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100話目なので番外編

 ……僕は虫が好きだ。獣が好きで、魚が好きで、草木も、人工物も、あるいは怪我や病気も。

 全て等しく愛している。と、思っていた。今も思っているつもりではある。


 ……本当にそうなのだろうか。

 いつも絵の具で濡れていた指先は今は乾いていて、緊張を誤魔化すために舐めた唇が濡れている。

 指先よりも口の方がたくさん動いていて、声も変に高く甘えたようになっている。後になって、一人になってから……自分があの人に好かれるために媚びていたことに気がつく。


 大衆に迎合するように、男の人が好きそうな女の子を演じている自分がいる。


「……ままならないものです」


 多分、恋というものをしているのだろう。いや、していないかもしれない。

 ただ、一緒にいると心臓が酷く早く動いて、あまり見過ぎないように目を逸らしても耳が勝手に一挙一動を追ってしまい、声が高くなって、息が苦しく、酷い苦しみなのに……それが不快ではない。たかが、その程度のものなのである。


 そもそも、僕はほとんどの愛が分からない、友人も家族もいなければ、ほとんど知り合いもいないし、ましてや恋愛や情愛なんて知るはずもない。


 不安的な心の動きのせいか、どうしても上手く描けず描きかけのキャンバスを置いて手を洗いに行く。

 洗面台の鏡を見たら絵の具だらけの自分の姿があり、あの人……アキトさんが来る前にお風呂に入ることに決める。


 脱衣所に入り、狭いところや天井に怪盗さんが潜んでいないことを確認してから、服を脱いで裸になる。

 食事が足りていないせいで発育不全なのか、それとも遺伝的に体格が悪いのか分からないけれど、同年代の怪盗さんに比べて頭ひとつ分以上背が低いうえに、胸は薄べったく、腰やお尻もない。


