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episode:4-4 【甘ったれ龍を穿つ】

 一色の脚が止まり、俺は一色の目線の先にある家を見る。

 薄々……少し遠くにいたときから感づいていた。住宅地と呼べる場所から離れていて、目線の先にある家以外に他に候補がない状況だ。


 一色はわざわざ絵を描くためだけに育てられていて……人の人生をどうにかしようとする人間が金持ちでないはずがない。


 一言で表せば、豪邸である。決して非現実的なものというほどではないが……例えば友人が『ここ俺の家なんだ』と言えば、まぁ俺は信じない。


 足を踏み入れるのにも勇気がいる家。それは好きな女の子の実家だからというわけでもないだろう。


「……えーっと、これ、本気か?」

「んぅ? はい、そうですよ」

「……思っていた十倍はでかい。というか、これどうやって維持してるんだ」

「よく分からないですけど、よく人に来てもらってます。義父が亡くなる前に色々決めてたみたいで……何がどうとか、全然分からないんですけどね」


 まぁ、個人で手入れをするのは不可能ということぐらいは分かる。


「使ってる部屋は二部屋ぐらいなので、あちらの方とあまり違いはないですよ」

「いや、あるだろ。喫茶店の居抜きのアトリエとはどう見ても違うだろ。これ、ドレスコードとかないよな?」

「僕の家になんでドレスコードがあるんですか……大丈夫ですよ」


 敷地に入る前、一色がカードのような物を機械にかざすと、ピッと音が鳴って鍵が開く音が聞こえる。家に入る前の、敷地に入るのですら鍵がいるのかよ。


 変に緊張してしまうが……プラスで捉えよう。これだけ家が広ければ、一色に手を出してしまいそうな時に適切な距離を取ることが出来る。


 またカードを翳した一色に続いて家の中に入り、玄関の大きさに驚愕する。だいたい俺の暮らしているアパートの部屋と同じぐらいである。

 もはやこのスペースで生活出来るだろ。 そんな中、一色は特に気に留めた様子もなく靴を脱いで、スリッパに履き替えたりもせずに中に入っていく。


 パチリと音が鳴り、明かりが付く。


「えーっと、お客さん泊めるところとかないんですよね。あるかもしれないんですけど、多分ないです」

「……なんで家の中を把握出来てないんだよ」

「興味がないので。んー、半年ぶりくらいに帰ってきたんで勝手が分からないです。アトリエの方は弄ってないはずなんですけど」


 家の中の構造が分からない理由に「興味がないから」は適切なのだろうか。日本語としてはおかしくない気もするが、理解は出来ない。


「あ、お風呂……アキトさん入れないですよね。何かタオルとか、濡らしてきたらいいですか? あと包帯の替えとか、消毒液とか……」

「場所分かるのか?」

「……うーん、何処かにはあると思うんですけど」


 一色はすぐそこに椅子があるのに、そのまま広いリビングの床に座り込んで首を傾げる。


「あ、ちょっと夜遅いですけど、家のことをしてくれてる人に連絡したら……あ、電話の位置も、電話番号も分からないです」

「よく生きてこれたな、今まで。別に適当に洗えば大丈夫だ。もう血も止まってるしな」

「……はい。 すみません、無力で」

「一色は今からどうする? 寝るのか?」

「とりあえずお風呂に入ろうかなぁと……あっ、タオルの置いてるところ思い出しました」


 一色は忙しなくパタパタと動き回る。血が固まって皮膚にへばりついている服をはがしながら、ソファに目を向けて……高そうなので触るのをやめておくことにする。


 戻ってきた一色はびっちょびちょに濡れて水が垂れているタオルを持ってきて、俺に手渡す。


「……ありがとう」

「いえ、えっと、必要なものとかあったら持ってきますよ」


 一色は俺の礼に気を良くしたようで、はにかむ笑みを浮かべる。

 とは言っても、一色は濡れタオル一つ渡すだけでこの惨状である。あとで床を拭かないといけないことを思うと、下手に頼んでもやることが増えそうだ。


「いや、とりあえずはいい。今日はさっさと寝て、明日何とかしよう」

