episode:4-1【甘ったれ龍を穿つ】
一色は首をかしげながら、チラリと俺を一瞥する。
「……あの、一世一代の秘密を打ち明けたつもりだったんですけど、なんだか盛り上がっていないというか……んぅ、引かれてないというか」
「そりゃ、元々分かっていたしな」
「頭がいいです」
「一色が隠すのが下手なんだよ」
それに。と、俺の口から言おうともしていない言葉が漏れ出る。
「好きだからな。よく見てしまうから、それぐらい分かる」
一色は俺の方から目を逸らし、黒い髪の隙間から見える赤くなった耳をこそばゆそうに手で撫でてから、逃げるように俺から顔を背けながら呟くように言う。
「あの、これ、アプローチを受けているってやつなのでしょうか。その、僕にはよく分からないんですけど」
「俺にもよく分からない」
「なんで本人が分からないんです……」
「それはさておき」
「さておかないでください」
コーヒーをカップに注いでいく一色に問う。
「引っ越しはしてくれるか?」
「……そんなに強行するってことは、何かあったんですね。んぅ、分かりました」
一色は顔を赤らめたまま小さく頷く。
「絵はどこでも描けますから。画材とこのコーヒーメーカーがあったら大丈夫でしょうか」
「……まぁそんなにあそこに長居させる気もないから、最低限で構わないが、服はいるだろ」
「あ、そうですね。他は……日用品とかです? よく分からないです」
「適当に必要なものを紙に書いていくか」
一色の手からコーヒーカップを取り、アトリエの方に戻る。
床にちょこんと座り込んだ一色を見る。
先程一色は『絵を描いているうちに、味覚がなくなった』と言っていた。
一色は絵が上手い。16歳という若さ、いや、幼さで普通の人間には到底、何百年をかけても辿り着けないような境地に到達している。
才はあるのだろう。環境も整っていたことだろう。けれど、それでも……並大抵の努力によって辿り着けるものとは思い難い。
苦行めいた時間もあったのだろう。だから、より幼い頃の一色はストレスにより味覚を失い、それにより食事量が減って、彼女の背は伸びなかったのだろう。
ストレス性の味覚障害。それも長期的、慢性的なものか。
病院にでも行った方がいいか。いや、一色を取り巻いていた環境は金銭的には悪いものではない、既に行っているか、医者を呼んでいるだろう。
最も分かりやすく単純で効果的な治療法は……ストレスの原因となり得るものを取り除く、か。
「……一緒に逃げるか?」
「えっ、と……。どうして、ですか?」
「お前を狭い地下に押し込めておきたくない。無理に絵を描かせて利用するのも反対だ。……俺の実家にでも避難して、セーラやヨミヨミさんには、集中出来るところで描くと言えばいい」
フラれた当日にこんな駆け落ちじみたことを提案するなんて、我ながら正気とは思えない。
駆け落ちと違って親元に向かう提案だが、馬鹿げていることに違いはないだろう。
「一色のやれることは変わらない。絵を描きたいなら、描けばいいし、年頃の子供らしく遊びたいなら遊べばいい」
「……え、でも、僕はやらないといけないですし……」
「わざわざ危険なところでやる必要はないだろ」
「えっと……それ、アリなんですか? その、他の人に相談とか……」
「一色がいいなら、今から電話してもいい。あちらも龍人を元に戻す方法がほしいだけで、狭い場所に無理矢理押し込めたいとは思ってないだろうしな」
コーヒーを飲もうと伸ばした手が震えていることに気がつき、一色に見えないように背に隠す。唇の震えは唇の裏を噛むことで止めて、努めて平静ぶりながら一色を見る。
ギュッと、一色は自分のズボンを掴み、強く目を閉じた。
「まぁ、無理にとは言わない。一色からしたら、どちらもさして違いはないかもしれないしな」
「……あの、親御さんに迷惑じゃ、ないですか?」
「父親はほとんど職場に泊まっているから気にしないと思う。……まぁ、驚きはすると思うが」
「……あの、えっと、じゃあ……僕の家に来ますか? えと、ここじゃなくて、元々住んでた方の家……ここから離れてますし、結構広いですし、画材もたくさんあるので」