 ストンと視線を下に向けると凹凸のない身体のせいで足まで何も隠れることなく見えてしまう。

 ふにりと自分の胸に手を当てて触って動かしてみるが、何も面白さは感じられず、年頃の女性らしさのないつまらない身体である。


 浴室に入ってシャワーの蛇口を捻ると、一瞬だけ冷たい水が肌に触れて、鳥肌がゾゾゾっと走る。

 すぐに暖かいお湯に変わって冷えた身体にお湯が当たり、子供っぽい貧相な身体を伝って落ちていく。鳥肌が収まり「ふうっ……」と息を吐き出した。


 まずは絵の具が爪の間に詰まっているのでそれをブラシで洗い、それからまた絵具の付いた髪をゴシゴシと洗っていく。


 絵を描く前にもシャワーを浴びたので少しばかり過剰な気もするけれど、全身をくまなく洗って……意味のなさに溜息を吐いた。


 日に何度も身体を洗うのなんてどうかしている。湯船にじゃぽんと使って「ふぃー」と息を漏らした。

 日に何度も絵具塗れになって浸かるので、入浴剤も使っていない透明なお湯だ。


 ほんの少しだけ膨らんでいる胸をふにふにと弄ってみても、胸が微かに指の動きで形が変わるだけで、面白くも何ともないものだ。


 ちょっと太った男性と変わらないようなサイズであり、たくさん太った男性よりも小さいようなサイズだ。

 とてもではないけれど、魅力的な身体とは言い難い。


「……小さい人が好きなんでしょうか。それともまた別の理由が……」


 アキトさんの好みを考えてみるが、やっぱり好かれている理由が分からない。

 性格も人見知りで自分勝手でワガママで、とてもではないが良いとは言い難いし、見た目はこんなである。短躯で痩身、ちんちくりんの引きこもりだ。


 小さいのが良いという、不思議な性欲を持っているのだろうか。それならば、分からなくもない。

 僕は色々と小さいし納得である。


「……やっぱり、僕とエッチなことがしたいんでしょうか?」


 動物の雄とは得てしてそういうものである。

 でも、一緒に僕の家で暮らしていた時も何かされたということはないし、結婚や交際を迫ってくるぐらいのものだ。


 やっぱりアキトさんが僕に性的な魅力を感じているとは思い難いし、怪盗さんやセーラさんを相手にあたふたしているところも散見される。


 ……あれ、もしかして、性的なことをしたいわけではないのかもしれない。

 いや、でも、動物の雄は交尾したがるものだし……いや、人間はそうじゃないのかもしれない。


 判断が付かないので誰かに聞こうと思ったけれど、セーラさんに聞くとからかわれそうだし、怪盗さんは良い人だけど恋敵なので信用しすぎるのも禁物……。

 ここは、アキトさんの反応を見て確かめよう。


 ぱしゃり、と湯船から立ち上がって、気合を入れる。

 やっぱり、こういうのは実験が大切だ。



 そういうわけで、早速ではあるが絵を用意してみた。

 背の高い女の人、普通な女の人、背の低い女の人。胸の大きさも幾つか分けて、あとは体型とかも色々と用意してみる。


 これを部屋に飾って……あとはアキトさんが来るから、物陰に隠れてその反応を確認することにする。

 どれに興味を持っているかどうかの判断は瞳孔の大きさの変化で判断することが出来る。

 人間は……特に男性は性欲を抱けるものを目にすると瞳孔が大きくなるという特徴があるからだ。


 カメラなどでは画素数の問題で瞳孔の詳細な大きさは判断しにくい。小さい身体を生かしてちゃんと自分で潜もう。


 アキトさんが部屋にやってくるのを待ち、不安ながらもジッと息を潜める。渡していた合鍵で扉が開き、アキトさんの見慣れた顔が見える。

 僕を探してかキョロキョロと周りを見渡して、これ見よがしに飾られている絵には興味も示さずに奥の部屋に行ってしまう。


 何故だ……! と思いながら、アキトさんが戻ってくるのを待つ。遠くの方で扉が開いたり閉まったりする音が聞こえる。多分僕のことを探しているのだろう。

 探してくれているのに隠れているということに罪悪感を覚えるのと共に……妙な優越感に似た喜びを覚える。


 こんなに格好良くて魅力的な人が僕に夢中になっていて、一秒でも早く会いたいと思って探しているのだ。他の誰でもなく、僕と会って話したいと。


 ゾクゾクと背筋を伝うような浅ましい俗な喜びに耐えながら、スマホを操作して不慣れな手つきでアキトさんにチャットで連絡を入れる。


『もう来ていますか? 少ししたら帰るので、絵でも見て待っていてください。』


 これで計画通り絵を見てくれるだろうと思っていると、アキトさんは絵を飾っているところを素通りして扉を開ける。

 その行動に驚いていると、アキトさんからのメッセージがスマホに届く。


『迎えに行く。今どのあたりだ?』


 心配性過ぎる。どう言い訳したものかと考えて、とりあえず、ありそうなデタラメを考える。


『怪盗さんと一緒にいるので大丈夫です』


 送信っと。すぐにアキトさんは引き返してきて、深く溜息を吐いてソファにもたれかかる。

 ……この人、絵を見ない。


 何度も深い溜息を付いてはソファの周りをグルグルと回り、落ち着かない様子で僕の帰りを待つ。

 ……犬か何かなのだろうか。僕のことがそんなに好きなのか。


 ワクワクしながら待っていると、コーヒーメーカーでコーヒーを用意し出す。帰ってくると思って用意を始めたようだ。


 それでも隠れて待っているとアキトさんはやっと絵に興味を向ける。


 まず近くにあった少しぽっちゃり気味の女性の絵を見て、小さく首を傾げる。


「……こういう知り合いがいるのか?」


 瞳孔に変化は見られない。どうやらぽっちゃりとした女の子は好みから外れているらしい。

 続けて隣にあるよりふくよかな体型をした女の子の絵を見て欠伸をする。明らかに興味がないらしい。一応性的な関心を引けるように薄い布を身体に巻くような服装にしているが、反応がない。


