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episode:4-18【甘ったれ龍を穿つ】

 俺は特別優れた人間というわけではない。同年代の人と仲良くすることができず、いつも一人でいたのは……きっと、性格のせいだろう。


 一色に対しても優しいというか……ストーカー気質なだけなようだし、一色がいい人だから仲良く出来ているだけだ。

 ……他の男の方がよほどマシなことに気が付かれる前に結婚しないとな。


 そんなことを考えているうちに目的の水族館に着く。

 子供は夏休みの時期だが、平日なのもあってそれほど混んでもいない。


 外に比べてひんやりとした空気が心地良い。水族館に来たのなんていつぶりだろうか。

 ……あれ、来たことはある気がするが、記憶が薄すぎていつなのかが判別出来ない。これほど記憶が曖昧ということは、就学以前だろうか。


 一色はテンションが上がっているのか、キョロキョロと周りを見渡しながら俺の手を引く。


「行きましょう! 全制覇を目指して!」

「水族館ってそういうものだったか?」


 一つ目の水槽にたどり着いたと同時にスケッチブックを取り出して、パーカーのフードを被る。

 高速で絵を描きあげたと思ったら、スケッチブックをめくって続け様に二枚目を描いていく。


 どうやら水槽の全体図だけではなく、生き物一匹一匹に注目した絵で別に描いているらしい。

 普段の絵の具で描いているのよりも早いが、これは……結構な時間がかかりそうだ。


 一色の顔から楽しそうな表情は既になく、使命感に駆られたような顔つきで絵を描いていく。


 鉛筆を横にスライドさせながら描いていく姿は、もはや人間ではなく印刷機やコピー機のようですらある。

 いや、もう真面目に人間が行う作画方法が完全に白黒写真を印刷するときのやつだ。


「一色って、時々人間を辞めるよな」

「えっ」

「いや、すごい描き方をしているな、と思ってな」


 人間に可能なことならおおよそ真似が出来るつもりだったが、これは絶対に真似出来ないと確信出来る。


「んぅ? そうですか?」

「一色以外の人類には無理だろうな。あ、邪魔して悪いな」

「いえ、邪魔とは思ってないですよ。えっと、あの、もしかして退屈だったりしませんか?」

「大丈夫だ。俺は俺なりに楽しんでるよ」


 水槽を泳ぐ魚を眺めたり、一色の描いている絵を見たり、一色の可愛い顔を見つめたり、楽しいことは多い。

 人よりも幾分か知識は多いと思っていたが、こうして本物を眺めるとやはり新しく感じることはある。


「……」


 じっと水槽を眺める一色の表情は真剣そのもので、美しいと感じる。喜んでいるようだし、来てよかった。

 一色が絵を描いているのを見ながら歩いていく。


 子供のような彼女がスケッチブックを広げて絵を描いているのは他の人から見ても微笑ましいのか、微笑ましそうに笑っている家族連れがチラリと一色が描いている絵を一瞥し、二度見し、何度も瞬きをしてから目を擦って去っていく。


