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episode:4-9 【甘ったれ龍を穿つ】

 一色の寝顔はいい。とてもいい。柔らかそうな白い頬をつつきながら、俺は満足感を覚えて頷いた。

 まつげが長い。肌が白くシミがない。形の良い輪郭に、いやらしさのない幸せそうな口元。


 ……かわいい。と、頰を緩ませてしまう。


 一通り満足してからまた元の書斎に戻り、本を手に取る。

 やはり異世界らしいもので、他のラインナップと比べても異様なものだ。

 とりあえず、と、セーラのスマホに電話を掛けると、かなり長時間待たされてからセーラの悪びれもしない声が聞こえる。


『おーっす、どしたのアッキー』

「セーラ、お前って異世界の文字って読めるか?」

『んー? 異世界って言っても色々あるからねー。異世界の中でも国とか文化によって違うから、なんとも。どうしたの、急にさ』


 物によっては読めるのかよ。と、驚愕や敬意よりも先に呆れが出てくる。


「一色の家で異世界の言語だと思わしきもので書かれた生物に関しての本を見つけた」

『あー、なるほどね。でも、シキちゃんの家にあったんだったら、シキちゃんが書いた本とかじゃないの? 一年も過ごしてたら多少は覚えるでしょ』

「文字から察するに著者は左利きだが、一色は右利きだから違うな。それに、一色の持ち物じゃなさそうだ」

『うーん、希少なものっぽいけど、コロンシリーズじゃない本はこっちの管轄外だしね。すぐに役に立つものってわけでもないんだったら、重要性は低いから解読するにしても後回しかな。アキトくんって未解読文字の解読って得意だっけ?』


 そんなもの得意な大学生がいて溜まるか。ただの表音文字だから素人でも時間をかければ可能かもしれないが、それだけで何年もかかりそうだ。


「いや、やったことないな」

『こっちには専門家もいるし、シキちゃんの受諾があったら解読を引き受けてもいいけど。そっか……異世界の本か』


 俺は電話越しでセーラが見えないのは分かりつつ頷く。


「ああ……今まで不自然だった事態のつじつまが合う」


 つじつまが、合ってしまう。

 一色は天才だ。だが、天才であるのと同時に無名でもある。一色は絵を発表するようなツテも知識もない。

 もし少しでもそういうことが出来たのならば、俺が知らないはずがないほどの有名な画家となっていただろう。


 完全な無名の画家である一色が……どうやって異世界に連れていった連中に見つかったのか。前々から違和を覚えていたが……そもそも、義父と異世界の連中が繋がっていたのならば納得だ。

 それ用に作って、それ用に使った。それだけの話になる。


『えーっと……』

「一色には秘密にしていてくれ。本人に伝えるには酷だ」

『うん。分かった』

「……問題は、なんでこんな物を放置していたのか、か」


 幾ら一色が変人だと言っても、一色にこの本が見つかる可能性は充分にある。俺のようにこの世界の本ではないと気がつくことはないだろうが、異世界に行った際に気がつくだろう。そうすると、利用されていることに気がつくはずだ。


「……逆か。一色が異世界に行ってから……この部屋に置かれたのか」

 

 そうすれば連作【シンリュウ】の絵は問題なく手に入る。だが、それは何のために置いたのか。

 答えを得るのは簡単だ。一色に絵を見せてその反応を見ればいい。そうすれば、置いた理由は一目で分かるだろう。


「そんなことをするわけにはな」

『ん、一人で考え込まないでよー』

「悪い。昨日の奴はどうだった?」

『おおよそアッキーの想像通りだったよ。手袋を操ってた人とは別で、まだ何かは分からないけど別の能力を持ってそう』

「……やり方が強引なのか、駆け引きをしてきてるのか分かりにくい相手だな。こちらを下に見ていることは分かるが。引き続き頼んだ」

『了解。そっちも頑張れ。恋愛相談なら乗るよ?』


 その言葉を聞き、昨日の夜添い寝をしたことを話そうかと思って、やはりやめておくことにする。作戦上必要不可欠というわけでもないし、無闇にバラすようなことでもないだろう。


