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わたし、甘い蜜のような令嬢に溺愛されています  作者: りんご飴ツイン


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第四話 いつもを崩す、特別な甘い予感

 

 そういえば、と。

 ふと思い出したようにピーチファルナは言う。


「自己紹介がまだだったね。わたし、ピーチファルナって言いますっ」


「くふふ☆ もう知っているようでごぜーますが、一応。私、レイ=レッドスプラッシュでごぜーます。公爵令嬢やら未来の王妃筆頭やら、つまんない肩書きを持っているでごぜーますが、気にしないでくれると嬉しいでごぜーます」


「う、うんと……がんばってみる!!」


 軽はずみに気にしないなんて言えるわけもなく、両手をぎゅっと握って、ふんっと鼻から息をこぼして、濁すのが精一杯だった。


 そんなピーチファルナの仕草に漆黒の美女はくすぐったそうに身をよじり、熱い吐息を漏らす。


「ピーチファルナって無自覚にそんなことやるでごぜーますよね。たまんないでごぜーます」


「?」



 ーーー☆ーーー



 ──なあ、聞いたか。女の騎士様が犯罪者庇って逃走中だとよ。


 ──聞いた聞いた。結構有名な騎士だってのに、何をやってんだかな。せっかく武勲を積み上げて、相応の地位を築き上げたってのに『不浄汚染罪』で犯罪者の仲間入りってんだろ。もったいねえ。


 ──犯罪者を庇ったり、助けたりした奴はその犯罪者と同等の罪を背負い罰を受けるのが『不浄汚染罪』ってヤツだったよな。犯罪者庇うような奴なんざほとんどいねえから、すっかり忘れてたぜ。


 ──全くだ。つまんねえ言いがかりつけられないよう、罪を犯しそうな奴には関わらないようにしないとな。


 ──だな。それこそ犯罪者の子供なんかとは絶対に関わり持たないようにしねえとな。何やらかすか分かったもんじゃねえしさ。



 ーーー☆ーーー



 翌日。

 早朝、誰よりも早くピーチファルナは冒険者ギルドへと足を運んでいた。普段は低級魔獣を討伐して、毛皮や牙を納品することで報酬を得ているピーチファルナであるが、低ランクで実りのいい依頼が入っている可能性もあるからだ。


 とはいえ簡単で報酬がいい依頼など早々転がっているはずもなく、大抵が徒労に終わるのだが。


(……、いつものだけかあ)


 ボートに貼りつけてある依頼用紙の数々を隅から隅まで調べて、簡単で報酬もいい依頼はなかったと嘆息するピーチファルナ。いつもの低級魔獣討伐の依頼を手に取り、受付で依頼を受けるための申請をしようとした時だった。


 ガチャリと扉が開き、何人かの男が入ってきた。暴力しか取り柄のなさそうな、典型的な冒険者だった。


 ゴロツキにしか見えない男どもは先にギルドにやってきていたピーチファルナを見つけて、露骨に顔をしかめる。


「領主暗殺未遂野郎どものガキじゃねえか。朝っぱらからクソみてえなもん見ちまったぜ」


「全くだ、ついてねえなあ」


「今日は安全第一でいったほうが良さそうだな。ツキに見放されているみたいだし」


 ボソボソと隠す気があるのかないのか、『いつもの』陰口が聞こえた。どこぞの領主の娘のように真っ向から堂々と言ってこないだけで、周囲の人間の反応は同じようなものだ。


 もしもこの街が王都のような人の出入りが激しい都会だったならば、何も知らない人間の比率だって高かったかもしれない。つまんないことするんじゃない、と言ってくれる誰かがふらりと足を運ぶ可能性だってあっただろう。


 だが、この街はそこまで発展してはいない。

 ありふれた街なのだ。人の出入りはそう多くなく、必然的に定住民が多くなる。悪い評判が広まってしまえば、逃げ場はなくなるのだ。


 誰も彼もが『犯罪者の娘』というレッテルを認識して、蔑むのが『いつものこと』となった日常。


 そう、これが『いつものこと』だった。

 昨日が特別だっただけである。


(満腹感、なくなっちゃった)


 一日も経てば満腹感も消えてなくなる。

 そのことが、なんだか悲しかった。


 特別の証。

『いつも』と違う、楽しい思い出が確かに存在したのだという証拠が消えてしまう気がして、悲しかったのだ。


(楽しかったなあ)