 次に幼い女の子の絵の方に目が向き、今までとは違って視線が止まる。やっぱりこういう小さいのが好みなのか! そう思っていると、特に瞳孔の大きさには変化がない。

 けれどもジッと絵を見て、不思議そうに首を傾げる。


「……子供のこんな格好とか見たことないはずだよな。……まさか自分の……」


 そう口にして、アキトさんは食い付かんばかりに絵に顔を近づけて、薄衣が透けている胸や腰に目を向ける。


「ち、違います!」と反論したい思いをギュッと抑えて、肌を自分のものと勘違いされる羞恥に耐えふ。

 瞳孔を観察するまでもなく分かりやすく興奮した様子だと思っていると、急に興味をなくしたように他の絵に目を向ける。


「よく考えたら自画像描けないんだから違うか」


 興奮していた様子が一気になくなっていた。

 ええ……と思っていると、また他の絵に目を向ける。今度はセーラさんのようにスタイルのよくお胸が立派な女性だ。他の絵に比べて長い時間を使って見ていて、視線がおっぱいや腰の方に行っているのも見える。瞳孔も少し大きくなっていて、今までの絵に比べて性的な魅力を感じていることは間違いない。


 自分の中に息が熱くなるような不快で不思議な感触を覚えながら「早く他の絵に目を向けてください」と念を送る。


 普通ぐらいの体型の女性にもそれなりに関心を持っているが先ほどのおっぱいの女の子の方が反応が良かったことから、おっぱいの大きい女の子が好きなのかと思っていると、怪盗さんのようなスレンダーな肢体の少女にも反応していた。


