだろうが……よほど心配していたことは事実なのだろう。ほとんど下着姿だというのに慌てて出てきたぐらいだ。


「あのさ、なんていうか……本当にごめんね、読めてなかった」

「いや、それはいい。詳細は後で話すが、相手の考えが浅すぎて読むとか読まないとかの話じゃなかっただけだ。実際のところ、ほとんど危険な目には遭っていない」

「あっ、そうなんだ。敵とは会わなかったんだ」

「いや、会ったけどヨミヨミさんが一蹴した」

「あー、んー? あっ、ヨミヨミの方を追ってアキトくんを探したのか」


 結論にたどり着くのが早いな。まぁ推測出来る程度の情報は話したが。

 一色はセーラを警戒するように俺の隣にぴったりと引っ付くように座り、ヨミヨミは手慣れた様子で研究室に置いてある冷蔵庫に向かう。


「まぁ、それはどうでもいい話なんだが、本題はこれだ」


 俺は持っていた布に包まれた絵を取り出すこともせずにセーラの前に置く。


「完成した一色の絵【傷のある手】。捉えた五人の異能力者に見せたが、全員の異能力が「巨大な透明な手が自身を押さえつける」能力に変わった」

「えっ、もう人体実験したの。アキトくん怖い」

「絵を見せただけなんだから人体実験じゃない」

「まぁいいや。ちょっと見せてみそ」

「いや、だから異能力者が見たらやばい絵だと……おいっ!」


 俺の制止を聞く様子もなくセーラは俺たちに見えないような角度で一色の絵を見て、目を見開く。あの男たちと同じような反応になるかと思ったら、セーラはそのまま目を細め、片目を押さえながら絵を見続ける。


「はー、なるほど、んー? これは……あー、こういうことかー、ほー」

「だ、大丈夫か?」

「まぁ毒ってわけでもないしね。すごい絵ってだけで。片目で見て視界を狭めて、可能な限り平常心で、口の中を噛みながら、ヨミヨミのエッチな視線を気にしてたら何とか泣きそうなほど感動する程度で済むっぽい。これ以上見たらヤバイ気がするけど、目が離せないからちょっと布とか掛けて」


 言われた通り絵に布をかけて、セーラから絵を引っ剥がす。


「あー、これはすごいね。納得、確かに事前に心構えをせず直視したら価値観変わるだろうね。ん、というか、どれだけ注意しても私以外が見たら不味いかも」

「俺でもか? そういう精神に干渉してくるものに対しての耐性は高いと思うが」

「ヨミヨミは案外感受性が高いからチラ見でもアウトかなぁ。そもそも、そういう精神に干渉みたいな異能的な物じゃないしね。言ってしまえば単に絵が上手いだけ。当然、今は別のところにいる水元くんの異能力を無効化でも無効化は出来ないよ」


 セーラはそう言ってから何度も深呼吸を繰り返して、アンダーリムの眼鏡をゆっくりと掛け直す。


「影響は感受性の強さにもよるけど、基本的に数秒見た時点でアウトかな。ちゃんと記憶してしまうと永続的に続きそう。まぁ元の異能力にそれ以上の思い入れがあったら価値観が変化しても異能力にはさほど影響が出ないかもしれないし、遺伝的要因が強い能力にも影響が弱そう。龍人を直せるかは私には分からない……というか、シキちゃんなら分かるんじゃない? どっちの絵の方が完成度が高いとかって」


 セーラは一色に目を向ける。一色は少し戸惑いながら、首を左右に振る。


「……分からないです。どんな絵が好きかなんて、見る人次第ですから」

「つまり、龍人の絵には勝てないってことかな」


 一色の言葉をセーラはバッサリと切る。


「おい、セーラ」

「ん、でもそうなんでしょ? 普通の絵を見た普通の人は価値観が変化したりしないよ。シキちゃんの優れた絵だから変化したのなんて、シキちゃんだって分かってるはずだし、濁すってことは自信がないってことだと判断するよ」

「それにしても言い方というものがあるだろ」

「……いいんです。事実ですから」


 一色は俺の服の裾を摘み、悔しそうに口元を歪める。


「可能性はあります、でも、分は悪いです」

「おけおけ、充分充分、十二分。可能性が1%でもあるなら試す価値はあるし、色んな種類のを描けるなら1%でも100枚あれば100%だ」

「1%を100回やっても63%ぐらいだ」


 セーラの言葉にヨミヨミが突っ込む。が、セーラの言うことも確かだ。ほんの少しでも可能性があるのなら、ひたすら試行回数を増やせばどうにかなる可能性はいくらでも上がっていく。0.1%でも、0.01%でも、絵を大量に用意することさえ出来れば目的は達成出来る。


 まぁ……一色の速筆でも、本気の力作には数日かかるうえに、一色自身の強い感情が必要なので、そんなに簡単な話ではないが。

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