 昨日は緊張していてそんなこと考える暇もなかったが、今なら素直にそう思える。


『いつもの』ような悪意をぶつけることなく、対等な相手として接してくれた美女との一幕。あの特別な時間の中でピーチファルナは両親が生きていた頃と同じように笑っていた気がする。


 だからこそ。

『いつもの』ように悪意をぶつけられて、現実に戻って、じくりと胸に痛みが走るのだろう。数年も経っている。もう慣れたものだと言い聞かせてきた。なのに、一度特別を味わってしまった後だからか、その落差に今までよりも強く深い苦痛を感じてしまう。


 あんなのはほんの気まぐれだと分かっている。

 恵まれているからこそ、分け与えたって懐は痛まないからこそ、気まぐれに手を差し伸べてくれたに過ぎない。


 分かっている。

 そんなこと分かっている。


 夢は覚めて、現実の時間が始まった。

 それだけの話である。


 だから。

 だから。

 だから。



「くふふ☆ 見つけたでごぜーます」



 じゅわり、と甘ったるく、粘っこい蜜のような甘い香りが広がった。


「…………、え? なん、で???」


 数人の冒険者の、さらに後ろ。

 今まさにギルドへと足を踏み入れたのは漆黒のドレス姿の美女であった。


 黄金のように輝く金髪に深淵の闇のごとき深き瞳、磨き上げられた槍を連想するスレンダーな肢体。まさしく美を体現したかのような彼女の名はレイ=レッドスプラッシュ。公爵令嬢にして第一王子の婚約者。将来的には王妃となることが決まっている、紛うことなき天上人である。


 そんな女が暴力しか取り柄のないゴロツキに等しい冒険者の溜まり場にやってきたのだ。ピーチファルナの陰口を垂れ流していた数人の冒険者が驚いたように振り返る。


「うおっ。なんだこのすげぇ美人さんは!?」


「な、ななっ。マジかよレッドスプラッシュ公爵家の長女じゃねえかっ。この辺に来てるってのは聞いちゃいたが、マジかよ!?」


「あ、あの、公爵令嬢ともあろうお方がなんでこんなところにおいでになったので?」


 恐る恐る声をかけた冒険者を酷く無機質な、凍えた瞳で見据えて、レイは吐き捨てる。感情の読めない硬質な声音で。


「ピーチファルナちゃんに逢いに来たんです……貴様らが散々馬鹿にしていた女の子に、ですよ」


「ぴっ、ピーチファルナに? なんだって犯罪者の娘なんかに──」


「一つ聞きたいのですが……いつまで貴様なんかと会話せねばならないんですか?」


「ひっ、ひっ!」


 声を荒げたわけではない。

 淡々と告げただけだ。


 それだけで余計なことを言いかけた冒険者だけでなく、周りの冒険者も残らず凍りついた。じわじわと底知れぬ恐怖が這い寄る。目が覚めたら猛獣の口の中に放り込まれていたことに気づいたかのような、おぞましい何かが空間を満たす。


 対してレイ=レッドスプラッシュはそれ以上声をかけることも視線を向けることもなかった。路傍の石以下の何かになどはじめから興味はないと示すように。


 であれは。

 彼女の興味を引くものは──


「ピーチファルナちゃんっ、昨日ぶりでごぜーますねっ。くふふ☆ すぐに見つかって良かったでごぜーます」


「え、あ?」


 拭われる、消え去る。

 身体の芯から凍えるような、侵食する恐怖は瞬く間に吹き散らされて、春の陽気のような温かな笑顔と共に駆け寄ってきたのだ。


 ピーチファルナへと、抱きつかんばかりの勢いで。


「えっと、なんでこんなところにいるの、レイさん?」


「さっきピーチファルナちゃんに逢いに来たって言ったでごぜーますよ。聞こえてなかったでごぜーますかね」


「そ、それは聞こえていたけど、本当に? なんで?」


「さっきからなんでばっかりでごぜーますね。くふふ☆ ピーチファルナちゃんに逢いたかった、それ以上の理由など必要ないでごぜーますよ」


 昨日の出来事は特別で、気まぐれのはずだった。

 なんともなしに、気が向いたから、それだけのはずだったのに……漆黒の美女はわざわざピーチファルナを探してまで逢いに来てくれた。


 濃厚な蜜のような匂いが鼻腔をくすぐる。

 その匂いを嗅ぐだけで身体が芯から熱くなる。


『いつも』が崩れて。

 甘い日々がやってくる、そんな予感があった。

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