第二話 理性が吹き飛ぶお肉の味
(な、なんでこんなことになってるの!?)
ピーチファルナは貧乏である。
身なりからしてボロ布のような古着であり、せっかくの銀髪はろくに手入れされておらず錆びた鉄のようだった。昔はもう少し肉つきも良かったのだが、今は見る影もなく痩せほそっている。十二歳の少女とは思えないほど全体的に『くすんで』いた。
住居こそ自殺した両親が残したものを使っているため一般家庭レベルではあるが、実情は日々の食事さえろくにとれていないほどである。
そう、朝から晩までなりたての冒険者がやるような低級魔獣退治の依頼をこなして、それでもはした金しか得ることはできないのだ。
本来であればもう少し上のランクの依頼を受けてもいい実力はあるのだが、魔法以外はそこらの女の子と変わりないピーチファルナには難しかった。
当然のことながら上の依頼になればなるだけ危険度も跳ね上がる。そのため一般的な冒険者はチームを組む。近距離、遠距離、回復、防御、索敵、など様々な分野を何人かの人間で分担するのだ。
一人でどうこうするのではなく、複数人で対応するのが冒険者の基本なのだ(もちろん冒険者の中には何から何まで一人で対応可能な怪物もいるのだが)。
ゆえにピーチファルナは上を目指せない。
魔法だけは優れているピーチファルナの弱点を埋めてくれるような仲間が集まらないのだ。
そう、領主暗殺を目論んだ犯罪者の娘と共に依頼をこなしてくれる冒険者がいないのだ。
いかに冒険者ギルドが『問題さえ起こさなければ』誰だって働ける環境だろうとも、だからといって冒険者が犯罪者の娘さえも無条件に受け入れてくれるわけではない。誰もチームを組んでくれず、結果として一人で達成可能な(安い報酬の)依頼を選ぶしかなかった。
ゆえにピーチファルナは貧乏だった。
その上で現状を確認しよう。
じゅうじゅうと熱せられた鉄板の上で肉汁が弾けていた。鉄板の上でそれはもう強烈な存在感を醸し出しているステーキから滲み出た肉汁が辺り一面に凄まじい匂いを噴出させているのだ。
暴力的な肉汁の匂いだけで胃袋がぎゅるぎゅると唸り、口の中に次から次へとよだれが溢れていく。
宝石のようにキラキラと輝く、それ。
それこそ両親が健在だった頃にだって目にすることもできなかっただろう、とびっきりお高いステーキだった。
何せ場所からして街の中でも有名な高級料亭の、最奥。特別扱いであろうことが存分に示された、豪勢な個室なのだから。
「ん? 食べないでごぜーますか???」
「え、あ、そのっ」
対面には芸術品のごとき美女が一人。漆黒のドレスに黄金のような金髪、深淵の闇を覗き込んでいると錯覚してしまうほどに深い瞳を持つレイ=レッドスプラッシュであった。
公爵令嬢にして未来の王妃が確約されている天上人と邂逅したばかりか、助けられた時点で一生かけて自慢できるような奇跡だというのに、気がつけばお高い料亭で二人きりとなっていたのだ。もうピーチファルナの頭の中は混乱にぐるぐると意味もなく空転していた。
「わっ、わたし! 貧乏で、あのあの、こんな、ほらこの服っ。こんなの着ているくらいで、だから、その、とにかく貧乏なのですハイ!!」
「…………、」
気がつけばボロ布のような古着の胸元辺りをぐいぐい引っ張り、どこか胸を張るような形で叫んでいた。ピーチファルナ、完全に混乱状態である。
対してレイは喉の奥でくつくつと笑う。鈴が鳴るような澄み切った笑い声であった。
じゅわり、と濃厚で粘っこい蜜のような甘い匂いを振り撒きながら、
「くふふ☆ 私の奢りでごぜーますから、気にせず食べちゃっていいでごぜーますよ」
「ぅえ!? でも、あの、こんなお高いの、ええっと!!」
わたわた両手を意味もなく振り回すピーチファルナを見つめ、レイ=レッドスプラッシュは流れるような動きでフォークとナイフを手に取り、ステーキを切り分ける。
切り分けたステーキにフォークを突き刺す。それだけでじゅわぁっと肉汁が溢れる。
それこそピーチファルナが何年働けば手が届くのか不明なほどに高級な一切れを差し出して、漆黒の美女は言う。
「はい、あーん」
「え、え?」
「お口、あけるでごぜーます」
「ひゃっひゃい!」
脅されているのでも、威圧されているのでもないのに、その言葉には鋭い槍で脳髄を貫くような強制力があった。反射的に口を開いたピーチファルナへと、同じ重さの宝石よりも価値ある一切れが運ばれる。口を閉じて、噛んで、そして──弾けて消えた。そんな風に錯覚するほどに柔らかかった。
口の中で肉汁が爆発するように溢れ出して、その味わいをこれでもかと言うほど舌に叩きつけてくる。今まで感じたこともない衝撃にピーチファルナの肉体がびくびくっと歓喜に震える。
「ふわ、ふわあーっ! おい、おいしっ、ふわーっ!!」
「くふふ☆ まだまだあるでごぜーますから、いっぱい食べるでごぜーます」
口内で爆発して、鼻腔まで広がる暴力的な肉の香りに劣らないほど甘い蜜の匂いが広がる。漆黒の美女の手で次から次へと運ばれてくる肉をピーチファルナは雛鳥のようにパクパクと貪っていく。
お高い肉を食べられるだけのお金はないだとか、なんで公爵令嬢と二人きりなのだとか、公爵令嬢に食べさせてもらうなんて恐れ多いだとか、まるっと吹き飛んでしまうくらい味覚の暴力は凄まじいものだったのだ。
ーーー☆ーーー
領主の娘はいずれ己が支配下となる街を歩きながら、ギリギリと歯ぎしりしていた。強く握り締められた拳からは鮮血が垂れているほどだった。
ぼそりと。
怨嗟が漏れる。
「このままで終わると思うんじゃないですわよ」