 幻覚だとでも思ったのだろう。


 休まず絵を描いていた一色の手が突然止まりパッと俺の方に顔を向ける。


「疲れました」

「あー、中にある喫茶店とかで休むか」

「んぅ……でも、このペースじゃないと今日中に回れませんし……」

「また後日来ればいい」


 それでも渋る一色に「俺も少し疲れた」と言うと、パッとスケッチブックを鞄に片付ける。


「す、すみません。休憩しましょうか」

「ああ。悪いな」


 喫茶店に入り、アイスコーヒーを注文する。

 向かい合うように席に付いて、ゆっくりと息を吐く。


「また来たらいいだけだから、焦らないで大丈夫だぞ」

「ん、んぅ、でも、アキトさんはつまらなくないですか?」

「俺から誘ったのに、つまらないわけないだろ」

「あの、僕に合わせてくれたのかと……」


 まぁその通りである。


「それに、僕、ずっと絵を描いてましたし、その……よく考えると、良くなかったなって」

「……どうした?」

「自分の行動を鑑みて、アキトさんにご迷惑ばかりかけていると……。厚意に甘えすぎてることに気がついて、その……」

「俺は割となんでもはっきりと言う性格だと思うが」

「……強がりさんで、ずっと僕に気を使ってる人じゃないです?」

「そんな奴が突然プロポーズなんてするか」


 一色は少し考えた後に小さく頷く。


「確かにです」


 納得されたらされたで少し悲しくなった。

 少しゆっくりしていると、一色の手からコーヒーのカップがことりと落ちるように置かれる。そのままくりくりとした目がパチパチと瞬きを繰り返した。


 一色の妙な仕草はいつものことだが、それはあまりに唐突で予兆がなかったために少し驚く。


「あっ」


 と、一色が声を上げて、突然電源が落ちたかのように動きが停止する。瞬きを繰り返していた目が開いたまま止まり、呼吸すら感じられなくなる。


「……一色?」


 俺の問いに答えることはなく、端正な顔立ちも合わさってまるで人形が椅子の上に座っているかのように錯覚してしまう。


 よく出来た人形と見紛いそうな姿。ジッと俺を見続ける一色の目があまりに綺麗で見つめ返してしまった。


 長い睫毛、汚れのない白目と、くりくりとした大きな黒い瞳。強膜……白目すらも美しいと感じるが、それ以上に目を引くのは、やはりその黒い瞳だ。

 宝石を思わせる美しい虹彩。…………その奥の瞳孔が、酷く強く、俺の心を揺さぶる。


 宝石よりも美しく、ずるりと脚を引いてくるような魅力がある。その美しさを例えるのならば、何が適切なのだろうか。

 宝石は、違う。煌びやかなだけじゃない。獣の瞳、そんな気高いだけじゃない。


 少し言葉を模索して、水の跳ねる音を聞いて思い当たる。

 ああ、夜の海だ。それに似ている。

 美しく、けれどそれ以上に恐ろしく、けれどそれ以上に美しく、けれどそれ以上に恐ろしく、けれどそれ以上に美しい。


 見ているだけで身体ごと引き込まれるような、得体の知れない美しい黒色。彼女の目は、それによく似ていた。


 手を伸ばしてしまえば、得体の知れない何かに引きずり込まれるのではないかという、現実的ではない悪寒に支配された体がすくむ。


 夜の海を思わせるような、底知れない才能の発露。家族連れが多く、落ち着きのない騒がしい店内が嫌に静かになっていく。


 一色が何かをしたわけではない。それどころか、彼女がその異様な空気の原因であると気がついている人物は誰一人としていない。


 けれど、確かに、その場にいた者は一言の口すら聞けずに、音を立てることなく時間が過ぎるのを待っていた。


 突如として発生した静寂。


「どうした、一色。突然黙って」


 俺は一歩、夜の海に脚を浸けた。あまりに静かになった店内を破ったつまらない問いに一色は反応を示す。

 瞬きをしていなかったから乾いたのか、少し痛そうな仕草をする。

 俺はコーヒーに口をつけながら一色の言葉を待つ。


「あの、僕、アキトさんの赤ちゃんを産みたいです」


 人が多いのに、嫌に静かだった店内。さして大きい声わけでもない一色の声は、何かの音にかき消されることもなく店内に広がった。

 コーヒーが気管に入り込み、思いきり咳き込む。


「いや、えっ、一色。待て、それ、間違いなく勘違いを受ける言葉だからな」

「えっ、何がですか?」


 一色のような少女が目が渇いたせいで出た涙を拭きながらそんな言葉を口にしたら、何も知らない人からすると、間違いなくとんでもない勘違いを生むだろう。

 よく聞こえないが、周りの人からヒソヒソと何かを言われているような気がするのは気にしすぎだろうか。


「……一色、とりあえずここから出るか」

「えっ、あっ、はい」


 一色がこれ以上余計なことを言わないように、この場から離れることにする。

 なんであんなに威圧感を出していたんだ、こいつ。

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