湯船に入る前に身体を洗うのはマナーです
違和感は確かにあったはずだ。
真相へと続くヒントは逃避と自己防衛の末に押し潰されてはいたが、確かに真相は見え隠れしていたのだ。
雑音の中へと目を向けて、辛い過去と向き合っていたならば、幸か不幸か真相に気づくこともできたはずなのだ。
甘く沈むか、苦く這い上がるか。
どちらを選ぶかによって、未来は変わることだろう。
ーーー☆ーーー
思えば湯船に浸かる前に何か忘れているような? とピーチファルナは首を傾げていた。気を失っている間にどこかの森の中にある(意外と立派な)家に辿り着いていたらしく、(生まれたままの姿の)レイ=レッドスプラッシュに背中を押される形でその家の隣にある露天風呂へと誘われた。
脱衣所なんてものなかったため、露天風呂の近くで真っ白ふわふわドレスを半ば強引にひっぺがされて、レイ=レッドスプラッシュに抱きしめられながら湯船に飛び込んだ……のだから、
「ハッ!? まだ身体洗ってない!?」
「? わざわざ洗う必要あるのでごぜーますか???」
「ぅえ!?」
肩に顎を乗せて、耳元に唇をそっと近づけて、きょとんとした声音で囁くのはレイ=レッドスプラッシュ。レッドスプラッシュ公爵令嬢にして未来の王妃……が今どうなっているかは不明だが、とにかく高貴なお方であるというのに──
「まさか体臭を誤魔化すために『ハニートラップ』とかいうヤツ使って甘い匂いを振りまいていたとか!? レイさん、身体洗うのがめんどくさいからって、そんな、ええ……?」
「ぶふっ!? まっ、待つでごぜーますっ。なんだか不当な評価を受けている気がするでごぜーますよ!! 待って待って待って違うでごぜーます!! 殺菌、消毒くらい魔法でどうとでもなるって話でごぜーますよ!!」
「本当に? 実はばっちいとかってない???」
「本当でごぜーます! 肉の器はきちんと清潔に保っているでごぜーますよお!! 単にお風呂なんて非効率的なものを使っていないだけで、そこらの有象無象と比べものにならないくらい清潔でごぜーますから!!」
意外と打たれ弱いのか、それともピーチファルナからの評価は気にするのか、泣きそうな様子で訴えかけてくるレイ=レッドスプラッシュ。
一方、(途中からは)からかっていたピーチファルナは予想以上の反応に申し訳なく思いながらも、必死なレイさんもアリだなあ、とほんわかしていた。
段々と甘く毒されていることに気がつくことはなく、ピーチファルナは笑みと共に謝罪を紡ぐ。
「ごめんごめん、ちょっとからかっちゃった。レイさんが清潔なことくらい、散々触れ合ってきたんだから知ってるよ」
「む、むむ。……いじわる」
ぼそり、と。
拗ねたように呟くその声が、甘美にピーチファルナの魂を震わせたことに、果たして当の本人は気がついていたか。
レイが唇を切った時もそうだが、人畜無害そうに見えるピーチファルナの奥底には本人も知らない『そういった』欲望があるのかもしれない。
ちなみに。
非効率的でしかないお風呂にレイ=レッドスプラッシュがピーチファルナと共に浸かっている理由は単純だ。自然な形で裸の付き合いがしたかったからに決まっている!!
「と、とにかく身体洗おうか」
「身体、洗う……くふふ☆ その手があったでごぜーますね。私としたことがとんだ失態でごぜーますよ。そう、そうでごぜーます、身体を洗う必要があるでごぜーますよねえ!!」
「……なんだろう。とっても嫌な予感がする!!」
ーーー☆ーーー
「チッ、反応なしですわね。ピーチファルナを追いかけていた治安維持組織の人間は軒並み『誰か』にやられているようですわね。共に行動しているレイ=レッドスプラッシュを捕捉することができるかもと思っていたんだけど、地道に足を使うしかなさそうですわね」
胴体を盛大に斬られているというのに、炎系の魔法で傷口を焼き潰す雑な対処で済ませた領主の娘が行動を開始する。ノブリスオブリージュを貫くために。
と。
そんな彼女の背中に声をかける影が一つ。
「やあ、元気ちゃんしてるー?」
「ゼリシア=キラーゾーンですわね。わらわ、今とっても忙しいんですわよ」
「酷いちゃん、無二の親友がこうしてお声ちゃんかけているってのに」
「親友って……お互いの立場理解しているんですわよ?」
振り向き、確認して、領主の娘は呆れたように息を吐く。
ゼリシア=キラーゾーン。
キラーゾーン公爵家が三女。
レッドスプラッシュ公爵家を頂点とする派閥とは完全に敵対関係にある派閥の頂点、それがキラーゾーン公爵家である。あるのだが、なぜかそのキラーゾーン公爵家の三女は事あるごとに領主の娘へと親しげに声をかけてくる。
銀の三つ編みを八本ほど後ろに流し、紫を基調としたドレスや装飾品を纏っているためどこか毒々しい印象を受ける令嬢であった。あるいは軽薄に歪むその口元が印象を助長させているのか。
「立場ちゃんなんて関係ないって。自分ちゃんの気持ちに嘘はつけないしね」
「はぁ。もう好きにするんですわね」
「もちろんちゃん」
しょせんはレッドスプラッシュ公爵家系統派閥の構成物の一つでしかない領主の娘と、キラーゾーン公爵家系統派閥の血筋を受け継ぎし者とでは『差』がありすぎる。本来であればこうして普通に話ができるほど対等ではないのだが……軽薄に、毒々しく、定説やら常識なんてものをゼリシア=キラーゾーンは踏み潰す。
「シンシヴィニアちゃん、随分と傷だらけちゃんね。なのにまだ頑張るちゃん?」
「当然ですわよ。わらわはいずれここら一帯を支配する女王となるんですわよ。だったら、それ相応の働きをするべきですわよねえ!!」
「真面目ちゃんなことで」
くつくつと嘲るように笑みを広げるゼリシア=キラーゾーン。夜会だなんだと集まりがある時には毎度のごとく絡んでくる敵対派閥の頂点の関係者に構っている暇はないのだ。
ノブリスオブリージュ、やるべきことを果たせ。それがシンシヴィニア=セレリーンにできる唯一のことなのだから。




