episode:7-13【雨後の龍の子】
それにしても、と一色の方を見る。
苦手にしていたはずだが、イキイキとセーラをモデルに絵を描いている。……思考やら感情やらよりも前に、絵を描くという行為が先立っている様子に心配を覚えてしまう。
……過ぎた話ではあるが、シュイロンとの邂逅のときもこうして夢中になって描いていたのだろう。
それに比べて、俺を描くのはそんなに夢中にはなっていなかったというか、一瞬でさらっと描いていて……。
いや、そりゃあ、まどかやセーラに比べて美形とは到底言い難い、そこら辺に良くいるタイプの顔だが……。いや、最近は傷だらけなのでそこら辺にはいなくなってきたか。
どちらにせよ、到底イケメンとは言い難い。俺にベタベタに惚れているまどかでさえ容姿は評価していないぐらいなので、イケメンではないという自分の評価でさえも過大なものなのだろう。
……セーラやシュイロン、まどかに嫉妬を覚えながらも、俺の左手を描いた絵である【傷のある手】は【連作:シンリュウ】に次いでの力作であることを考えて、気持ちを落ち着かせる。
「ああ、あと、竜生九子の関係者らしき人を見かけた。危険性を考えて尾けることはしなかったが」
「あー、うん。それがいいかも、一応ではあるけど、室生くんも協力的ではあるしね」
「……一色の前で室生の名前を出すな」
俺の意図せずに低くなった声にセーラは少し驚いたような表情を見せ、俺は慌てて謝る。
「悪い。少し過剰な反応をした」
「ちょっとばかり、過保護だと思うよ」
「……そうか? こんなものだろ」
一色の方を見ると、俺たちの会話は耳に入っていないのか無言で絵を描き続けていた。
その集中している横顔が美しく、思わず見惚れそうになり……セーラに背を突かれたことで現実に戻る。
「あーきーとーくん。話の途中だよー」
「……悪い。まぁ、どうするか決めたら指示をくれ」
「それまでアキトくんはどうするつもり?」
「リハビリがてら運動をして備えるつもりだ」
「……戦力が欲しいんだったら、対異能力者用の武器使ってるから見ていく? 倉庫の方にあるんだけど」
「そんなものがあるのか?」
「……作ったんだけど、大不評でほとんど使われてないの」
「……後で見にくる」
一色がペタペタ絵を描いているのを見ていると、セーラは面白そうにニヤニヤと俺を見る。
「なんだよ」
「アキトくんのために色々してあげたから、楽しみにしていてね」
「……何の話だ?」
セーラは俺の問いを誤魔化し、問い詰めようとしているところで、一色が手を止める。
「……アキトさん、そこ、邪魔です」
「お、おう、悪い」
真剣な顔をしている一色に謝りつつ、横にズレて椅子に座る。……怒られたけど、嫌われてないよな。
いや、元々一色は絵に関して本気のときは俺を遠ざけたがるので気にしなくてもいいか。
……気になるが。
少しして一色は絵を描き終わるが、納得した物は描けなかったのか。不満そうに眉を顰めながら絵の具に濡れた手を布で拭う。
「んぅ……すみません。元々、習作のつもりではあったんですが、上手く描けなかったので、また後日モデルをお願いしてもいいでしょうか?」
「もちろんオッケーだよー。あっ、その絵はどうするの? アッキーの部屋にでも飾る?」
なんでだよ。
「倉庫にでも入れておこうかと。捨てるのも忍びないので」
「じゃあ、使い道あるかもだから貰ってもいい?」
「もちろんいいですけど……あまり上手く描けてないですよ?」
一色の描いた絵を見ると、今にも動き出しそうなセーラの姿が描かれており、肌の質感や動いたときの癖まで見えてくるようだ。
むしろ、余計なことを言わない分だけ現実のセーラよりも魅力的に見える。
一色はテキパキと片付けを始め、俺も手伝おうかと思ったが、自分の道具に触れられるのは嫌かもしれないと思って、周りの床に付いた絵具を拭くだけに留める。