「……セーラって乗れるほど恋愛経験があるのか?」

『あっ、ヨミヨミが呼んでるからまたね』


 逃げられた。スマホをポケットに戻して本棚を見つめる。


「……とりあえず、一色が見つけないように隠すか」


 異世界の本が一色が異世界に行っている間に置かれたものと仮定して、一色はそれを見て何を思うのか。


 ……絶望感か。最高傑作を描き終えたと思えば、それは全て他人の掌の上のものだった。

 相手の狙いなんて分からない。とにかく俺は一色が幸せになるように動くしかない。


 とりあえず、他の本の後ろに隠しておく。日本語ではない本を一色が手に取ったりはしないだろうからこれでひとまずは大丈夫だろう。


 そろそろ一色が目を覚ましてもおかしくないと思ったので再び寝室に戻り、寝ている一色の顔を見つめる。


 一色は甘い顔付きをしている。顔を味覚に例えるのはどうかとも思ったが、整っているや美しいや可愛いといった言葉を使わずに表現するのならば、そう表すのが正しい気がする。


 変人ではあるが、自分のことを後回しにして人を助けようとするほどの人の良さが、そのまま顔付きに表れているかのように優しげな目をしていて、人の悪口を言ったりしない素直な口、人を安心させるほにゃりとした笑み……甘そうだ、そう思う。


 顔が美しいとか、技術が凄いというものがなかったとしても、俺はこの子に惚れていただろう。


 あるいは一色のような子が中学高校でクラスメイトだったりしたら、俺はここまで偏屈な性格にならなかったかもしれない。……いや、そうなったら一色がモテすぎて年がら年中嫉妬や独占欲で苛立ちまくりそうだ。


 一色には悪いが、学校に行っていなくて良かった。一色が学校に通っていたら、毎日のように他の男からアプローチを受けていたことだろう。


 ふにふにと頰を突いていると一色の身体がよじれて布団が横にズレる。俺はそれで手を離したが、布団がズレて白い腹が外気に晒されたからか、一色はパッと目を開けて、俺と目を合わせる。


 一瞬、惚けたような顔をしてから、バッとパジャマの裾を引いて腹を隠す。

 赤らめた顔を再び俺に向けてから、一色は恥ずかしそうに唇を小さく動かした。


「お、おはようございます」

「ああ、おはよう。もう昼過ぎでかなり遅いけどな」


 もじもじとベッドの端にある掛け布団を身に寄せて、顔を赤くしながら小さく頷く。

 まどかのパンツは容赦なく剥ぎ取ろうとするのに、自分は腹が見える程度で恥ずかしがるのか。


 いや、この場合は一色のことを性的な視線で見ている俺がいるからだろうか。


「えっと……どうします?」


 一色は布団で身体を隠したままベッドの上にぺたりと座り、こてりと首を傾げて俺に尋ねる。


「とりあえず身支度をして、外で何か食ってからスマホでも買いに行こう」

「あ、はい。分かりました」

「保険証とか身分証の類は持っているか?」

「い、いえ、どこかにはあると思いますけど、僕にはちょっと分かんないです」

「あー、じゃあ、俺の名義で契約したらいいか」


 少しでも一色との繋がりが増えたら嬉しいので、俺としてもそちらの方が都合がいい。


「……そういえば、一色って本名じゃないよな?」

「……えっ、違うんですか?」

「いや、一色って名前、義父が付けたと言ってただろ。本名は本名であるはずだ」

「えっと、本名が別にあったら、スマホって買えないんです?」

「俺の名義で契約するからそれは問題ないが……。一色って本気で自分の名前を知らないのか?」


 一色は難しそうに頷く。


「えっと……幼い頃、お母さんには別の呼ばれ方をしていたような気がしますけど、あんまり覚えてないです」

「……まあ、別にいいか。その家に家事をしにきてくれる人なら知っているかもしれないから、その人が来たら聞くか」


 一色を困らせたりしないようにそういうと、彼女は小さく頷いた。

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