episode:4-7 【甘ったれ龍を穿つ】
支払いを済ませてコンビニから出ると、一色がすぐに立ち止まって俺に向かって「んっ」と手を突き出す。
「どうした?」
「えっと、アキトさん、怪我してるんですから、僕が持ちます」
一色は当然のようにそう言って、パッと俺の手からレジ袋を取る。
好きな女の子に荷物を持たせるのは憚られたが、無理に取って一色に怪我の心配させるのも良くない。
合計で1キロもなく、そんなに重くないはずなのだが一色は胸の前で両手を使ってレジ袋を持つ。
「大丈夫か?」
「んぅ、問題ないですよ。流石にそこまで貧弱じゃないです。アキトさんが炭酸飲料を買っていたので、揺らさないようにってしてるだけです」
「いや、気にしなくて大丈夫だぞ。それぐらい」
そんなに丁寧に持つものでもないだろう。そう伝えるが一色は使命感に満ちた目で首を横に振った。
「いえ、僕はやり遂げます。アキトさんの買った炭酸飲料を可能な限り揺らさず家まで運んでみせます」
「……いや、そんなにこだわらないんだけど」
一色は「ふんす」とばかりに気合を入れて歩きはじめ、すぐに段差で躓いて転けかけて、俺が一色の身体を支えてなんとか倒れずに済む。
ガシャ、とレジ袋が地面に落ちるが、一色には怪我がないだろう。
一色の身体をゆっくりと元の位置に戻して、レジ袋を拾う。
「段差があるから気をつけた方がいいぞ」
「あ、ご、ごめんなさい。その、落としちゃって。そ、それに怪我、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
何か一色からいい匂いがすると思いながらゆっくりと一色から離れて歩く。
「あ、そ、そういえば、あっちはどうなったんでしょうか。色々大変だったんですよね?」
「連絡が来てないから、上手くいってるんだろうな」
「そうなんですか?」
一色の言葉は少しズレたようなものが多い気がする。
軽く頷いて、心配の必要はないと告げた。
家に戻り、机の上にレジ袋を置く。
今更だが、コーラとおにぎりって合わない組み合わせを買ってしまった。一色もコーヒーとおにぎりだが、一色からしたら合う合わないはあまり関係がないだろう。
おにぎりの包装を外してやり、一色に手渡す。一色は小さな口で小さく啄ばむようにおにぎりを口に含めてもぐもぐと口を動かす。
嫌という様子はないが、どことなく作業的な行動に見える。
美味いかどうかを聞こうとして、その言葉を飲み込んでから、一色に続くようにおにぎりを食べる。
もぐもぐと口を動かしている一色が可愛らしく、ついつい見つめていると、一色はおにぎりを飲み込んでから、口元を手で隠しながら話す。
「あの、見られてると食べにくいです」
「悪い。……寝れそうか?」
「ん……その、やっぱり、その……まだ、その……」
「まぁ、寝れるまでは一緒にいてやるから」
一色はパッと顔を上げる。
「ほ、本当ですか!」
「……ん? ああ」
◇◆◇◆◇◆◇
一色のためだ。一色のためである。これは、あくまでも。
一色はベッドの上で身体を緊張で強張らせながらぎゅっと目を閉じて俺が来るのを待っている。
薄い照明も相まって、まるで一色とそういう行為を及ぶ前のような光景にも見えてしまい……一色にバレないようゆっくりと深呼吸をして緊張を落ち着ける。
ベッドに脚を乗せて、ゆっくりと体重を掛ける。いや、そんなゆっくりと動く必要はないのだと分かっているが、どうしても意識しすぎて早く動くことは出来ない。
少女の甘い匂いを感じながら、ベッドの上に乗って、一色の上に腕を乗せるようにして、彼女と向かい合って横になる。
心臓の音が嫌に響く。一色の腕も俺の上に乗り、抱き合いような格好になってしまう。
「……一色、これで寝れるか?」
「……抱きしめてください」
ここまでしておいて、それはダメと言えるはずがない。
一色の背にまで腕を伸ばし、一色の身体を引き寄せながら自分も一色の方に寄る。
一色の胸と俺の胸が触れ合う。幼いながらも薄く付いている脂肪の感触。
背中に回した手が……一色の薄いパジャマの中に何も付けていないことを見つけ出してしまう。
いや、流石にそんなことはないだろう。と、背中をさするフリをして探るが、パジャマの下に布の感触や紐の感触がない。
「く、くすぐったいです」
「……悪い」
止めた手から一色の心臓の音が伝わってくる。
……緊張しすぎていて頭がぼうっとしてきた。
「えっと、傷、痛くないですか?」
「ああ、大丈夫だ」
一色が潜り込むようにして、自分の頭を俺に押し付ける。
「眠れるか?」
「眠れないです。でも、怖くはなくなりました」
なら大丈夫か。
一色と触れ合っているとやましい感情が湧き出てくるが、それを表面に出さないようにそっと身体を寄せる。
彼女は子供だ。実際の年齢よりも遥かに身体や顔つきは幼く、それ以上に心が幼い。
だから、こういう彼女が不安になっているときは……俺が抱いている恋愛感情は隠して、父や母のように接してやらなければならないだろう。
心臓の音がうるさい。頭ではそうしようと思っていても、だからといって身体が素直に従ってくれるはずもない。
俺が一色の心音を感じているように、一色にも俺の音が聞こえているだろう。