一色の言葉に目を見開く。
「……いいのか?」
「あ、は、はい。その、またアキトさん……怪我してしまったみたいですし、隠れていいなら、そっちの方がいいのかなぁって」
「これは傷が開いただけで、怪我をしたわけじゃない。……じゃあ、そうするか」
自分で言い出したことだが、まさか頷かれるとは思っていなかったせいで少し混乱しながら、紙に書き出していた必要な日用品のリストを見る。
「……まぁ、こういうのは実家なら揃ってるか」
「んぅ……えっと、アキトさんの分はどうしますか?」
「適当にコンビニとかで買えばいいだろ」
「えと、なら、すぐに出ますか? ここにいるのが危ないなら」
ああ、と頷いてスマホを取り出す。
誰に連絡をすべきか、まどかは……ないな。セーラかヨミヨミか。
避難させると言えば、納得が早そうなのはヨミヨミだろうか。けれど、セーラを放っておくのも後々面倒だ。
セーラのスマホに電話をかける。数コールの後、セーラの声が聞こえる。
『おー、どしたー? フラれたせいで気まずくなってる系?』
「この辺りは危険が多いから、一色の実家に一度退避する」
『えっ? え、ちょっ、どういう展開? アッキーみたいに機構の方で保護しても』
「可能な限りストレスの少ない環境で過ごさせたい。別に失踪するわけでもないし、一色が描く気があるなら龍人に対する絵も描く。問題はないだろ」
『いや、問題というか、色々急すぎるというか。……ええ、なんで、この忙しいタイミングでそう勝手に決めるの……』
「俺は一色の保護が最優先と散々言ってるだろ。別に協力を打ち切るわけじゃない。そもそも一色は絵を描くしか出来ないし、俺は怪我で体を使ったことは出来ない。一色の家でテレビ電話でも使ってやりとりすれば同じだろ」
セーラは困ったような声でため息を吐く。
『……アキトくんって結構、行き当たりばったりだよね』
「否定はしないし、申し訳ないと思ってはいるが……一昼夜でどうにかなる問題でもないのに、地下に何週間、何ヶ月、何年も閉じ込めるわけにもいかないだろ」
『それはそうだけど、別に後でもいけるでしょ?』
セーラの言葉を否定する。
「今回捕まえた奴、最終的にどうすることになる。 そのまどかの隠れ家で一通り目的や能力を探った後は、暦史書管理機構で捉えておくしかないだろ。なら、そこは安全とは言い難いし、安全と言えるレベルまで一色の周りに警護を置くことも出来ないだろ」
『……色々それっぽい理屈を言ってるけど、アキトくんがシキちゃんと同棲したいだけでは……?』
「それは否定しない」
『否定してほしかったよ、それは。……まぁ、うーん、こっちの要望があれば、即日戻ってきてくれるんだよね?』
「一色の実家の位置が分からないからなんとも」
『それでよく、今すぐ行こうって話になるねっ』
セーラのツッコミは尤もだ。 一色に目配せをするとパタパタと手を動かして、紙に文字を書く。
「新幹線で一時間程度らしい」
『あー、結構遠い。まぁ、交通費なら出すから、言ったらこっちに来てよ?なんなら車で迎えに行ってもいいから』
「ああ、元々絵を届けたりはするつもりだったから、異存はない」
セーラは納得したわけではないだろうが、それでも損はないと踏んだのか、渋々と認める。
『あー、襲ったりしちゃダメだからね?』
「するか。着いたらまた連絡するから切るぞ。ああ、あと、怪盗は具体的な場所を知っているはずだから、何かしらで連絡が取れなかったら怪盗に聞いてくれ」
そう言ってから電話を切る。一色は描いていた途中のキャンバスを包んでから、俺を見る。
「僕、絵のためのものを纏めるので、アキトさんは服とかお願いしていいですか? タンスに纏めてるので、二、三着持ってきてください。同じのばっかりですから、どれでも大丈夫です」
「ああ。他に必要なものはあるか? 枕が変わると寝れないとか、お気に入りの小物があるとか」
「物には頓着してないので、特には。欲しいものとかあったら持っていっても大丈夫ですよ」
「いや、いい。必要な物があったら買うしな」
服は同じものしかないらしいし、適当に鞄に詰めればいいかと考えながら、一色の私室に向かう。




