第十五話 急転直下、あるいは予定調和
『ゾジアック』。
眼帯の大男を中心とした冒険者の集まりにして、非合法な依頼をこなす世界の暗部の一つである。
その実力は高く、上位ランカーの冒険者と同等の力を持っていながら、『コスパが悪い』と殺人依頼を好む傾向にある。
そう。
『ゾジアック』には殺人が『コスパがいい』と判断するだけの力がある。例えば標的の正確な位置情報検索能力、例えば死体の完全な処理能力、例えば殺人に気づかせない隠蔽能力。
ゆえに国中に展開されている『蠅の女王』は一連の闘争を把握できていなかった。風魔法を利用した『スレイブ』の誘導や音の遮断、炎魔法を利用した蜃気楼による視覚情報の隠匿、その他にも様々な力を用いることで闘争の隠蔽を果たしている。
であれば。
隠蔽するだけの余裕がなくなったら?
国中に展開されし『スレイブ』、蠅の形をした監視網が本来の機能を取り戻した時、ありとあらゆる情報は収集されることだろう。
ーーー☆ーーー
「あの馬鹿っ、ドヤ顔で撃ち抜かれやがった!」
「油断しすぎだ、クソが!!」
残り二人。
眼帯の大男に侍っていたゴロツキどもが騒いでいたが、ピーチファルナの耳には入っていなかった。
小さな棒状の魔法道具『ハニートラップ』。
その先端から掃射された黄金の閃光は正確にゴロツキの一人を貫いた。貫いて、殺した。
「う、……ぁ」
現実に思考が追いつく、その前に。
赤が目に飛び込む。
つまりは地面に倒れたレイ=レッドスプラッシュから流れる鮮血が。ピーチファルナを守るために傷つき、最後には剣で貫かれた彼女の姿を再度見つめて、ピーチファルナは現実に追いつこうとする思考をねじ伏せにかかる。
くだらない。
くだらない、くだらない! くだらない!!
誰かを殺したのははじめてのこと? そんなのどうでもいい。後に回してしまえ。この先、ちっぽけな自我がどうなろうが、今この瞬間、特別を守るために何をすべきか考えろ。
この手に必殺がある。
ならば立ち向かえ。
「う、ォおおおおッ!!」
チャンスは一度だろう。二度も三度も挑戦する隙を与えてくれるほど弱敵ではないのだから。
ゆえに、この一手。
残り二人を一手にて仕留めなければ、死の末路に呑まれるに決まっている。
ーーー☆ーーー
その時、ゴロツキの一人は口の端をつり上げていた。油断したのか馬鹿が一人撃ち抜かれたが、あんな奇跡は二度も起きない。
黄金の閃光は確かに一撃必殺だが、軌道は単調な直線だけである。であれば、避けるのは容易い。
……漆黒の美女が先ほどまでポンポン当てることができたのは、それだけのポテンシャルがあったからである。ゴロツキどもより速い挙動に位置取り、回避や攻撃等の行動、それらを組み合わせて『望む結果を誘発する』、そんな馬鹿げた芸当を軽々と成し遂げていたからこそ、黄金の閃光は必殺と機能していた。
だから。
「う、ォおおおおッ!!」
ブォン!! と小さな棒状の魔法道具『ハニートラップ』を右から左に振り回そうとしている少女を見つめ、ゴロツキは失笑をこぼしていた。
胸の高さへと横に一閃。
黄金の閃光を放出し続けることで、遠大な剣を横薙ぎにするように二人まとめて斬り裂こうとしているのだろう。
素人丸出しの挙動。
いかに一撃でゴロツキを殺せる道具があろうとも、使い手がど素人なら恐るるに足らず。
だから。
だから。
たから。
ガグンッ!! と。
黄金の閃光を避けて、返す刃で少女を殺そうとしていたゴロツキどもの動きが止まる。
つんのめるように、それこそ『何か』に動きを阻害されたゴロツキどもは指先一つ満足に動かせなくなっていた。
そう。
いかに使い手がど素人だろうとも、その手にあるのは一撃必殺。直撃すれば、死は避けられない。
(なん、だ!? いやまさかこれは血液が固まっ……!!)