 ……これは浮気なのではないだろうか。僕以外の女の子に変な目を向けるなんて……。


 恨めしく思いながら唇を尖らせながら観察していると、少し好みが分かる。

 一般的に魅力的とされるような大きな胸の女の子や体の細い女の子が好きで、あまり太っていたりするのは好きではない様子。


 僕のような小さい女の子は……何度か見はしたものの、そんなに好きではない様子である。……酷く落ち込みながらも、その場から出ようと思い気がつく。


 出口、用意してなかった。アキトさんがいたら出られない。


 スマホでメッセージを送って……と考えていると、隠れていたところが空いて、光が溢れる。


「……何してるんだ」

「えっ、あっ……いや、あの……その……」


 どう言い訳しよう。バレたら怒られると思ってあたふたしていると、アキトさんは怪訝そうな顔をしながら僕の顔を覗き込み……不意に、目が合う。


「あっ……」


 瞳孔が大きくなっている。先ほどのおっぱいの大きい女の子の絵の時よりも、思わず頰が緩んでしまう。

 僕の溢した笑みを見たアキトさんは分かりやすく動揺して、頬を掻いて誤魔化すようにしてソファの方に戻る。


 緊張しているのが見るだけで分かる。一緒にいるとドキドキと緊張してしまうのが僕だけではないことに安心して、ゆっくりと隠れていた場所から出て女の子の絵を片しておく。


「……それ、何だったんだ?」

「んー、秘密です」


 ソファの隣に座り、アキトさんの淹れたコーヒーに手を付ける。

 自分の感情がよく分かる。嬉しいのだ。あるいは優越感だ。

 僕の好きなアキトさんは僕のことが一番好き。少し残念ながらアキトさんの好みとは違うみたいではあるけれど、好みの女の子よりも僕の方が好きなのだ。


 思わず溢れてしまう「ぬへへ」という品のない笑い声。アキトさんは怪訝そうに僕の方を見るが、何も答えずにコーヒーを飲む。


 舌の奥に変な感覚が走り、口を離す。

 熱いわけじゃない。冷たいわけでも。嫌いな感じじゃない。どこか覚えがある不思議な感覚……。

 アイスコーヒーなのに熱さがあるみたいな、けれど熱いのではなく……これは……もう一度口をつけてみるが、今度は何も感じられない。


「どうかしたのか?」

「……いえ、一瞬だけ……『苦い』と、感じたような気がしまして」

「本当か!?」


 アキトさんが僕に顔を近づけて、僕は思わずびくりと驚く。アキトさんはそんな僕の様子を見て少しソファの上のまま距離を取り、僕に尋ねる。


「一瞬だけ、か? これまでこんなことはあったか?」

「は、はい。一瞬というか、一口分……。覚えている限りでは初めてです」


 アキトさんはバタバタと動き回って、台所でガサゴソと何かをしたと思うとコップに少量ずつ入った液体を持ってくる。


「確かめたい。少し舐めてもらってもいいか?」

「いいですけど……」


 僕がコップを持って飲もうとすると、すぐに止められる。


「味が分かりやすいように濃くしたから、本当に舐めるだけだぞ。健康に害があるようなものではないが、塩水とかは身体に良くはないからな」

「あ、はい」


 舐めるだけと言われても、コップに入ったものを舐めるには舌を出す必要があるけど……アキトさんの前でそんなはしたないことは出来ない。


 ほんの少しだけ、口の中に含んで飲み込む。続けて他のコップのものも飲んでいくけど、普通に水だ。


「……特に何も感じないですね。んぅ……勘違いだったんでしょうか」

「……そうか。ストレスによる心因性のものだから何をきっかけに戻ってもおかしくないと思ったんだが……。仕方ないか」


 きっかけ……ストレスが解放されるような。

 恋愛感情というものが頭の中に浮かぶが、あの時に感じていたのは恋愛感情の中でも……他の女の子よりも魅力的だと思われている傲慢な優越感。


 優越感の、苦味。

 ……こんな汚い感情をアキトさんに言えるはずもなく、コーヒーと一緒に飲み込んだ。

 醜いとは思いつつ、浅ましいとは分かりつつ、穢らわしいと知りつつ、けれど堪えきれない悦びに負けて、アキトさんの手に自分の手を重ねる。


 重ねて見れば分かる。大きく、黒っぽくて、ゴツゴツと硬い。自分とはまるで全然違う生き物のようでいて、けれど、触れ合うと熱くなっていくのは同じだ。

 火傷しそうなほど熱くなっていく手先。まるで心臓がもう一つ指先にあるかのような感触。


 爪の先からドンドンと積もっていく羞恥心。甘えた声が出そうになって、押し黙りながら、アキトさんの傷痕を指先でなぞるようにして撫でる。


「……一色」


 掛けられた声にびくりと身体が反応する。次に何を言われるのか分からない緊張。

 ただひたすらに自分の顔が熱く、熱く、燃えてしまいそうだ。


「あ、あの……」


 耐えられずに口を開くと、彼は不安そうな表情を僕に向ける。


「……気を遣わなくてもいいからな? 絵を描いていたいなら、それでいいぞ」


 ああ、この人も僕と同じで不安なのだろう。捨てられたくないと、怯えているのだ。再び嫌な自分が現れて、好きな人が不安がっているのを喜び出す。

 良くないことと分かっているはずなのに、指先が耐えきれずに動いて、彼の硬い皮膚に爪の先を食い込ませる。


 アキトさんは困惑した表情を僕に向けるが、手を振り払うようなことはせず、黙々と僕の行動を受け入れる。


 マーキング。この人は僕のものであるという示威行為だ。僕になら何をされても嫌がらないのだということを怪盗さんやセーラさんにも見せつけて、近寄らないように……。

 人道にもとる下劣な行為。……自分のことを好きになれないのはこんな悪辣なところがあるからだ。


 けれどもやめがたい。自分が浅ましければ浅ましいほどに、そんな自分でも愛してもらえているという愉悦があるせいだ。

 知らない感情がぐちゃぐちゃとぐちゃぐちゃと、色々な物と混じりながら出てくる。


「……好きです」


 驚いたようなアキトさんの表情。それを自分のものにしたいと、描きたいと思った。

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