「ああ、セーラ。とりあえず退院することにしたから手続きを頼む」
「えー、もっとちゃんと身体を治してからじゃないと……」
「もう充分動ける」
「仕方ないけど……。アッキーには危ないのは任すつもりはないからね。基本は私の補助で作戦とか立てる感じだからね」
「分かっている」
セーラと話している間に一色は片付けを終えて、俺の方にとことこと歩く。
「アキトさん、お待たせしました」
「昼食は食べたか? 歯はちゃんと磨いたか?」
「もう、ちゃんとしてます」
セーラの方に目を向けると首を横に振る。
「食欲がないって全然食べなかったよ。一口だけ食べたけど」
「……一色、俺も昼食はまだだから一緒に何か食べるか」
「ん、んぅ……アキトさんがそういうなら……」
不満そうに頷く一色を連れて、暦史書管理機構の内部に借りている部屋に戻る。
一応、一色の家や俺の家には戻らない方が安全だろう。
一色と二人で軽く昼食を食べてからソファに座ってゆっくりと過ごす。一色は珍しくスケッチブックを手に持つこともせず、赤らんだ頰と潤んだ瞳を俺に向けながら、薄桃色の唇を小さく動かした。
「……あの、アキトさん。ちゅー、しませんか?」
一色の手が俺の手を握りしめつつ、ゆっくりと顔を俺の元に近付ける。
セーラの言っていた「楽しみにしていてね」の正体はこれか……。と、セーラのニヤニヤとした笑みを頭の片隅で思い出しながら、一色の行為を手で制する。
一色は止められたことで不安そうに俺を見る。
「あの……ちゅー、いや……でした?」
「そういうわけじゃないが……」
おさなげながらも整った容貌。
夜の海のように引き込む力のある黒い瞳。甘い少女の香りと、確かに感じる生き物の熱。
俺に預けられた身体の重さは生々しい実感を持って、この人形のように美しい少女が一つの生き物であることを示していた。
その肢体に、美しいかんばせに、情欲を抱かないはずがなかった。今まで見たどのような物よりも美しく汚し難い、さりとて、だからこそ尚更に……その小さく華奢な体を無理矢理に抑えつけて自分のものだと汚したい欲は強く感じられる。
……一色の保護者として我慢しなければならない、なんてただの言い訳でしかないのかもしれない。
キスをすれば、堪えてきていたものが吹き出してしまうという予感があったから……出来ない。
男の、あるいは雄の獣欲が、この美しい雌を無理矢理にでも手篭めにし、思うがままに蹂躙し、劣情を何度も吐き出してしまいたい。と、感じているのだ。
だから、これ以上、自分の中の獣を刺激しないように……。
そんな俺の思いも知らず、一色は動きを制していた俺の手を握り返し、真っ直ぐにあどけない顔を俺に向ける。
「……僕にも、性欲というものはあるんですよ?」
セーラの入れ知恵だ。そう分かっているが、その言葉に酷く動揺させられる。
薄べったい膨らみのない身体を見て、自分の息が荒くなっていることが分かる。
一色にもバレているだろう俺の視線。唇や胸や脚といった女性らしさの分かりやすいところに目がいってしまい、小さく華奢で子供っぽかろうと、それでも異性だと認識してしまう。
薄い桃色の唇、柔らかそうだ。この唇に触れればどれほど心地の良いものなのだろうか。
「……一色にはまだ早い」
「嫌じゃないなら、いいじゃないですか」
一色はゆっくりと目を閉じて、唇をほんの少しだけツンと尖らせる。逃す意思はないとばかりに俺の服を握っていた。
当然一色に力で負けるはずはなく逃げる事は容易であるが、そんな分かりやすく一色のことを拒否することは出来ない。
鼻腔に入り込む甘い少女の匂いと絵の具とコーヒーの匂い。変わった不思議な匂いだが、愛おしい。
揺れる理性。甘えたようにしなを作る一色の肩を掴み、ゆっくりと引き離す。
「……アキトさん。嫌ですか?」