けれど、その音を知らないように、トントンと一色の背を叩く。母が幼児にするようにそうする。
心臓の音がうるさい。拍動が強すぎて、傷跡が痛む感覚すらある。
早く寝てくれれば……そうは思うけれど、一色は俺の服をぎゅっと握ったまま離そうとせず、心地が良さそうに俺に身を寄せている。
心臓の音がうるさい。俺は一色に同情を寄せている。なまじ才能があったばかりに……否応無くそればかりをやらされていて、この歳でも幼児のような心が残っていることをかわいそうに思っている。なのに、心臓の音がうるさい。
恋愛感情なんてロクなものじゃない。ただ大切な人に優しくしてやりたいと思っているだけだというのに、そこに不純な思いが湧き出てくる。視線を落として一色の顔を見る。
上目遣いで俺を見つめていた。
くりくりとした瞳、白くシミやシワのない肌、形の良い鼻筋に、薄い桃色の唇。
心臓の音がうるさい。目を奪われるような容姿、心を掴んで離さない声。キスをしたい。
安心しきっている一色の身体を押さえつけて、襲いかかるように少女の何もかもを奪いさってしまいたい。
ふっ、と息を吐き出す。
だからあれだけ一色に一緒には寝ないと言ったのに、下手に折れるからこんなことになる。
あまりにも騒がしい心臓の音を差し置いて、変に冷静になってきた。心臓がうるさいのは仕方ないとして、だからといって手を出す理由にはならない。
せっかく、よく分からないがいい感じの雰囲気だというのに性欲に負けて、そのせいで嫌われるのは馬鹿らしい。
今は我慢のときだ。俺は一色と愛を育んで、交際して恋人になり、そして結婚するのだ。一生、一色を俺の物にするため……今は何があろうとも一色に嫌われるようなことをしてはいけない。
気合いを入れ直して、一色の身体をぎゅっと抱き寄せた。
胸の感触がする。……俺はもう無理かもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇
ああ、眠い。やり遂げた達成感などない。やり遂げたというか、やり遂げなかったのだから当然である。
窓の外に見える朝日を眺めながら、やっと寝てくれた一色から手を離す。
予定がズレにズレた。十時ごろにここを出て一色のスマホを買いに行き、昼からは動物園に行く予定だったが、今から寝ても四時間ほどしか眠れないだろう。
完全に疲れきっていたことを思うと、今から寝たら最低でも六時間は目が覚めないだろう。
というか、完全に疲れきっていたのになんで俺はこの時間まで寝ていないんだよ。
まぁ、徹夜で寝不足の一色を連れまわすわけにもいかないので、予定を大幅に変更して……今日は目が覚めるまで寝て、どこかの飲食店で昼食を済ませて、俺の服や日用品、一色のスマホを買って帰ろう。
当然、好きな女の子の隣で眠れるほど図太くはないが、またソファの方に行ったら、起きた一色が不安がるかもしれない。
一色の上に掛け布団をかけ、ベッドから降りて床の上に寝転がる。
これでよし、一色に何か聞かれたら寝相が悪くて落ちたと言い訳すればいい。
◇◆◇◆◇◆◇
これは夢の中だ。
手足が自由に動かない。目の前で顔のない男性が、顔がないのに不思議と満足そうな表情を浮かべながら筆に絵の具を付けていた。
ぺたり、ぺたり、と僕の顔を塗っていく。 ぺたり、ぺたり、と、僕の身体を描いていく。
ああ、僕はキャンバスの中の絵なのだ。
これは夢の中だけれど、夢であるのと同時に現実よりも現実をしている。
突然、僕のことを「好き」と言って守ってくれる、とても頼りになってカッコいい男の子が現れるのよりか……ずっと現実らしく見える。
僕は絵を描く絵なのだ。
この目はモチーフを見つめるためにあって、この手はそれを描くためにある。そこに僕の意思は介在していない。
才能がある。目がとても良く人間の色彩感覚の限界値。絵が上手い。集中力がある。技術に優れている。
キャンバスの外にいる男性が、そんな色の絵の具を筆に付けて丁寧に僕を描いていく。
よく見る夢だ。この夢を見るたびに思い出させられる。僕は絵を描くために生きていて、育っていて、そして死に向かうのだ。
キャンバスの中の僕は、男が描いたように筆を手に取って、キャンバスの中にあるキャンバスに筆を伸ばす。
間抜けな姿だ。笑えばいい。
いつも通り、このまま絵を描いていれば目が覚めるはず。そう思って描いていると……いつもとは違うことが起こった。
足音がキャンバスの中を揺らす。繊細な絵の具の匂いではなく、雑なペンキの匂い。
原色ギトギトな赤いペンキの入ったバケツがキャンバスの外に見えた。
顔のない男を退かすように、彼は絵の前に来て……僕に真っ赤なペンキをぶちまけた。
キャンバスの外にいたはずの彼と身体が重なる。ベタベタの赤いペンキが、二人を繋ぐように服を湿らせていく。
ああ、僕は……きっとそうなのだろう。この時から、二人でペンキを被ったあの時から……どうしようもない、何も価値もない、そんな失敗作になることが出来たんだ。
「好きだ」
アキトさんが、僕を見つめてそんな言葉を口にする。
真剣そうな目が僕の顔を捉えて離さない。身体が抱き寄せられて、彼の顔が僕の方に近づいて……。
◇◆◇◆◇◆◇
「……いやらしい夢を見ました」
僕は自分の唇を撫でて、布団に潜り込んだ。