ブゥゥゥン、と。
微かな羽音がゴロツキの鼓膜を震わせた。それが彼が聞いた最後の音だった。
ーーー☆ーーー
ズッザァン!! と胸の高さに揃えた黄金の閃光がゴロツキどもを斬り裂いた。そのことに思うことがあったのは事実だが、事態は瞬く間に移ろいでいく。
『確認、殺人事件発生。繰り返します、殺人事件発生。検索。完了。対象ピーチファルナ、二人の人間を殺した光景は録画されています。両手を挙げて、地面に伏せなさい』
ブゥゥゥン、と特徴的な羽音が聞こえる。
蠅の形をした『スレイブ』がピーチファルナの頭上に飛んでいた。その小さな羽が振動して、声のようなものを生み出しているのだ。
「殺っ、え? いや確かにそうだけど、先に手を出してきたのはあっちなんだってっ!!」
『指示に従わない場合は抵抗の意思ありと見なして、武力的鎮圧に移行します』
「武力、って、ああもうなんでこんなことにっ」
要求に従うのが賢い選択だったのだろう。
だけど、そう、ピーチファルナの目の前には彼女を庇い倒れたレイ=レッドスプラッシュが倒れていた。
放っておけるものか。
応急処置くらいしかできないが、それがあるかないかでレイの生死が左右されるかもしれないのだ。
現実に思考が追いついたならば、後は選ぶだけだ。
こんなの二択ですらない。
「レイさんっ」
今はとにかくレイの血を止めるのが最優先。こんなつまらないことで特別が失われるなどあってはならない。
駆け寄ろうと足に力を込める。レイ=レッドスプラッシュの『状態』を視認して、正確に認識してしまって、現実に思考が追いつくより先に行動に移せと急かされるようだった。
なぜなら、人間は無数の魔法攻撃を浴びて、その上剣で胴体を刺し貫かれたら──
「やってくれたな!!」
ゴッ!! と。
衝撃に、側頭部が揺れて……、
「が、あぶ!?」
認識が霞む。時系列が微かに飛ぶ。
何かがあった。頭に強い衝撃を受けて吹き飛ばされたのだろうが、具体的に何をされたのかすら認識できていなかった。
「あ、ぅ……」
地面に倒れていると、ようやく気づく。
気づいて、それまでだった。足にも手にも力が入らない。ぐわんぐわんと思考が揺れに揺れて、満足に繋げられない。
その間にも時間は進む。
誰に対しても平等に、無慈悲なまでに。
「よもやレッドスプラッシュ公爵令嬢を襲うとはなっ。そこらに転がっているのはまさか公爵家の護衛か? チッ、本当とんでもないことしてくれたなっ!!」
「ち、が……」
満足に言葉を紡ぐこともできない。それだけ強い衝撃に脳を揺さぶられたのだろう。
鉛でも詰め込んだように重い頭をほんの僅かに上げて、声の主を見る。
領地の治安を守る部隊の隊員であった。声の主の他にも複数人いるようだが、今のピーチファルナではその全員を見渡し確認することもできない。
もしも。
『スレイブ』による警報を聞き駆けつけた治安維持部隊の人間がこの光景を見ればどう判断するか。
前提としてゴロツキどもから襲ってきた、なんてものは分かりようがない。分かるのは複数の死体があり、傷つき倒れた公爵令嬢がいて、その令嬢に『殺人事件の犯人とされる』ピーチファルナが近づこうとしている、ということだけ。ピーチファルナが複数の人間を殺し、レッドスプラッシュ公爵令嬢にトドメを刺そうとしていると判断したって不思議ではない。
「ったく、だから俺は嫌だったんだ! 領主暗殺をたくらんでいたクソ野郎どもの娘を放置しておくなんてさ!! 案の定やらかしてくれたぞ!!」
「ここの領主はレッドスプラッシュ公爵家の傘下だ。領主暗殺も含めて、初めからレッドスプラッシュ公爵家の支配領域を崩すために暗躍していたのかもな。そこのガキも、その両親も」
「ハッ! なんでもいい。わかってんのはこのガキが公爵令嬢を殺しかけていたっつーことだ!! 初級魔法しか使えないって聞いていたが、これだけの人数殺してのけたってことは何か隠しているのかもしれねえ。下手に生け捕りを目指して、公爵令嬢殺されてもたまらねえ。ここで、殺すぞ」
「まあ殺人犯が抵抗した場合は殺害してもいい、っつールールだしな。っつーか個人的に領主暗殺をたくらんでいたクソ野郎どもの娘を生かしておきたくねえしな。大義名分があるってなら、容赦する理由もない。今すぐぶっ殺すぞ!!」
流れが、定まっていく。
とりあえず殺しておいたほうがいい、という流れへと。
根底にあるのが治安を守るために犯罪者を取り締まる『正義』だとしても、行き過ぎた結果とりあえず殺しておけなんていう禍々しい悪意に変じることもある。
善なる悪行、殺しの正当化はなされた。
ゆえに治安を守る『正義』は魔法陣を展開、犯罪者の娘にして殺人犯を排除するためにその力を解放する。
その。
直後の出来事だった。
ゴッバァ!! と。
色とりどりの魔法攻撃がピーチファルナを粉砕する寸前、まるで盾のように立ち塞がった美女がその繊手で悪意の奔流を薙ぎ払ったのだ。
じゅわり、と甘ったるく、粘っこい蜜のような甘い香りが広がる。ぼたぼたと全身から鮮血を流しながら、しかし美女は笑みさえ浮かべて振り返ったのだ。
黄金のごとき鮮やかな金髪に深淵に揺蕩う闇のごとき深き瞳、鎧さえも貫く鋭利な槍のごときスレンダーな身体にシンプルな漆黒のドレスを纏う──つまりはレイ=レッドスプラッシュであった。