「そんなわけないことぐらい知っているだろ」
「……知っていても、不安にぐらい思います。怪盗さんとお出かけしていたみたいですし」
「いや、それは浮気とかじゃなくて……」
「分かってます。分かっていても、不安には思うんです。だから……」
不安げな一色の表情。思わず彼女の華奢な肩を抱き寄せて、それからどうするとかも考えておらずにいたせいで身体が固まる。
そんなに強く押したつもりもないのに、一色はこてりと倒れて目を閉じる。唇を尖らせて、腕を胸の前に持ってきて俺の動きを待つ。
多少ぎこちなさもあり、今までの流れが一色の演技であることに気がつく。
押してないはずなのに倒れたし……。何が何でもキスをするという一色の意図が見える。それでも俺にねだるような形なのは、セーラの入れ知恵のせいなのか、それとも元々そういう願望が一色にあったからなのだろうか。
ゆっくり一色から距離を置こうとして、脚が絡まれて逃げられない。
「一色、落ち着け。一旦落ち着こう」
「落ち着いてます。これ以上ないぐらい落ち着いてます」
「顔真っ赤だぞ」
「真っ赤じゃないです」
「心臓の音が大き過ぎて触ってるところから感じるんだが」
「僕の心臓は止まってるんでアキトさんのです」
「止まるわけないだろ」
いや、まぁ……少し冷静に思えば一色の心臓の音が聞こえるはずはないんだから俺の心臓の音なのだろうが、一色の顔は真っ赤なのは確かだ。
「……あのな、落ち着け、落ち着こう。まだ一色は子供だろ」
「子供扱いしてるくせに、その子供に言い寄られただけでアタフタしてるのは誰ですか」
「……いや、まぁ……その、あのな……。結婚してからにしよう。ほら、一応条例とかで決まってるからな」
一色は不満そうに俺を見る。
「……人間の理屈なんて、僕には到底分からないです」
「いや、一色も人間だろ」
「……僕は絵ですから」
一色は俺から手を離し、顔を俯かせる。
「常識なんて分かんないです。理屈なんて知らないです。……分からないです。だって、知らないんですもん」
「……ゆっくり学べばいいだろ。一緒に」
一色の方に手を伸ばしながら俺は言う。カッコいい言葉ではないが、上手いことそれっぽいことを言って先延ばしに出来たのではないかと思った瞬間。
一色に腕を思いっきり引っ張られる。
「……あの、一色?」
「今、僕はちゅーがしたいんです。好きな人とするととても気持ちがいいことだそうです」
「いや、今のは後にするといる流れじゃなかったか?」
「流れとか知らないです」
「いや、雰囲気ってあるだろ」
「知らないです」
「いや、ほら、まどかが隠れているかもしれないしな」
「怪盗さんいますか? ……返事がないのでいないようです」
何でこんな時に限っていないんだよ! 余計な時にはいるくせに!
俺は一色の誘惑にめちゃくちゃ動揺しながら打開策を考える。
「……返事をしていないだけかもしれない」
「好きな人が、他の女の子とちゅーをしそうなときに黙っているでしょうか」
それは……と言い淀みかけてから、頷く。
「まどかならあり得る。アイツはそういう趣味がある」
「えぇ……。でも、やっぱりいないですよ。ここは隠れるようなところないですし。そんなにしたくないんですか?」
そんなわけがない。ただ我慢していただけだ。
しかし、こんなに幼い子を騙してキスをするなんて社会的良俗に反して……。いや、もしもこの先命を落とすようなことになったら、今していないと後悔しそうだ。
最悪死ぬのに、我慢している意味などあるのだろうか。
「……夜、夜に続きをしよう。今はちょっと待ってくれ」
冷静さに欠いている自信がある。少し冷静になって考えよう。
一色は少し迷ったから、俺から手を離す。
「……ちゅー、約束ですからね?」
……続きというのは話の続きであり、キスの続きというつもりではなかった。