「えっと、ならベッドがあるの、僕の部屋以外には知らないので、とりあえず僕の部屋にいって……」

「いや、流石に家主の寝床を奪ったりは出来ない」

「んぅ? 別に一緒に寝たらいいんじゃないですか?」


 時が止まるような感覚に陥る。

 この部屋に入ってから気にしていなかったが、どうやらこの部屋には時計が置いてあるらしく、秒針が動く音がよく聞こえる。


 ……何て言ったのだろうか。聞き間違えでなければ「一緒に寝たらいい」と、言ったように聞こえた。


 手に持ったタオルから落ちる水滴と、時計の針の音が俺を急かすように部屋に響く。

 一色は俺が突然止まったことが不思議なのか、こてりと可愛らしい顔を傾げた。


「どうかしましたか?」

「……いや、ダメだろ。あのな、一色……俺は一色のことが好きというのは伝わったんだよな」

「は、はい……」


 一色は恥ずかしそうに俯く。恥ずかしがる場所がおかしいだろうという思いは飲み込みつつ、濡れタオルで少し顔を拭く。


「それでな、男は好きな女と性的な行為をしたいと思っているのも理解してるな?」


 一色はこくりと頷く。


「襲われたらどうする」

「んぅ……? 誰にですか?」

「俺にだよ。俺に、一色が襲われたらどうするつもりだ。あのな、俺も普通に男なんだ」

「……えっ、いえ、でも、アキトさんが無理矢理そういうことをしようと考えていたら、同じ部屋とか関係なく、僕にはどうしようもないと思うんですけど……」


 一色は困ったように言う。


「幾ら怪我をしてると言っても、僕よりも体力も力もありますからその気になった瞬間に捕まえられますし、僕の小さな声だと、周りの家も遠いから助けも求められないですし」


 否定出来ない。いや、当然そんなことはしないけれど、俺が襲うつもりだったら、一色を手篭めにすることは難しくないだろう。だが、そう言う問題ではなく……。


「……いや、確かにそうだし、しないけどな。そういう問題じゃなくな……同衾はダメだろ」

「そういうものですか?」

「そういうものだ。とりあえず、そこらに転がって寝るかソファで寝るかするから、一色は普通に自分のベッドで寝ろ」


 一色は不思議そうな表情をした後、小さく頷く。


「えっと、欲しいものがあったら呼んでくださいね。僕、画材とか見てきて、ついでに絵を描いたりしてきます」

「ああ、根を詰めすぎないようにな」

「あっ、そのタオル、血が落ちなさそうなら捨ててくださって結構ですからね」

「ああ」


 これ、びしょ濡れで分かりにくいが新品なのではないだろうか。

 質も良さそうで……血を拭くのに使うのは少しばかり躊躇われるが、この家の物はどれも高そうで、これぐらいは気にしないようにしなければまともに生活出来なさそうだ。


 覚悟を決めて血を拭う。乾いた血液は水にほとんど溶けないし、傷口にへばりついているため無理に取ろうとしたら糸が切れたり傷が開いたりしそうだ。

 服を汚さない程度に拭けばいいか。


 そう言えば、着替える服がない。一色のことばかりで自分のことをすっかり失念していた。服が売っているような店はまだ空いていないだろうし、以前のように一色に頼むのも躊躇われる。


 血の付いていない上着を素肌に羽織り、ソファに座ってぼうっと過ごしていると、一色がパタパタと俺の隣にやってきて座った。


 どうやら湯上がりらしく、湯に濡れてしっとりと暖かくなった肌が見てとれる。 肩に届かないぐらいの髪は一応乾かしてはいるようだが、少し雑で全体的に生乾きだ。


 こんなに適当な手入れだというのに、なんで一色の髪は綺麗なのだろうか。いや、女子はみんなこんなものなのか。


 一色は特に何か話すわけでもなく、ソファの上で三角に膝を折って座っている。少し薄いパジャマはシンプルながらも子供らしいデザインをしていて似合っている。


 一色が身動きするたびにシャンプーのいい香りが鼻腔に入り、心臓が跳ねる。

 ……一色の一挙一動に意識が引かれてしまい、他の何かを考えることが出来ない。恋心を抑える薬とかないものだろうか。

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